1935年、エチオピア。銃を手にして祖国を守った女性たちを描く『影の王』(マアザ・メンギステ/粟飯原文子訳)「訳者あとがき」公開
2月21日に早川書房から刊行され、早くも話題沸騰の『影の王』(マアザ・メンギステ/粟飯原文子訳)。第二次エチオピア戦争を主な舞台に、早々と亡命してしまった皇帝ハイレ・セラシエにかわり、前線を守った女性たちの物語です。サルマン・ラシュディにも「二日でイッキ読み」と絶賛された本作の邦訳を担当された粟飯原文子氏による「訳者あとがき」の一部を公開いたします。
訳者あとがき
アフリカ文学作品の多くでは、植民地支配以前の時代から現代に至る歴史のさまざまな局面にどのように向き合うか、ということが問われ続けてきた。作家たちは創作をおこなうにあたり、歴史をいかに再考、再現するか、名もなき人びとが生きた歴史をいかに紡ぐかという問いと常に向き合ってきた。近年、アフリカ出身の作家、とりわけ新しい世代の女性作家が、歴史記述や歴史認識に意識的に取り組んだ作品を次々と発表しているのは注目に値する現象である。それぞれが野心的かつ実験的に、壮大なスケールで、近現代、あるいはそれ以前にまで遡って歴史を描き直そうとしており、特に英語圏では四百頁を超える大作が目立つ。
本書、マアザ・メンギステ著『影の王』(Maaza Mengiste, The Shadow King, 2019)も、二〇一〇年代から続くアフリカ歴史小説の潮流に位置づけられる。著者自らが説明しているように、本作の執筆に取りかかるころには、東アフリカに対するイタリアの侵攻と支配についての議論が活発になりつつあった。イタリアで長らく語られなかった歴史が、イジャーバ・シェーゴ、ガブリエッラ・ゲルマンディをはじめ、エチオピア、エリトリア、ソマリアに出自を持つイタリア語作家によって語られはじめていた。一九三〇年代のイタリアのエチオピア侵攻を扱う『影の王』も、英語で書かれ、アメリカの出版社から刊行されているにせよ、こうした流れの一部だと著者は述べている。
アフリカ歴史小説の隆盛の同時代的な出来事として、二〇〇〇年代より、特にここ十数年のあいだに、イギリス、ベルギー、オランダ、ドイツ、フランス、イタリアが過去の〝過ち〟を公式に謝罪するなど──むろん、じゅうぶんとは言い難いが──、植民地支配の歴史の見直しがなされるようになったこと、さらには、二〇一三年以降にブラック・ライヴズ・マター、二〇一五年以降にローズ・マスト・フォール運動(南アフリカのケープタウン大学の学生によるセシル・ローズ像撤去運動)が広がったことが指摘できる。二〇二〇年、イタリアにおいて、ブラック・ライヴズ・マターへの連帯表明、植民地支配の歴史と人種差別への批判として、植民地軍司令官やジャーナリスト(178頁で言及があるインドロ・モンタネッリ)の像に赤ペンキがかけられたというニュースも広く報じられた。世界各地で、歴史を顧みて過去から現在を問う姿勢が、より広く、より痛切に共有されるようになった文脈は見逃せないだろう。
マアザ・メンギステは一九七一年、エチオピアの首都アディスアベバに生まれた。一九七四年、エチオピアでは、食糧危機と経済危機から反体制運動が広がるなか、軍部の革新派(デルグ=暫定軍事行政評議会)主導で社会主義革命が起こり、ハイレ・セラシエの帝政が倒される。大きな混乱が続いて一家は国を離れることになり、マアザが四歳のとき、まずナイジェリアへ、次にケニアへと移り住んだ。そののち、さらなる安全のために七歳でひとりアメリカに送られ、コロラド州の小さな町の施設で育った。以来、家族や親族、故郷との緊密な関係を保ちながらアメリカに居住している。
