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ホームズ最後の戦い! ホームズ×クトゥルー・パスティーシュ第三弾『シャーロック・ホームズとサセックスの海魔』訳者・日暮雅通氏あとがき

シャーロック・ホームズ×クトゥルーの旧き神々という驚異のパスティーシュ、《クトゥルー・ケースブック》三部作。待望の第3弾『シャーロック・サセックスの海魔』の発売です!

本欄では、翻訳者・日暮雅通氏によるあとがきを掲載します。

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解説(あとがきにかえて)   日暮雅通

 英国の作家ジェイムズ・ラヴグローヴによる〝クトゥルー・ケースブック〟三部作も、ついに最後の3作目となった。ラヴグローヴがどんな結末を用意しているのかが気になっていた方は、多いと思う。これまでの設定からして、あるいは本書のタイトルからして、ホームズの隠退後、サセックス州のイーストボーンで事件が起きることは明らかだったが、このような展開になると予想しただろうか。

 過去の2作で書いてきたように、このシリーズは、本来のホームズ物語(正典)が実はワトスンの巧妙な創作によるもので、真実は別にあったという設定のパスティーシュである。1880年にワトスンと出会ったホームズが、本来なら信じるはずのないクトゥルー神話世界の神々やおぞましいモンスターに遭遇し、人類世界を守るための戦いを始めるのが、1作目の『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』。そのときに生まれた宿敵が姿を変え、15年後の1895年にふたたびホームズたちと対決するのが、2作目の『シャーロック・ホームズとミスカトニックの怪』。そしてクトゥルー神話世界の神どうしの争いに巻き込まれ、ホームズ自身の最後の戦いとなるのが、3作目の本書だ。

 1作目の解説にも書いたように、合理主義者であるホームズの世界と、それとはまったく異質のコズミック・ホラーの世界をどう融合させるかが、いちばんの問題だが、ラヴグローヴは正典の一種のオルタナティブ・ヒストリーのようなかたちで、ワトスンに〝真実版〟正典を語らせたわけである。

 この三部作誕生のいきさつは、2022年1月にショーン・マイケル・マローン(ラヴクラフトものの作家)が聞き手となったインタビューで語られている。それによると、当時タイタン・ブックスの編集者だったミランダ・ジュエスがもちかけたアイデアだとのこと。彼女の名前をどこかで聞いたという人はいないだろうか。そう、1作目の献辞に登場する人物なのだ。

 とはいえ、ラヴクラフト的なラヴクラフティアン、あるいはクトゥルー神話的な作品とホームズ物語を融合させたホームズ・パロディ/パスティーシュを考えたのは、彼女が最初ではなかった。ホームズがH・P・ラヴクラフトと出会い、クトゥルー神話のモンスターと戦うという作品が、1983年に発表されているのだ。ラルフ・E・ヴォーンによる“The Adventure of the Ancient Gods”という短篇で、ファンジンであるThe Holmesian Federation の第4号に掲載されたのだが、その後若干の改訂をされて、商業出版物と言えるチャップブック Sherlock Holmes in the Adventure of the Ancient Gods としてグリフォン・ブックスから1990年に刊行された。

 ミスカトニック大学の言語学教授が語り手となるこの作品は、「名探偵がクトゥルー神話の怪物や神々に遭遇した最初の物語であり、その後数十年にわたって作家たちにインスピレーションを与えた」などとWebサイトで書かれているが、ひとつの作品の中にホームズ物語とラヴクラフト的作品が同居しているという例なら、1971年のファンジンにすでに掲載されていた。しかも、その作品は1955年に発表されたものの再録なので、かなり古いものということになる。

 ただ、エドワード・ルドウィグによるによるその短篇“The Martian Who Hated People”は、〝人嫌いの火星人〟を共通要素にもつ3つのストーリーから成り、それぞれがレイ・ブラッドベリ、ラヴクラフト、コナン・ドイルの文体(様式)で書かれているという技巧を凝らしたものなのだが、ホームズとクトゥルー神話の世界が融合しているわけでないのが、残念なところだ。

 1984年にも、Pulptime: being a singular adventure of Sherlock Holmes, H.P. Lovecraft, and the Kalem Club, as if narrated by Frank Belknap Long, Jr というタイトルの長篇をP・H・キャノンが出しているが、これも残念ながら、真っ向からの〝ホームズ対クトゥルー〟ではない。

 前述のラルフ・ヴォーンも、その後クトゥルー神話とホームズ物語のクロスオーバー作品をいくつか書いたが、大きな注目を浴びることはなかった。

 一方、ホームズ・パスティーシュ全体としては、1990年代あたりからワンテーマ書き下ろしアンソロジーが一種のブームとなった。「クリスマス」や「SF」「アメリカ」といったテーマと並び、「クトゥルー神話(ラヴクラフト)」をテーマにした書き下ろし短篇をまとめたのが、マイケル・リーヴス&ジョン・ペラン編のShadows Over Baker Street(バランタイン、2003年)である。収録作のうちニール・ゲイマンの「翠色エメラルドの習作」とティム・レボンの「無貌の神の恐怖」はこれまでに訳出されているが、単行本は東京創元社から刊行が予定されている。

 そして2010年代になると、SF/ファンタジー系やホラー系の作家がクロスオーバーのホームズ・パスティーシュを盛んに書くようになった。ラヴクラフティアン作家と呼ばれる人たちも、ホームズものに手を染めるようになったのだ。まだ長篇は少ないが、ロイス・グレシュのクトゥルー・ホームズもの三部作(2017年のSherlock Holmes vs. Cthulhu: The Adventure of the Deadly Dimensions ほか)などが注目どころだろう。

 クトゥルー・テーマがホームズ物語と同様、ゲームの世界でも人気があることは、ご存じだろう。つい最近も、2007年につくられたクトゥルー神話をモチーフにしたビデオゲームSherlock Holmes: The Awakened が、戦時下のウクライナでリメイク&配信されたと聞いて、驚いた記憶がある。

 日本の場合はまだそこまでいっていないが、『ホームズ鬼譚〜異次元の色彩』(山田正紀、北原尚彦、フーゴ・ハル著、創土社、2013年)が、ここ十年でいちばんの秀作と言えるだろう。「ひとつのクトゥルー作品をテーマに三人の作家が小説、ゲームブック、漫画などの様々な形で競作するオマージュ・アンソロジー」という、非常にユニークな作品である。

 最後に、この三部作と番外篇の短篇、および今年10月に刊行された〝スタンドアローン〟長篇を加えた、時系列リストを載せておこう。「H」はホームズ、「W」はワトスンである。

 今回も、クトゥルー神話関係のカタカナ表記やルルイエ語は、特にどの文献に準拠したというわけではないということをお断りしておく。また、訳出にあたっては、府川由美恵氏と野下祥子氏にご協力いただいた。記して感謝したい。

 2023年10月 訳者

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『ネクロノミコン』を精読し、ルルイエ語を操る異形のシャーロック・ホームズ。この物語は、その最後の挨拶である。
     ――森瀬繚(クトゥルー神話研究家、翻訳家)

『シャーロック・ホームズとサセックスの海魔』
Sherlock Holmes and the Sussex Sea-Devils
ジェイムズ・ラヴグローヴ
日暮雅通 訳
装画/鈴木康士  装幀/albireo
ハヤカワ文庫FT/電子書籍版
1,496円(税込)
2023年11月21日発売


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