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オッペンハイマー解説③:クリストファー・ノーランはオッペンハイマーのどこに惹かれたのか

「原爆の父」と呼ばれた天才物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーの生涯を丹念に描き、全米で絶賛された傑作評伝がついに文庫化。映画監督クリストファー・ノーランも名著と賞賛する本書『オッペンハイマー(上・中・下、三巻組)』(カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン、河邉俊彦訳、山崎詩郎監訳、早川書房)は、日本での劇場公開に合わせ好評発売中です(電子書籍も同時発売)。
この記事では本書下巻に収められた、入江哲朗氏(アメリカ思想史家・映画批評家)の解説文を特別に試し読み公開します。本書をベースに映画化したノーランは、オッペンハイマーのどこに惹かれたのか? これまでのノーラン作品と『オッペンハイマー』との意外な共通点を読み解きます――

『オッペンハイマー』上中下巻カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン河邉俊彦訳、山崎詩郎監訳ハヤカワ・ノンフィクション文庫
『オッペンハイマー』上中下巻
カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン
河邉俊彦訳、山崎詩郎監訳
ハヤカワ・ノンフィクション文庫

解説 クリストファー・ノーランはオッペンハイマーのどこに惹かれたのか

 入江哲朗(アメリカ思想史家・映画批評家)

本書『オッペンハイマー』は、カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンが2005年に著した物理学者J・ロバート・オッペンハイマー(1904~67)の伝記である。本書はピューリッツァー賞を受賞し、またクリストファー・ノーラン監督の映画『オッペンハイマー』(2023)のベースとなったことでも注目を集めた。この映画は2023年12月に日本での公開が決定したため、ノーランの最新作を見るまえに予習しておきたいという気持ちから本書を手に取った方も少なくないだろう。〔日本での劇場公開は3月29日〕

原著American Prometheusは700頁を超えており、上中下の三巻に分かれた邦訳文庫版は、各巻に異なる書き手による解説を付している。この解説について言えば、主たる役割は、映画『オッペンハイマー』を見るまえに予習として――あるいは見たあとに復習として――本書を読むことは大いに有益だと読者にアピールすることにある。したがってまずは、本書からやや離れて、クリストファー・ノーランのフィルモグラフィーのなかに『オッペンハイマー』を位置づける作業から始めよう。

しかしそのまえに、いわゆるネタバレに関して付言しておく。映画のネタバレはこの解説から極力排されている。とはいえ本書も映画『オッペンハイマー』も実在の物理学者J・ロバート・オッペンハイマーの人生を主題としているからには、彼の人生上の出来事にこの解説も触れないわけにはいかず、それが映画でも描かれているという意味において映画の「ネタ」はこの解説にいくらか含まれている。事前の知識がまったくない状態でノーランの最新作を楽しみたい方は映画を見るまえにこの解説を読むべきではないが、そういう方はそもそも映画公開前に本書を手に取ることさえないだろう。もっとも私としては、オッペンハイマーとは何者かをまったく知らずにいきなり映画を見ることはあまりお勧めしない。本書を通読しておけば映画『オッペンハイマー』がいっそう味わい深くなる――そう読者に信じてもらうための議論を、手短な(しかも映画のネタバレを避けねばならない)解説の範囲内で展開するというのが、ここでの私のもくろみである。

クリストファー・ノーランの名が世に広く知られるきっかけとなった作品は、2000年に公開された『メメント』である。同作はノーランが監督した長編映画としては二作目にあたる。ガイ・ピアースが演じる同作の主人公レナードは、本人曰く、新しい記憶を10分ほどしか保持できないという障害をある事件の後遺症として抱えており、同じ事件において彼の妻は強姦され殺害された。『メメント』の顕著な特徴は、「前向性健忘」と呼ばれる短期記憶障害を負う主人公による犯人の捜索を、その設定の特殊さと同程度に複雑な形式をとおして語っていることにある。同作の複雑な形式を簡単にまとめればこうなる。

