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【11月21日(火)発売】村山早紀さん最新作『さやかに星はきらめき』試し読み公開

早川書房は、11月21日(火)に村山早紀さんの最新作『さやかに星はきらめき』を刊行いたします。地球が生き物の住めない星になってから数百年後、月に住むネコビト・・・・の編集者キャサリンが “人類すべてへの贈り物になるような本” を作るために、宇宙で語られるクリスマスの伝説を集める物語です。キャサリンが集めた伝説は作中作としてお楽しみいただけます。

今回は、第一話で語られる作中話「守護天使」を全文公開いたします。

村山早紀『さやかに星はきらめき』
装画:しまざきジョゼ/装幀:岡本歌織(next door design)
早川書房

あらすじ
母なる星地球が生物の住めない惑星と化してのち幾星霜。 人類と共に地球を離れた犬猫は、新しい人類 イヌビト(犬人)、ネコビト(猫人)へと進化し、「古き人類」ヒトとともに星の海で暮らしていた。月に住むネコビトの編集者キャサリンは、新聞社の記念事業として興された出版社で “人類すべてへの贈り物になるような本” を作ることになり、宇宙で語り伝えられるクリスマスの伝説を集めてゆく。はるか遠い星で開拓民の少女に“神様”が見せた奇跡を描く「守護天使」、歌や映画、ドラマを載せて銀河を駆ける宇宙帆船の誕生秘話「魔法の船」、時代を遡り、過去の地球での異星人と少女の交流を描く「ある魔女の物語」……。 人類への愛に満ちた珠玉の連作短篇集。

試し読み

守護天使

 昔々、いまよりずっと昔のこと。

 辺境の植民星で、助け合って暮らし、こつこつと開拓を進めていたひとびとがいた。

 はてしなく長い宇宙の旅の果てに出会えたその惑星は、気温こそ低く、冷たく強い風が時に嵐のように吹き荒れる地であったけれど、地球と環境がとてもよく似ていた。空の色が地球の懐かしい青色と違い、少し緑色がかっていたし、海の色もやはり緑がかっていたけれど、故郷に帰ってきたような、優しい懐かしさをひとびとは感じていた。

 風に乗って、高い空にうっすらと広がる雲の美しさや、砂浜に寄せる波の音が、地球のそれと似ていたからかも知れない。目を閉じれば、地球に帰ってきたようだ、とひとびとは懐かしい表情になり、笑い合った。失われた地球での暮らしの記憶が、まだかすかに残っていたり、親世代から聞かされて知っていたような、そんなひとびとがその船には乗っていたのだ。

 ひとびとは、四枚の羽根で空を舞う、鳥に似た生き物の群れを見上げ、海で跳ねる、ガラスのように透き通った姿の魚のようなものに目を見張り、沖の方で、朝夕に長い首を伸ばしてうたう、海竜としかいいようのないものの歌声に耳を傾けた。

 静かな星だった。

 この星のあるじと呼べるものはいないようで、まるで移民たちを待っていてくれたかのように、その星はそこにあったのだった。

 星に辿り着くまでの間に、移民船のいくつかは損なわれた。事故があり、船内での病の流行もあった。先のない旅に絶望して、自ら死を選んだ者たちもいた。太陽系へ帰ろうと試みて、船団に別れを告げた船もあった。

 長く辛い旅の果てに、わずかな数の船と、その乗員たちだけが、その静かな星に辿り着いたのだった。

 ひとびとは風に吹かれながら空を見上げ、星々に──神のような存在に感謝した。船のコンピュータや作業ロボットたちに助けられながら、この星を新しい故郷、みなが骨を埋める場所にしようと開拓を始めた。

 

 移民たちは、頑張った。歯を食いしばって、生きるための環境を作り上げようとした。

 奇跡的な偶然から、その星の大気は、地球人類がそのまま呼吸しても生存できる内容のものだった。その上、地球の生き物の飲用に適する成分の、清らかな水が大量にあり、空からは恵みの雨が降った。しかし困ったことに、人類が食する野菜や果物を育てるには、土が痩せていて、足りない元素が多すぎた。この星の表面を覆う植物らしきものは、大きなマリモのような形をしていて愛らしかったけれど、その葉も茎も固く、とげがあり、さらには毒になる成分も持っていたので、食用には向かなかった。その植物は風に吹かれて、大地の上を転がりながら移動する。つかまえて葉をとろうとするとひとの声に似た声で悲鳴を上げるので、食用にするべく毒抜きをして加工するのもためらわれた。

