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妻と離れ離れになったホロコースト生還者の手記『アウシュヴィッツで君を想う』本文試し読み

ユダヤ系オランダ人のハンスは妻とともにアウシュヴィッツ強制収容所に送られた。死と背中合わせの絶望の淵で、人は誰かを愛することができるのか?
過酷極まる状況下で事実を書き留めた生還者による『アウシュヴィッツで君を想う』(エディ・デ・ウィンド、塩﨑香織訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)から本文を一部試し読みで公開します。
大戦終結間際、ドイツ軍は残虐な行為の証拠を隠滅するために設備破壊や書類焼却を行ない、ホロコースト犠牲者が戦後社会的に認知されるまでには相当の時間を要しました。実際に収容所内で起きていたのは――

『アウシュヴィッツで君を想う』エディ・デ・ウィンド、塩﨑香織訳、早川書房、ハヤカワ・ノンフィクション文庫
『アウシュヴィッツで君を想う』
ハヤカワ・ノンフィクション文庫
「誰もが名前を聞いたことがある、あの殺戮の場所を生き延びた者の日々の記録。真実の知識を、生の声を知ってほしい。」深緑野分(小説家)推薦

ウェステルボルクの通過収容所内で医師として働いていた27歳のハンスは、看護婦のフリーデルと出会い結婚する。1943年9月、ポーランドの「どこか」に突如移送されることになった彼ら抑留者たちは、厳重な警護のもと有無を言わさず列車に乗せられる。

 食事は与えられなかった(3日のあいだ、一度も)。出発する時に積み込まれた食べものはいつの間にか消えていた。もっともそんなことはまったく気にならなかった。自分で持ち込んだ分がまだたっぷりあったからだ。時々、トイレの代わりのバケツを空にするために、何人かが外に出ることを許された。そこで爆撃の爪痕を目にするとうれしくなったが、ほかは特にこれといったこともなく、旅は続いた。3日目に行き先がわかる。アウシュヴィッツ。それはただの単語であって、よくも悪くも意味をもった言葉ではなかった。
 その晩、彼らはアウシュヴィッツの降車場に到着した。

 列車は停まり、しばらく動かなかった。乗客が気を揉みはじめる。いったいどうなっているんだ、アウシュヴィッツに着いたのなら降ろしてくれ、どんなところなのか見せてくれ。

 そしてその時が来た。
 夜が明けようとする頃、列車は再び動き出した。数分走り、広々とした野原に築かれた土手で停止する。そこが終点だった。土手に沿って、10人から12人ほどの男たちが立っていた。みな青と白の縦縞の服にそろいの帽子をかぶっている。大勢のSS〔親衛隊〕隊員がやたら忙しそうに歩き回っている。

 列車の動きが止まると、奇妙な服装の男たちがすぐさま駆け寄り、貨車の扉を開けた。「荷物をよこせ。全部出せ」まさか。衝撃が走った。移送者たちはすべてを奪われることを知り、どうしても手放したくないものを着ている服の隙間にあたふたとねじ込む。だが例の男たちはもう貨車に乗り込んでいて、荷物も人間もかまわず外に投げ出しはじめる。そこで移送者たちはためらいながら貨車を降りた。するとすぐに四方八方からSS隊員が寄ってきて、線路と並行に延びる道に下りろと急き立てた。迷っている暇はない。もたもたしていると、蹴飛ばされたり、棒でたたかれたりする。こうして、誰もがたちまちのうちに列車のそばを離れ、自然に長い列ができていった。

 ここにきて、ハンスはようやく確信した。フリーデルと一緒にはいられない。この先は男女別々だ。ハンスはフリーデルに素早くキスをして言った。「またね」――それが最後だった。前方に将校が一人、棒を持って立っていて、列の全体はゆっくりとそちらに向かっている。将校は移送者のひとりひとりにちらと視線を走らせ、棒を動かしながら言う。「左……右……」左に行けと言われるのは、年寄り、体の不自由な者、18歳くらいまでの子ども。右には若者と体の丈夫そうな者が振り分けられていた。

 ハンスも将校のほうに近づいていたが、フリーデルから目を離せなかった。彼女は数メートル離れた女性の列で順番を待っていて、ハンスに笑いかけた。「心配しないで。大丈夫」と言うかのように。

