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【特別公開第二弾!】『機龍警察 自爆条項〔完全版〕』霜月蒼氏文庫解説

8月18日の『機龍警察 白骨街道』の発売を記念して、『機龍警察 自爆条項〔完全版〕』の霜月蒼氏の文庫解説を特別公開します。〈機龍警察〉シリーズの面白さと読みどころがよくわかる、とても素晴らしい解説です。シリーズを読んだことがある人も、これからの人も、必見です。

自爆条項〔完全版〕文庫

機龍警察 自爆条項〔完全版〕』解説

霜月蒼(ミステリ評論家)

 月村了衛の〈機龍警察〉シリーズは、2017年9月刊行予定の『狼眼殺手』で、長篇5、短篇集1の6冊を数えることになった。本作『自爆条項』は第2作、シリーズの世界観を提示した第1作『機龍警察』を受けて、この類稀なるシリーズの実質的なスタートを告げた堂々たる大作にして名作。2012年の第33回日本SF大賞を受賞した月村了衛の出世作でもある。
 第1作『機龍警察〔完全版〕』の文庫解説で千街晶之氏は、本シリーズが2010年代にスタートした国産ミステリ・シリーズでベストであると記している。私もこれに同意する。国産どころか、世界的にみてもベスト5に確実に入るだろう。シリーズを重ねるにつれ、キャラクターはもちろん、作品世界に仕掛けられた謎や陰謀が成長してゆき、その味わいが増すのも千街氏の指摘どおりである。ひとつだけつけ加えるとすれば、〈機龍警察〉シリーズの各作品が、それぞれに異なる意匠をまとっていることだろうか。
 例えば本書につづく第3作『暗黒市場』は犯罪スリラーであり警察ノワール。第四作『未亡旅団』はポリティカル・スリラーでありつつ、同時に名家とエスタブリッシュメントの内部の力学を描いたジェフリー・アーチャー風の物語でもある。そして最新作『狼眼殺手』は、集団警察捜査小説およびル・カレ型スパイ・スリラー。だから作品同士の単純な比較を許さない。だから「シリーズ全部おもしろい!」と言わしめてしまうのである。
 だが、そんなふうに作品ごとに意匠を変えつつも、シリーズに一貫するものがひとつある。すべてが冒険小説であることだ。「冒険小説」という血が、さまざまな意匠の物語たちのなかを流れ、息づいているのである。
 第2作たる本書『自爆条項』は、そんな「冒険小説」の意匠を前面に出した作品となっている。本書がシリーズの実質的なスタートだというのは、単にここから尺が長くなったからというだけではなく、本書が冒険小説の血を宿した冒険小説であり、〈機龍警察〉が意匠を凝らした冒険小説シリーズであることを告げるマニフェストだからでもある。
 ここでいう「冒険小説」とは、単なる「冒険の物語」ではなく、80年代に日本の読書界を熱狂させた一連のエンタテインメント小説を指す。日本のエンタメ界を担う作家たち、大沢在昌、北方謙三、佐々木譲、志水辰夫、船戸与一らも、この熱狂の中から巣立っていった。そんな「冒険小説」を定義づけるのはなかなかむずかしいが(詳しくは月村了衛も寄稿しているハヤカワ文庫の『新・冒険スパイ小説ハンドブック』をお読みください)、「死をもたらしかねない強大な敵に向かい、生還しようとする克己の物語」とでも言えばいいだろうか。
 だが、「死への接近」は人間の本能に逆らうものだ。だから「死への接近」をやむなくさせる主人公の内的ドラマが、冒険小説を支える重要な骨格になってくる。そこをどう描くか。言い換えれば、主人公をいかにして戦わせるか。そこがポイントになるのだ。『自爆条項』という作品の美点は、つまるところそこにある。
 第1作『機龍警察』は元傭兵の姿俊之の過去に焦点を当てていたが、本書『自爆条項』の主人公は、姿同様に警視庁特捜部の突入班の一員として雇われた《龍機兵》搭乗員、ライザ・ラードナーである。少女時代から書き起こされる彼女の過去の物語が、本書の半分を占める。これを通じて月村了衛が描いているのが、ライザ・ラードナーの「死への接近」の動機、ライザ・ラードナーの「戦う理由」なのだ。