 土壌を整え、肥料を作り、痩せた土地をなんとか改良して、地球の植物を育てるための田畑を作ることになった。土は硬く、岩石も混じっていて、ロボットたちの助けを借り、機械を使っても耕すのに骨が折れた。

 けれど、それもこれも贅沢ぜいたくな悩みだと、移民星のひとびとは語り合い、うなずきあった。

 この星には大気がある。宇宙からの放射線から生き物を守り、主星である恒星が放つ熱をほどよくさえぎってくれる、優しい大気が。恒星との距離もほどよかった。近すぎれば焦がされ、飲み込まれるところを、あたかも故郷の地球のように、ほどよい距離で離れ、あたたかさの恵みだけを受けていたのだ。欲をいうなら、主星に対する軸の傾き具合から予測される、冬の時期の寒さと長さが気がかりだったけれど、それでも、熱さに焦げるより良いとひとびとは思った。大丈夫だ。寒いならあたたまれば良い。みんなで寄り添いあえば良い。

 地球よりわずかに体積が小さいせいか、重力は弱かった。けれど、移動も作業もしやすいと、ひとびとはむしろそれを幸運だと思った。軽く駆けるだけで、遠くまで行けるのだ。

 こんなに恵まれた星と出会えたことを、ひとびとは感謝した。母なる星にはもう帰れない。このまま銀河をあてもなくさまようのだろうかと思いながら、長いさすらいの旅を続けてきた、そんな自分たちを迎えてくれた星に、感謝した。

 ひとびとはその星での日々を重ねた。緑の空と、海竜が鳴く海を愛した。子どもたちは透明な魚と海を泳ぎ、四枚羽根の鳥を追いかけ、転がる植物をつついて荒野で遊んだ。おとなたちは、そんな子どもたちを見て、笑ったりした。

 その星の夕空は、緑の光がまるでエメラルドのように澄んで美しかった。ひとびとは庭に椅子を出して、吹きすぎる風に身を震わせながらも、温室で育てたコーヒー豆で作った、熱いコーヒーを楽しみながら談笑し、透きとおる空を飽きずに見上げたりしたものだった。

 けっして豊かとはいえない日々でも、ひとびとの暮らしには笑いがあり、穏やかな時間が流れた。そしてそのそばにはいつも、遠い故郷からともに旅してきた、ふわふわの毛皮を持つ古き友人たち──犬と猫がいた。

 彼らは、常に冷たい風が吹くその地で、ひとびとの心とからだに寄り添い、あたためてくれた。愛らしい仕草で笑わせてくれた。この星の未知の生き物が集落のそばをうろつくときには、犬たちが、その接近をいち早く知らせてくれ、勇敢な騎士のように追い払って、ひとびとを守ってくれた。

 異星の、ねずみに似た小さな害獣が、収穫物を狙って倉庫に忍び込んでこようとしても、光る瞳を持つ猫たちが、それを許さなかった。

 また猫たちは、空を飛ぶ鳥のような生き物を器用に狩り、くわえて帰ることもあった。残念ながら、この星の生き物の血液には、地球の生き物にとって毒になる成分があり、危ないからと獲物はすぐに猫たちから取り上げられた。けれど、「鳥」たちの皮膚は加工すると、丈夫でなめらかな皮革ひ  かくになり、ひとびとはこの星と猫たちに感謝して、その革で子どもたちのための防寒着や靴を縫ったのだった。

