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日本海中部地震、東日本大震災、能登半島地震――過去の報道から、私たちは何を学ぶか。池上彰『総決算』より「はじめに」全文公開

いま、私たちが過去の報道に学ぶべきこととはなにか? 半世紀にわたり報道の第一線を走り続ける池上彰の視点で体感する、昭和から令和までのスリリングな日本報道史『総決算――ジャーナリストの50年』(池上彰、ハヤカワ新書)より、「はじめに」を公開します。

池上彰『総決算 ジャーナリストの50年』ハヤカワ新書(早川書房)
池上彰『総決算』ハヤカワ新書

はじめに 移り変わる報道の世界に身を置いて

2024年の元日に発生した能登のと半島地震。大きな揺れに続いて、気象庁は津波警報を出した。揺れを感じた直後にNHKを見たぼくは、アナウンサーの口調の激変に度肝を抜かれた。それまで冷静に地震の情報を伝えていた女性アナウンサーが「津波が来ます。今すぐに逃げてください!」と絶叫したからだ。「テレビを見ていないで、急いで逃げてください!」のセリフには感心してしまった。これこそ命を救うメディアの真骨頂ではないか。

このときぼくは、かつて取材した日本海中部地震の津波の被害の現場を思い出していた。遠足に来ていた大勢の小学生が津波に呑まれて亡くなるという悲劇が起きた男鹿おが半島の加茂かも青砂あおさ海岸でのことだった。詳しくは本文に譲るが、大きな地震が起きると津波が来る。津波から人命を救うにはどうしたらいいか。この取材以来、ぼくが考えていたことが、いまテレビ画面で展開されているではないか。

人間には「正常化バイアス」というものがある。「きっと大丈夫」という根拠のない思い込みによって、人はなかなか非常時に対応できない。こういうとき、ふだん冷静なアナウンスをしている人が絶叫すれば、誰もが「異常事態が起きた」と考え、行動に移すだろう。あえて絶叫することが人々の行動を促す。そうか、この方法があったのか。思わず膝を打つ思いだった。

放送というメディアは諸刃もろはの剣だ。上手に使えば人の命を救うことができる。アナウンサーの絶叫は、2011年3月の東日本大震災でのテレビ放送の反省から生まれたものだという。冷静なアナウンスをしていては、人は動かない。絶叫してこそ人は動く。局内での検討会の結果ではあったのだが、それを生放送中にとっさに実行に移すことができたのは、大したものだと思う。テレビには、まだまだ可能性があるのだ。

その一方で、放送は人を傷つけてしまうこともある。差別的な表現やプライバシーを侵害する内容があれば、それらが公共の電波に乗って不特定多数の視聴者に届いてしまうことになる。また近年、SNSが大きな問題になっている。能登半島地震では「X」(旧ツイッター)に大量の虚偽情報が投稿された。災害の翌日には岸田文雄首相が記者会見で虚偽情報の発信を非難するまでになった。SNSもまた、有効に活用すれば人命を救うことになるが、
悪用されれば不安をかき立てることになってしまう。その現実を見せつけられた。

さらに最近はSNS上に偽の「池上彰」が何人も登場し、投資を呼びかけている。ぼくはジャーナリストとして、投資に関する取材・解説をすることはあるが、投資を呼びかけることなどありえない。この問題を取材したテレビ局の記者が、「池上彰」を名乗る人物に本物かどうかを問いただしたところ、なんとこの人物が答えた音声が、ぼくの声にそっくりではないか。AIによって合成された偽の音声だった。イントネーションはおかしかったが、声の質はぼくそのものだった。遂にフェイク情報はここまで来てしまったのか。

ぼくは1973年にNHKに記者として入局し、島根県や広島県で勤務した後、東京の報道局で取材を続け、元号が平成になってからはキャスターを務めることになった。そして2005年3月26日をもって、担当していた「NHK週刊こどもニュース」のキャスターを降り、3月31日でNHKを退職した。定年退職まではまだ間があったが、早期退職制度を利用して、あえて辞めることにした。

これ以上NHKにいると、記者だった期間より、それ以外の期間のほうが長くなってしまうからだった。ぼくがNHKに記者で入り、記者の仕事をしていた期間は16年間。1989年からは、今度はテレビの画面に顔を出すというキャスターの仕事を、やはり16年間。記者とキャスターの期間が同じになってしまった。

これ以上いては、「ぼくは記者でした」と言えなくなってしまうような気がしてきたのだそれなら、組織を抜けて、フリーの一記者になり、改めて記者の仕事を始めてみたい。これが、ぼくの思いだった。

ぼくは、小学生のときに出合った一冊の本がきっかけで、「記者になりたい」と考えるようになり、ジャーナリズムの世界に入った。希望通り記者になれた。現場で悩みながら、一生懸命走ってきた。そして、ふと気がつくと、いつの間にか、小学生に向けて、ニュースを解説している自分がいた。

