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デビュー作にして北欧ミステリの最高峰に。スウェーデンの人気警察小説〈グレーンス警部〉シリーズの第1作『制裁』 訳者あとがきを特別公開

訳者あとがき

 それはいかにも北欧らしい曇り空の、ある肌寒い夏の日のことだったという。
 アンデシュ・ルースルンド。スウェーデン公営テレビ局に勤務するジャーナリスト。
 ベリエ・ヘルストレム。十三歳で酒と麻薬の味を覚え、刑務所での服役経験もある男。

 経歴のまったく異なる二人が出会ったのは、ルースルンドが刑務所に関するドキュメンタリーを制作していたときのことだった。彼は取材の過程で、〈KRIS(Kriminellas Revansch I Samhället 犯罪者による社会への返礼)〉という団体が設立されたことを知る。刑務所を出た囚人たちは、塀の外の社会になじむことができず、結局かつての仲間と付き合い、同じ罪を犯してしまうことが多い。こうした元囚人の社会復帰を支えることが犯罪の防止につながる、という考えかたに基づき、かつて自分も囚人であった人々が、出所したばかりの囚人たちをサポートしようと設立したのが、このKRISであった。ルースルンドはさっそく連絡をとることにした。
 その電話に出たのが、発起人のひとりであるヘルストレムだった。
 この出会いを通じて、ルースルンドはKRISに関するドキュメンタリー番組を制作した。その後も二人の付き合いは続いた。二人とも、刑務所制度の問題や犯罪者の更生に関心を寄せている。議論は尽きなかった。
 その夏の日も、二人はカフェで議論を交わしていた。そして席を立ち、肩を並べて歩き出したとき、ふとひらめいたのだという。重ねてきた議論をもとにして、二人で本を書いたらどうだろうか。それも、小説という形で……。

 こうして二人のデビュー作となったのが『制裁』だ。二〇〇四年に出版されたこの作品は高い評価を得、翌年の「ガラスの鍵」賞(最優秀北欧犯罪小説賞)を受賞した。二〇一七年一月現在、世界二十ヵ国以上ですでに翻訳出版されているか、または翻訳が進められている状況である。

 女児暴行・殺害の罪で服役中の囚人が、護送中に逃走。ふたたび幼い少女が犠牲となる可能性があり、警察が総力を挙げて行方を追う中、五歳の娘を保育園に送り届けた作家のフレドリックは、その門の前のベンチに男がじっと座っているのを目撃していた。一方、囚人が脱走した刑務所では、性犯罪者への強い憎しみが渦巻いている。それぞれが駆り立てられるようにして起こした行動が、思わぬ結果を招き……。異常な暑さに見舞われた夏のスウェーデンで、悪夢のような憎しみの連鎖が展開される物語だ。

 著者たちの議論を下敷きとしているだけあって、単なる娯楽小説にとどまらず、司法制度や刑務所の問題点を鋭くえぐり出す社会派小説に仕上がっている。ここでは日本であまりなじみのないスウェーデンの制度や状況について、少々補足しておきたい。

 まず、スウェーデンに死刑制度は存在しない。最高刑は無期懲役ということになるが、しばらく服役したのち有期懲役への変更を願い出ることができるため、二十年前後で出所するのが通例になっている。つまり、本作のベルント・ルンドのような犯罪者であっても、刑務所内で更生に向けたじゅうぶんなケアを受けることなく、そのまま二十年ほどでふたたび自由の身となる可能性がある、ということになる。

 また、刑務所内の管理の甘さも問題になっている。たとえばこの作品でも、服役中のルンドがインターネットで児童ポルノ画像のやりとりをしていたというくだりがあるが、スウェーデンの多くの刑務所では、主に教育を目的とした囚人のコンピューター使用を認めている。インターネットへの接続は職員の監視のもとで行なうことになっているが、囚人がこっそり携帯電話を持ち込むなどして勝手に接続してしまうこともままある。ルンドの児童ポルノ事件と同様のケースも実際に起こっており、改善策がとられてはいるものの、じゅうぶんとは言えない状況らしい。