 凍えるような風が吹く夜、犬と猫は、ひとびととともに眠った。その風の音がどんなに恐ろしくても、樹脂で作られた華奢きやしやな家々が風で吹き飛ばされそうに思えても、穏やかな犬の寝息と、猫の喉を鳴らす音がそこにあれば、きっと大丈夫だとひとびとは信じることができた。きっといつかこの風はやむ。あたたかな明るい、光に満ちた朝が来ると。はるか昔、遠い故郷の星で、人類の先祖が犬や猫とともに暮らすようになったその頃にもあったろう、辛く寒い夜と同じように。

 寄り添い合う優しくあたたかな眠りの、その繰り返しで、ひとびとと犬猫はその星の夜を乗りこえていったのだった。

 

 しかしいかんせん、その星の環境は過酷だった。

 残酷なほどの冬の寒さと果てしない長さは致命的だった。冬が巡って来るたびに、その星は凍り付いた。やっと育った作物は枯れ、ひとびとは弱い者から命を落としていった。巡り来る冬は、死の季節となった。ひとびとは冬の訪れにおびえるようになった。

 不幸なことに、この星には人類にとって貴重な資源は──たとえば宇宙船の燃料になるものや希少な金属など、住民以外にも尊ばれ、喜ばれるような資源は何もみつからなかった。なのでその星は、移民たちがなんとか自給自足してゆくだけでやっとの星、暮らしてゆくだけで精一杯の貧しい惑星となった。

 その頃には、開拓用のロボットたちの部品も古くなり、故障が増えていた。豊かな海の塩分の悪影響もあった。やがてロボットたちはそれぞれの主を案じながら動かなくなっていき、そして、新しいロボットを買うための資金を、移民星のひとびとは持っていなかった。

 その時代、恒星間を旅するための技術が幾度も飛躍的に進歩していった。それに伴い、交易船が星々の間を定期的に通うようになった。けれど、この星は他のいくつかの移民星から距離があったこともあって、交易船には、ほぼたち寄ってもらえなかった。

 ひとびとは孤立し、忘れられていった。それでも、その辺境の移民星のひとびとは、こつこつと星を耕し続けた。ひとびとがその星に辿り着いてから、いつしか長い年月が流れ、子どもたちも生まれ育ち、緑色の空と海のその星を、みなが新しい故郷として、愛するようになっていたからだった。

 

 けれどその星には、さらに不幸が続いた。風土病が発生したのだ。住民たちの懸命な研究の末、病は克服されたけれど、蔓延まんえんした時期に人口がひどく減った。

 その上に、ある冬から、水晶のようなうろこに全身を覆われた、巨大な双頭の熊のような猛獣が姿を現すようになった。その獣は、ふだんは人里離れた遠くにいて、数年に一度、決まって真冬に、ふらりとやってくるのだった。そうして鱗がきしむ音をさせながら、移民たちの村を襲い、倉庫の食料をあさった。彼らが持つわずかな武器では防ぎようがない、まるでこの星の氷の嵐が形になったような獣だった。ひとを襲い、喰らい、亡骸なきがらをさらってゆくことまであった。

 獣の襲来以来、その星の冬はさらに恐ろしい季節になった。住民の命がなんとか守られても、倉庫が被害に遭えば、春までの間の食べ物が足りなくなり、ひとびとは飢えた。

 もはやこの星はあきらめた方が良いのではないか、という思いが胸をよぎった住民は多かった。けれどかつて星の海を渡った移民船たちは村の片隅で静かに眠りについていた。どれもみなさびつき、エンジンを起動してもやがて止まった。この星を離れることはできなかった。何より、あてもなく宇宙を旅してきた、遠い日の思い出と、これまで苦労して耕した土地への愛着が、荒野に並ぶ先に逝ったひとびとの墓標が、諦めることを許さなかった。

 ただひとつ、通信を行うための機器だけが、変わらずメッセージを発信することができた。といっても亜空間通信が可能になる以前の、古い時代の通信機器だ。星を遠く離れてまでは、誰かに言葉を届けることはできなかった。

 それでも万が一のときは遺言くらいは残せるね、とひとびとは静かに微笑みあった。

 

