メッセージ文に「……」や「!」を多用する人の性格は?『マッチングアプリの心理学』からコミュニケーション術を伝授(本文試し読み)
ついに約束したディナーの場に現れた相手の見た目が、プロフィール写真とは似ても似つかなかった……。マッチングアプリでのこんな失敗の予兆は、事前にやり取りしたメッセージ文に潜んでいたかもしれません。
『マッチングアプリの心理学 メッセージから相手を見抜く』(尼丁千津子訳、早川書房)は、「メッセージ文解釈の達人」を自認するミミ・ワインズバーグ氏の初の著書です。ハーバード大に学び、スタンフォード大で25年の臨床経験を積み、フェイスブックの産業医も務めた経験豊富な精神科医が、マッチングアプリのメッセージ文から相手の性格や相性の読み取り方を伝授します。
本書より、あなたに相応しい誰かを見つけるための読解術の一部を紹介します。【本文試し読み】
>>著者インタビューも公開中「メッセージ文から相手の性格が分かる!?」
第2章 あなたのことをたくさん知りたい
記号の使い方は性格を表す
メッセージ文では、「句読点の省略や追加」や「すべて小文字を使用」、それにもちろん「絵文字の利用」といった、あらゆる種類の非標準な形式のコミュニケーションを目にする。
ジャーナリストのジェシカ・ベネットは、『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラム“When Your Punctuation Says It All(!)”(句読点はすべてを語る(!))で、「句読点があまりに多い文章は熱意があふれすぎているように見える一方、あまりに少ない文章は素っ気なさすぎると捉えられるかもしれない」と指摘している。文字によるデジタルコミュニケーションでは、話すときのような声の抑揚がないため、メッセージ文の意味を解読する際には当然ながら句読点によりいっそう注意しなければならない。
句読点自体に、書き手の性格が表れることがあるのだろうか? 可能性はある。ビッグファイブ性格テストとSNSの投稿文との関連性分析によると、「疑問符(?)」は「外向性」を表しているという。おそらく、「外向性」の高い人は質問するのが好きなのだろう。また、「コロン(:)」は「誠実性」と関係している。これは、よくまとまったリストなどで、コロンが使われているからだと思われる。逆に、「コンマ( ,)」は「誠実性」の欠如と関連している。
セリア・クリンの研究グループが「終止符( .)」について行なった調査では、「終止符で終わるメッセージ文を受け取った人は、送り手が怒っているか失礼な態度を取っていると感じる」ということが判明した。文末に終止符がないほうが、親しみを感じられるそうだ。終止符は堅苦しい印象を与えるので、短いメッセージ文の最後に打たれる終止符は特に、相手との心理的な距離をつくりだしてしまう。そのため、受け取った側の評価は、「あまり誠実そうではない」「辛辣に感じる」「受動攻撃的に思える」といったものが常に多かったようだ。
私の友人のなかには、これでもかというくらい終止符を使う人が二人いる(どちらともマッチングアプリで知り合った)。二人とも著述関連の仕事をしている。そのうちのひとりには、ずいぶん前にやりとりを始めた当時、「あなたはなぜメッセージ文にいつも終止符をつけるの?『はい』というたったひと言のときでさえも」と尋ねたことがある。すると彼は、「終止符がないと、文章の終わりから文字がこぼれ落ちるかもしれないからさ」と答えたのだった。
日常で関わりのあるこうした「終止符愛用者」たちは、どんな性格だろう? 一般的に彼らはこだわりが強く、やや傲慢なところもあるようだ。自分自身の基準や価値観に固執し、社会的通念には自分独自のやり方で立ち向かおうとする傾向がより強いように見える。私たち自身もこういう種類の人物と親しくなって、さらに愛するようになると、彼らの流儀に影響されるかもしれない。
著作家のガートルード・スタインは、句読点に対して強いこだわりがあったようだ。彼女は明らかに、「感嘆符(!)」が大嫌いだった。また、F・スコット・フィッツジェラルドは、「感嘆符をつけるのは、自分のジョークで笑うようなものだ」と語ったという。イタリアの匿名作家エレナ・フェッランテは、感嘆符を「男根の露呈」と呼ぶほど嫌悪している。アーネスト・ヘミングウェイも、感嘆符を使わずにより穏やかに表現する方法を好んだ。ある研究によると、感嘆符の過度の使用や誤用は、「神経症傾向」の強さや「開放性」の欠如との関連性が高いそうだ。次の例は、私がアイアンマンレースでハワイに滞在していたときに、ある相手と初めて行なったやりとりだ。
ジムがつけた感嘆符は、本当に必要なのだろうか? 何だか文章が下手に見えるし、それどころか精神的に不安定なのではないかとさえ思ってしまう。とはいえ、感嘆符の乱用が、以前よりも一般的になっているのは本当のようだ。言葉だけでは不十分に思えるときに、強調する目的で使われている。だが、とりわけ終止符の代わりとして使われる場合、感嘆符には「私に注目して」という切望や興奮が入り交じった感情が込められているようだ。
今日では、感嘆符をひとつつけるだけでは、相手に熱意を伝えるのには不十分と思われているのかもしれない。だから、2つ、3つ、4つと増えていく。強い感情を示すために誇張した表現を使う必要は、もはやなくなった。感嘆符をつけさえすれば、熱情を示せるのだから。私の友人ダニエルは、感嘆符を「絵文字の起源」と呼んでいる。
イーサンも、感嘆符を好きなように使っている。しかも、興味深い独特のやり方で音を伸ばしながら。
