ダラスの赤い髪_書影

国境地帯、麻薬犯罪の坩堝。立ち向かうのは、彼女ただ一人。『ダラスの赤い髪』(キャスリーン・ケント、府川由美恵訳)訳者あとがき

アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞のノミネート作『ダラスの赤い髪』。ニューヨークからテキサス州ダラスへやってきた刑事ベティを待ち受けるのは、麻薬取引からはじまる不可解な連続殺人だった。
タフでパワフルな主人公が魅力の本作について訳者の府川由美恵さんが語ります。

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ダラスの赤い髪』キャスリーン・ケント/府川由美恵訳/ハヤカワ文庫

訳者あとがき

テキサスと聞いて、まずあなたの頭に浮かんでくるものはなんだろう? 

カウボーイ? ロデオ? それともテキサス・レンジャー? 音楽好きならカントリー・ミュージックのことを考えるかもしれない。テキサス州とひと口に言っても、ヒューストンにはNASAがあって宇宙開発のイメージが強いし、サンアントニオのアラモ砦は、アメリカ人のノスタルジックな気持ちをかきたてる有数の観光地としてにぎわっている。

本書『ダラスの赤い髪』の舞台は、テキサス州ダラスだ。ジョン・F・ケネディが暗殺された街でもあり、現在でも、ケネディ狙撃犯のオズワルドが暗殺を実行した現場とされる教科書倉庫ビルが博物館として保存されているほか、暗殺が起きたあのパレードの映像を彷彿とさせる風景が随所に残っている。

全米第二位の面積を持つ広大なテキサス州では、それぞれの都市に独自の持ち味があるが、どの街、どの地域に住んでいようと、州民全般に共通するのは、〝テキサス人〟としての強い誇りだ。19世紀にメキシコから独立し、短いながら共和国だった歴史もあるためか、テキサス人の〝愛州心〟はほかの州とくらべても際立っている。テキサスにおいては、国旗とテキサス州旗とはまったく同等の扱いで、州内のいたるところで白いひとつ星(ローン・スター)をあしらった州旗が見られたりもする。

政治的には共和党保守層が強く、元大統領のブッシュ親子の政治基盤となった場所でもあり、バイブル・ベルト(キリスト教文化の影響力が強いとされる米国中西部〜南東部一帯)にも含まれ、プロテスタントが州民の過半数を占める(特に福音派が多い)。聖書や教会の教えの影響を色濃く受けた、伝統的な社会規範が支配力を持つ土地だ。また、銃所有率が全米トップの州としても知られている。

そんなテキサス州のダラス市警に、ニューヨークからタフなレズビアンの刑事がやってきたら──果たしてどんなことが起きるだろうか?

本書のヒロイン、ベティ・リジックは、ただのタフな女性刑事とはわけがちがう。ブルックリン生まれ、ポーランド系の警官一家に育ったベティは、身長180センチ、毎日10キロぐらいは軽々と走るランナーで、男にもまったくひけをとらない優れた身体能力の持ち主だ。頑固で口が悪く、いつも兵士が履くようなタクティカルブーツで歩きまわっている。それだけでも充分目立つのに、髪は燃えるような赤毛だ。ベティの心の師はブルックリンで部長刑事を務めたおじのベニーで、何か迷うことがあれば心のなかでベニーのアドバイスを聞くのがベティの習慣だ。

そしてベティには自慢の恋人がいる──小児病院に勤務する女性医師のジャッキーだ。ベティはブルックリンで警官として働いていたが、ジャッキーが病気の母のそばにいるためにダラスへ引っ越すことになり、自分もダラス市警の麻薬捜査課に移る。そしてそこで、ハンサムな相棒のセスや麻薬捜査課のチームメンバーとともに麻薬密売組織の捜査に奔走することになる……のだが、話はそう簡単ではない。

ニューヨーク出身でレズビアンの刑事ベティのことを、保守的なテキサスの男性刑事たちはそうすんなりと受け入れてはくれない。ベティは、犯罪組織との闘いと同時に、テキサスのマッチョな男性社会の圧力とも、性的マイノリティに対する差別とも闘わなければならない。さらにベティは、テキサスという未知の土地でのカルチャーショック体験も数々味わうことになる。いわば、北部人VS南部人の〝南北カルチャー戦争〟だ。

つまりこの作品は、犯罪小説であると同時に、異文化遭遇の物語でもあるのだ。ベティが出くわすカルチャーギャップがときにはユーモアたっぷりに描かれ、テキサス文化になじみのない読者でも楽しめる作りになっている。

とはいえ、もちろんこの作品の本筋はクライム・ストーリーだ。国境を挟んでメキシコと隣り合わせのテキサスは、メキシコの麻薬密売組織、いわゆるカルテルと、直接的に角突き合わせなければならない立場にある。アメリカ側の麻薬捜査官たちは、国境の向こうから麻薬が流入するのを阻止すべくカルテルとのせめぎあいをくり広げていて、ベティもその闘いに身を投じることになる。そこに見えてくるのはテキサスの暗い側面、メキシコとの激しい麻薬戦争の最前線の現場であり、やがてこの物語は思いがけない方向に転がりだす。この作品の魅力、そしてタフな女性刑事ベティの真骨頂はそこからまた一段加速するので、ぜひじっくりと味わっていただきたい。

著者のキャスリーン・ケントはこれまで三作の歴史小説を発表しているが、現代を舞台にした長篇ミステリを執筆したのは本作品が初。ダラス育ちのケントは、大学卒業後はニューヨークで暮らしていたものの、息子を育てるためにダラスに帰郷。それ以降、ケント自身も故郷の街で少なからずカルチャーギャップに出くわしたそうで、そうした体験もこの作品に織り込まれているようだ。この作品の下敷きとなっているのは、ダラスやその周辺を舞台に
したアンソロジーDallas Noir(2013)のために依頼されて書いた短篇小説で、執筆にあたっては、ダラスで実際に覆面捜査官をしていた親類や、ダラス市警初の女性刑事(現在は引退)に話を聞いて参考にしたとのこと。

キャスリーン・ケントのこれまでの長篇作品は以下のとおり。
 The Heretic’s Daughter(2008)
 The Traitor’s Wife(2010)
 The Outcasts(2013)
 The Dime(2017)本書

次回作は本作のシリーズ第二作で、タイトルはThe Burn。2020年に出版が予定されており、第三作の準備も進行中。

本書『ダラスの赤い髪』は2018年のアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長篇賞にノミネートされた。惜しくも受賞は逃したが、20世紀フォックスの製作でテレビシリーズ化が検討されているとのこと。こちらもどうなるか実に楽しみだ。

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ダラスの赤い髪』はハヤカワ・ミステリ文庫より発売中です。

■著者紹介
キャスリーン・ケント
テキサス州ダラス在住の作家。これまでにThe Heretic's Daughterなど3作の長篇小説を発表し、優れた歴史小説に与えられる文学賞を受賞。2017年に発表した本書は好評を博し、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長篇賞にノミネートされた。《ニューヨーク・タイムズ》による「優れた新刊 犯罪小説部門(2017年3月)」の1冊に選出。

■訳者略歴
府川由美恵(ふかわ・ゆみえ)
明星大学通信教育部卒、英米文学翻訳家。訳書『タンジェリン』マンガン、『サンクトペテルブルクから来た指揮者』グレーべ&エングストレーム、『黙示』ロッツ(以上早川書房刊)他多数。


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