 さて。彼らが暮らす集落のそばに、正方形に切り取られたような形をした小さな深い湖があった。そのほとりに、ひとつの不思議な物体があった。抱えられるほどの大きさの、素材のわからない、黒く四角い箱のようなものが、台座のような数本の棒の上に置かれ、風吹く野原にぽつんと立っているのだ。触れるとひんやりする、その箱には継ぎ目もなく、金属のように頑丈そうで、空と湖を映して、つやつやとしていた。雨風にさらされているのにわずかも汚れず、たったいまそこに置かれたばかりだというように輝いていた。

 その箱を抱え、持ち上げてみようとしたものもいたけれど、それはずっしりと重く、少しも台座から持ち上がらなかった。

 住民の中で、特にがくのあるものが、それはもしかしたら、いにしえにこの星で暮らしていた異星人──本来のこの星の住民が拝んでいた神のほこらなのではないか、と仮説を立てた。

 そういわれるとたしかに、その箱にはえもいわれぬ、神秘的な雰囲気があった。とにかくそれはただの箱には見えなかったのだ。近寄りがたい気配もあった。おそれ、という感情が一番近かったかも知れない。その心の動きをうまく説明できる者はいなかったけれど。

 ある幼い子どもが、箱をじっと見つめて、

「中に、こっちを見ているひとがいる」

 といった。「怖いひとじゃなく、優しいひとだよ」とも。

 いわれてみればたしかに、箱にはこちらをそっとうかがうような気配が感じられたりもした。子どもがいうように怖くはない。穏やかでどこか慕わしげな、そんな視線を感じるのだ。

 不思議な箱の中には、優しい昔の神様がいて、自分たち移民を見つめてくれている──そう想像することは、移民星のひとびとにとって、どこか救われる空想となった。

 この星に昔、神様をまつり拝むことができるような住民がいた時代があったとして、ではそのひとたちはどこに行ったのだろう、と住民たちは考えた。──もしかしたら、優れた文明を持っていたのに、文化や文明ごと、滅び去ってしまったのだろうか。自然だけを残して。あるいは厳しい環境を憂えて、どこかに旅立っていった? 自分たちのように、母なる星を捨てて。

 彼ら移民はそのひとびとと出会うことはできなかった。そもそも長い宇宙の歴史の中で、ふたつの文明が同じタイミングで栄え、交流できるレベルで出会うことはきっと難しい。星と星の間の距離ははるかに遠く、生命が育ち、生き延びることができる環境を持つ星は少ない。こうしてこの星に彼ら移民が訪れたように、ふたつの文明がもしかしたら出会える可能性があったとしても、そのときには、過去にこの星で暮らしていたかも知れない文明の名残は、この箱以外には見当たらない──。

 寂しいことだ、とひとびとは思った。かつてこの、美しい惑星で暮らしていた「ひとびと」に対して、自分たちが、こうしてやってきて勝手に|棲
《す》み着き、大地を耕していることへの申し訳なさを感じ、同時に深い親しみと寂しさを感じた。

 会ってみたかった、と思った。せめて、彼らの残した「神様」を大切にしようと思った。

 きっと神様も寂しいだろう。

 ひとびとはその箱に朝夕の挨拶をし、語りかけた。作物ができれば供え、菓子や茶もどうぞ、と供えた。子どもたちは箱のそばで遊び、おままごとをし、荒野に咲く花で花冠を作って、箱に飾ったりした。箱はいつも輝いて、空や水を映していたけれど、ひとびとがそんな風にそばにあるとき、いちばん美しく、楽しげに輝いているように見えた。

 美味しい酒ができたときは、箱に少しだけかける者がいたりもしたけれど、そんな酔っ払いのいたずらさえも、箱は不思議と楽しんでいるように見えたものだった。

 風土病や冬の寒さで、そして食べ物が足りなくて住民が倒れてゆく中、箱の前にぬかづき、涙して思いを語るものもあった。この星で長く暮らしてきた、その日々の思い出を笑みを浮かべて語る婦人もいたし、言葉もなく古いハーモニカを奏でて、遠い昔の地球の曲を聴かせる老人もいた。若者や少女たちが、初々ういういしい恋心や、生まれたばかりの未来への夢を語ることもあった。