機龍警察』でも言及されていたとおり、ラードナーは、かつてイギリスからの独立を謳うアイルランドのテロ組織IRFの一員だった。本名はライザ・マクブレイド。IRF内で「死神」と呼ばれて怖れられた殺し屋だった。なぜアイルランドに生まれた一本気な少女が過激なテロ組織に身を投じ、テロリストとなり、そこから脱走したのか?
 IRFは架空のテロ組織だが、IRA(正確にはIRA暫定派)は、主に1970年代に幾たびもテロを起こした実在の組織である。北アイルランドでのイギリスの警察や兵士に対するテロ行為のみならず、1983年のハロッズ百貨店爆破事件はじめ、首都ロンドンでもテロを実行したことで知られる。IRAを生んだ対立は、簡単にいえば、北アイルランドのイギリス残留を望む多数派のプロテスタントと、差別に苦しみながら独立を願うカトリックとの宗教的・政治的対立である。叛乱と鎮圧は長きにわたってくりかえされ、双方に憎悪を生み、多くの血が流された。むろんテロリズムは肯定されるものではないが、しかし、北アイルランドのカトリック教徒たちをそこまで追いつめたのはイギリスによる弾圧にほかならず、それもまた悲しむべきことのはずだ。
 そんな積年の対立が少女ライザの上にも影を落とす。理不尽な差別による鬱屈のなかで彼女を捉えたのが、IRFのカリスマ的指導者キリアン・クインの著作『鉄路』だった。キリアン・クイン、別名「詩人」。かつて将来を嘱望された詩人だった頃にクインが刊行した『鉄路』は、滅びと叛逆のロマンティシズムに彩られ、多くのアイルランドの若者が抱えたロマンティックな叛乱の心を惹きつけた。十代のライザもそのひとりとなった。
 ライザ・マクブレイドは、虐げられるアイルランドの同胞のためにイギリスとの戦いに身を投じたのだった。それが彼女の最初の「戦いの動機」だ。イギリスから見れば、彼女はテロリストだろう。だが、ヒーローが敵にふるう正義の一撃もテロリストの放つ殺戮の銃弾も、暴力という点では同じである。ヒーローとテロリストを隔てる線は確固としたものではない。それは細く揺らぐ線だ。「死への接近」のロマンティシズムは、不退転のヒーローの光輝にも、自爆テロリストの自己陶酔にもなりうるということなのだ。ライザはそれを最後に思い知る。テロリズムの果てに彼女に残されたのは、大いなる罪と絶望だけだった。そこで『自爆条項』の過去篇は閉じる。そしてそこから、ライザ・ラードナーの「死への接近」の動機が、戦いの動機が立ち上がるのである。
 贖罪。そのためにライザ・ラードナーは戦う。だから彼女は死を厭(いと)わず、むしろ死を求めているかのように死闘を演じる。こうしてライザの「戦いの理由」が生まれるまでを描く本書の過去パートは、イギリス産の冒険小説の名作と比べても遜色のない堂々たる威容を誇る。ついでにいえば、ライザの苦悩を「エルティアノ湖に魚はいるか?」という問いや、4小節だけの『G線上のアリア』(第1作『機龍警察』を思い出そう)といったものに象徴させる巧さも見逃すべきではない。
 そんな英国冒険小説調の「過去」の物語と交互に語られる「現在」のパート。こちらはスパイ小説/警察小説風の序盤を終えると、中盤からクライマックスにかけて、見事なアクションの連続となる。ここで舌を巻くのはアクション場面に投入されるアイデアとケレン味だ。中盤での敵陣急襲場面では「この状況でいかに効果的に敵を襲うか」という作戦への興味があるし、両手で扱うはずの巨大なショットガンを二挺拳銃のように連射したり、銃身を切り落として短くした対物ライフルを接近戦でぶっぱなすといった、人間ならざる機甲兵装/龍機兵にのみ可能なガンアクションも登場する。汲めども尽きぬアクションのアイデアが、本シリーズのみならず、『土漠の花』や『影の中の影』、あるいは時代小説『コルトM1851残月』にいたるまで、月村了衛の作品すべてに共通する美点だということは強調しておきたい。
 そして本書でとりわけ見事なのは、すばらしくキレのよいドンデン返しだろう。
 敵役のキリアン・クインは、大規模なテロ計画を実行すべく日本にやってくる。おそるべき天才犯罪プランナーであるクインの真の狙いはなかなか明かされない。特捜部の指揮官である沖津旬一郎が本書の随所でチェスの格言を口にするが、つまり『自爆条項』は、「怪人対名探偵」のチェスゲームのような構造を隠しているのである。
 クライマックスで沖津はこう独白する。

