演劇シーン最注目の劇作家・市原佐都子 渾身の書き下ろし小説。冒頭を無料公開

悲劇喜劇2018年3月号では、最注目の劇作家・市原佐都子さんの中篇小説「マミトの天使」を掲載。市原さんは、2017年の岸田國士戯曲賞選考会で、選考委員の岩松了さん、岡田利規さんらからその才能を高く評価されました。一癖も二癖もある作品世界と、柔らかで不思議なユーモアのある語り口が共存している点が市原作品の魅力です。

また、今回の小説掲載に合わせて書評家の豊﨑由美さんからは、エッセイ「文学界の大いなる問題児へ」を寄稿してもらいました。(豊﨑さんのエッセイはこちら

このたびの掲載を記念し「マミトの天使」の冒頭をNOTEで公開します。

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マミトの天使       市原佐都子

 そよそよ、そーよ、そーよ。私は茶色いイヌを飼っていたのだった。っていうのを思い出したのはタロー君というニンゲンのオスの隣。むくむくとした毛布に裸でくるまれているとき。タロー君のにおいとこのオレンジ色の花柄の昭和っぽい毛布、そしてなにより、茶色からだった。扇風機の風に、そよそよ、そーよ、そーよ、って揺れている、そーよ、そーよ、茶色い毛。私さっきまでタロー君というニンゲンのオスとセックスをしてて、いててててて。ちょっと太ももちくっとした。タロー君の部屋は木造の築うん十年のアパートですべてのものに生活の出汁がきいて茶色い。一番味がしみている煎餅布団の万年床は、みるからにしんなりとしている。噛めばじゅわーっと汁がしみ出す、がんもどきのよう。たぶん買ってから一回も洗濯していない。睡眠、セックス、オナニー、食べるのも、大好きな二リットルのペットボトルコーラを飲むのも、テレビを見るのも、漫画を読むのも、ギターを弾くのも、お風呂とトイレ以外の生活がこの煎餅布団の万年床の上で行われている。この毛布のせつなさはなんだろうかい。かい。かいい。太ももかいい。ここはダニたちの楽園。この煎餅布団の万年床の上、所々なにがついたのか鼻水か精液が糊のように毛が束になり固まり、もうとっくに捨てるべきオレンジ色の毛布に裸でくるまれていると、タロー君のくだらない毎日が鼻から口から目から全身の毛穴から鮮明に私のなか取り込まれて、なんでか妙に落ち着く。いつものようにタロー君は汗を拭かないで扇風機のスイッチをバチンと叩き押しそのまま倒れこむ。背中の汗は煎餅布団の万年床に吸い込まれる。こうやって継ぎ足し継ぎ足しまた出汁がきいていくのね。ここは素敵。生き物の楽園。ガンジス河。そーよ、私の暮らしは大きなものの流れに沿っているだけ。地球の上でまわされているだけ。なんにも怖いことはない。たくさんのダニが健康的に食べ物のカス、フケ、ほこり、そんな地球からのお恵みを栄養に生きることをしているだけ。恐れることなく地球にまわされよう。この楽園は永遠に続くでしょう。タロー君はこの煎餅布団の万年床を捨てることはないし、洗濯さえすることだってない。もしダニがタロー君を噛めばさすがのタロー君だって捨てたり洗ったりすることを考えるのかもしれない。でもダニはタロー君を噛まない、というか噛まれてもタロー君が気付いていないのか私ばかり痛くて痒いので、楽園は楽園のまま、タロー君は安らかに眠っている。タロー君は口をむにゃりと動かした。タロー君は上唇が分厚くてデフォルトで口角が上がっている。寝ているときだって上がっている。分厚い上唇は冬でも乾燥して皮がむけたり縦皺がはいったりすることはなく、いつも柔らかくすべすべのうすピンク色。むにゃり、の音がぴったりの口をしている。そのせいでタロー君はデフォルトで幸せな顔をしている。時々眉毛をハの字に困った顔をしているときだって、口角は上がっている。タロー君の不幸はきっとそんなに不幸じゃない。だって所詮タロー君は幸せな顔をしている。自称、みゅみゅミュージシャンだけど、ミュージシャンでお金を稼いでいなくて親から仕送りをもらっている。だから世の中的にはニート。それなのにすらすらと「俺ミュージシャンです」と言えるタロー君のこと尊敬する。私なんか自分のことでもないのに、「みゅ」のところでもうだめで毎回ぞわぞわして下を向いてしまう。「ミュージシャン」とすらすら言えるタロー君。タロー君に救われる。タロー君のような人間がみゅみゅミュージシャンで成功するはずもないのに。選ばれた人間しかなれないのに。絶対にタロー君は選ばれてないのに。「才能がない」「運がない」「売れなかったら生きてる意味ない」「死のうかな」って真面目に悩んでいる。