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連続殺人犯から頼まれたのは、1件の冤罪の証明だった――【5刷決定】『死刑にいたる病』冒頭公開、第2回。

『死刑にいたる病』冒頭公開、2回目の更新です。鬱屈した大学生活を送る雅也は、地域で人気のベーカリー店店主であり、幼いころの自分のよき理解者であった榛村に会いに行くが……

死刑にいたる病 第1章

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 予想していたより、かの施設は明るく清潔だった。
 まず門にある受付で「なんの用で来たのか」と訊かれる。「面会だ」と答えると、来訪者用のバッジを渡された。雅也はすこし迷ったのち、バッジをシャツの胸ポケットにとめた。
 中へ入ると、さらに受付があった。バッジの番号と〝彼〟の名を申請する。差しだされた用紙へ必要事項を記入する。
「のちほど番号でお呼びしますので、待合室でお待ちください」
 事務的な声でそう言われた。
 雅也は他の面会希望者とともに、冷えた長い廊下を歩いた。生まれてはじめて歩く、拘置所の廊下であった。
 待合室は総合病院のそれによく似ていた。
 ベンチが並び、上部にバッジの番号を知らせる電光掲示板がある。面会希望者たちはみな、すぐには座らず脇の売店へと向かった。つられるように雅也も、彼らのあとを追った。
 まわりを目で確認し、見よう見まねで新品の靴下と下着、歯みがき粉、最新の週刊誌二冊を買った。
 自分のためではない。これから会いに行く〝彼〟が望んだ品であった。
 ベンチに座って待つ。やがて番号が呼ばれた。金属探知機にひっかかりそうな携帯電話や金属品のたぐいは、あらかじめロッカーに預けておくのが決まりだった。
 通された『面会室』の椅子に座り、雅也は再度待った。
 狭くるしい小部屋だった。部屋というよりは箱に近い。透明なアクリル板で仕切られたカウンターに、パイプ椅子が置いてあるきりだ。殺風景を通りこして、寒ざむしいほどであった。
 眼前に〝彼〟があらわれて腰をおろすまでには、おそらく一分も要しなかっただろう。
 パイプ椅子に座った彼は、ごく普通の人間に見えた。
 どこも変わったところのない、落ちついた態度の穏やかそうな男だ。透明な仕切りの向こうで、色の褪めたダンガリーシャツを着て指を組んでいる。受刑服でないのは、おそらく未決囚だからだろう。
 繊細な顔立ちだった。カウンターの上で組んだ長い指も、ピアニストか芸術家のように美しかった。細い鼻梁(びりょう)、長い睫毛。鳶色(とびいろ)の瞳がガラスのように澄んでいる。もし彼の経歴を知らず、かつこんな場所で出会ったのでなかったら、「俳優ばりの、上品な美男子」だと感じたに違いなかった。
 事前にインターネットで調べた経歴によれば、満で四十二歳のはずだ。だが色白で皺のない肌のせいか、彼はやけに若く見えた。
 男のすぐ横には、制服姿の刑務官が座っていた。どうやら面会の会話を書きとる役目らしく、ペンを手に顔を伏せている。
 雅也はつばを飲みこんだ。
 べつだん、刑務官になにを書きとめられても困りはしない。やましいことなどなにもない。当然だ。この男に面会するのは、今日がはじめてなのだから。
 自分に後ろ暗いところは一つもない。神に誓ってそう言える。
 だが雅也はその瞬間、かつてないほどに緊張していた。胃の底がぞわぞわする。腕の産毛が逆立つ。
 ──でも、それでいいんだ。
 己にそう言い聞かせた。それが人間として当然の反応だ。恥ずかしくなんかない。それにこんなおれを、いまは誰も見ていやしない。いま目の前に座る、不思議に静かな眼をした男の他は。
 男の名は、榛村大和(はいむらやまと)。
 一審で死刑を宣告され、現在控訴中の未決囚だ。そして同時に、おそらく国内において戦後最大級の連続殺人者(シリアルキラー)であった。
 榛村はアクリル板の向こうで、ふっと切れ長の目を細めると、
「久しぶりだね。まあくん」
 と微笑んだ。
 
