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【ボーヴォワール未発表小説の刊行に寄せて】カヒミ カリィさんによるエッセイ──現代を生き続ける『離れがたき二人』

代表作である『第二の性』で、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」として、女性らしさは社会に作られたものであると批判し、女性の解放を説いたフランス人哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908-1986)。

生前に発表されることのなかった幻のシスターフッド小説が、著者没後34年の2020年にフランスで刊行。2021年7月1日には邦訳版『離れがたき二人』(関口涼子訳、早川書房)が刊行されました。

今回は、『離れがたき二人』をさっそく読んだカヒミ カリィさんから届いた、本書の読みどころをご紹介。カヒミさんとフランス文学の出会い、そしてボーヴォワールの作品の魅力とは何かについても語っていただきました。

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●図書館から始まった、フランス文学へのめざめ

私がボーヴォワールの存在を知ったのは15歳の時です。ちょうどその頃、フランスの小説家フランソワーズ・サガンのデビュー作『悲しみよ こんにちは』(原著1954年刊。以下同じ)を読んで興奮し、フランスの女性の作家に興味を持った事がきっかけでした。

当時、家と学校の往復に退屈し憂鬱だった私は、持て余した時間を紛らわすために図書館に通っていたのですが、何となく気になったものを端から借りていたため期待外れのものも多かったなか、サガンを読み出した時の胸の高まりは特別でした。サガンが描く主人公の心の揺れや倦怠感は、当時の自分の気持ちに絶妙にフィットし、こっそりと心に潜んでいた狂気や残酷な考えが解放されていくようでした

その後、雑誌で1950年代頃にパリのサン=ジェルマン=デ=プレに集っていたというジャン=ポール・サルトル(哲学者)やボリス・ヴィアン(作家)、ジャック・プレヴェール(詩人)などのことを知り、必然的にボーヴォワールという存在に出会ったのです。

●ボーヴォワール『第二の性』との出会い

初めて手に取ったのは彼女の代表作の一つ、女性解放運動思想の草分けと言われている『第二の性』(1949年)でした。幼く世間知らずだった当時の私にとって、それは難解過ぎたのですが、とにかく知りたい気持ちが先走り、何度もページをめくっては戻るを繰り返して読み込んだのを思い出します。

私の両親は毎週欠かさず教会に通うプロテスタントのクリスチャンで、また代々医師の家系で保守的な環境だったので、『第二の性』の考え方は全くの別世界でした。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という彼女の言葉で初めてセクシュアリティを意識し、性を表すsexとgenderの違いを知り、またボーヴォワールの生涯のパートナーであった哲学者のサルトルとの関係性は、常識や誠実さとは何かを考えるきっかけになりました。当時の私はまだ恋さえも知らなかったのですが……。

私にも色々な悩みを相談できる大切な親友はいましたが、趣味がぴったり合う友人には出会えず、また親が厳しかったので自由な時間はほとんど一人で部屋に籠もり、読書やレコードに逃避し物思いに耽っていました。けれどもそれは全く孤独ではなく、逆にその時だけ憂鬱から解放され自由を感じられた貴重な時間でした。

●歳を重ねて読むボーヴォワール

その後、親から離れ一人暮らしを始め、写真や音楽の仕事をするようになり、20代後半でパリに移住しました。90年代のフランスに直接触れて日本との違いに驚き、それぞれの文化のオリジナリティを実感し、人生を謳歌して精神的な脱皮を繰り返し、自分も少しずつボーヴォワールが『第二の性』を書いた年齢に近づいていきました。そして50代になった最近、彼女が62歳の頃に書いた『老い』(1970年) を手に取ったのです。

「ヒポクラテスによれば人間が頂点に達するのは56歳の時である。アリストテレスは肉体の完成は35歳の時であり、魂の完成は50歳とする。ダンテによれば、人は45歳で老境に差し掛かる」