ぼくが小学生のときに『続 地方記者』を読んで新聞記者を志したように、番組を見たのがきっかけになって、「テレビの記者になりました」「新聞記者になりました」と言う人に会うようになった。こんなに嬉しいことはない。

ぼくは記者になるとき、「特ダネをとる記者」になりたいと思った。記者になってからは、そのための努力もしてきた。それなりに他社の記者が慌てる特ダネを書くことができたと思う。でも、途中から、「わかりやすく伝える」ことに力を注ぐようになってきた。いくら特ダネをとることができても、それを視聴者にわかってもらえるように伝えられなければ、そもそも意味がないからだ。

とりわけ、ニュースを視聴者に伝えるというキャスターの仕事をするようになってからは一層のこと、「わかりやすさ」とは何かを考え続けてきた。

さまざまな情報を集めて整理し、それをわかりやすく伝える。その作業の全体が、ジャーナリズムの仕事なのだろうと考えるようになった。

NHKを退社してからは、世界各地を取材して回り、これまでに90の国と地域を取材した。また、民放各社から出演依頼を受け、民放での仕事も経験するようになった。

さらに2024年4月からは、再びNHKでレギュラー番組を担当することになった。その名も「時をかけるテレビ」。NHKが過去に放送した豊富な番組を、現時点で再編集して紹介する番組だ。これを見ることで、ぼくたちは昭和、平成、令和という三つの時代を振り返ることができるはずだ。

本書では、ぼくが記者としてキャスターとして体験し考えてきた三つの時代をたどってみることにする。この間に何が変わり、何が変わらず残っているのか。報道の現場を知ることは、日々のニュースに向きあう心構えにもなることと思う。

ぼくは昔から、記者の仕事が大好きだった。自分が記者の仕事をするのも好きだが、記者の仕事を扱った本を読むのも好きだった。記者をめざした学生時代、そして記者になってからも、いわゆる「記者もの」と呼ばれる新聞記者の世界のドキュメントを読みふけった。読売新聞記者から推理作家になった三好徹、佐野洋が描く事件記者の世界の小説も夢中になって読み漁った。

こうした本が、記者としての仕事をする上で、どれだけ役立ったことか。でも、なぜか最近は、そうした種類の本にあまりお目にかからなくなっている。記者の仕事を知りたいという需要が減ったためだろうか。それとも、いまさらそういう種類の本を書く物好きがいなくなってしまったからなのか。

それでも、世の中には、「将来自分も記者になりたい」と思っている人がいるだろう。仕事の悩みを抱えている若い記者もいることだろう。ジャーナリズムの世界とは無縁でも、記者の世界を知りたいという読者もいるだろう。あるいは、テレビの裏側を知りたいという人もいるかも知れない。そんな人たちのために、ぼくはこの本を書いてみた。記者を目指した子ども時代から、実際に記者になっての体験談、そしてジャーナリズムについて考えていること。雑多な内容を盛り込むことになったが、ぼくの人生の総決算でもある。昭和、平成、令和を振り返りながら「こんなヤツもいるんだ」と思いながら読んでいただければ、こんなに嬉しいことはない。


▶この続きはぜひ本書でご確認ください(電子書籍も同時発売)。

本書の目次

はじめに──移り変わる報道の世界に身を置いて 
第一章 新聞の時代から放送の時代へ
第二章 記者は国民の代理人
第三章 転機となった「ロッキード事件」
第四章 「被爆二世」と向きあって――呉通信部での日々
第五章 誘拐、落石、飛行機事故――社会部が扱ったさまざまなニュース
第六章 「人が死ぬと池上が顔を出す」――現場リポートの意味 
第七章 「教育問題」の時代
第八章 平成へ、そしてキャスターへ――オウム真理教を子どもにどう伝えるか
第九章 独立、そして令和へ――過去の報道から学ぶべきこと
おわりに
主要参考文献

*本書は『記者になりたい!』(新潮文庫、2008年)を大幅に加筆修正し、改題したものです。

著者略歴

池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授、東京工業大学特命教授、東京大学客員教授、愛知学院大学特任教授、立教大学客員教授。信州大学などでも講義を担当。慶應義塾大学卒業後、73年にNHK入局。94年から11年間、「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍。2005年に独立。ニュースの基本と本質をわかりやすく解説する手腕に定評がある。角川新書「知らないと恥をかく世界の大問題」シリーズ、『昭和の青春』など著書多数。

記事で紹介した書籍の概要

総決算 ジャーナリストの50年
著者:池上彰
出版社:早川書房(ハヤカワ新書)
発売日:2024年6月19日
本体価格:980円(税抜)