【書籍化決定】「流れよわが涙、と孔明は言った」三方行成ショート・ストーリー

『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』が発売となった三方行成氏によるショート・ストーリー「流れよわが涙、と孔明は言った」を無料公開します(初出:カクヨム)。どこに着地するか誰にもわからない物語をお楽しみください。(編集部)

  追記:本作のほか4篇を収録する短篇集、4月18日(木)発売!


Flow My Tears, Zhuge Liang Said


 孔明は泣いたが、馬謖のことは斬れなかった。

 硬かったのである。

「どういうことだ……」

 孔明はうめいた。首切り役人もうめいた。馬謖もうめいていた。

 概ね、同じ理由でうめいていた。

 馬謖の首が落ちない。

 首切り役人が斧を振り上げ、打ち下ろした。

 がん、と岩を打ったような音に続いて、金属の音が響く。

 汗みずくの首切り役人が斧を取り落としたのだ。

 孔明は首切り役人を下がらせた。

 次を呼び寄せる。

 三人目である。 

 人の首は硬い。一刀のもとに断ち切るのは見かけほどたやすくない。だが、それにしても異常であった。

 孔明は馬謖を見た。

 馬謖はもう動かない。

 断頭台にくくりつけられ、斧の衝撃に体を跳ねさせるのみ。

 うめき声が漏れるのは気管が潰れ、空気が漏れるせいだろう。

 孔明はそう断じた。

 そうでなければ、やりきれなかった。

 弟子である。

 大事を任せ、失敗を犯し、罰しなくてはならなくなった。

 それでも、可愛い弟子だったのである。

 孔明は馬謖のために涙を流した。

 だが今は――

 孔明は迷う。

 馬謖は斬れない。

 斬っている。だが斬れない。

 硬いのである。

 今の馬謖は何なのか。孔明にはもうわからない。

 斧が振り下ろされ、取り落とされた。

 孔明はうなずき、兵士たちを呼び寄せた。

「ノコギリを」

 とにかく斬る。馬謖の首を切る。なんとしてでも斬ってみせる。

 涙は、既に乾いていた。


 孔明はノコギリを用いたが、馬謖の首は斬れなかった。

 歯がたたないのである。

 乱麻を断つという快刀を求めた。

 達人に助けを乞うた。

 全て無駄であった。


 人力を投じ、時間をかけ、あらゆる刃物を試した。その全てが失敗に終わった。駆り出された兵士たちは不満を漏らし、恐怖を語った。

「あんなに斬れないわけがない」

「あれは自然のものでない」

「あれは魔物だ」

「妖怪だ」

「丞相は妖物に魅入られた」

 馬鹿馬鹿しい。

 孔明は一笑に付した。

 馬謖は弟子である。人間である。今は死んでいる。

 そんな簡単なことがなぜわからぬ。

 孔明は愚か者たちに見切りをつけた。

 人には頼れぬ。

 ならば。

 他の手。

 孔明は機械仕掛けを選んだ。

 まずは動力。水車から歯車と鎖で力を伝える仕組みを作り上げた。

 そうして、次々と機械を考案していった。

 投石機を改造し、石の重みで刃を持ち上げ、落とす機械。

 鋼線の輪を、水力でもって引き絞る機械。

 回転する万力。頭部と胴とを固定し、ねじ切る。