 フリーデルに気をとられていたハンスは、将校(じつは医官だとあとでわかる)に年齢を尋ねられたのを聞き損なった。将校は返事がないことに腹を立て、ハンスを棒で殴りつけ、そのまま左側の列にはじいた。

 つまり運のない者の列だ。年寄りが多い。ハンスの隣の人は目が見えないようだ。向かいは男の子だが、知的障碍(しょうがい)があるのだろうか。ハンスは恐怖に唇を噛む。ここにいる子どもや年配の人たちと運命をともにするのは嫌だ。強くなければ生きられない、それはハンスも理解していた。かといって勝手に右側の列に移ることもできない。いたるところでSS隊員が小銃を構えて目を光らせているのだ。

 フリーデルは若い女性たちの列に振り分けられた。年配の女性と子連れの女性はまた別の列だ。こうして四本の列ができる。若い女性が150人前後、若い男性も同じくらい。残りの700人は男女それぞれの列のまま、道の端に立たされた。

 先ほどの将校がまた姿を見せ、ハンスのいる列に向かって言った。
「この中に医者はいるか」
 4人が前に飛び出した。将校は年配のファン・デル・カウスに質問した。アムステルダムで開業医をしていた人だ。「オランダの収容所ではどんな疾患がみられた?」
 ファン・デル・カウスは口ごもり、眼病について何か言いかけた。将校は苛立って顔を背ける。
 ハンスは待ってましたとばかりに声を上げた。「感染症についてお尋ねでしょうか。猩紅熱(しょうこうねつ)の散発例がありましたが、悪性のものではありません」
「発疹チフスは?」
「皆無です」
「わかった、全員列に戻れ」そして副官に言った。「あいつは連れて行く」
 副官はハンスに合図し、若者の列の最後尾につかせた。自分はいま、大きな危険から逃れた。ハンスはそう思った。まさに間一髪。もうトラックが来ていて、年寄りたちはトラックに乗せられていたのだから。

 ハンスは、この時初めてSSの本性を目の当たりにした。突き飛ばされ、足蹴にされ、殴りつけられる人たち。トラックの荷台は高いので、なかなかうまくよじ登れない人もいる。だが、ぐずぐずしていると棒で打たれる。だからみな必死になって一刻も早く荷台に上がろうとする。

 老女が頭を殴られた。出血がひどい。そのために何人かがトラックに乗りそこねる。見かねて手を貸そうとした人は、蹴飛ばされたり、怒鳴りつけられたりして追い払われる。

 最後のトラックが到着した。SS隊員2人が年取った男性の手足をつかみ、荷台に放り投げた。このあたりで、若い女性の列が動きだした。フリーデルの姿は見えなかったが、その列にいることは確かだ。女性たちが2、300メートル離れると、男性の列も同じように歩きはじめた。

 男女の列は厳重に監視されていた。銃を持った歩哨が両側を固めている。抑留者およそ10人に歩哨が1人というところか。ハンスは列の後ろのほうにいたが、左右について歩いている歩哨が目配せを交わしたのに気がついた。2人はちらと周囲の様子をうかがうと、左側の歩哨がハンスに歩み寄り、腕時計をよこせと言った。秒針付きの立派な時計は、医学部を卒業した時に母親から贈られたものだ。

「いや、これは仕事で必要なので。自分は医者なんです」
 歩哨はにやっとした。「クソ医者、この間抜け! 時計を出せ!」そしてハンスの腕をつかみ、時計を取り上げにかかる。ハンスが思わずその手を払いのけようとすると、銃口が向けられた。「なるほど、逃走の意図ありか」

 そんなにも無力なのだ。ハンスは悟った。アウシュヴィッツ1日目にして〈逃走中射殺〉はごめんだ。ハンスは自分で時計を外し、歩哨に渡した。

 線路を横切った時、角を曲がろうとしているフリーデルが見えた。手を振る彼女の姿にほっとしてため息をつく。線路を越えたところには遮断機と警衛所。そこを通ってさらに進むと、ようやく収容所の構内に入ったらしかった。建材置き場のようで、物置小屋が並び、地面にも材木や煉瓦(れんが)が山と積まれていた。トロッコの軌道が敷かれている。男たちが荷車を引いていく。道の両側にはしっかりした建物がまばらに建っていた。工場なのか、ブーンとエンジンの音がする。その前を通りすぎると、また材木と煉瓦の山、そして物置。クレーンがセメント桶を釣り上げている。忙しく活気にあふれる中で工事が進んでいることはわかる。ただ、クレーンやトロッコよりも囚人服の男たちがやたらと目につく。ここには動力化(モータリゼーシヨン)の波は及んでいない。その代わりに、何千何万という人が手を動かしている。

