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【再掲載】なんとしてでも読んでもらいたい作品だ――『アイル・ビー・ゴーン』レビュー【刑事〈ショーン・ダフィ〉シリーズ第三弾】

 12月15日(水)に発売を控えた刑事〈ショーン・ダフィ〉シリーズ最新刊にして最高傑作を更新したとの呼び声が高い『レイン・ドッグズ』。その発売を記念して書評家の小野家由佳氏による刑事〈ショーン・ダフィ〉シリーズのレビューを再掲載いたします。

 今回はシリーズのひとつのクライマックスである第三作、『アイル・ビー・ゴーン』をご紹介いただきます。

アイル・ビー・ゴーン_帯付

『アイル・ビー・ゴーン』レビュー


 異形の作品である。
 ショーン・ダフィという男の抱えている矛盾やコンプレックスが、そのまま作品構造に反映されているような、そんな印象を受ける。
 『サイレンズ・イン・ザ・ストリート』について『コールド・コールド・グラウンド』で見せた捜査小説としての面白さを深化させたと書いた。本書『アイル・ビー・ゴーン』もやはり第一作で見せた幾つかの方向性のうちの一つにさらに一歩、踏み込んだ作品となる。
 この作品では、紛争の最中でダフィという刑事はどう生きるか、または生きてきたかという部分に焦点が当たるのだ。そして、そこについて一つの決着もつける。
 刑事〈ショーン・ダフィ〉シリーズをどこかで第一部と区切るなら、この作品ということになるのではないかと思う。

   *

 ダフィは腐っていた。
 とある事情から組織内部で不遇の状況に置かれてしまい、しまいにはトラブルで警察自体も辞めることになってしまったのだ。
 移住の準備を始めたダフィを訪ねてきたのは思いもがけない客人、英国情報局保安部(MI5)だった。これまでダフィが捜査した事件の裏で暗躍していた連中が、正面切って現れたのだ。
 彼らがやって来たことも予想外だったが、持ちかけられた話はそれ以上だった。メイズ刑務所から脱走したIRAの幹部をダフィに見つけ出してほしいというのだ。
 刑事として復帰させ(階級は平刑事や部長刑事ではなく警部補で)、更にはサッチャー首相からの謝罪ももらう約束を取り付けたダフィは、警察特別部として捜索を開始する……
 前二作では、あくまで刑事の職務として事件の捜査をしていたダフィに、事件に関わらなければならない切実な理由が用意されているというのが本作の特徴だ。
 上の粗筋に書いた警察に復帰するためにMI5の依頼を達成しなければならないというのもその理由の一つだが、実はこの件には、彼にとってそれ以上に強い動機になるものがある。
 MI5が探し出してほしいと頼んでいるIRAの幹部ダーモット・マッカンという男は、実は、ダフィとは学生時代の同級生で、お互いに知っている仲なのだ。
 前作まででも語られていたのだが、実はダフィにはIRAに志願した過去がある。彼が十代の時に起こった血の日曜日事件を受け、カソリック教徒として怒りに燃えたのだ。
 その時、一足先にIRAに入っていて、お前は入るにはまだ早い、今通っている大学を出てからにしろとダフィを弾いたのがマッカンだった。
 頭の冴えも、人当たりの良さも、容姿も、何もかもが優秀だったマッカンは、ダフィにとって憧れの存在だった。彼のようになりたいと願っていた。
 その後、紆余曲折があり、ダフィは警察に入ってマッカンとは異なる道を歩むことになったが、それでもまだ、彼のことは心の中に残ったままだった。
 そこで持ち掛けられたのが、今回の話である。
 捜査に身を入れるには十分すぎる感情の高ぶりが、ダフィの中にはあった。
 彼が銃殺される前に俺が捕まえてやらなければという殊勝な気持ちや追いつけなかったあいつを見返してやろうというコンプレックスを混ぜこぜに、ダフィは追跡を開始する。
 これが、本書の本筋である。
 この本で語られるのはつまり、ショーン・ダフィ自身の事件でもあるのだ。