まさに自分の年齢と重なる事からその内容に一気に引き込まれました。深沢七郎の『楢山節考』や伊勢神宮の遷宮、谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』などにも触れているところも興味深く、何度も共感し、一気に読み切る内容で、やはり彼女はさすがでした。自分とボーヴォワールは違う時代に生きていますが、彼女の考え方は本質的で風化せず、いつの時代にも私に生きる姿勢を問いかけるものであったことを嬉しく思いました。

●約100年前を舞台にした『離れがたき二人』を、いま読むということ

そんな今日この頃だったのですが、先日、彼女が1954年に書いた未発表の小説が刊行されるというニュースを耳にしたのです。当時、サルトルから不評だったためお蔵入りになった作品だそうで、自らの少女時代を元に書かれた物語であり、主人公シルヴィーのモデルはボーヴォワール自身、そして親友のアンドレも実在した親友のザザであり、また当時の二人の写真や手紙なども収められているとの事。二人の少女の年齢は、私がボーヴォワールを知った年齢とピタリと重なる事もあって、本当に刊行が待ちきれませんでした。そして刊行されてすぐに、一気に読み切ってしまいました。

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『離れがたき二人』(2021年7月刊行)

「初めて会った日に、あなたはわたしにとっての全てになった」。このようなセリフに表れているように、シルヴィーのアンドレに対する愛は真摯でありジェンダーフリーで切なくアンドレの知的で大胆かつ退廃的な魅力は現代的で、今から約100年も前の人物とは思えないほど新鮮でリアルでした。描かれている当時の保守的な文化や暮らしぶりと、少女達の研ぎ澄まされた感性のギャップにも驚きます。

そして、強く自由で魅力的だった親友が、社会的な束縛の中で輝きを失っていく姿も、様々な問題を抱えた現代の子供達の姿と何も変わるものはありません。洞察力があり毒舌なアンドレ(ザザ)に恋をして影響を受ける部分や、宗教に対して疑問を持ち優等生の枠から外れていく彼女の姿は、あの憂鬱な10代の自分とシンクロして胸が締め付けられます。いつの時代でも私達は変わらず同じ心を持って生まれてくるのだと、しみじみと感じる作品でした

この小説がこの時を待って世に出ることになったのは必然のように思います。現代っ子にもぜひ読んで欲しい。9月にアメリカでも刊行される『離れがたき二人』。もうすぐ12歳になり、カソリックのミドルスクールに通っている娘に送りたいと思っています。


◯プロフィール

カヒミ カリィ

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ミュージシャン、文筆家、フォトグラファー 。1991年デビュー以降、国内外問わず数々の作品を発表。音楽活動の他、海外での経験を生かし映画作品へのコメント執筆、字幕監修など幅広く活躍。これまでカルチャー誌や文芸誌などで写真や執筆の連載多数。近年では、大友良英、ジム・オルーク、菊地成孔らのセッションに参加し話題を集めた他、2010年 アルバム『It's Here』、2012年 エッセイ集『小鳥がうたう、私もうたう。静かな空に響くから』を発表。2014年 フランス語の絵本『おやすみなさい』(ヴィルジニー・アラジディ&カロリーヌ・ペリシェ作)の翻訳、2016年 英語の『サンタへの手紙 DEAR SANTA 』(メアリー・ハレル=セスニアック選)の翻訳を手がける。2018年 娘の成長を綴ったエッセイ『にきたま』を刊行。
連載雑誌:『Veggy』『暮しの手帖』など。
『Hello, AI Lab』https://www.mitsubishielectric.co.jp/me/hello-ai/kahimi_karie/
公式Instagram:https://www.instagram.com/kahimikarie_official/?hl=ja
公式サイト:www.kahimi-karie.com

『離れがたき二人』は早川書房より好評発売中です。

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●訳者の関口涼子さんによるあとがき全文

●ボーヴォワールの未発表シスターフッド小説、半世紀以上の時を経て刊行。『離れがたき二人』(関口涼子訳)



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