 そんなとき、箱は静かに耳を傾けてくれているような、そんな気配をたしかにひとびとは感じた。箱は言葉を返してくれないけれど、湖のそばを立ち去るときは、不思議と勇気づけられ、心が軽く楽しくなるのを、みなが感じていた。

 犬猫さえもが、箱には懐いていた。彼らは箱のそばで眠り、立ち上がって、箱の表面の匂いを嗅ぎ、ときにめてみたりもした。箱に話しかけようとするように、吠えたり鳴いたりすることもあった。子犬や子猫は、箱のそばで見守られるように遊んだりもした。もしかしたら、犬猫には箱の中にいるものが見えているのかも知れない、とひとびとはうわさした。

「神様」の箱はそんな風にして、住民みんなに愛されていたのだけれど、いちばん長く箱のそばにいたのは、星でいちばん幼い少女だったかも知れない。星の環境が悪いので、子どもはあまり生まれず、生まれても育たない中、久しぶりに授かったその子は、みなに大切に見守られ、育てられていた。いわば、星の宝物のような幼子だった。不思議な箱までもが、少女を見守っているように、見えた。

 少女は、おとなたちがふと気がつくと、湖の箱のそばにいた。仲の良い老いた犬猫をお伴に、箱のそばの枯れた草むらにしゃがみこみ、箱に語りかけるように、歌をうたったりしていた。犬猫も、何を思うやら、神妙な顔をして少女のそばに控えていて、その様子を見た住民たちは、愛らしく思うやらおかしいやらで、笑ってしまったりもしたのだった。

 やがて訪れたある年の冬。その冬の寒さは特にひどく、一度滅びたはずの風土病がよみがえり、また集落の中で流行した。

 寒さと冬の獣の襲来を恐れて、身を寄せ合うように閉じこもっていたひとびとは、この恐ろしい冬に、いちどきに倒れ、力尽きていった。その間際まぎわに住民のひとりが、移民船から助けを求めるメッセージを虚空に向けて発信したので、誰かが気づいてくれれば、救助の手がさしのべられるだろうと、彼らは信じ、祈った。宇宙のありとあらゆる神に、何より湖のほとりの「神様」に。そうして、みなの亡骸の中に残してゆくことになるだろう、いちばん幼い少女を案じ、その幸運を祈りながら死んでいった。少女だけがみなの想いに守られたように奇跡的に元気だったのだ。

 たたずむ少女のそばには、老いた一匹の犬と一匹の猫がいつものように控えていた。彼らは彼らなりの知性で、死んでいったひとびとから少女を託されたことを理解していたので、少女を守ろうと思った。この星にいた犬や猫たちもまた、その頃には死に絶えていたので、少女は犬猫にとっても、自らの子どものような、大切な存在だった。

 彼らは、幼い少女を養おうとした。吹雪ふぶく中に出かけていき、農場から鶏をくわえてきたりした。生きている鶏を連れてこられても、少女に食べることはできなかったけれど、部屋の中を駆け回って鳴く鶏と、それを追いかける犬猫が面白い、といって少女は笑った。なので、犬猫は自分たちも楽しくなり、それからは鶏も部屋で暮らすようになった。

 鶏は毎日卵を産み、少女は調理用の機械で卵を調理することができたので、結果的には幸運だったのかも知れなかった。

 少女は、住民たちの住んでいた村のその一角の、古びた小さな家で、犬猫や鶏とともに暮らし始めた。親兄弟や顔馴染かおなじみの大好きなひとびとが、みんな眠ってしまったようなので、起きてくれるまで、いい子で待っていよう、と思った。まだ死を理解できない少女のために、以前おとなの誰かが死者をさして眠ったのだと教えたことがあった。幼い記憶の片隅にその言葉が残っていた。

 きっとみんな寒すぎて眠ってしまったのだ。あたたかい春になれば起きてくれるに違いない、と少女は思った。自分はまだ眠くないから、ひとりで起きていなくては、と。吹雪の中、犬猫とともに村の家々をめぐり、横たわるみんなの寝床の布団をかけ直してあげたりした。