 榛村大和の名を検索すれば、パソコンのモニタには一瞬にして膨大な情報が溢れかえる。
 いわく、猟奇殺人犯。連続殺人鬼。秩序型殺人犯。演技性人格障害者。鬼畜。シリアルキラー。異常者。怪物。等々──。
 榛村が二十四件の殺人容疑により逮捕されたのは、五年前のことだ。
 しかし警察が立件できたのは、そのうちわずか九件のみであった。翌年一審が開始され、結審までに約四年半を要した。
 惨劇の舞台は北関東のはずれにある、田圃と畑ばかりが広がる農村だった。被害者は大半が十代の少年少女で、下は十六歳から上は二十三歳。立件された九件の内訳は、少年四人に少女が四人、成人女性が一人であった。
 ほぼ全員に捜索願が出されていたものの、警察は「自主的に失踪できる年齢」とみなし、事件性なしの一般家出人扱いとして大規模な捜査はおこなっていなかったという。
 逮捕直後から、榛村大和の存在はテレビのニュースでも週刊誌でも、ネットでも大きな話題となった。さらに詳細なルポルタージュ本が数冊出版され、事件概要はもちろん、生い立ちや経歴、人となりも広く知られることとなった。
 いま一度、目の前に座る男の顔を雅也はまじまじと見つめた。
 白磁のようになめらかな頬には、なんの感情も浮かんでいない。これが凶悪な連続殺人犯だなどと、いったい誰が信じるだろう。
 雅也とて信じられなかった。第一、記憶の中にあるこの顔は殺人者などではなく、そう──。
「まあくん」
 懐かしい呼び名で、彼が笑う。だが瞬時にかぶりを振って、
「いやごめん。いまはもう、〝まあくん〟なんて呼んじゃいけない歳だな。雅也くん……いや、筧井くんのほうがいいか」
「いえ」
 雅也でいいです──となぜかへりくだって答えてしまう。
 榛村は目をしばたたき、やがてうなずいた。
「そうか。じゃあ、雅也くんで」
 その仕草、この声、笑顔。なにもかもがひどく懐かしい。郷愁にも似た、疼くような胸の痛みを誘う。
 ──きっとあの頃が、おれの人生の絶頂期だったんだ。
 ほろ苦く雅也は思った。
 当時は、とくにガリ勉せずとも成績はオール五だった。どの教師も彼を特別視した。父親は息子がひとかどの人物になると信じて疑わなかった。
 やや積極性に欠ける性格ではあったものの、友達は多いほうだった。一部の生徒から「真面目クン」と呼ばれ、うとまれることはあっても、いじめや仲間はずれとは無縁な義務教育時代を過ごした。
 ──そうか、彼はあの当時のおれしか知らないんだ。
 ようやく雅也はその事実に思いあたった。そうか、だから彼はおれを呼んだのかもしれない、と。
 父親と祖母は周囲に「雅也は法学部に入学した」とだけふれまわり、肝心の「どの大学に合格したか」は濁しつづけているらしい。かつての神童のイメージを壊すまいと、本人以上に躍起になっているのだ。滑稽だった。
 だが、
 ──榛村はあの頃の、十五歳までのおれの姿しか知らない。
 その事実は、奇妙に雅也を安心させた。
 雅也は小学校高学年から榛村の店に通いはじめた。そして最後に訪れたのは、高校入学を目前にした三月の昼さがりであった。
 庭の白木蓮が、大きなつぼみを膨らませていたのをおぼろげながら覚えている。寮つきの進学校に合格したのを機に、彼は親もとを離れることになったのだ。
 合格おめでとう、さびしくなるよ、と榛村は笑顔で言ってくれた。帰省したときはまた寄ってね、とも言われたはずだ。
 記憶の中の榛村は、いつも白い服に白い帽子だ。そしてつねにショウケースの後ろに立っている。
 優しい笑顔。清潔な手。上質なバターと、焼きたてパンの甘い香り。
 彼は地元では名の知れたベーカリー『ロシェル』の店主だった。そして逮捕されるその日まで、人気のデニッシュやバゲット、スコーンを焼きあげては、絵のようにきれいな笑顔で客へと手渡していた。少年少女たちを監禁し拷問の果てに殺した、その両手で。
 そういえばおれは、あの店のパニーニのサンドウィッチが大好きだった──。雅也はそう思い返す。
 ベーコンとレタスとトマトを挟んだ、いわゆるBLTサンドをよく買った。スモークサーモンとチーズのサンドも美味かった。ソーセージとザワークラウトに、辛子をきかせたホットドッグも好きだった。
「商品のため、自宅に手製の燻製小屋を建てたんだ」
 と榛村はよく言っていた。
 彼の自宅は、店から車で四十分以上かかる農村地帯のはずれに建っていた。その地名のついた土地のうち、九割九分が田圃もしくは畑だった。人家はたったの六軒しかなかった。そのいっとう端の家を買い、彼は広大な庭に燻製小屋と鶏小屋を建てた。
「煙でご迷惑をかけたらすみません。鶏も臭うかもしれませんが、もし気に障るようならいつでも言ってください」
 と、榛村はしばしば菓子折りを携え、近所をまわって歩いていたという。
 近隣の住民も、店の常連も、みな彼に好感を抱いた。店はいつも彼目当ての女性客で溢れかえっていた。
 榛村はまめに常連からアンケートをつのり、要望どおりにフルーツを使った甘いデニッシュを増やし、かと思えば糖尿病に悩む客のため低糖質のパンを開発し、商品札のアレルギー表示をわかりやすく改訂した。誰の目にも、彼は真摯に商売に励んでいると見えた。