『影の王』は二〇二〇年度のブッカー賞の最終候補に残り、あらゆる媒体で高い評価を受け、多数の言語に翻訳されている。映画化も決まっていて、アメリカの俳優・映画監督のケイシー・レモンズが脚本と監督を務める。とはいえ、刊行までの道のりは決して平坦なものではなく、終わりが見えずに途中で不安に陥ったこともあったそうだ。当初、史実と史料に依拠して書いていたところ、自分のイメージする作品とはほど遠いと感じ、草稿をすべて破棄して一からやり直した。そして九年におよぶ調査と執筆の末にようやく完成に至った。調査を通じて女性兵士の存在を知り、内容と構成をがらりと変えた結果、この形になったという。
本書の主な時代背景は一九三五年から三六年。ベニート・ムッソリーニはリビア、エリトリア、ソマリアについで、アフリカにおけるイタリア支配の拡大を目論み、エチオピア侵攻に乗り出し、一方的に勝利宣言をした(第二次エチオピア戦争)。イタリアにとって、十九世紀末にアドワの戦いで大敗を喫した侵略戦争(第一次エチオピア戦争、一八九四~九六年)の雪辱を果たす機会でもあった。エチオピアにおいて同じ出来事は、貧しい装備の兵士が技術的に進んだイタリア軍を打ち破り、祖国を勇敢に防衛した経験として理解される。また、第二次エチオピア戦争は第二次世界大戦最初期の戦闘と言われるように、エチオピア史、イタリア史を超えて、重要な世界史的出来事であることも忘れてはならないだろう。
いつの世でも、どの場所でも、戦争は男性の経験を中心に語られる。エチオピアでも例外ではない。イタリアに対するゲリラ戦の勝利の物語は英雄的であり、神話的ですらある。マアザも幼いころ、祖父の世代の勇ましい兵士たちの偉業についてしばしば耳にしたという。しかもこの偉業は──アフリカで唯一、独立を守り抜いたという事実は──、エチオピア人のみならず、アフリカにルーツを持つ全世界の人びとに大きな誇りをもたらした。だからこそ神話性も増した。
いっぽう、女性の経験はほとんど語られてこなかった。実際には女性たちもあらゆる面で戦争に貢献したことは知られている。おそらく、女たちだけの空間でささやき合われ、伝えられてきた〝歴史〟なのだろう。物資を運び、怪我人を介抱し、死者を戦場から連れ帰り、薬を調合し、水や食事を兵士たちに与えた。ところが、そういった後方支援やケアの役割を担うだけでなく、前線で戦った女性たちもいた。毒ガスが撒かれたときにも、戦車やライフルから弾が飛んできたときにも、たしかに女性たちはその場にいたのである。著者が長い時間をかけて収集したイタリア兵の日記、手紙、写真から、戦場の女性の姿が見えてきた。こうして、女性たちの声と視点を中心に、エチオピアの抵抗の物語を書くことになる。
「著者あとがき」では、夫の手もとにあったライフル銃を奪還し、戦争に参加したマアザの曾祖母ゲテイェの経験が明かされている。家族には幼い男きょうだいしかいなかったため、父が新婚の夫に銃をわたしていたのだ。興味深いことに、著者はこの家族史を知らないまま、主人公ヒルトの母をゲテイェと名づけ、ライフルを取り戻そうとするヒルトの姿を描いたのだそうだ。ちょうど本書の編集に差しかかったとき、母親とともにエチオピアの戦地をめぐる調査旅行に出かけた。その際、軍服姿でライフルを掲げる女性の写真について語ったところ、母がなにげなくゲテイェの話をはじめた。これまで一度も訊かれなかったから、話そうとしなかっただけだ、と。
『影の王』は一九七四年ではじまり、一九七四年で終わる。ハイレ・セラシエ打倒につながる政治動乱のただなか、ヒルトははるばるアディスアベバまでやって来て、四十年前に数奇な運命の巡りあわせにより出会ったイタリア人の男、エットレを待ち、かつての記憶に向き合わざるをえなくなる。実のところ、一九七四年の革命前夜から続く一連の出来事は、第一作『獅子の眼差しのもとで』(Beneath the Lion’s Gaze, 2010, 未訳)で、ある家族の物語をとおして扱われる。訳者との私信でもマアザは強調していたが、一作目と二作目の本書はひと続きの歴史と考えられ、登場人物にもつながりをもたせているという。つまり『影の王』は一作目の前日譚なのである。