微笑ましい。私はその話に頷きながら心の底でそんなんで死んでいたら人類滅びるわって思っている。むしろ、生き延びるために夢なんて持っている。私たちはダニみたいにこの辺をうろちょろしてつまらないもの食べて生きて死ぬのです。そのことに耐えるために暇つぶしで夢があるんでしょ。あ、畳の上に転がっているあのネズミのぬいぐるみ。あれはタロー君がゲームセンターで私の百円玉を何枚も何枚もつぎ込み手に入れたもの。本当はあんなネズミ欲しくなくてクマが欲しかったのに近くに取りやすい角度で転がっていたネズミになってしまった。だけどそんなことどうでもよく、どっちにしろこの古い汚い茶色いアパートのささくれた畳の上に畳のカスまみれになって転がることになるだけだから、クマでもネズミでも同じ。あの百円たちは私がバーコード、ピ、ってして稼いだものなのに。私の四時間の労働に匹敵する百円たちなのに。こんなネズミを連れて帰るために四時間の労働があっという間に泡と消えた。でもそんなのもどうでもいい。なぜなら私やタロー君のつかうお金に無駄でないものなんて一円もなく、だって私たちが生きているということがまず無駄なことなのだから。そんなことばっかり言ってると「もういいって、うんざりです、そんな悲しいことばっかり言うな、そんなんで生きてるの楽しいんか」ってお門違いなこと思われてしまうかもしれない。全然悲しくないし、私は楽しい前向きな話しかしていない。私のやさしさも、前向きさも、わかりにくい。私なんてこの世界でいてもいなくても同じで、ほっとするわ。はあ、このまま適当に息するわ。そんな希望がタロー君の隣、毛布にくるまれていると湧くのだった。タロー君は寝息をたて始める。扇風機の風で、そよそよ、そーよ、そーよ、お腹の汗乾いていく。そよそよ、そーよ、そよそよ、そよそよ、扇風機の風、そよそよ、そーよ、タロー君のまばらに生えた胸毛をゆらしている。陰毛もゆらしている。長い睫もゆらしている。長すぎて折れ曲がっているのが何本かある。そよそよ、そーよ、そーよ、なんとのどか。うっそうと生えたすね毛も波打たせている。そよそよ、そーよ、そーよ。
 そよそよ、そーよ。そよそよ、そよそよ、そーよ、そーよ、そーよ、そーよ。私は茶色いイヌを庭で飼っていたのだった。私は見ていた。毛の生え変わる季節。茶色い毛、庭をたくさん舞っていた。風の強い日、午後、茶色いイヌは後脚で胴をかいて毛を庭中に舞わせていた。そよそよ、そよそよ、舞う毛が洗濯物につくからお母さんに怒られていた。茶色い毛、毛玉をつくりながら、そよそよ、そーよ、そーよ、雑草の緑色の上にところどころ茶色が漂う。洗濯物はためく、私の体操服、お父さんのワイシャツ、お姉ちゃんのバレーボールのユニフォーム、お母さんのベージュのパンツ、みんな一斉にはためく。あの光景が浮かぶ。そよそよ、そーよ、そーよ。私は茶色いイヌを庭で飼っていたのだった。私あの時期の抜けやすくなった毛をすーって取るのが好きだった。いらなくなった毛がもこっと束になって飛び出している。軽く引っ張ると、すーって取れる。すってすって本当にすーって取れる。だからずっとずっとすってすーって取っていた。いらないものが外に出て行くのってなんでこんなに気持ちいいんだろ。毛抜きとか耳かきとか垢すりとかおしっことかうんことか、なんであんなに気持ちいいんだろ。取った毛を捨てるのがもったいなくて、スーパーの袋の中に集めてお母さんにばれないように押入れの奥に隠していた。

(「悲劇喜劇」2018年3月号より抜粋。続きは本誌でお楽しみください。)


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●著者略歴 市原佐都子(いちはら・さとこ)Q主宰。劇作家・演出家・小説家。一九八八年大阪府生まれ、福岡県北九州市育ち。桜美林大学卒業。一一年Qを創設。モノローグを基調に生きることの不条理さ・混迷する世界で輝く人間の生命力を、女性の視点で語る。一一年、戯曲『虫』で第十一回AAF戯曲賞受賞。十六年、文芸誌「すばる」に小説『虫』を発表。一七年、『毛美子不毛話』が第六十一回岸田國士戯曲賞最終候補。

●今後の予定 Q近年の傑作二選を上演! Q『毛美子不毛話』『妖精の問題』2018年2月14日~18日=STスポット/作・演出=市原佐都子/出演=武谷公雄、永山由里恵(以上、『毛美子不毛話』)、竹中香子(『妖精の問題』)ほか〈お問い合わせ〉070-6966-9842。


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