(1)白黒のシークェンスとカラーのシークェンスを交互に切り替えながら映画が進む。(2)白黒シークェンスはひとつまえの白黒シークェンスの続きを描く(時系列を順行しながら積み重なってゆく)。(3)カラー・シークェンスで描かれるのはひとつまえのカラー・シークェンスが描いた出来事の直前の出来事である(時系列を遡行しながら積み重なってゆく)。

いましがた「設定の特殊さと同程度に複雑な形式」と述べたけれども、かりにノーランの狙いが、前向性健忘を抱えながら生きる人びとにとってのリアリティを忠実に表現することに置かれていたならば、『メメント』の形式は必要以上に複雑であまりに技巧的だということになるだろう。言うまでもなく同作の野心は、時系列の順行と遡行を交互に切り替えながらひとつの真理へ映画が収斂してゆくという形式面のアイデアにこそ存している。したがってあえて悪く言えば、形式面の野心を実現するためのだし●●として前向性健忘――それを負いながら生きる人びとが実際にいるようなひとつの障害――が同作の設定に組み込まれており、このことを批判する声はノーランの耳にも届いているのではないかと思われる。とはいえ総じて言えば『メメント』は、特殊な設定と複雑な形式とを非常に巧みに連関させた作品として高く評価されている。たとえば精神科医の斎藤環は同作から「一種の機能美」を感じとっており、私自身もこの評価に同意する。

形式面の技巧性に対するノーランのこだわりは彼のフィルモグラフィーをとおして一貫している。2010年の『インセプション』は、夢のなかの夢のなかの夢に潜入するというミッションを映像化しており、そこでは、夢の階層が深まるにつれて時間の流れがいっそう遅く感じられると設定されている。この設定はおそらく、スローモーションを駆使した演出への意図から逆算して物語に導入されたのだろう。じじつ『インセプション』の醍醐味は、三層の夢の映像が異なる速度およびリズムで畳みかけられて見る者の現実感が揺るがされることにある。

あるいは2017年の『ダンケルク』は、第二次世界大戦下のダンケルクからの連合国軍の撤退を、一週間、一日、一時間という三つのタイムスケールが絡みあう複雑な形式をとおして描いており、2020年の『TENET テネット』に至ると時間が文字どおり(?)逆行するようになるのだが、後者の説明は紙幅を費やしすぎるため割愛せざるをえない。

ところで『インセプション』と『ダンケルク』は、三種の時間軸が交錯する点では共通している一方で、片や純然たるフィクションであり片や史実に基づくという差異を有してもいる。『テネット』はフィクションだが、時間の逆行は科学的に荒唐無稽というわけでは必ずしもないらしく、時間の逆行に科学的な説得力を持たせるためのアドヴァイスをノーランは物理学者のキップ・ソーンから得ていた。ソーンは、ノーランの2014年の監督作『インターステラー』においても、ブラックホールの表現などに関する監修をおこなっていた。要するにノーランのフィルモグラフィーは、特殊な物語を複雑な仕方で描くことへのこだわりにおいて一貫しているものの、『インターステラー』以後は複雑性の源泉を、クリエイターのアイデアよりもむしろ現実そのもの――科学(ブラックホールの周辺で重力や時間がどう歪められているか)や歴史(ダンケルクからの撤退の前後で何が起こっていたか)――に求めるようになってきている。

以上の概観を経てようやく、本書『オッペンハイマー』がノーランの最新作の材料として選ばれたことの意義を論じられる。映画『オッペンハイマー』は、やはりあいかわらず特殊な物語を複雑な仕方で描いた作品なのだが、ここでは複雑性の源泉が、J・ロバート・オッペンハイマーという実在の人間に求められている。オッペンハイマーがたしかに複雑な人間だったことは本書を読みはじめればすぐに明らかになる。しかし同時に、オッペンハイマーは量子力学の発展に寄与した物理学者であり、マンハッタン計画の一環として彼が率いた原子爆弾製造は広島および長崎への原爆投下という重大きわまりない歴史的帰結を伴ったのだから、そんなオッペンハイマーの複雑な人生を描く映画は、科学の複雑性と歴史の複雑性をともに取り込むという課題にも応えねばならない。

