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私たちはなぜ「先延ばし」してしまうのか? 人間の不合理を解き明かす『行動経済学の逆襲』解説・根井雅弘

 どんなに硬く決意したつもりでも貯まらないお金、もうすこし待てばよかったのに、我慢できずに買ってしまった家電、すぐにやらなくてはならないのに、リストの最後尾に並べてしまった仕事の数々……。やらなくちゃ、もっと大きな問題がやってくるのがわかっていても、自分をうまく制御できないのが人間というもの。

 そんな私たちの不合理に正面から取り組み、人間が作り出す経済の本当の姿を暴きだしてきた行動経済学のパイオニア、2017年ノーベル経済学賞受賞者でもある、リチャード・セイラ―著『行動経済学の逆襲』が文庫になりました。

 旧来の経済学に納得がいかなかった若き日々から、心理学者との出会い、シカゴ大学への赴任とノーベル賞の受賞、そして未来の経済学への提言まで、行動経済学のすべてが刻みこまれています。

 研究の日々に訪れた苦闘や出会いを、みな豊かなユーモアでおもしろく読ませる『行動経済学の逆襲』を、京都大学大学院経済学研究科の教授であり、すぐれた読書人としても知られる根井雅弘先生が解説します。

行動経済学の逆襲_上

(書影はAmazonにリンクしています)
『行動経済学の逆襲(上・下)』リチャード・セイラ―/遠藤真美訳/早川書房/好評発売中

『行動経済学の逆襲』解説

「エコン」から「ヒューマン」へ
――経済学の現在をつくる偉業—―

根井雅弘(京都大学大学院経済学研究科)

 リチャード・セイラー(シカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネス教授)が、「行動経済学への貢献」によって2017年度のノーベル経済学賞を受賞したことは、まだ私たちの記憶に新しい。実は、私は、その15年前(2002年)、同じ分野の開拓者二人(ダニエル・カーネマンとヴァーノン・L・スミス)が栄冠に輝いていたので、もう一人、新たに行動経済学者が選ばれることになるとは予想していなかった。たまたま同僚でわが国におけるこの分野の代表的な研究者、依田高典氏(京都大学大学院教授)にも訊ねてみたが、彼も「意外だった」と言っていたから、決して的外れな読みではなかったと思う。だが、本書『行動経済学の逆襲』(原題はMisbehaving: The Making of Behavioral Economics, 2015) を読めば、彼もまたノーベル経済学賞の栄誉に浴する立派な仕事をしたことがわかるだろう。


 一昔前のミクロ経済学は、一般均衡理論を中心に教育されていた。とくに、トポロジーという高度な数学を駆使し、均衡解の存在証明を成し遂げた学者たち(ケネス・J・アローやジェラール・ドブリューなど)は、理論経済学界のヒーローであり、若い大学院生たちは一般均衡理論を吸収するために多くの時間を投入したものだ。だが、完全競争の仮定やその他の条件下でのみ存在しうる均衡解が、現実の世界でどれほどの意味を持つのかについては、十分な検討がなされなかった。かつてアメリカのロチェスター大学に留学し、ライオネル・マッケンジーの一般均衡理論の講義を聴講した酒井泰弘氏は、教授が黒板にその証明をし終えたとき、Oh, it's so beautiful !(おお、実に美しい!)という言葉を発したことを記憶しているというが、そのような美的感覚は数学を解しない人たちには伝わらないだろう(酒井泰弘『ケインズ対フランク・ナイト──経済学の「不確実性の時代」をどう捉えたのか』〔ミネルヴァ書房、2015年〕第六章を参照)。
 一般均衡理論の成果は、ミクロ経済学の標準的な教科書レベルでは、合理的な経済人(「ホモエコノミカス」と呼ばれているが、セイラーは本書で簡単に「エコン」と略称している)を仮定した理論モデルとして採り入れられた。かつてミクロ経済学を学んだ人なら、「合理的な経済人」が直面する「制約条件付きの最適化問題」(例えば、予算制約内での消費者の効用の最大化問題)を解かされた経験をもっているに違いない。それは確かに頭の訓練にはなるかもしれないが、必ずしも現実とは一致していないような感じをもった人も少なからずいただろう。なぜなら、セイラーの言葉を借りれば、現実は「エコン」ではなく「ヒューマン」の世界だからだ。