 熱された金属が柔らかさを増すことを見てとり、赤熱した金属棒を押し当て、焼き切る仕組みを考案した。

 酸でもって肉を焼くことを試した。

 小便や糞にも漬け込んだ。

 全ては、馬謖の首を落とさんがため。

 全ての仕掛けは、威力を死刑囚で確認した。

 いずれも、たやすく首を切断した。

 馬謖の首以外は。


 孔明はついにヤケを起こした。

 馬謖を埋めた。

 忘れるためでない。埋葬でもない。

 腐らせ、骨にするためである。

 肉を腐らせ骨を断つ。

 卑怯な裏技。

 そんな思いを、孔明は押し殺した。

 半年待った。

 掘り出した。

 馬謖はそのままだった。

 腐ってさえいなかった。

 湿った土が、どぼどぼと臭った。

 馬謖は切れなかった。まるで、孔明をあざ笑うかのように。

 冷えた頭が、また徐々に熱を持った。

「何か方法があるはずだ」

 孔明は意気込んだ。

 体に力がみなぎっていた。

 半年の休暇が効いていた。

 勢いのままに馬謖を踏んだ。

 足のマメが潰れた。

 痛みのあまり、涙がこぼれた。

 すると――馬謖の横から馬謖が生えた。

 まるで雨後の筍のように馬謖がつぎつぎと生えだしてきた。

 孔明はあっけにとられ――

 笑った。

 庭の雑草。

 また馬謖を伐る理由ができた。


 孔明は腕まくりして馬謖を伐ったが、なかなか伐れなかった。

 草刈りは案外大変なのである。

 まして、相手は。

 馬謖。

 早朝。

 汗をダラダラ流して、孔明は一生懸命馬謖を伐った。

 馬謖はすくすく伸びてすぐに林をなした。

 斧を馬謖の根本に叩きつけ、鋤で馬謖の根を掘り返す。

 馬謖は地下でつながっていた。

 まるきり、竹。

 生い茂る、竹。

 馬謖。

 疲れ果て、馬謖の根本に腰を下ろす。

 孔明は頭上を見上げた。

 涼しい風が吹き渡り、生い茂る馬謖が優しく影を落とした。

「もうひと頑張りするかあ」 

 孔明は汗を拭き、伸びをした。

「今日中に伐ってしまわないと、面倒だからなあ」

 馬謖がさわさわ揺れた。

「ってなにがだ!! なんなんだお前は!」

 孔明は馬謖を蹴った。

 足首を、痛めた。


 孔明はキレた。馬謖は斬れなかった。

 怒りを持て余すうちに、孔明は空腹に気づいた。

 気分転換に料理をしよう。

 材料は――

 無論。

 馬謖。

 馬謖の皮を剥いて水に晒しましょう。

 アクが取れたら引き上げて、細かく刻みます。

 油通しをしたら、刻んだネギや野菜とともに強火で炒めましょう。

 豆板醤をからめて、辛口の肉味噌に仕上げます。

 餡ができたら次は皮。

 小麦粉を練って広げて畳んで延ばして、小さく小分けにしましょう。

 平たい円盤状にして、粉を打って、先の肉味噌を包みます。

 皮は厚めが美味。そう、饅頭です。

 河伯へ捧げる生贄の代わりとして、孔明が工夫したものが饅頭の始まりという説もあります。

 ふっくらあつあつ、蒸しあがったらハイ出来上が――

「切れぬ!」

 孔明は包丁を投げすてた。馬謖が刻めなかったのである。

 料理って、難しいですよね。

 孔明は空腹を抱いて眠りについた。

 

