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衝撃のホームズ・パスティーシュ『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』訳者・日暮雅通氏あとがき

 あのシャーロック・ホームズ物語とクトゥルー神話がまさかの合体!? 昨日発売のジェイムズ・ラヴグローヴ『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』(日暮雅通訳、ハヤカワ文庫FT)は、コナン・ドイルによるあのシャーロック・ホームズと、H・P・ラヴクラフトが創始したコズミック・ホラー「クトゥルー神話」の、衝撃のマッシュアップです!
本欄では訳者の日暮雅通氏による解説を再録します。


解説(あとがきにかえて)

 本書は、英国の作家ジェイムズ・ラヴグローヴによる”クトゥルー・ケースブック”三部作──つまり”クトゥルー神話”をテーマにしたホームズ・パスティーシュの、一作目である。

 本作では、アフガニスタン帰りのワトスンが1880年にホームズと出会ってベイカー街に住みはじめたころ、二作目ではその十五年後の1895年、三作目ではさらに十五年後と、三十年間にわたるホームズたちとクトゥルーの神々や怪物たちとの闘いが、ワトスンの回顧録として語られる。それぞれの原題や簡単な内容は、後出のリストをご覧いただきたい。

 シャーロック・ホームズは『バスカヴィル家の犬』の中で、「ぼくはこれまでのところ、自分の調査をこの現実世界に限ってきています。そこそこ悪と闘ってきましたが、悪魔本人を相手にしようなどというのは荷が重い」とモーティマー医師に言った。また、その後の「サセックスの吸血鬼」事件では、吸血鬼伝説の資料を放り出して「この世だけだって広くて、それの相手で手いっぱいだ。この世ならぬものなんかにまで、かまっていられるもんか」とワトスンに言っている。

 つまり、コナン・ドイルが探偵小説の黎明期に生み出したホームズ物語は、あくまで論理と理性による現実世界のものであり、そこには幽霊譚やホラーやファンタジーの入り込む隙はなかった。しかしパスティーシュの世界では、かなりの昔から「この世ならぬもの」が登場するホームズ・ストーリーが生み出されてきた。本書の場合は、H・P・ラヴクラフトが創り出して、その後多くの作家がフォローして世界を広げてきたコズミック・ホラー、・クトゥルー神話・の世界を、ホームズの世界と融合させているわけである。

 この十数年は、そうした「超自然スーパーナチュラル」や「パラノーマル」な要素、あるいは別の有名作の世界や人物を、ホームズ物語の世界に融合させる「マッシュアップ小説」や「クロスオーバー作品」がかなり増加してきた。ドラキュラやフランケンシュタイン、ジキルとハイド、クトゥルー神話といった古典的なものや、SFやファンタジー(魔法世界を含む)およびゴースト・ストーリーのさまざまなテーマ、それに著名ミステリの主人公たち。英国の長寿番組『ドクター・フー』も例外ではなく、本作についても「動く(生きている)影」は『ドクター・フー』のヴァシュタ・ネラダを連想させるし、爬虫類人間は同じくサイルリアンという爬虫類先住民族に似ている、という指摘があるくらいだ。

 問題は、その相容れぬはずの世界や人物をどううまく融合させるかだろう。ワトスンは自分がアフガニスタンで受けた銃創について、正典(ホームズ物語六十篇)のある作品では肩だと書き、別の作品では脚と書いており、この謎がシャーロッキアンの研究ネタのひとつになっている。この謎をうまく利用し、実はジェザイル弾によるものでなくクトゥルーの……というラヴグローヴの設定は、なかなかみごとだと言えよう。ワトスンは実際に起きた出来事を隠しており、正典に書かれていない驚くべき事実があったのだ、というのはホームズ・パスティーシュの典型的な手法のひとつだが、ラヴグローヴもまた、この手法を使ってさまざまな辻褄合わせをしているわけである(若干のほころびはあるが)。

 著者ジェイムズ・ラヴグローヴは、1965年に英国イースト・サセックス州に生まれ、オックスフォード大学で文学を専攻した。大学時代から小説を書きはじめ、1990年に最初の長篇 The Hope がマクミラン社から刊行された。二作目の長篇 Days は一九九八年のアーサー・C・クラーク賞にノミネートされ、長篇 United Kingdom は2004年のジョン・W・キャンベル記念賞にノミネートされた。短篇では「月をぼくのポケットに」(1999年)で日本の星雲賞を受賞している(後出リスト参照)。その後はミリタリーSFやヤングアダルト向けファンタジー(別名義。後出のリスト参照)、ホームズ・パスティーシュ(これまでに長篇十一作、短篇集一冊)などを出したほか、2018年からはアメリカのSFテレビドラマ・シリーズ『ファイヤーフライ 宇宙大戦争』(Firefly)のメディア・タイアップ小説を書いている。

 

●ラヴグローヴ作品 邦訳リスト

「月をぼくのポケットに」(1999年)短篇。『ワイオミング生まれの宇宙飛行士 宇宙開発SF傑作選』所収(中村融編、ハヤカワ文庫SF、2010年)2011年の星雲賞を海外短編部門で受賞。