ヒルトがエットレから預かっている箱のなかの時系列に並べられた写真は、一九七四年の序幕と終幕に挟まれた第一部から第三部までの物語の時間を表す。まもなく舞台は一九七四年のアディスアベバの駅から、一九三五年のエチオピア北部へと移る。孤児となったヒルトは、使用人として貴族のキダネと妻のアステルに仕えている。乳児の息子を亡くした夫婦間の確執は、ヒルトを家に受け入れたことで悪化し、イタリア軍の侵攻が目の前に迫るなか、家庭内では怒り、恐れ、疑念、嫉妬が渦巻き、緊張関係が頂点に達する。しかしひとたび戦争がはじまると、ヒルトとアステルは自らの役割を脱して、大きく変化していく。
ヒルトは十九世紀末の戦争に参加した父から譲り受けたライフル銃、〝ウジグラ〟をなににもかえがたく大切にしていたが、ある日、隠し場所が見つかって、協力の名のもとに取りあげられてしまう。ウジグラは父の形見、両親と故郷の記憶をつなぎとめるもの。そして、自らの存在証明であり、独立の象徴でもある。だからこそヒルトはウジグラにこだわり、取り戻すためにひとりで戦い続ける。また、アステルにも個人的な望みや怒り、戦いがある。イタリアの侵攻を機に、嘆いてばかりいることをやめたアステルは、〝妻〟以上の存在となって、自らの権利を主張し、自身と周囲の世界を変えようとする。
小説の女性たちはそれぞれの方法で戦争にかかわり、それぞれの期待や希望を胸に抱き、自らについて目覚め、学んでいく。主人のキダネに暴力をはたらかれ、ヒルトは気づく。戦場はひとつではない、わたしはずっと戦ってきた、「この体こそが戦場なのだ」(482頁)と。ヒルトとアステルの経験を通じて、外国軍による土地の侵略と、男による女性の身体の抑圧がパラレルに描かれる。女であるがゆえに二つの異なる戦いを同時に戦い、女であるがゆえの痛みから解放されるために、武器を取る。二人は各々の決意を胸に秘めて、祖国のため、自分のために、起ちあがる。さらに言えば、娼婦フィフィの自由への希求、意志の力、彼女なりの、彼女にしかできない戦いの道程からも、戦場としての身体について問われているのがわかるだろう。
『影の王』は女性の存在を歴史のなかに回復させることに重きを置くと同時に、当時の社会階級のあり方を見逃さず、女性たちの差異を細やかに描いてもいる。アステルは家父長制の犠牲者であるにせよ、自らの立場や権力には無自覚であり、使用人に対して残酷に振る舞える。料理人とアステル、ヒルトとアステルは、矛盾する感情で結ばれ、その関係は捻じれをともなう。互いに愛情を抱き、友情を育むとしても、安易な連帯はありえないことも示される。このように個々の女性とその苦悩を描きつつ、女性たちのあいだの矛盾や相違を丁寧にたどっていくところが、本作のとりわけ優れた点だと言える。
抵抗の歴史の中心に女性を据えるために、もうひとつ斬新な工夫が見られる。歴史家もあまり知らないというハイレ・セラシエの娘ゼネブウォルクを蘇らせ、彼女の視線をとおして、神話的、伝説的な皇帝を人間らしい父親として想像し直していることだ。ハイレ・セラシエは十四歳だった娘をアディスアベバから遠く離れた場所に嫁がせた(なお、小説内で相手のググサは五十近い男とされているが、実際には結婚時二十五歳)。ゼネブウォルクは苦しみ、助けを求めたものの、二年後、出産時に亡くなったと伝えられている。たびたび亡霊となって現れる娘を前に、ハイレ・セラシエは後悔と自責の念に苛まれるとともに、指導者としての迷いや焦り、不安や弱さを見せる。破壊と虐殺のただなかにある国と国民を置き去りにして英国に逃れたことの罪悪感が、ゼネブウォルクへ慙愧の思いと混じり合う。