「チー」

 孔明は鳴いて馬謖を切った。

「ロン」

 下家が牌を倒した。

「馬謖のみ。10兆点」

「な、何ィー!?」

 孔明は怒りに満ちて卓を蹴倒した。雀牌が滝のように流れ落ちた。

「馬謖などという牌はないッ」

「雑草という草がないように、か?」

 だん、と馬謖が足を踏み鳴らした。

 雀牌が飛び上がった。牌は浮かび、馬謖の周りにたゆたって、空を行く渡り鳥のように宙を泳いだ。

 何の前触れもなく、馬謖の体が崩れた。

 馬謖は雀牌であった。

 しかも、全てが溶けて、つながっていた。

 孔明は色を失った。

「馬謖という牌がある。そんな可能性もあるんだ。有限の粒子が無限の宇宙に広がるならば」

 パッチワーク宇宙論さ――

 馬謖の声だけが虚ろに響いた。 


 目覚めた。

 悪い、夢を見ていた。

 夜半であった。

 空腹に耐えかね、孔明は厨房へさまよい込んだ。

 冷めた鍋を覗き込む。

 あくびを漏らした。

 その時、涙がこぼれて鍋に落ちたが、孔明は気づかなかった。

 中から馬謖を引き上げ、すする。

 馬謖はくにゅくにゅと口の中でゆがんだ。

 前歯で噛んでつい、と引くと、馬謖は糸をひくように柔らかく伸びた。

 切れなかった。

 でも、伸びた。

「水に晒すと良かったのかあ」

 孔明はくつくつ笑い、馬謖を吐き捨てて、そのまま眠った。

 重大な発見を成し遂げたことに気づいたのは翌朝である。

 馬謖、加工可能。

 饅頭の皮同然に、可塑。

 ご家庭にある道具でも本格的な馬謖がこんな簡単に。

「切れぬ!」

 それはそれとして、孔明は腹を下した。

「決して鯨飲馬食のせいではありませんな。馬謖以外もお召し上がりになったほうがよろしいでしょう。それも、規則的に」

 医者はそう言って、孔明の奇矯な振る舞いに釘を差そうとした。

 その時、孔明の頭に理解が兆した/閃いた。

 馬謖/腹/破壊。

 原因=馬謖。

 原因、馬謖。


 孔明は馬謖を叩き、曲げ、伸ばし、延ばすことはできるようになったが、切断することはできなかった。

 馬謖は馬謖。饅頭の皮ではなかったのである。


 一度可塑性を獲得した馬謖は、急に素直な素材になった。

 熱を加え、あるいは酸で表面を処理すると、延ばした馬謖は形を保って固まった。

 馬謖は衝撃を受け止め、逃し、あるいは真っ向から耐える。

 糸のように細く伸ばし、そこに斧を叩きつけても切れなかった。

 とにかく切れなかった。

 攻めあぐねた。

 これほど硬かったのなら、馬謖は兵士にしておけばよかった。

 日夜の研究と実験で倦んだ心が、想像の世界にふらり遊んだ。

 斬れない馬謖が、素裸のまま敵陣に突っ込む。

 馬謖は無敵なのだ。 

 山頂への布陣など、何ほどのことやあろうか。

 矢も効かず、刀槍も通さず、鎧のようなその体は百人の兵士に匹敵する戦力――。

 鎧。

 ふと、考えがひらめいた。

 馬謖で鎧う。

 孔明は南蛮征伐のことを思い出していた。

 あの時、南蛮人は藤甲兵を繰り出して蜀を苦しめた。

 矢を通さず、刀槍を弾く恐るべき鎧。

 幸い、火には弱かった。

 人は火を当てると死ぬ。

 だが馬謖は火にも強い。

 金属のように赤熱させてなお不動。

 切れず、穴も開かない。

 無敵――。

 孔明は目を輝かせた。

 使いみちが見つかった。

 馬謖は、だが、鎧には向かない。

 薄く延ばして固めても、穴が開けられない。

 纏うのは難しい。

 だがここで孔明は気がついた。

 穴なら開いている。

 人体を貫く一本の長い筒。

 口から尻の穴までに至る消化管。

 筒状に整形し、然る後、腕の部分を伸ばせば良い。

 腕は一体型の手袋として運用すれば良い。

 馬謖は斬れない。しかし、着れるのである。

 孔明は位相幾何学を知らない。

 このときは、まだ。

 だが、人体の種数、すなわち穴の数が1であることには気づいていた。

 潰して伸ばせば、人体は円環体トーラスに同じ。

 コーヒーカップにも、同じ。

 脱いで馬謖を着る。

 発想の転換であった。

 