 行動経済学の先駆者たちは、「ヒューマン」の世界を「限定合理性」(複雑な問題を解く人間の認知能力には限界があること)の世界として捉えている。限定合理性という概念自体は、ハーバート・サイモンがすでに『経営行動』(1945年)のなかで提唱していたのだが、長いあいだ、経済学のメインストリームのなかには活かされなかった。だが、セイラーは、幸運にも、1980年代中頃、心理学者でありながら後にノーベル経済学賞を受賞することになるカーネマンの研究室に出入りするようになり、「エコン」の世界から「ヒューマン」の世界へと脱出する糸口を見つけた。セイラーは、本書の中で、いまでは「プロスペクト理論」(簡単に言えば、その人の置かれた状況次第で意思決定が変化することをモデル化したもの)と呼ばれるようになった理論に触れたときの衝撃について語っている。
 こう言ってしまえば簡単だが、「エコン」の世界、つまり伝統的な経済学を擁護する側からの抵抗も侮れなかった。とくに、「手練れの論客」だったミルトン・フリードマンは、仮定が現実的かどうかで理論を評価することはできず、その仮定に基づく予測が正確かどうかが重要なのだという「実証経済学の方法論」を提示し、長いあいだ、多くの経済学者に影響を及ぼし続けた。いまから見れば不思議だが、その頃はビジネス界も、「実験」「テスト」「学習」が大切だというセイラーの主張に冷淡だったという。


 ところで、本書の扉には、「政治経済の基礎、そして社会科学全般の基礎は、まぎれもなく心理学にある。社会科学の法則を心理学の原理から演繹できるようになる日が、いつかきっと来るだろう」というヴィルフレド・パレートの言葉が引用されているが、これは彼の『経済学提要』(1906年)に出てくるものだ。本書を読んで感心したのは、現代の経済学者にしては、セイラーが経済学の古典をよく読んでいることである。
 例えば、ケインズが有名な『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)のなかで、金融市場における行動的要素(有名な「美人投票」のアナロジー)を的確に理解していた点に触れて、彼を「行動ファイナンスの真の先駆者」と呼んでいる。実は、先に名前を挙げた依田氏は、京大大学院における伊東光晴門下の後輩に当たるのだが、以前から、「ケインズは行動経済学者だった」という話を彼から聞いていたので、私にはとても分かりやすかった(依田氏の『行動経済学』〔中公新書、2010年〕は、いまだに追随を許さない名著である)。本書を読むと、セイラー氏が行動マクロ経済学がもっと発展していくことを期待している件にぶつかるが、たしかに、ポスト・ケインジアンの一部にそのような動きがあるものの、行動経済学の他の分野への応用に比べるといまだしの感は免れない(例えば、脳科学との融合というべき神経経済学については、大垣昌夫・田中沙織『行動経済学 新版』〔有斐閣、2014年〕第八章を参照)。


 セイラーの仕事のなかで最も応用範囲が広いのは、「ナッジ」の概念だろう。その発想そのものは、いたってシンプルである。「ヒューマン」は予測可能なエラーをするので、エラーが発生する確率を減らすような環境を考案しようというものだ。有名なのは、2010年、イギリス政府がナッジを政策に応用するために組織した専門チーム(Behavioural Insights Team と呼ばれる)の試みである。例えば、納税通知書に同じ地域に暮らす住民の納税率を記載すると、地域全体の滞納率が改善したというのだ。セイラーの『実践 行動経済学』(遠藤真美訳、日経BP社、2009年)には、「ナッジ」についての丁寧な解説が載っているので、ぜひその本を参照してほしい。


 セイラーは、終章「今後の経済学に期待すること」のなかで、経済学の未来を明るいものと見なし、行動経済学の知見がすべての経済学の分野に浸透したとき、ことさら「行動」経済学と名乗る必要がなくなると同時に、「エコン」の世界は敗北するだろうと相当の自信をのぞかせている。
 もっとも、今日でも、「エコン」の世界が消滅したわけではないので、多少は割り引く必要がありそうだが、本書全体を通読すれば、一人の経済学者が「エコン」の世界と格闘し、カーネマンという先達に導かれながら次第に「ヒューマン」の世界に目を開かれたことによって行動経済学者として生まれ変わることができたその過程を詳細に知ることができる。現代経済学に関心のある人には必読の好著である。 

                           2019年8月


行動経済学の逆襲_上


行動経済学の逆襲(上・下)』(リチャード・セイラ―、遠藤真美訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、(上)本体840円+税・(下)本体860円+税)は、早川書房より絶賛発売中です。

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