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SFの原初的な力とシリアスな世界観、中国SFの現在地/鏡明『三体』書評

11万部(電子版含む)のベストセラーとなり、10月には著者の劉慈欣氏の来日も控えている『三体』。 SFマガジン2019年10月号掲載の鏡明氏による本作の書評を掲載いたします。(編集部)

三体書影

SFの原初的な力とシリアスな世界観、中国SFの現在地
鏡明

 わたしにとって、『三体』は最も読みたい作品の一つだった。翻訳書で初めてヒューゴーを得たというようなこともその理由の一つだが、それ以上に、現在の中国SFがどのようなものなのか、そのことに興味があった。スタニフワフ・レムやストルガツキー兄弟といった作家たちの作品は、わたしにいつも新たな刺激を与えてくれた。異なった文化や体制のもとで生まれたSFには、新たなものをもたらす力がある。一般的な文学でも同じことが言えるだろうが、SFはそれらとは異なるものを提供してくれると思っている。
 そうした視点からすると『三体』はどうであったのか。中国的であると思える部分と、欧米のSFとのハイブリッドな作品という感じがある。
 ことにSF的なアイディアには欧米的な傾向が強い。著者の劉慈欣は、A・C・クラークのファンだったという話は聞いていたが、アイディアの方向性からすると、イマジネーションによる科学の拡張とでもいうか、たとえばバリントン・J・ベイリーといった作家たちに近いのではないか。それは思いがけないことだったと言ってもいい。
 自殺した科学者が残した「これまでも、これからも物理学は存在しない」という遺書。わくわくするではないか。しかも、これがただの発端、次々と幾つもの謎が提示されてくる。ちなみに、この物理学が存在しないという言葉の謎は解明されるのだが、それにいたる説明にビリヤード台が使われる。ビリヤードではない、ビリヤード台というところがミソ。アルフレッド・ジャリが提唱したパタフィジックもびっくりです。
 あるいはナノマテリアルによるワイヤの使い方も、その結果も含めて、これまでなかったようなものだが、ほぼ無茶なものだろう。こうした無理が幾つも出てくるのだが、それらのものから感じられるのはSFの原初的な力、センス・オブ・ワンダーと呼ばれるものに近い。過去に何度となく試みられた宇宙へメッセージを送り出す試みが失敗した原因の説明も説得力があるが、それを可能にする方法の壮大さに思わず笑い出したくなる。
『三体』の特徴は、こうしたSF的な部分と登場人物たちから感じられるシリアスな世界観との融合だ。かれらの多くは文化大革命によって多くの被害を受けているのだが、こうした文化大革命批判が書かれていることそのものが、中国における大きな変化を示しているように思う。ただそれは一面的な批判ではない。主人公の一人が元紅衛兵たちと面会するシーンはとても印象的だ。そこには加害者も被害者もいない。歴史に翻弄された人間がいるだけだ。そしてその歴史を創り出したのも人間なのだという考察が『三体』のテーマの一つなのかもしれない。善と悪には境界が存在しない。登場人物たちが常に二面性を抱えているのはそうした思考の結果なのだろう。
 知性のかけらもない傍若無人な男が、知的な人間たちが思いつかない解決策を提供したり、温厚な人物が殺人者であったり、あるいは世間から身を隠していた科学者が政治的な存在であったりするわけだ。こうした人物像はストーリーから来る必然的なものであるよりも、もっと本質的なものであるように思える。それが中国的ということかもしれないが、われわれ自身が抱えているものでもある。
 三体文明の処理が戯画的に過ぎるが、まだ三部作の第一作だ。これからどうなるか、期待してしまう。こういうSFが読みたかったのだという気分になる。

三体書影

『三体』(Amazonページに飛びます)
著=劉慈欣(りゅう・じきん/リウ・ツーシン)
訳=大森 望、光吉さくら、ワン・チャイ
監修=立原透耶
装画=富安健一郎/装幀=早川書房デザイン室

本書評はSFマガジン2019年10月号に掲載されています!

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