 軍議の場に、孔明は馬謖を纏って現れた。

 やいのやいのと言い交わしていた武将たちは、ひと目見て言葉をなくした。

 薄く薄く引き伸ばされた、馬謖。

 立ち上る臭いは、腐肉と、鉄。

 鼻を殴りつけ、人をたじろがせるような、臭気。

「しょきゃああああああああ」

 孔明は叫んだ。

 その一声で、議は尽きた。

 けだし、圧倒的な説得力であった。

 五丈原で、蜀軍と魏軍は相対した。

 蜀軍の先頭に、馬謖で身を包んだ孔明の姿があった。

 開戦。孔明は走り、敵の槍衾に正面から突っ込んだ。

 孔明には確信があった。

 そして、それは間違っていた。

 孔明は泣いた。痛かったのである。

 馬謖は切れなかった。夢の素材であった。

 けれど、鎧には全く向いていなかった。

 箔のように薄く伸びた馬謖は衝撃を全く受け止めなかった。

 すべてそのまま、着用者の孔明に伝わった。

 矢は刺さらなかった。剣も槍も通さなかった。

 けれど、孔明の骨は折れた。

 孔明の体は、余すところなく切れた。

 馬謖は、肉でできた死体袋にすぎなかった。

 異形の鎧をまとう孔明に、敵軍はたじろいだ。

 だがそれも、孔明がもがき苦しみ始めるまでのことだった。

 取り囲み、棒で打つ。

 いつしか、味方のはずの蜀の兵も加わっていた。

「軍師はひっこんでろ」

「お前の策で右往左往させられるんだ」

「一兵卒の力、思い知れ」

「泣き虫、弱虫」

「あと素朴に気持ち悪い」

「臭い」

 臭い。

 孔明は唸り、泣いた。

 それ一番言っちゃいかんやつやろ。

 どうしてそんなこと言うの。

 まじショックやわ。

 孔明はもがき、一矢報いんとあがいた。しかし、多勢に無勢だった。

 戦況、いまや孔明VS全軍。

 勝ち目などなかった。

 全身を苛む痛み。痛み、そしてついでに心の痛み。

 孔明のまぶたで、走馬灯が回り始めた。

 走馬灯。

 馬。

 馬かあ。

「馬謖……」

 孔明は呻き、目を閉じた。

 その体に、何十もの槍が、刃が、悪意が突き刺さった。


 あるいは、それがきっかけであったのかもしれない。

 全然、関係なかったのかもしれない。

 とにかく、馬謖が動いた。

 尻の穴から馬謖が侵入した。

 大腸を、小腸を、十二指腸を、胃を、気管を、馬謖が遡った。

 孔明は馬謖に満たされた。

 むせた。

 むせながら気がついた。

 人体には消化管の他に、もう一つ穴がある。

 いや、二つ。

 鼻。

 鼻腔を馬謖に満たされ、孔明は悶絶した。

 だが、理解はそこで終わらなかった。

 耳も、喉につながっていた。

 だから、穴はさらに二つ。

 人体、結構、穴だらけ。

 ふしぎ。


 All 孔明 need is kill.

 Night and 馬謖 would kill.

 ないて ばしょく を きる。

 wouldのdはあまり強く発音しないのがポイントです。

 はい、じゃあ仲達くん訳してください。

「意味ねーよ、こんなの。どういう文章なんだよ。ナンセンス」

 そうですね。

「この授業も無意味だ。ちょっとナンセンスなこと言ってりゃ頭良さそうに見えるってか。バーカ」

 君の言うとおりです。しかし反逆的な態度は授業の妨げになります。グラウンドを走ってきなさい。

「何周っすか」

 馬謖が斬れるまで。

「はあ? 無理だろそんなの――は、なんだ、何なんだお前ら! 止めろ! 俺を誰だと思ってる! 放せ、はなせ!」

 連れて行け。

 さて、みなさんもわかりましたね。師せる孔明は仲達を走らせる事ができるのです。

 そう、なんなら死ぬまで。

 お前らも例外ではない。

 けして忘れるな。

 盗んだ馬謖で走り出す。

 Repeat after me.


