家族を支配する狂信、陰謀論、ホメオパシー、そして暴力……衝撃の回顧録『エデュケーション』訳者あとがき
ビル・ゲイツ、ミシェル&バラク・オバマらが絶賛してニューヨーク・タイムズ・ベストセラーリストで10週連続第1位獲得&130週以上ベストセラーリストにランクイン、全米で400万部超を売り上げた衝撃のノンフィクション、タラ・ウェストーバー/村井理子訳『エデュケーション――大学は私の人生を変えた』(原題:Educated: A Memoir)とはどんな本なのか? 本書の訳者でエッセイストの村井理子さんによるあとがきです。
訳者あとがき
本書は、歴史家でエッセイストのタラ・ウェストーバーによって記された、彼女自身の壮絶な人生の回顧録である。バラク・オバマが選ぶお気に入りの二十九冊、ミシェル・オバマが勧める九冊、ビル・ゲイツが選ぶホリデー・リーディングリスト、オプラ・ウィンフリーが選ぶベスト・ブックスなどに選出された。著名人が惜しみない称賛を送る作品として、本国アメリカでは四百万部以上を売り上げる大ベストセラーとなった。また、ニューヨーク・タイムズやウォール・ストリート・ジャーナルといった主要メディアが選ぶベストブックスにも次々と選ばれ、高く評価された。
一九八六年、アイダホ州クリフトンでモルモン教サバイバリストの両親のもと、七人兄姉の末っ子として生まれ育ったタラは、物心ついたときから父親の思想が強く反映された生活を送っていた。両親は科学や医療を否定し、民間療法を盲信し、陰謀史観に基づく偏った思想を盾に政府を目の敵かたきにし、子供たちを公立校に通わせなかった。その独特な生き方を子供たちにも強制し、正しいと信じ込ませた。社会から孤立したようなその暮らしは、質素で、時に荒唐無稽だった。
幼少のころからタラとその兄弟は子供らしい楽しみを奪われた。父親の廃品回収とスクラップの仕事を手伝い、時には強要され、父親の残酷ともいえる指示のもと、命を落としかねない危険な作業をくり返した。実際にタラが負ったけがは深刻で、死に至らなかったことが奇跡にも思える。その作業はタラだけに課せられたものではなく、兄姉たちも同様で、危険を回避する策を講じないままの強引で乱暴な作業は、致命的なけがを彼らに負わせてしまう。目を覆いたくなるような大けがをしても、両親は彼らに薬草のオイルを与え、手作りの軟膏を塗り込むだけですべて治療できると信じ込む。死が間近に迫らなければ、医療の恩恵を一切受けさせようとはしない両親に従い、その呪縛を解くことができないまま、子供たちは山の上の孤立した環境のなかで生き延びることを余儀なくされる。
地域で唯一の助産婦の助手として働いていた母親は、幼いタラにもその仕事を手伝わせる。しかし、それは医療とはほど遠い行為であり、すべては運と薬草のオイルに頼るという危険なものだった。後に一人の助産婦として独立した母親は、不安を抱きつつも、依頼されるがまま出産を介助し続ける。その過酷さと命を預かる重責に押しつぶされ、肉体的にも精神的にも耐えられなくなる母親を、家族のなかでもっとも過激で偏った思想の持ち主である父親は、神の与えた仕事だからと説得する。その主張の根底にあったのは、世界が崩壊するという「忌まわしい日」に備え、生き残った家族が将来出産することになっても、孫たちが無事でいられるよう準備できるからという目論みだった。
このような父親の極端な行動は、タラと家族を次々と危険に晒していく。精神的な不調の続く父親を静養させようと訪れた、父方の両親が冬の間だけ住むアリゾナの家から、日が暮れはじめる時間に突然アイダホに戻ると言い出した父親に従わざるを得なかった家族は、後にタラを両親の呪縛から救い出すために手を差し伸べる三男タイラーが運転するステーションワゴンに乗り込む。途中、疲労のあまり居眠りをしたタイラーの運転する車は電柱に衝突し、横転する。大けがを負ったのは母親だった。頭部を強打した彼女は、病院で手当を受けることもなくそのまま家に戻り、そして長期間にわたって療養することを余儀なくされる。その事故以来、彼女は記憶を失うようになり、性格まで変わり、それが温和で家族思いのタイラーの心に暗い影を落としてしまう。母親の変化は、タラと彼女の関係にも徐々に影響を及ぼしていく。
