見出し画像

来るべき未来において、AIと人間の関係をどう見つめるか――立原透耶氏による郝景芳『人之彼岸』あとがき

中国に『三体』以来のヒューゴー賞をもたらした「折りたたみ北京」の著者、郝景芳による短篇集『人之彼岸』がいよいよ刊行されました!

AIをテーマにした本作品集には、エッセイが2篇、短篇が6篇収録されています。ここでは、本作品集の訳者でもある立原透耶氏のあとがきを再録します。

訳者あとがき
立原透耶

 作者の郝景芳については、あちこちで語られているのでご存じの方も多いだろう。1984年天津市生まれ、清華大学で天体物理を学び、その後、清華大学で経営学と経済学の博士号を取得した。理系と文系、べクトルの異なる分野を修得した彼女の書く小説は、SFという枠にとらわれることはない。純文学もあればSFもある、境界線上の作品もある。彼女の中ではSFを書くとか書かないとか、そういった意識は特にはないのではないか。おそらく大切なのは「創作をする」ということなのだろう。
 インタビュー記事の中でも(「郝景芳:我是一个不完全的科幻作家─独家」、2020年6月8日、凤凰网文创)次のように答えている。


「わたしは多くの典型的ではない小説を書いてきた。境界がとても曖昧な小説だ」

「わたしは文学部の出身ではないので、ただ自分の角度から受けたもの、理科系とか工学系とかの背景をおびているのです」

「作家は職業ではないと思っています(略)作家は状態であるべきです。いかなる場合においても、いつも観察し、捕捉し、吸収し、消化し、その後で記録し、表現する、このような習慣です」

「わたしの自らに対する身分は一貫して創造者と定義しています。けれどもそれは小説を創造するというものだけではありません。いま行っている『童行学院:時空の旅』の仕事……(略)……これらはわたしの作品であり、それと文学は異なった形式に過ぎないのです。創作の過程は似ていて、まず感覚があり、その後に創意があり、さらにこの創意がだんだんと実行する方策や計画に変化していくというものです」

 童行学院というのは、地方の貧しい子供たちに授業を行うという慈善事業である。日本語で詳しい記事が「SF作家・郝景芳が取り組む教育事業「誰もが教育にアクセスできる環境を」──「折りたたみ北京」をフィクションで終わらせない取り組み、〝AIの時代〟のその先へ」というタイトルでSF情報ウェブサイトVG+に掲載されている。
 その記事によると、2017年に立ち上げた教育事業で、「批判・創造・設計・配慮という四つの思考を育てるコース」があるという。特徴的なのは、機械的な暗記や計算を重視するのではなく、もっと人間的な基礎となる思考力と創造力を重視しているという点にある。貧しい、僻地であっても教師はいる。だがその教育は往々にして国語と算数主体の暗記と計算ありきに偏る傾向がある。郝景芳が目指すのは、そういった画一的な知識の吸収だけではない、豊かな、自ら考えるという人格形成なのだろう。それこそが、作家としての彼女とリンクしているように感じさせられる。
 同記事によると、「AIは人類にとって、あくまで補完的な存在というのが郝景芳の考え方だ」とあり、AIにはない人間性、創造性を大切にしていることが伝わってくる。
 本作におけるAI論二篇もまさに彼女の考えるAIと人間の関わりを描いている。また小説についても同様である。AIはあくまでサブであり、主体となるのは人間性である。こう書くと単純に思えるかもしれないが、実際に読んでいただくとわかるように、非常に複雑多岐にわたる思考が展開されているのはいうまでもない。シンプルな善悪論といった二項対立ではなく、AIも人間も必要であること、ただAIをどのように理解し、どのように活用するのか、来るべき未来においてAIと人間の関係をどう見つめていくのか、といったテーマが根底に流れている。
 また経済的な部分に詳しい作品「あなたはどこに」などは、彼女が実際に資金を獲得して事業を展開している現実と重ね合わせることができよう。理系の知識も経済の知識も豊富な彼女ならではの作品である。
 ところでまったく個人的なことになるのだが、わたしは以前彼女とホテルで同室になったことがある。中国で開催されたSF大会でのこと。当時の彼女はまだ大学院生だったと思うが、とにかく上品で清楚で礼儀正しく、無口でひたすらパソコンに向かって仕事をしていた。その時にいただいたサイン本は今から思うとヒューゴー賞受賞前の記念すべきものであり、宝物である。世の中何が起こるかわからない。
 翻訳は浅田雅美さんと二人で行った。浅田さんの翻訳を多少、小説的に書き改めたのはわたしであり、文章に問題があるとしたらわたしの責任である。
 今後早川書房より郝景芳の長篇も翻訳出版されると聞いている。ますますの活躍が期待される、いま一番旬な作家の一人であろう。