 馬謖が爆発した。

 孔明を取り囲んでいた兵士たちはほとばしる馬謖に頭蓋を砕かれ、鎧を撃ち抜かれ、絡みつく肉の腕に全身の骨をへし折られて息絶えた。

 拡大を続ける肉の波=馬謖は五丈原を満たし、生物と言わず無生物と言わず飲み込んだ。

 逃げる仲達は馬謖の波に飲まれて轢き潰された。

 だがそれでは終わらない。

 馬謖は孔明を取り囲み、押しつぶし、心臓のようにおのが中心に据えた。

 そうして、思う様孔明に涙を流させた。

 そうして、人類を続々吸収した。

 尻の穴から入り、口と鼻と耳から抜けた。

 人。

 馬謖。

 一なる。

 体。

 すなわち――

 人馬一体。

 人類の新たな地平が、五丈原に開かれた。


 人類は無力であった。

 馬謖は人を襲い、取り込み、そのネットワークを広げた。

 放射状に広がる馬謖は、神経回路のように情報を伝達した。

 血管のように物質を輸送した。

 筋繊維のように張り、力を伝えた。

 馬謖は中原を制し、ユーラシアを制し、ヨーロッパへ、太平洋へ、無節操に広がった。

 けして切れなかった。

 誰も退けることはできなかった。

 馬謖はすべてを飲み込み、一体化した。

 人類の歴史は終わり、ポストヒューマンとしての馬謖文明が勃興した。

 全ての生命は馬謖に包まれて生まれ、馬謖の中で生き、馬謖の中で死んだ。

 アレキサンダー大王はゴルディアスの結んだ馬謖を解き、世界の支配者たらんとしたが、馬謖はアレキサンダー大王の剣を受け付けなかった。

 ローマ帝国は押し寄せる馬謖を退けることができずに滅びた。

 ポアンカレは単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3 に同相であると予想したが、証明を与えることはできなかった。

 タコマローズ橋は吊橋であり、強風を受けてカオス的振動を起こした。だがワイヤー部分の本体は馬謖を用いていたため、切断は免れた。

 導電性の高い馬謖を利用した通信ケーブルはまず大西洋を、ついで太平洋を横断した。

 ナチスの絶滅収容所は幾多の馬謖を飲み込んだが、その全員が無傷で出てきた。

 インター馬謖。

 馬謖は月へ、火星へ達した。

 馬謖は、切れなかった。


 その中心に、孔明があった。

 孔明は生きていた。

 生かされていた。

 切っても斬れぬ、それは千年の腐れ縁であった。

「気分はどうだ、ええ?」

 幾人もの馬謖が、孔明の周りを取り囲んでいた。

 夢の世界であった。

 孔明の意識は明瞭であった。千年もの間、馬謖の中で生き続けていた。

 千年ものあいだ、苛まれていた。

 苛まれながら、悩み続けていた。

「馬謖」

「なんだ」

「なぜ、切れん?」

「切れてるさ」

 ずーっと切れっぱなしなのさ。

 馬謖の声は幾重にも重なっていた。馬謖はたくさんいた。

「どこかの世界で俺はあんたに斬られる。だが、それで終わりじゃない。平行世界が無限に広がっている。言ったろう、パッチワーク宇宙だと。馬謖は宇宙そのものだ。有限の粒子からなる宇宙が無限の空間に広がっているなら、どこかで全く同じ状態が生まれるしかない。俺はそんな状態の一つだ。あんたが斬ろうにも斬れなかった馬謖全ての集合だ」

 わからなかった。

 孔明には何もわからなかった。

 なんか、それっぽいこといってるだけじゃね?

 平行世界とか言っときゃ、それで押し通せると思ってんじゃね?

 馬謖くんってさ、そういうところあるよね。

 秀才ぶってたくさん言葉を並べるけど、聞きかじっただけで理解してないから応用できない。ちゃんと使えない。

 だから山頂に布陣しちゃうんだよ。

 すると馬謖が、キレた。

 泣きながら、キレた。

「そうだよそんなことは分かってんだよ俺だってよぉ!」

 無数の馬謖が孔明に殺到した。全ての馬謖の目が血走っていた。馬謖たちの手が、足が、粘膜が、孔明をもみくちゃにした。

「学がねえからさあ、それっぽいこと言いたくたって言えねえんすよ! 俺だっていまは格好つけたかったっすよ! でもしょうがないじゃないすか! 切れないだけが取り柄なんだからさあ! 俺こんな仕事しかできないんすよ!」

「馬謖……」

「いいっすよねえ孔明さんは。泣いて馬謖を斬ってりゃ仕事になるんですからさあ」

「そんなこと、ないよ……」

「給料だって俺より高いじゃないすか。空調のきいた部屋でふんぞり返って。やっぱ『大学』読んでるからすか。俺みたいな馬謖は一生懸命働いたってはいご苦労さまで首斬られるすんか。あんたらの気分次第で」

