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所有のデザインで未来を変える『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』水野祐さん、解説文公開

リクライニングシートの攻防から、土地争い、環境問題、戦争まで……。法学者コンビが所有権の驚くべき真実を明かす、『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』(マイケル・ヘラー&ジェームズ・ザルツマン、村井章子訳)が早川書房から好評発売中です。この記事では、弁護士の水野祐さんによる解説文を特別公開いたします。

『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』
早川書房

所有のデザインで未来を変える

弁護士   
水野 祐  

本書は、コロンビア大学ロースクールの不動産法の権威であるマイケル・ヘラー教授と、カリフォルニア大学ロースクールとカリフォルニア大学サンタバーバラ校ブレン環境科学経営大学院の環境法を専門とするジェームズ・ザルツマン教授による共著Mine!: How the Hidden Rules of Ownership Control Our Lives の邦訳である。所有(権)とは何か、それが過去にどこから来て、現在の私たちの生活にどのように影響を及ぼしているのか、所有のルールが目に見えない形で私たちの選択、行動、ビジネスをいかに「支配」しているか、社会全体の構造に影響を与えているかについて、統一的かつ洞察に富む視点を提供している。本書を読むと世界に通底するルール(原著のタイトルにある「Hidden Rules」)を垣間見たような感覚を憶える。そんなタイプの本を探し求めている読者(私もその一人だ)はここから先の解説は読み飛ばして、ぜひ本書の冒頭に移動してほしい。

本書の魅力の一つは、所有概念の課題や設計の工夫を論じるために挙げられている事例がすこぶる面白いことだ。混雑緩和と顧客体験の向上、そして売上の三方良しを実現したディズニーランドのファストパスやプライベートⅤⅠPツアーから、熱狂的なバスケットボール・ファン「キャメロン・クレージー」を生み出すデューク大学のチケットの分配・割当方法、相乗りと電気自動車を促進するカープール・レーン、臓器や精子・卵子の売買、エネルギー資源の枯渇を回避するための石油・ガス採掘のユニタイゼーション(権利者がその権益の全部又は一部を持ち寄り、一つの操業単位として共通の計画のもとに開発・生産を行う方式)、気候変動を抑えるためのカーボンクレジット(温室効果ガス排出量・排出権取引制度)、雇用の流動化を促しイノベーションを加速させたシリコンバレーの競業避止契約、アスリートの移籍等を制約する保留条項に至るまで、ここでは挙げきれないが、本書で挙げられる事例はどれも身近でヴィヴィッドなものばかりだ。

マイケル・ヘラーの前著『グリッドロック経済 多すぎる所有権が市場をつぶす』(山形浩生/森本正史訳、亜紀書房、2018年)は、その副題に端的に示されている通り、自由市場と所有のパラドックスを指摘して注目された。富を生むとされてきた所有が、現代社会においては多すぎる、かつ、強すぎることにより、市場の「渋滞」(グリッドロック)を招き、イノベーションを停滞させる懸念があることを論じ、現代における所有概念の機能不全を訴えた。本書でもグリッドロック理論は随所に顔を出すが、グリッドロックという現代社会の病理に焦点を当てた前著に対して、本書は資本主義やそれを支える私有財産制の根本原理である所有概念全体に広く目を向けたものになっている。その意味で、前著よりもより広範な読者の関心をひく内容になっている。以下では、本書のポイントを三点に分けて解説してみたい。

一つ目のポイントは、所有(権)の設計をソーシャルエンジニアリングの手法と位置づける視点である。本書で頻出する所有の「調整ダイヤル(dimmer switch)」の語が象徴的なように、著者らは所有の設計を、私たちの行動を知らないうちに決定的に操作するソーシャルエンジニアリングの一手法であると位置づける。そして、所有を設計できる立場にある者、特に希少資源の所有者は、自らの得になるようにダイヤルを調整することにより意図的に私たちの行動を操っていることを指摘する。たとえば、現在隆盛しているテック企業は「所有(権)エンジニアリングの達人」であって、これらの企業がいかにこのエンジニアリングにより利益を上げているのかを指摘する。

二つ目のポイントは、所有を主張する典型的な理由・根拠を六点に整理していることである。著者らが「所有(権)ツールキット」と呼ぶ六点の理由・根拠とは、①早い者勝ち、②占有、③労働の報い(自分が蒔いた種は自分で収穫する)、④付属(私の家は私の城)、⑤自分の身体(私の身体は私のもの)、⑥家族( 家族のものだから私のもの)である。著者らは、これら六点の理由・根拠とともに、ベースライン設定(デフォルト設定)や共有などの「小道具」を活用した所有のダイヤル調整により、さまざまな製品・サービスの設計や所有を巡る紛争の解決が図られていることを解き明かす。この「小道具」のうち、著者らが特に評価するのが、「自由共有財産(liberal commons property)」と呼ぶ共有形式だ。旧来の所有が限られた個人による排他的な独占権を前提にしていたのに対して、自由共有形式は希少資源を排他的ではなく集団で管理しつつ、個人の基本的な自律性は確保できるため、著者らは新しい所有の形としてこれを評価する。