「堕ちた銀行家の謎」(2013年)短篇。『シャーロック・ホームズとヴィクトリア朝の怪人たち 2』所収(ジョージ・マン編、尾之上浩司訳、扶桑社ミステリー、2015年)

『スカイシティの秘密 翼のない少年アズの冒険』(原書刊行2006年、金原瑞人・圷香織訳、創元推理文庫、2008年)および『海賊船ベヘモスの襲撃 翼のない少年アズの冒険2』(原書刊行2007年、圷香織訳、創元推理文庫、2009年)ジェイ・エイモリー名義の長篇ファンタジー。

 

●ラヴグローヴによるホームズ・パスティーシュの単行本

Sherlock Holmes: The Stuff of Nightmares (2013年)長篇。1890年秋のロンドンが舞台で、バネ足ジャックを思わせる怪人が登場するスチームパンク。

Sherlock Holmes: Gods of War (2014年)長篇。1913年、引退後のホームズが、カルト教団をめぐる殺人事件を調査。

Sherlock Holmes: The Thinking Engine (2015年)長篇。1895年、オックスフォード大学の教授が"思考機関"を発明。ホームズと対決し、殺人事件などの事件解決を競う。

The Cthulhu Casebooks: Sherlock Holmes and the Shadwell Shadows (2016年)長篇。クトゥルー・ケースブック三部作の一作目。本書。

Sherlock Holmes: The Labyrinth of Death (2017年)長篇。一八九五年、「エリュシオン」(ギリシア神話に登場する死後の楽園)というカルト教団に入った友人を追って、高裁判事の娘が行方不明に。

The Cthulhu Casebooks: Sherlock Holmes and the Miskatonic Monstrosities (2017年)長篇。クトゥルー・ケースブック三部作の二作目。一作目から十五年後の1895年、ベドラム精神病院の患者のひとりがルルイエ語を話したことから事件は始まる。患者はかつてミスカトニック大学の科学者だった。モリアーティの"隠れた精神"ルルフロイグとの闘い。

Sherlock Holmes: The Devil’s Dust(2018年)長篇。1884年、伝説の猛獣ハンター、アラン・クォーターメインがホームズとともに殺人事件を調査。

The Cthulhu Casebooks: Sherlock Holmes and the Sussex Sea-Devils(2018年)長篇。クトゥルー・ケースブック三部作の三作目。二作目からさらに十五年後、サセックスで引退生活を送るホームズの周辺で、海に潜む怪物の犠牲になったと思われる事件が起きる。クトゥルーとの最後の対決。

Sherlock Holmes and the Christmas Demon (2019年)長篇。1890年のクリスマス直前、クリスマスの悪霊に取り憑かれたと信じ、苦しむ名家の長女が依頼人。一家にとりつく霊はほかにもいて、家族のひとりが死体となって発見されたとき、ホームズはすべての人物に疑いがあると気づく。

The Manifestations of Sherlock Holmes: A Short Story Collection (2020年)短篇集。これまで各アンソロジーに発表してきた九篇に、書き下ろし三篇を追加。書き下ろしのうち“The Affair of the Yithian Stone”は、クトゥルー三部作のうち一作目と二作目のあいだの時期の出来事。

Sherlock Holmes and the Beast of the Stapletons (2020年)長篇。一八九四年、〈バスカヴィル家の犬〉事件から五年後、結婚して息子もできたサー・ヘンリー・バスカヴィルを、妻の惨殺死体が沼地で発見されるという悲劇が見舞う。ステイプルトンが生きていて復讐のため戻ってきたのか……。

Sherlock Holmes and the Three Winter Terrors (2021年)長篇。1899年、1890年、1894年と、ホームズとワトスンは三つの殺人事件を解決する。いずれも超自然現象の要素がありそうな気味の悪い事件だったが、その三つの事件が語られたあと、すべてに共通項があることがわかる。

 

 最後になったが、クトゥルー神話関係のカタカナ表記は、特にどの文献に準拠したというわけではないことを、お断りしておく。ルルイエ語については、ラヴクラフトWikiを始めとするいくつかのウェブサイトを参考にした。全体の訳出にあたっては、府川由美恵、野下祥子のお二人にご協力いただいた。記して感謝したい。

  2022年7月 訳者

『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』
2022年8月17日(水)発売!

ジェイムズ・ラヴグローヴ/日暮雅通訳
イラストレーション/鈴木康士
デザイン/albireo

ある日突然H・P・ラヴクラフトが血縁であることを知らされた作家ラヴグローヴ。彼はラヴクラフトが保管していたジョン・ワトスン博士による秘められた原稿を託される――1880年ロンドン、ワトスンはひょんなことから怪事件を追う探偵ホームズと出会う。事件の背後にいるのはクトゥルーの古き神々! ふたりは深淵へと足を踏み入れる。ホームズ物語とクトゥルー神話を大胆にマッシュアップした前代未聞のパスティーシュ!

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