この小説の特徴はなにより、多様な声と視点によって語られていくことにあるだろう。著者によれば、歴史を多面的に描くために、プロットそれ自体よりも、語りの構造を重視したかったとのことである。第一部から第三部では、一九三五年から四一年までの出来事がたどられていくが、しばしば時間の前後があり、フラッシュバックのみならず、フラッシュフォワードも用いられる。大きなプロットのなかに、多数の断章がちりばめられているのも目を引く。合唱、写真、幕間、略歴などの断片が織り合わせられて、物語の全体を支えている。
断片的、断続的とも言える語りは、エチオピアの抵抗と勝利をヒロイックに叙述する直線的な物語であることを拒む。だれもが抵抗に対して同じ考えを持っていたわけではなく、勇敢に戦ったわけでもない。戦争の渦中で恐怖を抱いていた者、疑問や反発を覚えていた者、それに、イタリア軍の協力者や裏切り者も存在した。植民地軍の現地人部隊、アスカリがその典型だろう。また、〝料理人〟が異なる声の持ち主として登場し、複雑な境遇と立ち位置が繊細に描かれる。すべてを奪われても名前だけはわたさないと、断固として名前を明かさない料理人は、独自の戦い方を貫く。
小説の中心人物はいるにせよ、立場の異なる複数の視点が目まぐるしく入れ替わり、交錯し、物語は何層にも折り重なる。ぶつかり合い、相矛盾する数々の声をつなぎ、物語を導いていくのが語り手の〝わたしたち〟、すなわちコロスである(なお、chorus =コロスは、章題では〝合唱〟としている)。この語りの装置について著者は次の二点の説明をしている。まず、エピグラフからもわかるように、古代ギリシア劇の合唱隊、コロスから影響を受けているということ。さらに、作中でも触れられる、エチオピアの音楽職能集団、アズマリへオマージュを捧げたかったということ。語り手コロスはアズマリであると明言してもいる。
アズマリは社会を俯瞰し、人びとの話を熟知し、即興で歌を作る。一九三〇年代の戦争時、アズマリたちは共同体や戦場から聞こえてきた話を歌にした。それが記憶となり、伝説、神話となり、そして歴史となった、と著者は言う。語り手のコロス/アズマリは、物語に介入して意見を述べたり、会話に耳を澄まして別の理解や考えをほのめかしたりする。集合的な記憶を保持する存在でもある。コロス/アズマリによって、いくつもの視点から語られる物語がいっそう多声的、重層的になっていることが見て取れるだろう。
アズマリはかつて、歌で戦争への参加を促し、人びとの士気を高めたという。小説では、アズマリの歌を含む歌への言及が多く見られる。女性たちは戦場で男性のうしろに陣取り、胸を張って戦うよう激励する歌、逃げ出そうとする者には臆病者と嘲る歌を歌う。ハイレ・セラシエの〝幕間〟では『アイーダ』が流れる。対して、マリア・ウヴァとイタリア軍が合唱する〝ジョヴィネッツァ〟が響きわたる。戦争では──特にアフリカの解放戦争ではそうだが──歌は大きな役割を果たした。小説の構造としても、内容としても、歌が重要な位置を占めている点は意義深い。
こうして『影の王』は色とりどりの声をすくい取り、ときに並置し、ときに縒り合わせ、歴史を歌いあげる。さまざまなエピソードが矛盾し対立する視点から語られることで、エチオピアの抵抗の物語がさらに入り組んだ様相を呈する。そういう意味で要となるのはエットレの存在だ。エットレは上官の命令に従い、残酷な写真を撮り続け、自らの行為を正当化する。ところが、イタリア軍の一員としてエチオピアに攻め入りながら、ユダヤ人であるために彼自身が迫害される立場に置かれることになる。そして戦後もエチオピアに残り、自らの罪に思い悩み、悔恨に苦しめられる日々を過ごす。エットレの内省、謎に包まれた父レオの生、父子の関係の物語は作品にさらなる深みをもたらしていると言えよう。