こう書けば、『インターステラー』や『ダンケルク』を経たノーランがオッペンハイマーという主題にどれほどのやり甲斐を覚えたかを想像しやすくなるだろう。そして本書は、あまたあるオッペンハイマーの伝記のなかでもっとも詳細なのだから、自らの映画に取り込むべき複雑性を確認するためにノーランが何度も本書に立ち返ったというのも納得できる話である。

本書の原著American Prometheusには、“The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer”という副題が付けられている。そして本書の序文は、オッペンハイマーの人生における「勝利」から「悲劇」への転換点があたかも「1953年のクリスマスを四日後にひかえた日」(上巻25頁)に刻まれているかのように始まる。その日オッペンハイマーは、原子力委員会(AEC)の顧問としての彼の地位を問題視するある告発がなされたことをAEC委員長のルイス・ストローズから伝えられ、ストローズから渡された告発の書簡には、身に覚えのないものも含めた34項目の嫌疑が列挙されていたのであった。

AECは翌1954年に、オッペンハイマーに対する保安聴聞会を実施し、結果として彼の保安許可は取り消され、彼と米国の原子力政策との関わりは断たれた。保安聴聞会の様子は本書下巻に収められている第Ⅴ部が克明に叙述している。

たとえば第34章は、AEC側の弁護士ロジャー・ロブからの、オッペンハイマーはソ連を利するために米国の水素爆弾開発を遅らせたという嫌疑に基づく質問に、オッペンハイマー自身がどう答えたかを伝えている。道徳的な見地から水爆製造に反対したという記憶にまつわるオッペンハイマーの回答には次の一節が含まれる。「わたしは常に、それがひどい武器であると考えていたからです。たとえそれが技術的な見地から、甘く優しく美しい仕事であったとしても、それが恐ろしい武器であるという考え方は変わりません」(下巻287頁)。

水素爆弾という「原子爆弾より数千倍も破壊力のある武器」(下巻88頁)は道徳的観点から見て「恐ろしい武器」(“a dreadful weapon”)であるとつねに考えていた――オッペンハイマーのこの言葉に噓がないことは本書の全体で強調されている。しかし同時に、米国における最初の原爆製造のリーダーであったオッペンハイマーは、科学者として、水爆製造が技術的観点からは「甘く優しく美しい仕事」(“a sweet and lovely and beautiful job”)に見えうることも理解していた。

この二面性は、オッペンハイマーが生涯をとおして抱えることとなったさまざまな二面性のひとつであるけれども、私見では、まさしくこの●●二面性こそが、オッペンハイマーという主題にクリストファー・ノーランを引き寄せた主要因だったのではないかと思われる。なぜなら先述のとおり、ノーランのフィルモグラフィーには「一種の機能美」を追求しつづけてきたという側面があるからであり、また他方で、特に『インターステラー』以後の彼は、技術的見地から「甘く優しく美しい」と言えるだけの仕事には飽き足らなくなっているからである。

さきほど、オッペンハイマーの人生が1953年12月21日に「勝利」から「悲劇」へ転じたかのように本書序文に書かれていると指摘したが、もちろんこの始まり方は著者たちの意識的な戦術である。「勝利」から「悲劇」へというわかりやすい道筋を辿ったかにいっけん思われるオッペンハイマーの人生が、実のところいかに複雑かつ多面的であるかが、本書の全体をとおして徹底的に論じられている。原爆製造の成功という「勝利」の裏にあるのは、言うまでもなく、広島および長崎への原爆投下という「悲劇」である。

理不尽な保安聴聞会によりオッペンハイマーの名声が決定的に傷つけられるという「悲劇」についてはたしかに、彼の「勝利」と見なしうる余地をいっさい伴わなかったかもしれない。しかし本書の著者たちからすればそれは、やはり「悲劇」のひとことで済ませられるものではなく、「錚々たる俳優がシェークスピア的テーマに取り組む舞台」(下巻298頁)として再構成されるべきものであった。かかる複雑性、多面性、重層性ととことん向きあった結果ぶ厚くなった本書を、ではノーランはいかにして三時間の映画に変えたのか。