イーサンは、一見とても気さくでのんびりした人物に思えるかもしれない。だが、前述のとおり、感嘆符が「開放性」の欠如と「神経症傾向」の強さとに関連していることが、少なくとも一件の研究で示されている。さらに、イーサンは「おーーーい」「イカシテルーーーーーー」「スバラシイヨーーー」といった、強い気持ちを伝えるための「感情の長音化」も行なっている〔原文では“ohhhhhhh”のように文字が繰り返されている〕。感嘆符が使われている一方で、メッセージ文の「誰が」「何のために」「いつ」という部分は、彼の杓子定規な性格の一面を表している。
余談や追加の情報を囲んだ「括弧」は、「開放性」と「外向性」の両方が欠けていることと相関している。それらの文章は本題と直接関係していない場合があるため、括弧という句読点の一種で囲まれて、何らかの特別な情報(これは本当に役立つかどうかわからないから、あなたのために括弧で囲んでおくね)であるかのように提示される。
「……」などの「省略記号」は、読み手にさまざまな解釈の余地を与える。エレナ・フェッランテは省略記号について、「まつげをパタパタさせたり、感心したふりで口をかすかに開いたりするのと同じで、相手の気を引こうとするもの」と自身のエッセイ集Incidental Inventions(偶然の発明)で指摘している。どうりで、オンラインデートのメッセージ文には、省略記号があふれかえっているわけだ。それは、ほのめかし、可能性、そして……有望さを伝えるための手段なのだ。
では、本来大文字が使われるはずの箇所に、わざと小文字を使うのはどんな人だろう? それは謙虚な人という好印象を相手に与えるだろうが、その謙虚さは果たして本物、それとも偽物のどちらなのだろう? 私自身は、人によく見られたいためのある種の見せかけではないかとずっと思っていた。というのも、オートコレクト機能があるなかで「I(私)」をわざわざ「i」と打つのは、明らかに何らかの意図があるからだ。おそらく、「既存のルールに縛られない自分」を演出することで、本当は他人をあざけっているのではないかと、私はにらんでいる。
デジタルなボディーランゲージ
絵文字は、それについての議論を掘り下げようとするだけで、ひとつの章を費やしかねないほど複雑なテーマだ。グレッチェン・マカロックは、著書『インターネットは言葉をどう変えたか』(フィルムアート社、2021年)で絵文字の歴史と役割を入念に描き、「絵文字とは、主にジェスチャーの代用である。それゆえ、絵文字はメッセージ文でのやりとりに、わかりやすさや微妙なニュアンスを加えたりできる」と結論づけている。たしかに、口頭でやりとりする場合は、顔の表情や手振りに頼るところが大きい。
顔の表情や手振りには、文化の壁や違いがある。たとえば、アメリカ人はほかの多くの文化圏の人よりも、ずっと頻繁に微笑んでいる。私の母はフランス人で、パリとニューヨークを行き来して暮らしていた。母はいつも、「パリでは部屋の向こう側から、あるいは屋外の広いカフェの向こう側からでも、話しているときの表情を見るだけでアメリカ人かフランス人かを見分けられる」と、冗談まじりに話していた。母によれば、アメリカ人が会話の最中にずっと微笑んでいるのに対して、フランス人は真顔のままだそうだ。後者は笑顔を、もっと特別な機会までとっておくらしい。
では、アイコンタクト、顔の表情、手振りなどが意味するものを、メッセージ文ではどう伝えればいいのだろう? 相手の言葉が皮肉や嫌味なのかどうかを、どう判断すればいいのだろうか? アルゴリズムに判断させる場合、言語情報と意味情報(つまり、言葉の実際の意味と、書き手の意図した意味)の両方が必要になるだろう。
16世紀においては、辛辣な皮肉は疑問符を左右反転させた皮肉記号「パーコンテーション・ポイント」によって示されていた。19世紀のフランスの詩人たちは、同じ記号を、皮肉を強調するための「アイロニー・マーク」として使っていた。また、エチオピア語では上下逆さまの感嘆符が、同様の意味で使われていることがわかっている。今日の絵文字では、こうした皮肉めいた意味合いは「上下逆さまの笑顔」で示される。
絵文字は書き手の意図した意味を、よりはっきりさせるのに役立つかもしれないが、それは自分が書いた言葉を信用できなくなっているということなのだろうか? そしてさらには、自分が書いた言葉で完全に理解してもらえたと感じる喜びを、絵文字に奪われてしまうのだろうか? 私は、絵文字は手っ取り早く自己表現するためのものと、ずっと思っていた。
たとえるなら、絵文字は「言葉の冷凍食品」であって、一からつくられる「言葉の料理」ではないということだ。今日では、絵文字は10代の女の子たちだけに留まらず広く一般で使われているが、それでも私にとってはいまもなお「言葉の缶詰」に思えてしかたがない。「自分の気持ちを言葉だけで伝えられるよう、もっと努力して」と、メッセージ文の送り手たちに言いたい。「あなたが本当に伝えたいことを、言葉で伝えてほしいの」と。
この続きはぜひ本書でご確認ください(電子書籍も同時発売)。
著者略歴
ミミ・ワインズバーグ (Mimi Winsberg, M.D.)
ハーバード大学で神経科学の学士号を取得し、スタンフォード大学で25年の臨床経験を持つ精神科医。デジタル行動ヘルスケア企業「ブライトサイドヘルス」の共同設立者であり、フェイスブックの産業医としても勤務した。本書は初の著書。
記事で紹介した本の概要
『マッチングアプリの心理学 メッセージから相手を見抜く』
著者: ミミ・ワインズバーグ
訳者: 尼丁千津子
出版社: 早川書房
発売日: 2024年1月24日
本体価格: 2,700円(税抜)