サンデル教授「この教室の何パーセントの人たちが、自分は第一子だといって手を挙げただろうか。75から80%だ」ハーバード白熱教室・能力主義篇②
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サンデル教授「この教室の何パーセントの人たちが、自分は第一子だといって手を挙げただろうか。75から80%だ」ハーバード白熱教室・能力主義篇②

ハーバード白熱教室・能力主義篇①はこちら

ハーバード白熱教室・能力主義篇②(全2回)
私の報酬を決めるのは……

サンデル 前回の講義の終わりに、君たちの生まれた順番について、調査を行なった。その結果、この教室の何パーセントの人たちが、自分は第一子だといって手を挙げただろうか。
 75から80%だ。分配の正義について考えるときに、なぜこれが重要なのだろうか。
 前回議論した、分配の正義に関する三つの異なる理論を思い出してほしい。収入や富や機会など、人生に幸福をもたらすものはどのように分配されるべきかという質問には、三つの答えがあった。
 まず、私たちは、正義にかなった分配のシステムは、自由取引、自由市場経済のシステムであるというリバタリアンの答えを見た。
 このシステムは、形式的な機会の均等を背景にしており、それは単に、仕事やキャリアが誰に対しても開かれていることを意味する。誰もがすべての仕事をめぐって競うことができ、才能に対してキャリアが開かれているため、ロールズは、これは貴族社会やカースト制から見れば進歩だと言った。
 分配の正義は、自由取引、自発的な取引から生じるものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
 しかしロールズは、それは形式的な平等でしかなく、仕事が誰に対しても開かれていたとしても、結果は公正にはならないだろうと論じた。それでは、偶然裕福な家庭に生まれ、偶然よい教育の機会に恵まれた者に有利な、偏ったものになってしまうからだ。
 生まれによる偶然の差があるなら、機会が正義にかなって分配されているとは言えない。そしてこのことから、ロールズは、この不公平さに気づいた多くの人々は、「公正な機会均等システム」を受け入れるようになるだろうと論じた。
 それが、能力主義システムへとつながる。公正な機会均等だ。
 しかしロールズは、競争で全員を同じスタート地点に立たせた場合、誰が勝つだろうか、と言う。
 一番足の速いランナーだ。私たちは、分配が道徳的に恣意的な要素に基づくことに違和感を持ったなら、そこで論理的に考えてみるべきだ。そうすれば、ロールズが民主的な概念、より平等主義的な概念と呼ぶ分配の正義の概念に辿りつくはずだ。彼はそれを、格差原理で定義している。
 彼は、生まれつきの才能や能力の格差を修正する唯一の方法が、皆のレベルを均等にすることや、結果の平等性を保証することだとは言っていない。しかし、偶然性に対応する別の方法があると述べている。
 人は自らの幸運によって便益を得ることができるが、それは最も恵まれない人が有利になるという条件においてのみである。私たちの社会におけるいくつかの賃金格差を考えることで、この理論が実際にどう働くか、確かめることができる。
 アメリカの平均的な学校教師の年収は、どのくらいだと思う? だいたいでいい。

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男子学生 3万5000ドル。

サンデル 惜しい。4万から4万2000だ。
 では、デイヴィッド・レターマン[注:アメリカのコメディアン、司会者]はどのくらい稼いでいると思う? 教師よりも多いだろうか。
 デイヴィッド・レターマンの年収は、3100万ドルだ。彼は、教師よりもはるかにたくさん稼いでいるが、これは公平だろうか。ロールズはこう答えるだろう。それが公平かどうかは、レターマンの3100万ドルに課税され、その収入のいくらかが、最も恵まれない人の便益のために使われるような、社会の仕組みがあるかどうかによる。
 賃金格差のもう一つの例だ。アメリカの最高裁判事は、どのぐらい稼いでいるだろう。20万ドル以下だ。
 サンドラ・デイ・オコーナーも、その一人だ。彼女よりはるかに稼いでいる、もう一人の判事がいる(一同笑)。誰だと思う?

マーカス ジュディ判事[注:元家庭裁判所判事。引退後テレビ界にデビューし、人気法廷番組で視聴者のもめごとを裁いている]。

サンデル そのとおり。よく分かったね(一同笑)。番組を見ているのかな?