 いちばん幼い者としていつもみんなに愛されてきた少女は、自分がそうされてきたように、眠るひとびとを見守り、そっと話しかけて、優しく世話を焼いた。

 犬や猫のご飯や、自分のご飯がどこにあるかは知っていた。鶏にはみんなのご飯を少しずつ分けてあげれば良い。新鮮な水はいつだって井戸からむことができた。

 それぞれの家にある暖炉では、おとなたちが時間をかけて集め、蓄えていた、化石化したこの星の古い植物たちが、燃料として燃えていた。

 春までは充分持つよと誰かがいっていたことを少女は覚えていた。それならみんなは眠ったまま凍ってしまうことはない。よかったと少女は思った。それでもときどき震えが来るほどに寒かったけれど、犬や猫、それから鶏と一緒に火のそばで毛布にくるまっていれば、あたたかかった。

 しかし、悪いことは重なるもので、あの恐ろしい、双頭の熊のような生き物が、鱗に覆われた体に雪を積もらせながら、村を、少女たちがいる家を襲ってきた。

 樹脂でできた壁は、獣の大きな腕で、あっけなく、おもちゃのように打ち壊された。

 家の中に、吹雪が吹き込んできた。風の中に鱗がきしむ音をさせて獣が立っている。大きな口に並ぶ牙は氷柱つららのようだった。少女は怯え、けれど、獣からみんなを守らなくてはと思った。みんな眠っているから、逃げられない。みんなが食べられてしまう。自分がなんとかしなくては。

 だけど、震える小さな子どもに何ができるだろう。

 犬と猫が、少女を守るために、唸り声を上げて、獣に飛びかかっていった。けれど、どれほど心が燃えていようとも、老いた小さなからだの、その爪と牙に、どれほどの力があったろう。獣の腕のひとふりで、犬猫のからだは裂けて砕け、床にたたきつけられた。それでもなお、犬猫は、たったひとり残った幼い子どもを守ろうとして、うように、そのそばへ戻ろうとした。

 少女は、血まみれの犬と猫を抱きよせ、抱きしめた。

「神様」と、叫んでいた。「神様、助けて」と。

 吹き込む風の中で、少女の声は、高く響いた。

 

 その星のそばを偶然通りかかった小さな交易船が、少女を助けに来たのは、その船の時間では、クリスマスイブの日だった。船内には、クリスマスカードやリースが飾られていて、古いクリスマスソングが流されていた。そんな様子で、船は悲劇の星に降りていったのだった。

 若い乗組員たちは、船の時間からすると数日前に受信した哀切極まる通信の内容で事態がわかっていたので、風土病に感染しないように気をつけつつ、生き残った少女を見つけだして助け、眠るひとびとに黙礼したまま、いったんはこの移民惑星を離れることにした。少女もまた、病気に感染しているかも知れないのだし、どこか大きな病院のある星へ連れて行った方が良いだろう。

 少女はこの星のひとびとがもう生きていないということに気づいていないようだった。なのでみんなに頼まれたからきみを連れにきたのだと話して、少女を説得した。「きみが風邪をひいたらいけないから、あたたかいところへ連れて行ってと頼まれたんだよ」と。眠るひとびとに束の間の(と彼女は思ったらしい)別れを告げるこの子が、いずれ事実を知ったときのことを思うと、乗組員たちは心が痛んだ。

 ひとりきりになった少女のために、せめて良かった、と思ったのは、友達であるらしい犬と猫が少女とともに生き残っていたということだった。少女は犬猫を固く抱きしめ、片時も離そうとしなかった。それは犬猫も同じで、離れようとしなかったので、乗組員たちは犬猫も連れていくことにした。なぜか鶏も一羽、あとを追ってきたので、鶏も。死で覆われたあの移民星を見れば、生きているものすべてが尊く、愛しくてたまらなく思えた。

 少女がいた家の前には、雪に埋もれるようにして、全身を固い鱗に覆われた双頭の異星の獣の死骸があった。サメのように裂けた口と、二重に生えた牙、長く鋭い爪が並ぶ二本の太い腕を持つその獣は、倒れていても見上げるように大きかった。

