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小川楽喜『標本作家』第二章➄ ロバート・ノーマン 二十二世紀のミステリー作家



小川楽喜『標本作家』(四六判・上製)
刊行日:2023年1月24日(電子版同時配信)
定価:2,530円(10%税込)
装幀:坂野公一(welle design)
ISBN:9784152102065




(第11節はこちらの記事に掲載しています。)



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 ロバート・ノーマン。二十二世紀のミステリー作家。
 ミステリー小説をとりまく情勢は、二十二世紀に大転換をむかえることになります。インターネット上で「ミステリー小説の世界に飛びこむ」ということを試みたゲームが開始され、そこから数々の名作が発表されるようになったのです。
 そのゲームは〈かいしがたき倫敦ロンドン〉というもので、仮想空間につくられたロンドンを舞台に、現実とは異なるもうひとりの自分になりきって、そこでの生活を送っていきます。
〈解しがたき倫敦〉では、推理小説で発生するような殺人事件や事故が多発します。参加者は、それらに介入する探偵や刑事として活動することもできますし、被害者になることも、目撃者になることも、そして犯人になることもできるのです。
 自分がどういった立場になるかは、ゲーム参加時に選択可能です。「探偵」を選べば、ロンドンを拠点に探偵業を営む人物として登録されます。「犯人」を選べば、ロンドンでどういった犯罪に手を染めるのか、どういうトリックでその犯罪を隠すのか、といったことをゲーム提供側──ゲームマスターと呼ばれる者──と相談し、計画性を高め、最終的に認可されれば、その犯罪がゲームに反映されるようになります。
「探偵」を選んだプレイヤーと「犯人」を選んだプレイヤーは、仮想空間上で対決します。「犯人」が巻き起こした事件について、「探偵」がその謎解きをし、トリックを暴き、みごと解決できたら「探偵」の勝利。解決できずに一定期間がすぎれば「犯人」の勝利。という、基本的なシステムは非常に明快なゲームです。無論、プロの作家ではない一般人同士の対決では、ミステリー小説における高度なトリックも謎解きも、その水準を維持できない恐れがあるでしょう。そこで、参加者とは別に、ゲームマスター自身があやつる探偵や犯人も用意して、それらをゲームに混在させることで、全体のレベルを底上げすることに成功しました。ゲームマスターがあやつる探偵には、古今東西、ミステリーファンのあいだで名の知れた者たちがそろっています。C・オーギュスト・デュパン。シャーロック・ホームズ。セクストン・ブレイク。エルキュール・ポアロ。隅の老人。ソーンダイク博士。ファイロ・ヴァンス。ピーター・ウィムジイ。ヴァン・ドゥーゼン教授。エラリイ・クイーン。V・I・ウォーショースキー。霍桑ホーソン。金田一耕助。ブラウン神父。……等々、そうそうたる面々が集っており、それぞれがそれぞれの意思で同じ事件に介入したり、別々の事件にかかわったりと、日々、犯罪の多発する仮想空間で活躍しつづけています。
 ゲームマスターが動かすこれらの著名な探偵たちは、ただ単にその名前を借りているだけではありません。原作の小説どおりの人物像をしており、参加者は、彼らと交流することもできるのです。その台詞まわしや仕草、性格、態度、行動、すべてが原作に忠実で、映像的にもそっくりに再現されているため、その探偵のファンならば逢うだけでも価値のあるひとときになるでしょう。あたかも原作から抜け出てきたような彼らを相手に、自分もまた探偵として推理合戦を挑むこともできますし、犯人として、自分の考えたトリックがどこまで探偵たちに通用するのか試すこともできます。また、探偵でも犯人でもなく、捜査に協力する一市民として参加することもできるので、謎解きが苦手な人でもゲームを楽しめるように趣向が凝らされています。じっさい、〈解しがたき倫敦〉が盛況になった最大の理由はそこです。各地で発生する事件やその解決を第三者視点で観ているだけでも楽しめるうえ、さまざまな探偵たちと会話したり、親密になったりできるので、それを求めて〈解しがたき倫敦〉に参加する者は後をたちませんでした。シャーロック・ホームズの暮らすベイカー街221B周辺は、つねにその居住権をめぐってプレイヤー間で取引なり争奪戦なりがおこなわれていたという話です。
 ただ、どのような立場で参加するにしろ、総じて高額でした。当時の最新鋭ヴァーチャル・リアリティ・システムを使って、五感すべてをゲームと同調させる必要があり──視覚・聴覚だけでなく、味や匂い、物体の質感なども謎解きのヒントになるかもしれないので──、そのための設備導入も高価なものでした。実質、富裕層のみに提供されたサービスで、標準的な所得の者にはとても手の出せない娯楽でした。しかしそれでも〈解しがたき倫敦〉は話題となり、商業的に充分な成功をおさめました。