 そうだったのか──
 すべてがつながる。すべてが、一つに。キリアン・クインの〈第三の目的〉に。

これはまさに真実を看破した瞬間の名探偵の独白だ。私が思い出したのは、アメリカン・スリラーの名匠、《ドンデン返しの魔術師》ことジェフリー・ディーヴァーの作品だった。ディーヴァーの名作『ボーン・コレクター』や『ウォッチメイカー』に劣らぬ見事な「意外な真相」が、『自爆条項』には仕掛けられている。そして、この真相が明かされるや、タイトルにある「自爆条項」という言葉に秘められた苛烈な主題が、ライザの「死への接近」の動機たる「贖罪」とからみあい、荘厳なクライマックスを演出するのである。
 本書での死闘を終えて、つづく『暗黒市場』ではもうひとりの〈龍機兵〉搭乗員ユーリ・オズノフの過去と「戦う理由」が語られ、第4作『未亡旅団』では特捜部の城木を核にした〈機龍警察〉世界の政治力学と、さらに深化したテロリズムのドラマが描かれることになるのだが、最新第5作『狼眼殺手』についてちょっとだけ触れておきたい。なぜなら『狼眼殺手』は、本書『自爆条項』と対をなす作品だからである。
自爆条項』はライザの物語であると同時に、IRFのテロで家族を失った特捜部の鈴石緑の物語でもあった。ライザと緑の対照が、テロリズムとヒロイズムの倒錯を描く『自爆条項』をさらに立体的なものにしており、この対照は2冊の書籍──ライザの人生を呪縛したキリアン・クインの詩集『鉄路』と、鈴石緑を救った彼女の父親の著書『車窓』──に象徴されていた。『狼眼殺手』で、この2冊がふたたび重要な役割を演じる。そしてライザの「戦う理由」は、『自爆条項』を経て、『狼眼殺手』である転機を迎えるのだ……。
 冒険小説は戦いを通じた成長小説である。そして〈機龍警察〉シリーズは、警察上層部などに巨大なネットワークを持つとおぼしき〈敵〉の正体をめぐる巨大な陰謀小説でもある。きちんとシリーズを追って読むことで、この双方が深まってゆくという興趣が仕掛けられている。いずれも単品で面白い小説ではあるが、シリーズであることの快楽と必然がたっぷり詰まっているのである。ぜひ順番に読んでいただきたい。期待は裏切られないと保証する。

 なお本書は2011年9月に刊行された『機龍警察 自爆条項』に加筆訂正をほどこして2016年5月に刊行された〔完全版〕の文庫化である。
 ややページ数は増えているが、オリジナル版と本質的な差異はなく、ある場面の視点人物が変更されたり、章の区切りを変更したり、あるいはイスラム系テロの状況の変化を反映したり、夏川班による捜査の過程を詳しくしたりといった細部にとどまっている。
 月村了衛によれば、こうした改稿作業は本書が最後で、『暗黒市場』以降は行なわないという。

※本文は2017年6月に書かれたものです。2021年7月現在、『機龍警察 狼眼殺手』は単行本化されています。