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『木曜殺人クラブ』訳者あとがき公開。「笑ってもらうために悪戦苦闘」「老いることの切なさによって深い物語に」


好評発売中の『木曜殺人クラブ』(リチャード・オスマン)。本書の翻訳者である羽田詩津子氏に訳者あとがきをご執筆いただきました! 

出版後の訳者あとがき

笑ってもらうために悪戦苦闘

わたしが初めて『木曜殺人クラブ』と出会ったのは、早川書房の編集者N氏からリーディングの依頼を受けたときだった。ちなみにリーディングというのは、原書を読み、あらすじなどをまとめる作業で、翻訳権を取得するかどうかの判断にも関わっている。さっそくメモをとりながら、原稿を読みはじめると、二章目にさしかかる頃には、早くも顔がにやつきはじめ、これはおもしろい本に当たった、と直感した。第一部の半ばで第一の殺人が起きると、物語はぐんぐん加速していき、ついついメモをとるのを忘れて読みふけってしまった。レジュメを書くために、改めてところどころ読み直さなくてはならなかったが、それもおもしろい作品と出会ったおかげで楽しい作業だった。

今年の4月後半から翻訳にとりかかると、困ったことに、たびたび笑いの発作に襲われた。夜中に一人でゲラゲラ笑っていると、足下で寝ていた愛猫が、まるで眉間に縦皺を寄せているみたいな顔でじっと見つめてきた。コロナ渦でひきこもり、めったに声を出して笑うこともない生活を送っていたので、猫にとっては笑い声自体が耳慣れないものだったのかもしれない。

しかし、思う存分笑ってから翻訳作業に戻ると、今度はどっと冷や汗がふきだすのが常だった。こんなにおもしろい場面なのに、万一センスのない翻訳をしたら読者におもしろいと感じてもらえない、というプレッシャーのせいだ。だから、おもしろい場面であればあるほど、ああでもないこうでもないと悩むことが多かった。

したがって、無事9月2日に出版され、読者の方々の感想をツイッターなどで読んでいたとき、「ユーモラスなイギリスミステリの傑作です。読んでいる間、何回声を出して笑いそうになったか!」(阿津川辰海さん)という一文を発見したときは、思わずガッツポーズをしてしまった。

その他にも楽しいという感想をたくさんいただいた。「ニヤリとさせられます」「クスリと笑わずにはいられない」「楽しいのなんの」など、楽しみながら読んでくださった書き込みをたくさん目にして、ユーモラスで楽しい原作の持ち味がちゃんと読者のみなさんに伝わったようで、ほっと胸をなでおろした。楽しいばかりか元気も出る作品だったようで、ワクチン接種後のこんな臨場感あふれるツイートもあった。

弱っていても、いえ、弱っているときこそ元気が出る『木曜殺人クラブ』をどうぞ! 

老いることの切なさによって深い物語に 

しかし『木曜殺人クラブ』の魅力はそれだけではない。主人公四人はすでに八十歳前後。自分の人生の残り時間は承知しているし、老いも自覚している。笑いだけで終わらず、人生の苦さと静かな悲しみも漂わせていることで、この作品はより深いものになっていると思う。読者の方々はそれを「人生の終わりを考えさせられる物語だった」「今年ベストの作品。老いの怖さが最高のスパイスになっている」「にぎやかで饒舌な捜査を楽しみつつ、“老いること”と“時の流れ”が深く心に残りました」など、しみじみと味わってくださったようだ。

とりわけ、喜久屋書店阿倍野店さんのブログでは『木曜殺人クラブ』を長文で熱くご紹介いただき、「老いることの滑稽さやすばらしさ、そして孤独や絶望、塵のように降り積もった哀しみを精緻に描くことで生きていくことのはかなさや切なさを教えてくれる」と見事にまとめていただいた。翻訳もほめてくださってありがとうございます。さらに印象的なシーンとして引用された文章は、わたしも訳しながら、これまでに逝った大切な人々を思って涙ぐみそうになった場面だ。

 ひとつ、またひとつと、クーパーズ・チェイスの明かりが消えていく。残っている明かりはウィロウズ棟の病室用の厚いブラインドから漏れてくる光だけだ。死にかけている人間には、生きている人間とは異なる生活時間があるのだ。

もうひとつ、わたしがいちばん心を揺すぶられたのはエリザベスのこの思いだ。

 エリザベスには、あと何回の秋が残されているのだろう? あと何年、履き心地のいいブーツに足を入れ、枯れ葉を踏みしめながらそぞろ歩けるのだろう? ある日、彼女のいない春が巡って来る。湖畔では毎年スイセンが咲くが、永遠にそれを眺めることは誰にもできないのだ。仕方がない。楽しめる間に楽しんでおこう。

この場面を訳していたときは、しばらく手を止め、人生について物思いにふけってしまった。もしこういう思いに共感できる方なら、絶対に『木曜殺人クラブ』は心にしみるはずだ。

さらに、『木曜殺人クラブ』のすごいところは、再読しても楽しいところだと思う。作中に登場するレモン・ドリズル・ケーキを焼き、すでに再読を楽しんでくださった方もいた(ケーキはわたしも味見したかった)。

ミステリなのに再読して楽しいというのは、やはり登場人物が愛すべき人々だからだろう。「登場人物が皆愛おしい。すっごく良かった!『木曜殺人クラブ』こっちが今年1番かなぁ?」「キャラ立ちがすごい」「この作品の形容詞は“あたたかい”」など、主要登場人物たちは読者のみなさんに愛されているようだ。

早く続編も読みたいという声がいくつもあったので、最後に次作のさわりだけ、ちょっぴりご紹介しておこう。タイトルの「The Man Who Died Twice」(二度死んだ男)から想像がつくように、エリザベスがかつて死体を検分し、妻にもその死を伝えた男から、クーパーズ・チェイスに引っ越してきたので一杯やりながら旧交を温めませんか、という手紙が届く。さて、四人組はどういう行動に出るのか? さらに、ジョイスは犬を飼うことを考えているようだ。果たして?! 来年にはお届けできます。『木曜殺人クラブ』を楽しく再読しながら、しばしお待ちください。

○書誌情報



現代のミス・マープルたちが難事件に挑む謎解きミステリの傑作!

イギリスの引退者用施設、クーパーズ・チェイス。かつての修道院を中心に現代的な建築物が立ち並ぶこの施設では、敷地内の墓地と庭園を開発して新たな棟を建てようとする経営者陣に、住人たちが反発していた。そんな中、元警官の入居者が持ち込んだ捜査ファイルをもとに、未解決事件の調査を趣味とする老人グループがあった。その名は〈木曜殺人クラブ〉。一癖も二癖もあるメンバーばかりの彼らは、施設の経営者の一人が何者かに殺されたのをきっかけに、事件の真相究明に乗り出すことになるが――

■タイトル:『木曜殺人クラブ』
■著訳者:リチャード・オスマン/羽田詩津子訳 
■本体定価:2310円(税込)
■レーベル:ハヤカワ・ポケット・ミステリ

みんなにも読んでほしいですか?

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