三つ目のポイントは、地球環境問題の解決に所有の設計を活用する視点である。この点は、法的所有権の専門家であるマイケル・ヘラーと環境法を専門とするジェームズ・ザルツマンの共著である本書の最大の特徴であり、また果実でもある。著者らは、今日の環境問題の根本的な問題は、自然環境がもたらす利益を享受する側と自然環境が存在している土地の所有者が分断されてしまっていることが原因だとする。そのうえで、著者らが「みなし所有権(as-if ownership)」と呼ぶスキームは、自然環境を土地の「みなし付属物(as-if attachment)」としたうえで、土地所有者に自分たちの土地がもたらす環境サービスの所有意識を植え付け、環境サービスの利益を享受する側が自然環境サービスを提供する土地所有者に何らかの対価を補償する仕組みである(著者の一人ザルツマンはこのスキーム作りの専門家だという)。著者らは、このような「みなし所有権」や漁獲割当、キャップ&トレードといった本書でも紹介されている自由共有形式による所有の設計を通して、自然環境の多くの場面で「私のモノ!」という所有意識をもっと増やすことで、人々が自然を破壊するのではなく保全する方向に誘導することが地球環境問題に取り組むカギとなると訴える。

本書のポイントは以上の通りだが、一方で、本書を読み進めるうえで注意点もある。本書では「所有権(ownership)」という言葉をモノだけでなく、かたちのない権利やコト等、広い対象に使用している。だが、日本では法的な意味での所有権は有体物にしか生じず、かたちのない権利やコト等の無体物には発生しないとされている。そのため、たとえば、知的財産やデータ、温室効果ガスの排出権など、本書で所有権や所有の対象として論じられていることが、日本では所有権や所有の言葉を使用して論じると法的には不正確となってしまうものが存在している。このような相違は、日本が強く影響を受けているフランスやドイツといった大陸法の法体系と異なり、本書が英米法の法体系を前提に書かれていることに由来する。大陸法の物権法では所有権について厳密な定義が存在しているのに対し、英米法の物権法は権原や不動産権を中心に構成されており、「ownership」の語は幅広い対象に使用され、法的にも厳密に定義されていない。しかし、日本でも、法的な概念は別として、一般的には「所有」や「所有権」の語は有体物以外にも広く使用されており、逆に本書のような汎用的な所有(権)概念のほうが非法律家である読者にとって馴染みやすいかもしれない。また、法的には不正確だとしても、近代私有財産制が所有概念を中核として構成されていることは間違いなく、すでに紹介したポイントを中心に、本書が提示している統一的な視点やアイデアの価値が下がることはない。

また、本書では希少資源の所有を調整するための新しいテクノロジーとの相互作用の重要性が指摘されている。具体的には、プラットフォーム企業によるコンテンツ配信やシェアリングエコノミーなどを例に、インターネットを含むデジタル技術の台頭により所有概念が変化しつつあることや、デジタルコンテンツやパーソナルデータ、プライバシー、そしてインターネット上のバーチャル空間などを巡って新しい形態の所有が生まれていることについて言及されている。一方で、この領域では近年、ビットコインやデジタルデータを排他的に管理する技術であるNFT(Non-Fungible Token)に代表されるブロックチェーン技術の発展や、E・グレン・ワイルとエリック・A・ポズナーによる『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀 公正な社会への資本主義と民主主義改革』(安田洋祐監訳/遠藤真美訳、東洋経済新報社、2019年)や、そのE・グレン・ワイルやイーサリアムの考案者ヴィタリック・ブテリン、台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンらにより設立された「RadicalxChange」により提唱・実践されている経済学におけるマーケットデザインの手法が注目されている。所有イノベーションとテクノロジーとの相互関係に関心を持たれた読者には、このあたりの動向を追いかけてみることをおすすめしたい。

本書は、所有概念が私たちの生活や社会に広範かつ深大な影響を及ぼしていること、現在の複雑な社会的・経済的課題に適応するために巧みに調整・設計が図られていること、そして伝統的な所有概念を再考し、デザインすることで、私たちの未来をより持続可能な形で構築することができる可能性を、法律の専門家ではない一般の読者にとってもわかりやすく説明または提示している。このような本書の知見は、個人的な意思決定・選択から、新しいビジネスの企画・開発、公共政策の策定に至るまで、幅広い分野と場面において役立つと確信している。

2024年2月


■紹介した書籍の概要

『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』
著者:マイケル・ヘラー&ジェームズ・ザルツマン
訳者:村井章子
出版社:早川書房
発売日:2024年3月21日
本体価格:2,100円(税抜)

■著者略歴

マイケル・ヘラー
コロンビア大学ロースクールのローレンス・A・ウィーン不動産法担当教授。所有権に関する世界的権威の一人。著書に『グリッドロック経済』など。
ジェームズ・ザルツマン
カリフォルニア大学ロサンゼルス校ロースクールとカリフォルニア大学サンタバーバラ校環境学大学院で、環境法学特別教授を務める。

■訳者略歴

村井章子
翻訳者。上智大学文学部卒業。主な訳書に、カーネマン他『NOISE』、カーネマン『ファスト&スロー』、ノーマン『アダム・スミス 共感の経済学』、ギャディス『大戦略論』(以上、早川書房)など。