 蒸気は便利だ。電気は効率的で、何百キロと離れた場所でも使える。ガソリンは手軽で馬力がある。だが人力は安くつく。それは腹をすかせた目を見ればわかる。裸の上半身には肋骨が浮き上がり、体を支えるのもやっとの状態だ。そんな男たちが列をなし、体を引きずるようにして煉瓦を運んでいる。木靴を履いていればましなほうで、ほとんどは裸足だ。彼らは空を見上げたり、周りを見回したりすることもない。まったくの無表情でただ前に進んでいる。新しく到着した連中に対する反応も一切なかった。時々、荷台に煉瓦を積み上げたトラクターが列の後ろにつく。低く唸(うな)るエンジン。ハンスは思わず、ヨットで海に出た夜のことを考える。貨物船が煙を吐きながら通っていく音がよみがえる。

 あの頃の毎日は、あの時自分が思い描いていた人生はどれほど輝いていたことか。ハンスは勇気を奮(ふる)い起こす。くよくよしても始まらない。戦わねば。またいつかあんな日々が来ないとも限らない。

 ハンスたちは正門の前に立ち止まり、初めて収容所を目にした。兵舎のような煉瓦の大きな建物が並んでいる。全部で25ほどあるだろうか。どれも2階建てに屋根裏部屋がある造りで、ちゃんとした屋根の下に小さな窓が見える。建物と建物のあいだにはしっかりした道が通っている。歩道の敷石はまともだし、ちょっとした芝生もある。すべてが整然と手入れされ、秋の陽光を浴びて輝いていた。

 模範村のひとつという見方もできただろう。何千人という労働者が価値ある仕事に従事している収容所なのだから。正門の上には、強制収容所の標語「働けば自由になる」が掲げられている。含みのある危険な教えだ。この門から収容所に足を踏み入れる者、あるいはドイツのどこかで同じような門をくぐった無数の人々を安心させるための暗示。

 だがそれはまったくの幻想だ。この門は地獄の門以外の何ものでもない。「働けば自由になる」どころか「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」がふさわしい。なぜ地獄か。それは収容所の周囲に高圧線が張りめぐらされているからだ。きれいに漆喰(しっくい)が塗られたコンクリート支柱。1本の高さ3メートルのそれを二重に並べ、とげで覆われた絶縁体を渡してある。鉄線はいかにも頑丈そうで、簡単に突破できそうにないことは見ればわかる。だが、見ただけではわからないもののほうがじつは恐ろしい。鉄線に流れる3000ボルトの高圧電流。それを示すのは、ぽつぽつとともる赤いランプと、10メートルごとにある標識だけ。ドクロの絵にドイツ語とポーランド語で、Halt、Stój(止まれ)と書いた小さなものだ。

 鉄条網で囲んでも、狙撃ができなければ封鎖は完璧とはいえない。だから100メートルおきに監視塔があり、SSの兵士が機関銃を構えている。


ハンスと引き離された妻フリーデルが収容された実験棟では「教授」を名乗る男が人体実験を繰り返しているという噂が流れてくる。ハンスは、有刺鉄線に囲まれた収容所内で、想いを寄せる妻に再会できるのか……?

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▶この記事で紹介した本の概要

『アウシュヴィッツで君を想う』
著者:エディ・デ・ウィンド
訳者:塩﨑香織
装画:伊藤彰剛
出版社:早川書房(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
発売日:2023年3月7日
税込価格:1,496円

|| 著者紹介 ||
エディ・デ・ウィンド(Eddy de Wind)
ユダヤ系オランダ人の精神科医・精神分析家。1916年オランダ・ハーグ生まれ。ライデン大学医学部卒業後、ウェステルボルク通過収容所に医師として志願。収容所で出会い結婚した妻とともに1943年9月アウシュヴィッツ強制収容所に移送される。1945年1月のアウシュヴィッツ解放後も現地にとどまり、医師としての勤務のかたわら本書を執筆。オランダ帰国後の1946年に出版された。その後は医師として収容所からの生還者が抱えるトラウマの問題にも取り組んだ。1987年没。

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