父親による家族への抑圧と並行してタラを極限まで追いつめたのは、次男ショーンによる熾烈な暴力だった。思春期を迎え、外の世界との接点を得たタラが、普通の女性としての生き方を模索する姿を目撃するショーンは、嫉妬や束縛にも似た歪んだ感情を彼女に抱くと、圧倒的な力でねじ伏せ、支配していく。度重なる激しい暴力によりけがを負わされながらも、ショーンの存在に耐えるタラを目撃しているにもかかわらず、気づかぬふりをする母親。そんな彼女の態度が、ショーンの暴力よりも深くタラを傷つけたことは、想像に難くない。そしてそんなショーンも、父親との危険な作業で起きた転落事故をきっかけとしてその暴力性をエスカレートさせていく……。
故郷を振り切るように、ようやく自らを学びの世界へと解き放つ後半は、著者のその後の人生を導いた恩師や恋人、はじめて本当の「家族」と呼ぶことができる友人との出会いが続く。同時に、両親と兄姉の一部との決別が避けられなくなる様子と強い悲しみが吐露される。そのような状況であっても、著者が力強く自らの道を模索する様は圧巻だ。ここではじめて息継ぎができたような気持ちがしたほど、本書は激しく、同時に強い力を持って読む人を惹きつける一冊だった。
タラに対する家族からの執拗な暴力と精神的虐待の描写は、訳す手が何度も止まるほどすさまじいものだった。教育を奪われ、偏った思想に従うことしかできなかった幼い子供たちの哀れな姿には、親という存在の残酷な一面を考えずにはいられない。何を差し置いても守るべき子供の命が、次々と危険に晒されていく様子は、とても歯がゆく、強い怒りを覚える。それでも、健気に両親を慕い続ける著者や兄姉たちの言葉には、強い悲しみが漂っているように思えた。世界の終わりに備えるという父親の誇大妄想を笑うことは簡単だが、果たして私たち大人は、同じような行為を子供に強制したことが一度もないのだろうか。本書は読者に、そんな疑問を抱かせる力を持っている。彼らの小さな心を抑圧し、管理し、操縦しようとしてはいないか、そんな疑問を突きつけてくる。訳者としては、困難な一冊だったとも言えるが、親の束縛と強要、兄による暴力の痛みを、克明に生々しく書ききった著者の見事な筆致に感服せざるを得ない。
タラのそれまでの人生はあまりにも過酷で、その深い絶望から抜け出すことができた彼女には惜しみない称賛を送りたい。同時に、彼女が心に負った深い傷を考えると、この先の人生で、より大きな安らぎがもたらされることを祈らずにはいられない。
タラは現在でも、両親、そして家族への愛情を捨ててはいない。たとえ両親が、本書の内容が虚偽に満ちているものだと声明を出したとしても。
彼女を深い闇から救ったものの存在を考えるとき、もっとも強い力を持っていたのは教育であることは間違いないが、同時に、彼女自身の美しい歌声も彼女を支えた要素のひとつだったのではと思う。今でも歌い続けているタラの姿に救いを感じるのは、私だけではないだろう。
二〇二〇年九月 村井理子
訳者略歴
翻訳家、エッセイスト。
1970年静岡県生まれ。琵琶湖湖畔で、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らす。主な訳書に『メイドの手帖』『サカナ・レッスン』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』。著書に『兄の終い』『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『犬(きみ)がいるから』『村井さんちの生活』など。