マーカス いいえ。

サンデル そうか。でも当たりだ。ジュディ判事はいくら稼いでいるだろう。
 これだ。彼女の年収は、2500万ドル。さあ、これは正義にかなっているだろうか。公正だろうか。それはこうした格差の背景に、格差原理に即したシステムがあるかどうかによる。
 つまり、所得と富において成功した人が、社会の最も恵まれない人々の便益になるように課税されるシステムがあるかどうかによる、ということだ。
 では、ここで一度、ロールズの理論に立ち戻って、より平等主義的な理論である格差原理に対する反論について検討したいと思う。ロールズの格差原理には、少なくとも三つの反論がある。
 一つ目は、前回の討論で、君たちの多くが懸念したことだ。インセンティブはどうなるのか。累進課税が、70%、80%、90%に達したら、マイケル・ジョーダンがバスケットボールをしなくなったり、デイヴィッド・レターマンが深夜にコメディをやらなくなったり、CEOが別の職種に就いたりするリスクが、生じるのではないか。
 さあ、ロールズを擁護する人の中でインセンティブは必要だというこの反論に答えられる人はいるかな? はい、君。どうぞ。

ティム ロールズは、最も恵まれない人々を助ける場合のみ格差は存在すべきだと言っています。平等すぎたら、恵まれない人は深夜番組を見ることも職に就くこともできなくなるかもしれません。コメディアンやCEOが働く気をなくす恐れがあるからです。ですから、恵まれない人々が才能から便益を受けるのに十分なインセンティブが残るように、正しい税金のバランスを見つける必要があります。

ティム ティムです。

サンデル ティム。要するに、ロールズはインセンティブを考慮に入れている。そして、インセンティブを考慮したうえで、賃金格差と、いくらかの税率の修正を認めることができると言っているということだね。
 ティムは、インセンティブの問題は、経済全体への効果という観点からではなく、最下層の人々の幸福に関わるインセンティブ、つまり、不利な条件にある人々の福祉への効果という観点から検討されるべきだと指摘している。そうだね?

ティム はい。

サンデル ありがとう。それが、ロールズの言わんとすることだと思う。実際に、彼が格差原理を説明している17章を見てみると、インセンティブを認めていることが分かる。
「生まれながらに有利な者は、より才能があるというだけの理由で便益を得るべきではなく、訓練と教育の費用を賄い、恵まれない者たちの助けになるように、その資質を使うべきである」
 インセンティブを持つことはできるのだ。そして、デイヴィッド・レターマンやマイケル・ジョーダン、ビル・ゲイツから取りすぎて、最下層の人々に害を与える結果になった場合には、税率を調節することもできる。そういうことだ。
 インセンティブは、ロールズの格差原理に対する決定的な反論ではなかった。しかし、もっと重要で難しい反論が二つある。
 そのうちの一つは、能力主義の概念を擁護する者による反論だ。「努力はどうなるのか」という意見だ。一生懸命働いた人はどうなるのか。彼らはそのために努力したのだから、稼いだものに対する権利があるはずだ。これが、努力と道徳的な適価(moral desert)からの反論だ。
 そして、もう一つの反論は、リバタリアンによるものだ。私たちの生まれながらの才能や資質を共有資産のように扱うことによって、格差原理は私たちが自分自身を所有しているという考えを侵害するのではないか。
 さて、まずは、リバタリアンによるこの反論に取り組もう。リバタリアンの一人、経済学者のミルトン・フリードマンは、著書『選択の自由』の中でこう書いている。
「人生は公正ではない。人は、政府が自然の引き起こすことを修正できると信じる誘惑に駆られる」
 そして彼はこう考える。それを修正しようとするには、結果を均等にしなければならない。つまり、皆が競争で同時にゴールするようにしなければならず、それは破滅的なことだ。

