ベル_カント

それはまるで天から与えられた恵みのような時間──『ベル・カント』レビュー〔河出真美(梅田 蔦屋書店 洋書コンシェルジュ)〕

ベル・カント

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南米の小国を舞台に、副大統領邸を占拠したゲリラと人質の間に生まれる交流を描く感動作『ベル・カント』。11月15日公開の映画「ベル・カント とらわれのアリア」原作でもある本作のレビューが、梅田 蔦屋書店 洋書コンシェルジュの河出真美さんから届きました!

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「ベル・カント」という見なれない単語にまず目を惹かれる。イタリア語かな、と見当をつけてみる。調べてみるとこんな意味らしい。

bel canto: a style of opera or opera singing in the 19th century in which producing a beautiful tone was considered very important.
(出典:Oxford Lerner's Dictionaries
 https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/bel-canto)

訳せば、「19世紀のオペラの様式あるいはオペラの歌唱法で、美しい音色を作り出すことが非常に重要視された」となるだろうか。

このような音楽用語をタイトルに戴いていることからもわかるとおり、この小説のテーマの一つは音楽である。しかし音楽をテーマにした物語としては舞台が異色だ。音楽を象徴するような存在としてオペラ歌手ロクサーヌ・コスはいる。しかし彼女はとらわれの身である。南米のどこかの国の副大統領の屋敷で、ある日本企業の社長の誕生パーティに招かれた他の人々と共に。パーティに出席するはずだった大統領を狙ってテロリストが屋敷を襲撃し、そこにいた人々を人質にしたのだ。

そんな状況下でどんな物語が生まれるだろうか? どうにかして脱出を試みる人質たち、救出作戦を練る屋敷の外の人々、自分たちの要求を通そうと血も凍る行いに出るテロリストたち……頭を最初によぎるのはそんな息詰まるサスペンスだろうか。しかし、本書『ベル・カント』はそのような物語ではない。

もう一度状況をおさらいしてみよう。テロリストが屋敷を占拠。人質を取る。彼らは屋敷の外にいる警察や政府と交渉を行う。もちろん交渉相手は彼らの要求を通すまいとする。かくして時間が過ぎていく。
その間、人質たちは?
そう。何もやることがない。
そして人質になったのがどういう人々かというと、日本企業のビジネスマンや、各国の大使など、普段忙しい人間ばかりなのだった。

ここにいる男たちは例外なく、自由時間という概念にまったくなじんでいない連中だった。裕福な連中は夜遅くまでオフィスで仕事をしていた。運転手つきの車で自宅に向かうあいだも、うしろのシートで手紙の口述をおこなっていた。若く貧しい連中もそれに劣らず必死に仕事をしていた。(中略)ところがいま、まるきりなじみのなかった怠惰な時間が訪れたため、誰もが腰をおろして見つめあい、椅子の腕を指でひっきりなしに叩いているのだった。(『ベル・カント』P174)

小説『ベル・カント』は、私にとっては、かように普段忙しい人々が、ふいに手に入れた自由な時間で何をしたのかという話、である。考えてみてほしい。そんな思いがけない余暇を手に入れたら、あなたは何をするだろうか?

『ベル・カント』の登場人物たちは何をしたか。ある意味では、彼らがその時求めたのはコミュニケーションだった。いっしょくたに閉じ込められた彼らは出身もばらばらなら使っている言語もばらばらだ。ケチュア語、スペイン語、日本語、英語、フランス語……まともに話をすることさえままならない。

しかしそんな彼らをつなぐ存在が二つある。

一つが音楽である。コスは伴奏者を見つけ、楽譜を調達し、歌い続ける。彼女の歌は人を惹きつける。彼女に恋するものさえ出てくる。彼女の歌を愛するのは人質のみにとどまらない。まだ若いテロリストの少年は彼女の歌を聞き覚えて歌う。数少ない女性テロリストである少女カルメンは音楽について「言葉であらわすすべは知らなかったが、すべてを完璧に理解していた。いまが彼女の人生でもっとも幸福なひとときで、その理由は音楽にあった(P250)」。ことの発端になった誕生パーティの主役で元々コスのファンだったホソカワ氏は、コスの母語である英語を喋れず、コスとコミュニケーションをとる手段を持たないにもかかわらず、コスと誰よりも深く心を通わせていく。

もう一つが言葉である。つまり、ホソカワ氏の通訳で数か国語に精通するゲンだ。ただ一人誰とでも言葉を介して通じ合うことのできる彼は、あちらでもこちらでも必要とされ、忙しく過ごさねばならない。テロリストたちも自らの要求を外部に伝えるためにゲンを必要とする。彼は突如として不可欠な存在となる。そして、スペイン語と英語の読み書きを覚えたいと言うカルメンとひそかに会ううち、ふたりの間にはある感情が生まれる。

音楽と言葉。かくして二つのものは愛され尊重される。この状況でこの二つが愛されるのは、人間がつながりを求める生き物だからかもしれない。ゆったりと時間は過ぎ、いくつもの交流が生まれる。たとえば料理、たとえばチェスのゲーム、たとえば運動。生まれも育ちも異なり、こんなことでもなければきっと一生会うことがなかったであろうテロリストと人質たちが混じりあって同じことをする。銃を構えてはいる。監視されてはいる。しかし脅すもの/脅されるものという、当初は歴然としていた立場の違いはだんだんぼやけていき、彼らは徐々に人間同士になっていく。共に在る未来を思い描くようにさえなる。それはまるで天から与えられた恵みのような時間だ。

けれど彼らは知らない。あるいは忘れてしまった。その時間がいつまでも続くはずがないということを。

この結末を唐突だと思う読者もいるかもしれない。しかしこれは、いつのまにか過ぎ去ってしまった宝物のような時間を世界のどこかに留めておくための、せめてもの努力なのだと思う。

河出真美(梅田 蔦屋書店 洋書コンシェルジュ)

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ベル・カント

アン・パチェット/山本やよい訳『ベル・カント
装画:田中きえ
本体価格1240円+税 ハヤカワepi文庫より好評発売中

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