テロリストvs普通の若者! イーストウッドが惚れ込んだ衝撃の実話。映画化原作『15時17分、パリ行き』訳者あとがき公開
※クリント・イーストウッド監督の最新作『15時17分、パリ行き』。その原作は、2015年8月21日にテロを未然に防いだ若者たちが自ら語ったノンフィクション。
彼らは何を思い、行動に出たのか? 衝撃の現場とともに、彼らの軌跡を描いた『15時17分、パリ行き』(ハヤカワ文庫)を2月9日に発売します。その読みどころを、田口俊樹氏による「訳者あとがき」でご紹介します。
訳者あとがき
田口俊樹
2015年はフランスという国にとってまさにテロ受難の年だった。1月には風刺週刊誌を発行している《シャルリー・エブド》本社が複数のテロ犯に襲われ、風刺漫画の作者ら12名が殺害される。この事件については、犠牲者との連帯を表明することば「私はシャルリー」がSNSで世界に拡散し、犠牲者を悼いたむデモ行進には、明らかにメディア向けとはいえ、イギリス、ドイツ、トルコなどの首相も参加した。さらに11月には、いわゆるパリ同時多発テロが発生し、死者130名、負傷者300超という大惨事となる。
同年8月21日、テロを目論み、重武装したモロッコ人の青年が15時17分アムステルダム発パリ行きの国際高速列車〈タリス〉に乗り込む。この列車に休暇中のアメリカの3人の若者がたまたま乗り合わせていなければ、不吉なことを言うようだが、フランスの受難がもうひとつ増えていたかもしれない。
本書は、下手をすればこれまた大惨事になりかねなかったその列車テロ未遂事件の詳細と事件に至るまでの経緯、その後日譚、テロを未然に防いだ三人の若者とテロ未遂犯の若者のそれまでの人生を丁寧に追った出色のノンフィクションである。
まずプロローグでは、3人の若者のひとり、アンソニーの眼から見た息づまる事件の現場が再現され、第一部では、まさに英雄的行動を示す若者のひとり、スペンサーが主役となり、第二部ではそれを3人目の若者、アレクが引き継ぎ、第三部でまたアンソニーの視点に戻って、主に事件後の3人の当惑ぶりが語られる。また、プロローグ、第一部、第二部を通して、テロ未遂犯アイユーブの生い立ちと事件を惹き起こすまでの足取りが克明に描かれ、このモロッコの青年も、英雄となったアメリカの3人の青年同様、ごく普通の若者であったことが読者に知らされる。
そんな普通の若者がどうしてここまでおぞましい凶行に及ぼうとしたのか。その心の闇にまでは踏み込んでいないが、《シャルリー・エブド》事件に対する世界の大方の反応に対して──イスラム教徒としては当然の憤りだろうが──アイユーブが抑えようのない憤りを覚えたというくだりは示唆的だ。
テロは断じて容認されるものではない。が、風刺というのは強者に報いる一矢のようなものだ。社会的弱者を揶揄して何を笑おうというだろう? この襲撃事件以前にも《シャルリー・エブド》社には編集部に火炎瓶が投げ込まれるといった事件が起きており、同社はフランス政府から自粛を求められていたという。《シャルリー・エブド》事件にはそんな背景があった。
一方、こうしたテロが起こるたび、民衆の恐怖をむやみに煽り、取り締まりや管理体制の強化を声高に訴える政治家がまたぞろ出てきて勢いを得る。社会も不寛容に傾き、委縮する。本書でも触れられているとおり、これこそテロリストの思うつぼである。また、監視社会を築けば、それでテロを防げるというものでもない。現にアイユーブもフランス当局に合法的に監視されていなければ、職を失うこともなかったかもしれない。職を失わなければ、そもそもこのような事件など起きていなかったかもしれない。テロ対策の一筋縄ではいかないところだ。
本書は、列車テロ未遂事件の緊迫した場面については言うまでもないが、一躍世界的な英雄になった、3人の普通の若者の普通ぶりがユーモアを交えて描かれ、そこもまた読みどころになっている。子供の頃の三人の腕白ぶり、事件後、アメリカ大使公邸に招かれた3人のはしゃぎぶり、オバマ大統領との謁見場面など、思わず頬がゆるむ。
それでも、本書を通読して多くの読者の心になにより強く残るのは、よくもまあこれほどの偶然が重なったものだということではないだろうか。そのことについては本書の中でも繰り返し言及されているが、そもそも3人はなぜ一度は取りやめようと思った予定をもとに戻したのか。旅先で会う人ごとにパリ行きはやめたほうがいいと言われ、三人ともアムステルダムという市(まち)があれほど気に入っていたのに。アムステルダムにとどまる理由はいくらもあり、アムステルダムをあとにする理由は誰にも何もなく、実際、一度はパリ行きの延期を決めさえするのに。
ほかにも決定的な偶然がある。にわかには信じられないような偶然だ。あえてここには書かないが、その偶然がなかったら、いったいどんなことになっていたのか。何人、何十人もの乗客の命が奪われていた可能性は決して低くない。
本書の巻頭には、19世紀のフランスの文学者ゴーティエの箴言が引かれているが、まことに当を得た引用だ。偶然もここまで重なると確かに神がかってくる。どこかに神の署名を探したくなる。しかし、奇跡のような偶然がいくつ重なろうと、テロを根絶することはできない。言うまでもない。サクラメントに錦を飾ったアンソニーはその祝賀式典でアレクに言われて気づく。州の議事堂の屋根の上にはスナイパーが配置されており、自分たちを警護していることに。そのとき彼は危険が依然としてすぐそこにあることを改めて悟るのである。
本書はクリント・イーストウッド監督の手で映画化され、全米で2月、日本では3月に劇場公開される。イーストウッド作品の前二作は『アメリカン・スナイパー』と『ハドソン川の奇跡』で、今回は『15時17分、パリ行き』。3作とも実話に基づく英雄ものだ。が、今回の作品にはなんとアンソニー、スペンサー、アレク自身が本人役で主演している。イーストウッドによれば、最初はもちろんプロの俳優を探したそうだが、ふと思いついて本人たちを試したら、3人が3人とも天賦の才を持っていたということだ。試写を見せてもらった感想を言えば、確かに3人の演技はなかなかどうして堂に入っている。原作にはないスペンサーの子供の頃の祈りのことばが胸に残る名作である。
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(書影はAmazonにリンクしています)
アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン、ジェフリー・E・スターン『15時17分、パリ行き』(田口俊樹・不二淑子 訳、本体900円+税)は、早川書房より2月9日に発売です。