   *

 そんなストーリーの中に突如、密室の謎が現れる。
 マッカンの居場所を知るために、ダフィは何故か、数年前に発生した田舎町のパブでの変死事件の真相を解明することになるのだ。この事件には彼の親族は関わっているものの、マッカン本人とはほぼ関係がない。
 本筋の事件を調べていった先で全く関係なさそうな事件に出くわし、そちらの捜査もすることになるというのはこれまでのシリーズ作品と同じではある。
 だが、それらの作品ではその事件が本筋にどう絡むかが眼目であったのに対し、本作ではそこが最初からはっきりしている。直接的にはマッカンの捜索にこの事件は関係ない。だが、ある事情で調べなければならない。そういう扱いである。
 ある種、この事件のパートだけ単独の謎解きミステリとして読めてしまうような構成になっており、読み心地が明らかに前作までとは違う。ノワールの箱の中に一回り小さい本格ミステリの箱が入っているようなイメージだ。
 この小さい本格ミステリの箱はなかなかに出来が良い。
 トリックがどうこう、というよりも、密室状況のあらための部分に作者のセンスの良さを感じる。表口、裏口ともに鍵がかけられ、閂もかかっていたという堅牢な密室状況について、古今東西の名作を挙げながら「こうだったんじゃないか」と仮説をたてていく一連の過程は、本格ミステリファンならニヤリとしてしまうのではないだろうか。
 しかし、いくら出来が良くても、本筋に関係がないのなら、一つの作品としては散漫な印象になってしまう。
 そこを紙一重で繋ぎ止めているのが、本書のポイントだろう。
 上に書いた通り、この事件にはマッカン本人は関わりがないが、彼の周辺の人物は関係しているし、その多くは同郷であるダフィも前から知っている人たちだ。
 この事件についての捜査をしている間も、マッカンやダフィの過去の話はよく出るし、それを聞きながらダフィは二人の人生や、この街、ひいてはこの国について思いを馳せる。
 一見、本丸には関係ない事件を調べていくうちに、いつの間にかマッカンの人物像がくっきりと浮き上がってくるのだ。
 だとしても、遠回りが過ぎるし、冒頭で述べた通り構成としてバランスが崩れかけている部分がある。
 けれど、決して無駄ではない。
 遠回りを抜けた先のラスト数十ページに、本書の、更には本シリーズの真骨頂があるのだ。

   *

 本書終盤に待つのは、怒涛としか言いようのない展開だ。マッカンとの対決がイギリス史の有名事件へと雪崩れ込む。
 その中心に、ダフィは居続ける。
 そして、感情を爆発させる。
 自分にとって憧れだった故に憎らしくもあるその男についての気持ち、ろくに下のことを見てくれないでこき使うだけの組織への不満、先行きが何も見えない紛争の情勢に対する不安、国を出たり自殺したりあるいは殺されてしまったりで消えていく身の周りの人物への哀れみ……第一作から描かれ続けていたダフィの想いが、ここにきて拾い上げられ、その先で、彼が一つの決断をして物語は幕を閉じる。
 ここまでのシリーズの集大成といって差し支えのないまとめ方ではないだろうか。
 『コールド・コールド・グラウンド』『サイレンズ・イン・ザ・ストリート』と読み進めてきた読者には、なんとしてでも読んでもらいたい作品だ。
 きっと、ここまでダフィに付き合ってきて良かった、と思ってもらえるはずである。

小野家由佳(おのいえ・ゆか)
書評家。〈翻訳ミステリー大賞シンジゲート〉にて「乱読クライム・ノヴェル」連載中。Twitterアカウントは@timebombbaby

シリーズ第一作『コールド・コールド・グラウンド』のレビューはこちらから。

シリーズ第二作『サイレンズ・イン・ザ・ストリート』のレビューはこちらから。

【あらすじ】

 ショーン・ダフィに保安部(MI5)が依頼したのは、IRAの大物テロリストにしてショーンの旧友であるダーモット・マッカンの捜索だった。依頼を引受けたショーンは任務の途中で、ダーモットの元妻の母に取引を迫られる。4年前の娘の死の謎を解けば、彼の居場所を教えるというのだ。だがその現場は完全な“密室"だった……オーストラリア推理作家協会賞受賞作の本格ミステリ。大型警察小説シリーズ第3弾! 解説/島田荘司

【書誌情報】

■タイトル:『アイル・ビー・ゴーン』 
■著訳者:エイドリアン・マッキンティ/武藤陽生訳 
■本体価格:1,180 円(税抜)■発売日:2019年3月 
■ISBN: 9784151833038■レーベル:ハヤカワ・ミステリ文庫
※書影等はAmazonにリンクしています。