本書を映画化するというチャレンジのためにノーランが採った戦術の数々は実に興味深いのだが、詳細に立ち入ることはいまは控えねばならない。ただしひとつだけ、顔へのクロース・アップが映画『オッペンハイマー』で多用されていることは指摘しておこう。歴史的に特異な場面において登場人物たちの内面に生じている複雑なドラマの表現を、ノーランは、俳優たちの表情へ積極的に委ねたわけである。この難題に応えた俳優たちの仕事ぶりは賞讃に値する。

しかし彼らの仕事ぶりのすばらしさは、彼らが演じている歴史上の人物たちに関する知識が皆無だと十分には味わえない。映画『オッペンハイマー』におけるノーランの諸戦術には全般的に、見る者の事前の知識を多少なりとも前提としているふしがある。逆に言えば、あらかじめ本書を読んでしっかり予習しておけば、映画『オッペンハイマー』を見るなかで「なるほどこれ●●あれ●●をノーランはこう重ねたのか!」というような驚きをきっと何度も覚えるだろう。

最初に宣言したとおり、この解説はここまで主たる焦点を本書と映画『オッペンハイマー』との関係に据えてきた。最後に、映画を視野からはずして、本書との関連において読まれてほしい二冊の本の紹介でもってこの解説を締めくくろう。本書の著者たちは序文で、本書が「きわめて個人的な伝記」(上巻31頁)であることを認めている。すなわち本書は基本的に、オッペンハイマーの人生のパーソナルな次元に定位している。しかし、オッペンハイマーは物理学史に重要な功績をいくつも刻んだ物理学者でもあるのだから、彼が(個人として何を為したかではなく)物理学者として何を成したかに主たる焦点を据えた伝記は本書とは違ったものになる。

まさしくこの問題意識に基づいて書かれた、本書に負けず劣らず大部なオッペンハイマー伝が、レイ・モンク(Ray Monk)のRobert Oppenheimer: A Life inside the Center(2012)である。同書は未邦訳であるが、彼が1990年に著した哲学者ルートウィヒ・ウィトゲンシュタインの伝記は邦訳されており(『ウィトゲンシュタイン――天才の責務』全二巻、岡田雅勝訳、みすず書房、1994年)、この見事なウィトゲンシュタイン伝をとおしてモンクの伝記作家としての力量に感嘆した方は日本にも少なからずいらっしゃるだろう。

もうひとつ、伊藤憲二『励起――仁科芳雄と日本の現代物理学』(上下巻、みすず書房、2023年)も強くお薦めしておきたい。物理学者の仁科芳雄(1890~1951)が太平洋戦争末期の日本で率いた「ニ号計画」はしばしば、「日本の原爆開発」とか「日本版マンハッタン計画」と称されるけれども、かかる理解がどの程度不正確であるかが伊藤による緻密な仁科芳雄伝で詳しく論じられている。すなわちオッペンハイマーと仁科の重なりは見かけほどには大きくない。しかしそうしたずれも含めて、両者の比較を本書『オッペンハイマー』および伊藤の『励起』から学びとることは、とりわけ原爆被爆国に生きる者にとって大いに意義深い作業となるはずである。


本書『オッペンハイマー』(上中下巻)は好評発売中です。(電子書籍も同時発売)

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■書誌概要

『オッペンハイマー(上中下巻)』
原題:American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer
著者:カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン
訳者:河邉俊彦
監訳:山崎詩郎
出版社:早川書房(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
発売日:2024年1月22日(電子書籍も同時発売)
本体価格:各巻1,280円(税抜)
※本書は2007年8月にPHP研究所より刊行された単行本『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』に新たな監訳・解説を付して改題・文庫化したものです。

■映画『オッペンハイマー』概要

(2024年3月29日 日本公開予定)
原題:Oppenheimer
監督、脚本:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス、チャールズ・ローヴェン、クリストファー・ノーラン
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネ
ット、ケイシー・アフレック、ラミ・マレック、ケネス・ブラナー他
原作:カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン 『オッペンハイマー 』(2006 年ピュリッツァー賞受賞/ハヤカワ⽂庫、2024 年1 ⽉刊⾏)
2023 年/アメリカ
配給:ビターズ・エンド ユニバーサル映画
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