小説の主要なプロットは、ヒルトとエットレの視点の対比から成立していると言ってもいい。一九三〇年代の二人の物語はしだいに近づき、重なり、もつれ合い、一九七四年の現在地へとつながる。二人のあいだには温かさややさしさが生まれるが、やはりエットレはヒルトを理解しえないこと、二人の物語は相容れないことが示唆される。
そこで重要なのは写真である。著者は歴史の再構築のために史料調査をおこなったが、多くの空白と穴を埋めるには、〝推理〟の作業が必要だったという。ひとつに、イタリア人が撮影した写真が手がかりとなる。本書の巻頭と巻末に付された写真は、それぞれアステルとヒルトの人物造形のインスピレーションになったものだ。小説で細かく描写される写真は実在し、マアザ自身が所有しているものも多い。上半身を裸にされた女性たち、縛り首にされた少年……。つらくとも無数の写真を見つめて、そこに秘められたものを解き明かそうとした。
著者はイタリア兵が撮ったエチオピア人の写真を見ていて疑問に感じたことを、エットレを介して問うているという。撮影者はこの瞬間なにを考えていたのか、撮影する自らのことをどう思っていたのか、写真を撮ってなにが変わったのか、変わらなかったのか。また、写真によって見えるものと見えないもののあわいを探りたかったのだそうだ。イタリアの東アフリカ支配、より広く帝国主義の戦略には、写真や映像は不可欠なツールであった。支配下の人びとの〝野蛮〟のイメージを拡散し、視覚作用によって侵略戦争や植民地支配の暴力を覆い隠した。これらの写真はエチオピアやエチオピア人について語っているのではない。むしろ、イタリア軍と撮影者の非情さや男性性を映し出している。
エットレは写真のなかのヒルトを決して理解できない。目に見えるもの、イメージの力だけを信じているからだ。しかし、写真からは撮影者の存在を揺るがしうる別の物語や記憶の可能性が開かれていく。そこにはひと目ではわからない抵抗の身振りや視線が刻まれ、視覚ではとらえられない密やかなささやき、絶望の叫び、名を名乗る声が漂っている。作品の冒頭、ヒルトが持つ箱に入った写真の死者たちが雄弁に語り出す。「わたしたちの声を聞け。わたしたちを記憶せよ」。そしてついには、ひとりひとりの名が呼ばれ、影の王となったムヌムをはじめ〝無価値な者〟とされてきた者たち、名前と声を奪われた者たち、戦場を駆けた女たちの生の軌跡が歴史となる。
『影の王』は忘れられた歴史の局面を呼び起こす過程で、女性の声を取り戻し、封建制度下の抑圧をも明らかにする。帝国主義の残酷さを暴き、ジェンダーと階級の問題が絡み合うさまを巧みに表し、エチオピアの抵抗の記憶を多面的に描き出した傑作である。楽に読み進めることができない作品かもしれない。しかし歴史の複雑さを描くには、著者が選び取った手法や表現こそが適切だったのだろう。それでも、わたしたちはいくつもの声に耳を傾け、登場人物の心情に近づくことで、遠い場所、遠い昔の物語に思いを馳せることはできる。
二〇二〇年十一月以降、エチオピア北部のティグライ州でティグライ人民解放戦線(TPLF)とエチオピア政府とのあいだで戦闘が続いていた(二〇二二年十一月停戦合意)。この危機についても、エチオピアという広大で多様性豊かな国の近現代史を振り返り、政治の困難、矛盾や緊張関係をふまえて、はじめて見えてくるものがある。歴史に向き合うことは理解と共感への第一歩なのだ。