 このゲームが大衆化したのは、そうした経緯で解決された事件の数々を小説化し、出版されるようになってからです。〈解しがたき倫敦〉シリーズと呼ばれるこの小説は、単なるゲームのノベライズというだけでなく、その内容の質の高さ、文章力、プロットの妙、テーマ性などが評価され、文学的にも価値のあるものと認められるようになりました。著者名はロバート・ノーマン。このとき、はじめてゲームマスターが誰だったのか、ホームズやポアロを動かしていたのが誰だったのかが判明しました。作業量からして複数のゲームマスターが存在すると考えられていたのに、彼ひとりですべての名探偵を動かし、ゲームを進行させていたというのですから、その筆の速さ、執筆量は、ある意味でバーバラ・バートンのそれをも凌駕していたといってもいいでしょう。彼は、一介のゲームマスターから一躍、ミステリー小説界の俊英として脚光を浴びるようになったのです。
 世界じゅうの名探偵を甦らせることのできる作家。パスティーシュの天才。原作を超えたミステリーの書き手。──そうした異名が、ロバート・ノーマンへと贈られました。たしかに、彼による過去の名探偵の描写は的確でした。その人物像は原作ファンも納得する精緻さと生々しさを誇っており、しかも彼は、複数の探偵の個性を書きわけることができるのです。〈解しがたき倫敦〉で起こった事件をもとに執筆される作品のなかには、ロバート自身が創作したオリジナルの探偵や、ゲームの参加者による探偵を主役にしたものもありますが、やはり注目度という点では過去の名探偵──特にシャーロック・ホームズや、エルキュール・ポアロ──の小説の人気が高く、よく売れました。
 ロバート・ノーマンの登場によってミステリー小説界は変革しました。新たなムーブメントは〈解しがたき倫敦〉から生まれるようになり、ほかのミステリー作家もこぞってそこへと参加するようになりました。一般人だけでなくプロの作家による新作や実験作の発表の場としても機能しはじめ、〈解しがたき倫敦〉はますます繁栄するようになったのです。
 ……だというのに、ある時期を境にロバートはこの仮想空間から手を引いてしまいます。ゲームマスターとしての仕事を後任に引き継がせ、彼自身は純粋な小説家として活動するようになりました。なぜか。彼の興味が──謎解きの対象が、犯罪や推理小説から、もっと別のものへと移ったからです。
 彼には、かねてより疑問に思っていたことがありました。なぜ自分は、自分がつくったわけでもない過去の名探偵たちを著述することができるのか──。人間は情報のかたまりだ。他人が一生かけても、その人間のすべてを知り尽くすことはできないだろう。なのに、自分は、どういうわけか過去の名探偵たちを甦らせ、違和感なく作品として仕上げることができている。本当はどの探偵のことも知り尽くしているわけではないのに──。過去の原作者の作品を読みとって、その人物像を自分のなかにも宿らせることができている。これはいったい、どういう理屈によって成立している現象なのだろうか。人間のパーソナリティーとは、小説などの媒体によって、そのすべてを語り尽くさずとも伝達可能なものなのだろうか。だとするなら、語り尽くされずに残ったその人間の「情報」に意味はあるのか。あってもなくてもいいものなのか。……自分はいったい、その探偵のふるまいの表層をなぞっているにすぎないのか、それとも無意識的な領域で、その精神の深奥にまで到達できているのか。表層をなぞっているからこそ描写できるのか、深奥にまで通じているからこそ著述できるのか。わからない。これは大いなる謎だ──と、ロバートは、そう考えるようになっていったのです。
 ロバートほどではなくとも、この疑問へとつながる経験は、多くの人にあるのではないでしょうか。多少の文才があれば、他者のつくったキャラクターをそれらしく描写して、動かすことができます。しかし、それがなぜ可能になるのかを深く考えた者は……ロバートほど深刻に考えた者は、少ないかもしれません。
 どこまでの情報を受けとれば、その人物をその人物として著述できるようになるのでしょう。実在しない人物に、生命をふきこむことができるのでしょう。従来の推理小説とは趣が違いますが、これもまたミステリーといえるのではないでしょうか。パスティーシュの天才たるロバートだからこそ気づくことのできた謎だともいえます。彼は、その後、この謎を解き明かすために才能のすべてをそそぎこみ、おのれの生涯をささげることになります。
 そうして落ちぶれ、死んでしまいました。