 だから、誰一人あやしまなかった。
 彼の家から時おり、鶏とも鳩とも違うけものの臭いがただよってきても。燻製小屋の煙突がやけに長時間、真っ黒な煙を吐いている日があっても。彼がしょっちゅう庭を掘り、庭木を植え替えてばかりいたとしても。
 周囲の人間はみな、彼に好意的だった。
 榛村がたまにステレオを大音量で鳴らしても、「若い人はロックやら、やかましい音楽が好きだからしょうがない」と思い、若者を家に連れこむところを目撃しても「さすが、イケメンはもてるわ」と笑い話で済ませてしまった。
 彼の燻製小屋でなにが燃やされているのか。大きな冷凍貯蔵庫になにが切り分けられて突っこまれているのか。なにが鶏の餌に混ぜられているのか。
 疑う者はいなかった。榛村が逮捕されてはじめて、住民たちは天地がひっくり返ったかのごとく仰天した。
 彼の家の庭から大量の人骨が掘り起こされたあとでさえ、
「まさか、あの人に限って」
「なにかの間違いです」
 と、彼らはマスコミのマイクに向かって答えた。
 あまつさえ冤罪を訴える署名運動まで起こり、村民だけでなく店のまわりの町民、市民の三百人余が喜んで署名した。
 そんな世俗の動きをよそに、取調室で榛村は淡々と供述した。
「逮捕されたのは、ぼくの思いあがりのせいです」
 担当の捜査官に、そう彼は言ったそうだ。
「油断しました。犯行が長い間うまくいきすぎたので、くだらない万能感が生まれてしまった。もしかしたらこのまま一生捕まらないのではないかと、ありえないことまで考えました。調子にのりすぎたんです。欲望のままに犯行を進めた結果、行動がルーティンになり警戒心が薄れた。すべてはぼくの、よけいな自惚れがゆえです」
 さらに彼はこうも言ったという。
「もう一度やりなおせるなら、今度こそ慢心しないでしょう」
 ──と。
 そんな榛村から、雅也のもとに一通の封書が届いたのは先週のことだ。
 宛名は『筧井雅也様』で、差出人は『榛村大和』。
 心あたりのない名だった。リターンアドレスとして書かれた住所にも、まるで見覚えがなかった。
 その後自宅のパソコンを立ちあげ、その住所を検索した雅也は顔色を失うことになる。つづけて出た〝榛村大和〟の情報にもだ。
 ここ数年、雅也は政治経済以外のニュースにひどく疎かった。テレビを「くだらない娯楽」だと切り捨て、「低俗な週刊誌」にも、「馬鹿馬鹿しいゴシップ」にも背を向けて生きてきた。
 かつて行きつけだったベーカリー『ロシェル』の店主が逮捕されていたことさえ、彼は知らなかった。
 ──なぜ、おれは来てしまったんだろう。
 いまさらながら自問する。
 相手はたかだか子供の頃、ちょっと懐いていたパン屋の店主に過ぎない。何年も顔すら見ていなかった相手だ。思いだすことさえ稀(まれ)だった。なんと乞われようと来る義理はなかった。なのに、なぜ。
「あの……」
 おずおずと雅也は口をひらいた。
「手紙、届きました。父が、アパートへ転送してきて」
「ああ」
 榛村がちいさく首肯した。
「ご実家の住所しかわからなかったものだから、ごめんね。でも親御さんが転送してくださったのか。きみに似て、親切なかたなんだな」
 親切ね──と雅也はひとりごちた。
 あの封書の宛名書きは父親の字だった。ポストを管理しているのは父だから不思議はないが、べつに親身になったがゆえではあるまい。面倒ごとにかかわりたくないという気持ちのあらわれだ。巻きこまれるのがいやで、息子に丸投げしたのだ。
「次は直接アパートに送りたいから、いまの住所を教えてもらえるかな」
 榛村が微笑む。
 雅也は一瞬詰まった。教えたくはなかったが、じっと見つめられていると断れなかった。しかたなく口頭で、聞きとりにくいよう早口で答えた。
「ありがとう」
 と榛村はうなずいてから、
「ところで、この面会時間には制限があるんだ」
 と口調をあらためた。
「本来なら三十分の権利が認められているはずなんだが、実際は五分以上話すと、刑務官にいい顔をされないんだ。だから、ずばり本題に入らせてもらう」
 わずかに彼は顔を寄せてきた。吐息で、アクリル板がうっすら曇る。
「ぼくがやったこと、知ってるよね」
「あ──ええ、まあ」
 雅也は顎を引いてうなずいた。
「そうか。じゃあきみはいま、ぼくについてどれくらいの情報を持っているのかな」
 いやな質問だった。だが答えないわけにもいかなかった。
 雅也は彼からわずかに視線をそらして、
「ええと、ハイティーンの少年少女を、たくさん殺したって。確か二十四件の殺人容疑で、九件が立件されて、つい先月に死刑判決を受けたばかりだ、って……」
「それだ」
 榛村はうなずいた。
「その、九件目の殺人だよ」
 彼は勢いこんで、
「二十三歳の女性が絞殺され、山奥に遺棄された事件。あれはぼくの犯行じゃない。彼女はぼくのターゲット層とは異なる。手口だって違う。──あの一件に関してだけは、ぼくはまったくの冤罪なんだ」
 とひといきに告げた。
 雅也は息を呑んだ。(続く)

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