「馬謖は、馬謖はそんなこと言わない」

「言うさ。どうして言わないと思った? ええ?」

「だって馬謖は……」

「お前に何がわかるんだよ。今の俺がどうなってるかもわからないくせに」

 確かに、わからなかった。

 孔明は愕然とした。

「わたし、馬謖のことなんにも知らない……」


 想いが回ると書いて回想といいます。

「馬謖、山には布陣するなよ」

「了解! 布陣!」

「あっこらダメだって。山頂に布陣したらダメなんだって」

「了解! 布陣!」

「あーもー、何度言えばわかるの! もう、馬謖なんか知らない!」

「布陣!」

「わからない……わたし、馬謖のことわかんないよ!」

「うるせえ、馬鹿野郎!」

 平行世界の全ての馬謖が唱和した。

 馬謖が切れても、他の馬謖が補っている。

 馬謖の重ね合わせ。

 この現象は馬謖に光子を当てて散乱を見ることにより観察できる。

 ほんとかな?

 やってみなけりゃわからない、大馬謖実験で!


 馬謖の怒りに揺さぶられて、孔明の骨という骨が揺れた。

 苦痛の波が絶えず打ち寄せる浜辺で、孔明の意識は貝を探していた。

 砂を掘る。その砂一粒一粒に宇宙が宿っている。

 どの宇宙にも馬謖がいる。

 どの宇宙にも孔明がいる。

 どの宇宙でも、孔明は馬謖を斬りたがっていた。

 いつしか、孔明は馬謖を斬らないで住む宇宙を探していた。

 浜辺の砂を全てよりわけ、孔明は馬謖と共存可能な宇宙を求めた。

 手が痛くなった。

 でも、馬謖はもっと痛いんだよと自分に言い聞かせた。なんせ首斬られてんだから。そりゃ痛いよ。首ザバァ斬られてるんだよ。こんなの、全然大したことない。

 馬謖はもっと痛いんだよ。

 そうして、気がついた。

 ここがそうだったんだ。

 馬謖を斬れない宇宙、ここだったんだ。

 同時に、理解した。

 一番馬謖が苦しい宇宙、ここだったんだ。

 流れよ我が涙、と孔明は言った。


 馬謖。

 痛かったんだね。

 辛かったんだね。

「そういうときは」

 泣いていいんだよ。

 古池や 蛙飛び込む 水の音。(松尾馬謖)

 水面にカエルが飛び込むように、孔明の涙は波紋を起こした。


 孔明は泣いた。

 涙腺が壊れるまで泣いた。

 血の涙を流すまで泣いた。

 声を絞り出して啼いた。

 馬謖のことを思って、哭いた。

 その辺の鳥も、カバも、ヒポポタマスも、生きとし生けるもの全てみなタイミングを合わせて鳴いた。

「You 馬謖!」

 Youは Shock.

 孔明は叫び、馬謖の秘孔を突いた。

 孔明は馬謖の中にいた。

 辺り一面、弱点であった。

 こちらがわのどこからでも切れる馬謖であった。


「ありがとう」

 馬謖が

 切れた。


 孔明は目を覚ました。

 馬謖がいた。

 白昼夢。

 邯鄲の、夢。


 馬謖がいた。

 馬 謖になっていた。

 斬れた。

 その手応えに、孔明は涙を流した。

 順番が逆だった。

 泣いたから斬れたんじゃない。

 これは斬れたから泣いているんだ。

 これがまともな世界なんだ。

 因果関係が存在しているんだ。


 孔明はうろたえる首切り役人を下がらせた。

 そうして、思うさま涙を流した。

 この涙は、馬謖のものだ。

 孔明は初めて馬謖を悼み、声もなく涙を流した。

 いつまでも、いつまでも。


おしまい

―――――――――――――――――――――――――――

本作が面白かった方は、三方行成さんによる名作童話をSF化した『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』もぜひお楽しみください!

『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』
三方行成
装画:シライシユウコ/装幀:伸童舎

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