 この獣が襲ってきたのだと、幼い少女はいった。しかし、自分の親友である勇敢な犬猫がやっつけてくれたのだ、と、得意そうに言葉を続けた。

 異星の猛獣はひどく傷ついていた。恐ろしい力を持つ何者かにいたる所をまれ、噛み砕かれたように。顔面や喉を切り裂かれ、肉をがれ、骨が折れていた。背筋が寒くなるような無残な有様で、あたりの雪は一面、獣の茶色い血に染まり、がれて砕けた鱗が散らばっていた。

 少女に抱きしめられた犬猫は──それはつやつやとした毛並みを持つ、若々しい犬と猫で、とても元気そうだったけれど──少女の言葉に耳を傾け、同じように得意そうに、乗組員の方を見て笑った。──たしかに、笑ったような気がして、若い乗組員はそんな馬鹿な、と、目をしばたたかせた。犬や猫というものは、こんなに賢そうな顔をした生き物だったろうか?

 それにしても、目の前にいる、可愛い犬と猫が、この巨大な人食いの猛獣を「やっつけ」られるとは思えない。きっと恐怖に怯え、混乱した少女の妄想なのだろうと乗組員は思った。

 しかし、この巨大な猛獣をこんな様子で倒せるような存在がどこかにいるのなら、早くこの星を離れた方が良さそうだと乗組員たちはうなずき合い、急いで離陸することにした。

 小さく古い交易船には、狭いながらも、床に絨毯じゆうたんを敷いた、居心地の良い客室があった。そこに通すと、幼い少女は、「あたたかい」と笑みを浮かべた。ココアをいれてやり、毛布を渡すと、少女はお礼をいった。毛布にくるまってココアを飲んでいると思ったら、いつの間にかうつむいたまま、眠っていた。犬猫もまた、少女に寄り添うようにして目を閉じ、身を横たえていた。鶏も、その中にちゃっかり入り込み、眠っている。

 交易船の船長が、身をかがめ、眠る子どもと動物たちの様子を見守って、笑みを浮かべた。

「いやまったく、俺たちの船が、そばを通りかかって良かったなあ」

 この子を残して逝かねばならなかった星のひとびとのことを思うと、ただやるせない。それは乗組員たちも同じで、ひとびとは言葉もなく子どもたちを見つめ、遠い昔のクリスマスソングだけが静かに船内に流れていた。

 あてもなく宇宙空間に放たれた星の住民の声を、交易船のひとびとは忘れない。自分たちが耳にした最期の言葉を。

 あたたかいところへ、安全なところへ、誰かあの子をつれていってください──住民の声はそう訴えていた。ふりしぼるような声で祈っていた。神様、と。

 祈りが自分たちの船に届いたのは奇跡──クリスマスの奇跡だろうかと、乗組員たちはそれぞれに思っていた。クリスマスソングの歌声に静かに耳を傾けながら。

 

 さて、交易船の乗組員が知らない、気づかなかったことがひとつあった。──実は犬や猫のからだには、かつて異星に文明を築いた者たちが共生していたのだ。

 異星のひとびとは、犬と猫のからだに溶け込み、その命とともに生きながら、離陸しようと上昇を始めた交易船の心地よい揺れを楽しんでいた。

 彼らはあの遺跡──そう、湖のほとりの小さな箱に住んでいた、砂粒ほどの大きさの、小さな小さな生命体だった。地球人類とは違う進化を辿り、輝かしい繁栄を遂げ、文明は栄え、成熟し、長い歴史の後、ある時期から、子どもが生まれなくなり、そのゆるやかな滅びの時を迎えようとしていたのだった。あの箱は彼らの最後の都市であり、ここを死に場所と決めた、静かに永遠の眠りにつくためのひつぎの箱でもあった。

 彼らの文明は、もう極限まで進歩していたので、みなが穏やかに達観していて、滅びを避けようとはせず、すべてを時間に任せようとしていた。みながこのまま死に絶えて、宇宙にかえるのもまたよし、と。命はそうして永遠に巡っていくものなのだから。命は消滅することはない、再生を繰り返してゆくだけだと、彼らは考えていた。