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 これは、簡単に答えられる議論だ。
 ロールズはこれについて、著書『正義論』の私が非常に強力だと思う節の中で触れている。それは17章にある。
「自然の分配、つまり才能や資質といった自然の分配は正義でも不正義でもない。人が社会のある特定の地位に生まれるのも不正義ではない。これらは単なる自然の事実である。正義や不正義は、制度がこういった事実を扱う方法にある」
 これは、「人生は不公正だが乗り越えろ。そして少なくともそこから出る便益を最大化できるか見てみよう」というミルトン・フリードマンのような自由放任主義の経済学者に対する彼の答えだ。
 しかし、ロールズに対するリバタリアンの反論には、フリードマンの反論より、さらに強力なものがある。
 それは、ノージック[注:1938-2002年。アメリカの哲学者。ロールズの『正義論』への反対で知られる、リバタリアニズムの代表的論者]が発展させた、自己所有の議論を用いた反論だ。そして、その観点から言えば、誰でもいい学校に行くことができるように、そして競争を同じスタートラインから始めることができるように、就学前教育プログラムや公立学校を作るのはいいことかもしれない。
 しかし、公立学校を作るために人々に課税すれば、彼らの意思に反して課税すれば、それは強制になる。盗みの一種だ。公立学校を支援するために、レターマンの3100万ドルのいくらかを、彼の意思に反して税金として取れば、国家がまさに彼から盗んだことになる。それは強制だ。
 なぜなら、私たちは自分自身を、才能と資質を所有するものとして考えなければいけないからだ。さもなければ、私たちはただ人々を使い強制することに戻ってしまう。これがリバタリアンの意見だ。
 この反論に、ロールズはどう答えているか。彼は、自己所有の考えに直接は言及していない。しかし、おそらく格差原理についての彼の議論の道徳的な重点は、結局のところ、私たちは自分自身を完全な意味では所有していない、というところにあるだろう。
 彼は、これは、「国家が私の人生を徴用することができるから、国家が私の所有者である」という意味ではないと言っている。
 なぜなら、「無知のベール」の背後で私たちが合意するであろう第一の原理は、平等な基本的自由の原理、つまり、言論や宗教の自由、良心の自由などだからだ。
 だから、自己所有の考え方は、唯一、次のような点において譲歩しなければならない。
 私たちは、自分の才能を市場経済の中で行使することで得られる便益に対して特権を主張できるという点で、自分自身を所有しているということを意味しているわけではない。
 ロールズは、よく考えてみれば私たちは自分自身を所有していないと言う。私たちは、自己所有の考えを受け入れることなく、権利を擁護することも、個人を尊重することも、人間の尊厳を守ることもできる。
 これが、要するに彼のリバタリアンへの回答なのだ。
 ここで、能力主義の概念の擁護者へのロールズの回答に目を向けたい。
 彼らは、道徳的な適価の根拠として努力を引き合いに出した。自分の才能を発展させるために一生懸命働く人は、その才能を行使することで得られる便益に値する。
 この問題に対するロールズの一つ目の答えはすでに見てきた。それは、生まれた順番についての調査からも明らかだった。
 彼の一つ目の答えは、勤労倫理や誠実に頑張る意欲でさえ、私たちが自分の功績だとは主張できない家庭の環境や、社会的・文化的偶然性などによって決まるというものだ。
 私たちは、自分のおかげで第一子に生まれたのではない。第一子に生まれ、心理学的、社会的な理由から、頑張り、努力することができたのは、自分の功績だとは主張できない。これが一つ目の答えだ。
 二つ目の答えもある。努力を引き合いに出す人は、本当は、道徳的な適価は努力に付随していると信じてはいないのだ。二人の建設労働者がいる。一人は力が強く、汗もかかずに一時間で壁を建てることができる。もう一人は、小柄でひどく痩(や)せていて三日かけなければ同じ仕事をすることができない。
 能力主義の擁護者には、ひ弱で痩せた建設労働者の努力を見て、「彼は頑張っているからもっともらうべきだ」と言う人はいない。それは、本当は努力とは違うからだ。これが、能力主義の主張に対する二つ目の回答だ。
 能力主義の擁護者が、分配の道徳的な根拠だと信じているのは、本当は努力ではなく貢献だ。どれだけ貢献したかが重要なのだ。
 しかし貢献は、私たちを単なる努力ではなく、生まれながらの才能と能力の問題に引き戻してしまう。そして、私たちがそのような才能を持つに至ったのは、自分の行ないのおかげではない。
 では、「努力がすべてではない、能力主義の観点から重要なのは貢献だ、努力ですら私たち自身の行ないではない」という議論を君たちが受け入れたとしよう。それはつまり、ロールズによれば、道徳的な適価と分配の正義の間には、何の関係もないということだろうか。そのとおりだ。分配の正義は道徳的な適価とはまったく関係ない。