 何もえられずに。謎も解き明かせずに。──〈解しがたき倫敦〉を去ってからのロバート・ノーマンは、不遇の人生を歩みました。それまでの彼の作家人生を前期とし、以降を後期とするなら、この前後で明暗がわかれます。後期の彼の作品は、ややもすると哲学的で、娯楽性がうすく、難解なものになってしまいました。あいかわらずホームズやポアロを動かすのは天才的に巧いのですが、意図的にその技巧をくずして「その人物らしくない」描写をしたり、殺人事件をあつかわずに観念的な謎に迫ったりと、実験的な試みを多用するようになったのです。結果、原作ファンの反感を買い、人気は低迷、作家としての地位も評価も散々なものになりました。
 ロバートが撤退したあとの〈解しがたき倫敦〉も衰退しました。稀代のゲームマスターだった彼の代わりをつとめられる者などおらず、その内容は低質化の一途をたどって、最後にはサービス停止となり、廃れていったのです。
 こうして、前期にはミステリー界の俊英として、後期には読者に理解されない奇人としての人生を送ったロバートは、それでもその才と功績を認められて〈終古の人籃〉へとやってきました。彼は〈異才混淆〉に協力する見返りとして、ほかの作家と比べても飛びぬけて奇矯なことを願いました。
 それは、自分自身をフィクションの存在にすること。肉体も精神も生命も虚構のものにして、おのれを知っている者らの著述によりて、その存在性を証明してもらうこと。
 ……つまりは、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポアロと同等の存在になろうとしたのです。これまで自分が書いてきた小説内の人物と同じように、実在してはおらぬのに、誰かが筆をふるえばその人物像が浮かび上がってくるような虚構性、それをこそ求めました。個体としての自己の消失。されど情報としての自己はたしかに保持され、他者の手によって再現可能になっている──そういう状態に陥ることで、彼は生前からの疑問に対する答えをみいだそうとしたのです。そう。彼はいまだに、その謎解きをあきらめてはいませんでした。果たして、どれだけの情報があればその人物をその人物として著述できるようになるのか。実在しない人物に、生命をふきこむことができるのか。そういった問題に決着をつけるため、彼は、わが身を犠牲にしてでも検証することを決意しました。そして玲伎種は、この願いに応じました。
 彼は実在の人物から、虚構の人物へと転生しました。
 ゆえに、この館にロバート・ノーマンという人間は存在しません。少なくとも物理的には。
 しかし私たちは、著述することで、いつでも彼を生みだし、再会することができます。たとえば、いま、このときでも。私が彼のことを意識して文章を書けば──……
 ……──……──かように、いつでも私は現われることができる。いま、この一人称の主は、メアリではない。ロバート・ノーマンだ。私はこのような形でしか現世に干渉することができない。が、それは、この私が望んだことだ。ロバート・ノーマンという人物像は、他者のなかに宿ることができるのか否か。また、いかなる原理によって宿りうるのか。それを知るために、私は、私自身の実在性を放棄した。諸君らは滑稽だと思うかね? 私の生涯を聞いて、そのありようを無様だと思ったかね? 体裁は気にしない。私にとっては、ほかのどのような謎よりも優先して取りくむべきミステリーの題材だったのだから。
 さて。私についてはメアリが長々と紹介してくれたので、あらためて付け加えることは少ない。あえて付記するなら、この状態の私が、いかにして小説を執筆しているのか、というたぐいの話か。なにも難しいことではない。まずは他者に私のことを著述してもらい、そこから物語を展開していくだけだ。私を主役にして書きすすめる小説というわけだ。まあ、小説内で行動している私と、その私を描写している他者の、そのどちらが執筆しているのか、どちらが作者といえるのかは、判断が難しいところだけれども──……
 ……──と、ロバートならきっとこう述べるのだろうな、という想念のもとで記しました。私が彼を描写したのか、彼によって私の筆が動かされたのかは、定かではありません。〈終古の人籃〉においては、ロバート・ノーマンという作家そのものが、ひとつの謎になっています。不在のミステリー作家。けれど、すべての作家の著述によりて姿をあらわす、虚構の事物。そういったものに彼は変じてしまったのです。
 自己の虚構化。──それは、完全に死んでいる状態と、なにがちがうのでしょう。そうなってまで、なにかを知ることは、できるのでしょうか。また、知りたいという欲求は、私とロバートの、どちらから湧きおこっているのでしょうか。作家はよく「登場人物が勝手に行動しはじめた」という、不可解な現象に見舞われることがあります。まさに、いまのロバートがそうなのです。この館にいる作家たちは皆、そうしたロバートの虚構性と自主性を感じつつ、彼と付き合っていかねばならないのでした。……
 

 (以下、第13節に続く)

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