『制裁』はたしかにフィクションだが、その描写は現実の世界に深く根差している。ということは、同じような事件が現実に起こってもおかしくない。それが、この小説の怖さだ。

 怖いのはそれだけではない。最初の章を一読しただけで、著者の描写力にはっとさせられる。女児暴行殺害犯と少女たちの視点から語られる、卑劣きわまりない犯行。その語り口には、身体感覚に直接訴えかけてくるような力がある。子どもに対する暴力の恐ろしさ、卑劣さは、この小説を貫くテーマのひとつになっている。
 さらに、娘を失った親の苦しみ。その絶望、決意、そして帰結を目にしたときの困惑。救いようのない暴力の連鎖を前にして、心にずしりとのしかかる悲しみ。そして、その連鎖はまだ続くにちがいない、と思わせるエンディングの怖さ……。
 ルースルンドとヘルストレムはこれらを余すところなく描き出している。

 

 原題のOdjuret は、「怪物」「野獣」という意味だ。一見、誰が怪物なのかは明らかである。更生の見込みのない殺人者。目を合わせることさえままならない、「人間ですらない」、ベルント・ルンド。
 だがほんとうにそうだろうか?
 物語が進むにつれ、怪物は姿を変え、ほかの人々にもとりついているように見える。
 他人の命を奪うことで、子どもの命を守れるとしたら、大人はそうすべきなのか。そうやって、人の生命の価値を、同じ人間が決めてしまうことは、果たして許されるのか。それが許されるとき、怪物が生まれるのではないか……。
 その答えは、この物語を紐解く読者ひとりひとりが、自分なりに出すしかないのだろう。

 ルースルンドとヘルストレムは、その後も本書と同じくエーヴェルト・グレーンス警部を主人公とした小説を発表しつづけている。二〇〇五年に『ボックス21』、二〇〇六年に『死刑囚』(邦訳はともに武田ランダムハウスジャパンより刊行)、二〇〇七年『Flickan under gatan(通りの下の少女)』と続き、二〇〇九年の『三秒間の死角』(角川文庫)で英国推理作家協会(CWA)インターナショナル・ダガー賞、および日本でも翻訳ミステリー読者賞を受賞するなど、国際的に高い評価を得た。二〇一二年に『Två soldater(ふたりの兵士)』を発表後、いったんコンビでの執筆を休止したが、二〇一六年に『三秒間の死角』の続編にあたる『Tre minuter(三分間 )』で復活した。なお、本書『制裁』を除くすべての作品がスウェーデン推理作家アカデミー最優秀小説賞にノミネートされるという快挙を成し遂げてもいる。
 このほか、ルースルンドは二〇一四年、脚本家ステファン・トゥンベリと組んで『熊と踊れ』(早川書房)を発表。英国推理作家協会(CWA)インターナショナル・ダガー賞の候補となったほか、日本でも各社のミステリ・ランキングで上位を獲得した。

 本書は二〇〇七年七月にランダムハウス講談社より刊行され、同社の倒産にともない絶版となっていたのを、著者本人による改稿を反映させたうえで、早川書房から復刊したものである。初訳時に大変お世話になった、ランダムハウス講談社(当時)の田坂苑子さん、株式会社リベルの山本知子さんに、あらためてお礼を申し上げるとともに、復刊に向けてご尽力くださった早川書房の山口晶さんと根本佳祐さん、そしてなにより、復刊を望んでくださった読者のみなさんに、この場を借りて心からの感謝を伝えたいと思う。ありがとうございました。

 二〇一七年一月

 ヘレンハルメ美穂


追記

 二〇一七年二月十七日、著者のひとりであるベリエ・ヘルストレム氏が二年にわたる闘病の末、亡くなられたとの報が入りました。享年五十九、あまりにも早すぎる死です。残念でなりません。ご遺族に謹んでお悔やみを申し上げ、故人のご冥福をお祈りするとともに、デビュー作である本書『制裁』の復刊が少しでも弔いとなり、彼の生きた証が遠い日本の読者にこれからも読まれつづけることを、心より願っています。