「科学的思考の緻密さ、美しさ、深遠さを伝える第1人者」(朝日新聞書評)ドーキンス最新作。鎌田浩毅氏の解説を公開。
解説
鎌田浩毅(京都大学大学院人間・環境学研究科 教授)
本書はリチャード・ドーキンスによる最新の科学エッセイ集『魂に息づく科学(原題は SCIENCE IN THE SOUL、二〇一七年刊行)』で、著者の専門である進化生物学を中心とした科学解説、社会批評、知人の著書の序文、弔辞など、非常に多岐にわたる文章が収められている。編者のジリアン・ソマスケールズ(Gillian Somerscales)がセレクトして一冊にまとめた本でもあり、欧米の読書界では刊行直後から賛否両論の大きな話題を呼んだ。
また、副題に「ドーキンスの反ポピュリズム宣言(原題は Selected Writings of a Passionate Rationalist)」とあるように、自他ともに認める「理性と論理の人」が現代社会の動きと風潮に鋭く異議を申し立てた「白熱」議論が収められている。特に二〇一六年に著者が経験したEU離脱の是非を問うイギリスの国民投票とアメリカ大統領選挙に際して、自らの気持ちを赤裸々に書き留めている文章は見逃せない。主著の『利己的な遺伝子』以来のファンはもちろん、アンチ・ドーキンスの読者たちにも興味深い、まさに時宜を得た勢いのあるエッセイ集と言えよう。
多彩な内容をひとことで纏めると、全篇を通じてドーキンスの「科学観」をあらゆるテーマに即して披露した「科学の啓発書」である。特に、科学アウトリーチ(啓発・教育活動)を天職とする著者が、現世界で生起する森羅万象に対してその本質を的確にえぐり出し、科学者ならではの切り口で鮮やかに「料理」する技を読ませる本となっている。
ちなみにドーキンスの言う科学は、「魂にとって驚異」であり、「社会にとって必要」なものという二つの側面を持つ。そして前者の価値について彼はこう美しく表現する。「たとえば、グランド・キャニオンの縁で深い宇宙と遠い昔について黙考している魂にとって──驚異である」(一八ページ)。
グランド・キャニオンは米国アリゾナ州にある世界自然遺産で、地球上に大陸が誕生して以来二〇億年間に起きた「偶然」が織りなす地学現象を「連続」して見せてくれる地質学の「聖地」である。
ここは地球科学を四〇年間専門としてきた私にとっても「驚きに満ちた」世界随一の場所だが、ドーキンスが記すように、すでに「多くのアメリカ先住民族にとって、グランド・キャニオンは聖地」(一一ページ)だったのだ。つまり、グランド・キャニオンがそこにあること自体、太古の先住民族にもネット時代の科学者にも、まったく同じ感覚で「魂にとって驚異」なのである。
次に「社会にとって必要」な科学の価値は、多くの大衆のみならずドーキンスにも無視できない。こうした技術に対して彼は「焦げつかないフライパン」とユーモラスに表現する。テフロン加工を施した熱効率の良い台所用品を例に出しつつ、「科学は生活にとって重要である」と認めながらも、科学アウトリーチの本質について彼はこう語る。「『科学』という言葉で私が意味するのは、 科学的事実だけでなく、科学的思考法でもある」(一九ページ)。
すなわち、社会に役立つ面に惹かれて科学を礼賛する人々の中で「科学的思考法」が欠如していくさまを、ドーキンスは鋭く糾弾する。だからこそ彼は、「いまこそこれまで以上に理性が主役になる必要がある」(一九ページ)と訴え続け、副題の「反ポピュリズム宣言」まで突進せざるを得ないのだ。
さて、著者の人となりについて、簡単に解説しておこう。クリントン・リチャード・ドーキンス(Clinton Richard Dawkins)は一九四一年生まれのイギリスの進化生物学者で、今や世界で最も有名な科学者の一人である。一九五九年にオックスフォード大学に入学し、ノーベル医学生理学賞を受賞した動物行動学者のニコ・ティンバーゲンの元で学び、一九六六年に学位を取得した。
カリフォルニア大学バークレー校の動物学助教授に着任以後は、進化論の解説をはじめとする一般向けの科学啓発書を精力的に執筆し、中でも一九七六年に刊行した『利己的な遺伝子』(The Selfish Gene)は世界的なベストセラーとなった。一九九五年にオックスフォード大学の科学啓蒙のための「チャールズ・シモニー講座」教授に就任した。その後は同大学ニュー・カレッジのフェローを務め、二〇一三年にはプロスペクト誌の「世界の思索家」第一位に選ばれている。
次に、本書の構成と内容について見ていこう。本書は全八部からなり、それぞれの部は四〜七つの独立した長さの異なるエッセイで構成される。各部の冒頭では編者のジリアン・ソマスケールズが内容の要約を記している。GSのイニシャルが末尾に付いたこのまとめには、編者のウィットに富む感想が織り込められており、ここを読むだけでも大いに楽しめる。
第一部「科学の価値(観)」には、本書のテーマ全体を俯瞰する内容が盛り込まれている。「科学の定義」「科学は何をするのか」「科学はどうやるの(がベスト)か」という本質的な課題に関するドーキンスの所信表明と言ってもよい。そして、彼がこうした価値観を持ち始めた由来が、第一部最後の美しいエッセイに記される。子ども時代の体験が後年の科学者にとっていかに大切かは私も同感するところである。