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さあ、ここでロールズは、重要かつ巧妙な区別を導入している。それは、道徳的な適価と、正当な期待に対する資格の違いだ。道徳的な適価と、資格[entitlement、権原]の違いは何だろうか。
 二つのゲームを考えてみよう。偶然のゲームと技能のゲームだ。
 まずは偶然のゲームから。
 マサチューセッツ州の宝くじを買って、私の番号が当たったとする。私は自分の賞金に対する資格を持っている。しかし、賞金に対する資格があっても、これは単なる運のゲームなので、私がその賞金に、道徳的にふさわしいということにはならない。これが資格だ。
 では、宝くじとは対照的なゲーム、技能のゲームはどうだろう。
 たとえば、ボストン・レッドソックスが、ワールドシリーズで優勝したとする。優勝した彼らには、トロフィーをもらう資格がある。しかし、技能のゲームでは常にこう問われる。彼らは勝利にふさわしかったのか。技能のゲームでは、原則として、誰かが規則の下で勝利の資格を与えられることと、その人物がそもそも勝利に値するかということを分けて考えることができる。
 そして、ロールズは、分配の正義は、道徳的な適価の問題ではなく、正当な期待に対する資格の問題だと言う。ここで彼はそれを説明している。
「公正な仕組みは人間の持つ資格に応え、社会制度に基づいた人間の正当な期待を満足させる。しかし、彼らが持つ資格は彼らの内在的な価値に釣り合うものではなく、あるいはそれによって決まるものではない」
「基本的な構造を規定する正義の原理は……道徳的な適価とは関係ない。そして、分配の量が道徳的な適価と対応する傾向もない」
 ロールズはなぜこれを区別したのか。何が道徳的に問題になるのか。
 一つ目は、これまで議論してきた努力の問題すべてだ。しかし、二つ目の偶然性もある。それもまた、道徳的な恣意性の源になるもので、才能を持つことが自分の功績であるか否かという問題を超えたものだ。そして、それは自分の才能をたまたま重んじる社会に生きているという、偶然性と関係がある。
 デイヴィッド・レターマンの毒のある冗談を非常に重要視して、高く評価する社会に彼が生きているという事実は、彼の努力の結果ではない。彼は幸運にも、偶然そのような社会に生きているのだ。これが二つ目の偶然性だ。自分の功績だと主張できるものではない。
 もし私が、自分の才能と努力について、唯一の、疑う余地のない主張権を持っていたとしても、私がそれらの才能を使うことによって得る便益は、道徳的な観点からは、やはり恣意的な要因によって決まることになるだろう。
 私の才能は市場経済でどんな収穫を得られるのか。それは、この社会で人が何を望むかによって決まる。需要と供給の法則によって決まるのであって、私の行ないで決まるのではない。貢献と見なされるものは、社会が偶然重んじるものの資質で決まる。
 私たちの多くは、幸運にも、この社会が偶然重んじる資質、社会が要求するものを提供できる資質を大いに持っている。
 資本家の社会では、起業家精神を持つことが役立つ。
 官僚的な社会では、上司とうまくやることが役立つ。
 大衆民主主義社会では、テレビ映りをよくすることや、手短に表面的な話をすることが役立つ(一同笑)。
 訴訟社会では、ロースクールに行くことや、そのための試験でうまくやることが役立つ。
 しかし、これらはいずれも私たちの努力とは関係ない。
 私たちが、この技術的に発展した高度な訴訟社会ではなく、狩猟社会か戦闘社会で生活していたとしたらどうだろうか。この才能では大して成功できないだろう。もちろん、別の才能を発展させる者もいるだろうが。
 では、別の社会では、私たちの美徳は少なくなるのだろうか。狩猟社会や戦闘社会では、私たちの価値は下がるのだろうか。
 ロールズの答えはノーだ。私たちの稼ぎは少なくなるかもしれない。しかし、少ない報酬に対する資格しか持たなくなるからといって、私たちの価値が下がるということではない。
 ここが重要だ。私たちの社会において、偶然それほど有力な地位にない人、私たちの社会が報酬を与える才能をたまたま持っていない人についても同じことが言える。これが、道徳的な適価と、正当な期待に対する資格の区別の重要な点だ。
 私たちは、才能を行使することで得られる便益に対する資格を持っている。しかし、私たちが偶然豊富に持っている資質を偶然重んじるこの社会に、自分たちがふさわしいと考えるのは間違いであり、うぬぼれである。
 ここまで、収入と富について話してきた。では、機会と名誉はどうだろうか。エリート大学の学生になるための分配はどうだろうか。
 確かに君たちは皆、ほとんどが第一子で、ハーバード大学に入るために一生懸命勉強し、頑張って自分の才能を伸ばしてきた。
 しかしロールズは尋ねる。「君たちが、自分の持っている機会に付随する便益を主張することは、道徳的に見てどうなのだろうか」大学の学生になることは、一生懸命努力したからそれに値する者への一種の報酬であり、名誉なのだろうか。それとも、エリート大学に入ることや、その機会や名誉を与えられることは、正当な期待に対する資格なのだろうか。
 つまり、その機会や名誉を、社会の最下層にいる人々の便益になるように利用しなければ正当化できない資格なのだろうか。これが、ロールズの格差原理が投げかける質問だ。
 これは、マイケル・ジョーダンやデイヴィッド・レターマン、ジュディ判事の収入について、問われる可能性のある質問だが、同様に、トップの大学に行く機会についても問われる可能性のある質問である。

*マイケル・サンデルハーバード白熱教室講義録+東大特別授業(下)NHK「ハーバード白熱教室」制作チーム・小林正弥・杉田晶子訳より抜粋




この講義のテーマである「能力主義(メリトクラシー)」の問題にサンデル教授が真正面から挑んだ『実力も運のうち 能力主義は正義か?』が早川書房より4/14(水)に発売しました。発売即日重版が決まるなど、大きな反響を呼んでいます。

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