 そこにふいに訪れた(彼らからすれば)異星の入植者たちを見て、彼らは久しぶりに好奇心を感じた。その言葉や感情を分析するのはたやすかった。まだ若い文明に生きる、地球人の喜怒哀楽や、生き生きとした夢や希望は、先住の彼らにとっては、遠い過去に忘れてきた、懐かしい熱い感情だった。いまは落ち着き、達観した生命体であろうとも、かつては若く、熱く、冒険心を持ち、無邪気な日々を過ごした時代があったのだ。

 異星のひとびとはいつか、親戚の幼子を見守るような気持ちで、地球人たちを見守るようになった。細かな文化や、感情の発露は、彼らのものとは違うこともあった。けれど見守っているうちに、理解が深まり、共感の度合いが増していった。

 彼らは箱の中で暮らしていたけれど、そこから精神だけを飛ばして、居住地や移民船にいるひとびとの様子を「見て」、「見守る」こともできた。いわば見えない、愛情溢れる隣人たちが、いつも移民たちのそばにいて、ひっそりとその暮らしを見守っている、そんな日々がその星では続いていたのだ。

 特にいちばん幼い少女と、そのそばにいる、忠義な犬猫が彼らのお気に入りだった。少女はその幼さ故に、犬猫は純粋な心故に、自分たち異星の小さな民を「見る」ことができ、心も通じる。そのせいもあって、ひときわ思い入れがあったのだ。

 この年の寒い冬、移民たちが死んでゆき、ついにおとなたちが病で死に絶えたとき、彼らは自らの家族を亡くしたような深い悲しみを覚えた。死を恐れ悲しむなどという文化も感情もとっくに超越し、手放したはずの生命体だったのに。幼子と犬猫だけが残され、そして猛獣が襲ってくるのを「見て」「感じた」とき、少女が助けを求めたとき、彼らの中に熱い感情が蘇った。

 砂粒のような彼らには、戦うための爪や牙がない。なのでとっさに死にかけた犬猫のからだに入り込み、細胞のひとつひとつと一体化して傷を癒やし、弱った体を「みんな」の力で支えながら、猛獣を倒した。そしてそのまま、犬と猫のからだと心に溶け込んでいった。彼らが離れれば、犬も猫も死に、子どもはひとりぼっちになってしまう。それはだめだ、と瞬時にみなが思った。

 自分たちがもう少し早く介入していたら、死に絶えずにすんだろう集落のひとびとのことを思い、彼らはこのまま暮らしていこうと決意した。いつまでも、この少女のそばで。

 あの星で懸命に生きたひとびとの思いを継いで。

 

 そして、交易船の中で、いにしえの宇宙人たちは、うっすらと開けた犬と猫の瞳を通して、窓から遠ざかる母星を見る。はるかに遠い昔、あの星──生まれた星で、陸地を離れ、空を飛び海を渡った過去はあったけれど、宇宙船に乗り、星の世界へとおもむくのは彼らの文明にとって初めてのことだった。久しぶりに、ほんとうに久しぶりに、冒険心が蘇ってくるのを感じるのだった。

 故郷を離れて、遠い世界を目指す、そんな生き方をはるかに遠い昔に卒業してきた文明だったけれど、いままた自分たちは旅立ったのだ。守るべき、愛しい幼子とともに。

 いまや犬猫と完全に溶け合った異星の小さな生命体は、眠る子どものほおを舐める。深い愛情を込めて、そっと舐めた。

 眠りながら少女はくすぐったいと笑い、そして交易船の乗組員たちは、優しげなまなざしで少女を見守る犬猫の姿が、ふかふかの毛皮を着た守護天使のようだとささやきかわすのだった。

「あれを見ろよ。あの優しい目を。まるで絵本か、クリスマスカードの絵の、幼子を守る天使様みたいじゃないか?」

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続きは書籍にてお楽しみください。

■書誌情報

『さやかに星はきらめき』
著者:村山早紀
判型:四六判上製
価格:1,870円(税込)
ISBN:9784152102850
発売日:2023年11月21日

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