第二部「無慈悲の誉れ」では、現実の社会で行われている「無慈悲」な科学の諸相について考察する。特に、ドーキンスの専門となった、自然淘汰による進化に関するダーウィン理論の展開及び精緻化が主要なテーマとなる。著者の姿勢は基本的に「先達を敬い、後継に挑む」ものだが、加えて「後継に挑みつつ、自分にも挑む」と喝破する。だからこそドーキンスは科学を分かりやすく解説するために、同僚たちが眉をひそめるレトリックの「飛躍」もあえて行うのである。常に読者の目線に立って語ろうとする著者の面目躍如たるエッセイだ。
第三部「未来の条件」では、人間がどう進化する可能性があるかに関するドーキンスらしい見解が述べられる。四〇〇年前にデカルトが提起したテーマ「意識と魂の本質」まで扱おうと試みるのだが、「根拠のしっかりした推論」と「断定的な迷信」を峻別しながら論じる筆のさばきはいささかも衰えていない。
第四部「マインドコントロール、災い、混乱」は、宗教のもたらす身体的及び教育的な害に対するドーキンスなりの批判が根底となっている。具体的には金銭、時間、感情、努力に対して宗教が人を誤った方向に導くことを弾劾し、科学の能力と意義を力強く語る。たとえば、二〇〇四年にインド洋で発生した巨大津波による激甚災害に関する、無神論者の立場からの彼の議論は圧巻である。
第五部「現実世界に生きる」では、 倫理・教育・法律・言語など世間が関心をもつ話題に対して歯に衣を着せぬ議論が展開される。そして最後のお楽しみエッセイは「もしドーキンスが世界を支配したらどうなるか」である。理性の功績を讃えながら、それを守るために「決起」を呼びかける著者の姿が垣間見える。
第六部「自然の神聖な真実」では、自然界に見られる魅力的で不思議な生物たちの「奇行」に関する愛情あふれる観察が綴られる。生きている貴重な財産を語るだけでなく、かけがえのない人の早すぎる死への挽歌が心を打つ。
第七部「生きたドラゴンを笑う」は、ドーキンスの十八番でもあるユーモアにスポットライトを当てたセクションだ。深刻なテーマに対してブラックジョーク並みの表現で迎え撃ち、明るい話題にはのびやかなウィットを拡散させる。コミカルな文章や軽妙な風刺を書くだけでなく、言葉遣いの機敏さで群を抜く才能がここに開花している。きらびやかに言葉を操る独特の話法をぜひ楽しんでいただきたい。
第八部「人は孤島ではない」では、科学はつねに助け合いの精神に基づく共同事業であることを力説する。科学者の思い出を振り返る文章はとても温かく、同僚への尊敬が胸にしみわたってくる。
総じて本書ではテーマごとの的確な選択がなされており、ドーキンスの科学者・教育者・論客・作家としての全容が掴めるようになっている。現代イギリスを代表する知識人の最良の作品群と言っても過言ではないだろう。
私が見るところ、ドーキンスは世界一のレトリック使いの科学者で、翻訳でも滞りなく頭に入ってくる。一方、「比喩の名手」と呼ばれる彼の表現は、しばしば読者の誤解を招き幾多の科学論争を引き起こしてきた。これに対してドーキンスは、自身のきわどいレトリックを擁護する立場を貫いてきた。つまり、「擬人的表現」は非専門家が理解する際の最上のツールだから、使い方さえ間違えなければ問題ない、とするのだ。私自身、難解な科学現象を伝えるにはギリギリの比喩表現も必要ではないか、と彼の長年の努力に賛同したい。
最後に、本書のようにテーマが多岐にわたる大部の科学書を読む際のコツを述べておこう。理解できないことは分からないままにしておいて、とりあえず通じるところだけで読み進めるのである。
まず理解できた部分だけで全体の話の筋を追う。そして、全容が見えてきたら、分からなかった箇所を少しだけ振り返る。それでもまだ分からなかったら、決して無理はしない。というのは、今の自分には必要ない内容かもしれないからだ。無理をせず分かるところだけ飛ばし読みするのが、そのポイントである。
また、分厚い科学書を読みこなすためには「解説やあとがきから読め」という裏ワザがある。本文に取りかかる前に、巻末の解説を先に読んで「教えて」もらうのだ。解説にはエッセンスが要領よく説明されており、加えて著者の生い立ちやバックグラウンドも書いてある。ここを読むだけでも本文理解のキーとなる概念が見えてくるだろう。
実は、科学書が読みにくいと思う人の最大の障壁は、「心のバリア(敷居)」なのだ。そして「読み始めたら最後まで読まなければならない」という固定観念がある。しかし、一冊の本をくまなく理解するのはそもそも無理で、「著者と意見が合わない」と思ったら読むのをやめても一向にかまわない。すなわち「本は読破しても偉くない」。くわしくは拙著『理科系の読書術』(中公新書)を参考にしていただきたい。
最後に翻訳について記しておきたい。訳者はこれまでドーキンスの著作を含め、ポピュラー・サイエンスの翻訳を何冊も手がけた大田直子氏が担当しているが、内容の正確さは言うに及ばず、著者特有の辛辣な表現を最大に活かす文章には定評がある。五〇〇ページを超す翻訳書にもかかわらず専門外の私も一気に読めたので、ドーキンスの知的世界を概観するには最適ではないかと思う。本書をきっかけに「科学的思考法」に触れ、人類の知的遺産全体に読者の視座が広がることを期待したい。
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