インドの貧困問題を取材した著者のデビュー作が、エドガー賞を受賞!『ブート・バザールの少年探偵』訳者あとがき
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インドの貧困問題を取材した著者のデビュー作が、エドガー賞を受賞!『ブート・バザールの少年探偵』訳者あとがき

ハヤカワ・ミステリ文庫より、ディーパ・アーナパーラ/坂本あおい訳の『ブート・バザールの少年探偵』(原題:Djinn Patrol on the Purple Line)が刊行されました。
本作は、2021年度のエドガー賞(アメリカ探偵作家クラブ賞)の最優秀長篇賞を受賞しました!
「1日に180人の子どもが行方不明になる」インドを舞台に、子どもたちの連続失踪事件の謎に迫る本書の魅力とは。訳者である、坂本あおいさんのあとがきです。


ブート・バザールの少年探偵

『ブート・バザールの少年探偵』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
ディーパ・アーナパーラ/坂本あおい訳
装画:長崎訓子 装幀:早川書房デザイン室


訳者あとがき

坂本あおい


 インドでは毎日180人もの子供が行方不明になる。
 そんな衝撃の事実をもとに書かれたのが、本小説『ブート・バザールの少年探偵』(Djinn Patrol on the Purple Line, 2019)だ。著者のディーパ・アーナパーラはムンバイ、デリーを拠点に十数年間記者の仕事をし、貧困と宗教紛争が子供の教育におよぼす影響について書いた記事で複数のジャーナリズムの賞を受けるなど、着実な実績をあげてきた。そうした経験に裏打ちされた本作は、無名作家のデビュー小説ながらに未完のうちから注目と評価を集め、出版後も受賞ラッシュはつづいて、2021年のアメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)の最優秀長編部門を受賞した。

『ブート・バザールの少年探偵』は生意気で愛すべき9歳の少年ジャイの視点で語られるお話だ。ただし、読者はすぐにはジャイとは出会えない。表紙をひらいてわたしたちを迎えるのは、無名の証言者による「この物語はきみの命を救うだろう」という章だ。俗世の厳しさを知る者が生き抜く知恵を語って聞かせるこのパートは、作中に全部で3回登場するが、そのなかである語り手はこんなことを言う──”この物語はお守りだ。大切に胸のそばにおいとくように”。「語り」というものの力を感じさせる、美しく印象的なパートではあるけれど、果たして、そのお守り自体にはどれだけの効き目があるのだろう。

 主人公のジャイは、とある大都市近郊のスラム地区に、両親と12歳の姉とともに暮らしている。母は金持ちの家で家政婦をし、父は建設現場での仕事を得て、貧しいながらも一家は幸せな日々をおくっている。そんなある日のこと、クラスメイトが姿を消すという事件が起こる。『ポリス・パトロール』のようなテレビ番組が大好きなジャイは、自分なら事件を解決できると自信満々で、親友ふたりに探偵の助手にならないかと持ちかける。
 ムスリム一家の子で信心深いファイズは、誘拐は悪いジンの仕業だという考えを捨てきれない。ジンというのは、たとえば『アラジンと魔法のランプ』のランプの精のような、アラブ世界で広く信じられてきた、魔神などとも訳される存在のことだ。
 一方、勉強好きで賢いパリはジンなんているわけないと一蹴し、ワイロを取るばかりでちっとも動かない地元警察よりも熱心に、真正面から事件に取りかかる。
 そんなこんなでジャイは少年探偵となり、そして犬まで仲間に加えてはりきって捜査を進めていくのだが、このときはもちろん、身近に起こった事件にどんなおそろしい背景があるのか理解していなかった。あたたかな家族やご近所に守られたジャイの世界は、不可侵であるはずだった。

 インドという国は、多様性という言葉にはおさまりきらないあらゆるものが密に存在する魅惑の国のように思える。様々な背景を持つ宗教、新旧の文化、数多くの言語に文字。食文化もたいへん豊かで、作中にも登場するとおり、屋台メシひとつ作るにも多彩な食材が使われる。また、ジャイの制服はスモッグに溶け込む灰色だが、多くの人が身に着ける伝統衣装はカラフルで、最上級の品の装飾は、想像を超える手の込みようと美しさだ。
 そして負の面に目を向けてみても、やはりインドという国はわたしたちの想像を超えている。人を人と思わない驚くようなむごい犯罪を、ニュースで見聞きしたことのある人も多いだろう。また、トイレという日常の基本ひとつをとっても、ジャイの地区には幸い共同トイレがあるものの、屋外で用をすまさないといけない地域もいまだに残っていて、レイプにおびえながら暗いなかを通う女性も少なくないという。排泄物を手作業で処理するカーストの人たちがいるという事実も、われわれにとっては衝撃だろう。
 そうした根の深い問題や日々の生きづらさについては、まだ幸せな年齢のジャイの口からは詳しくは語られないが、それを補うように、窮地に陥った個々の子供の名前がタイトルにつけられた一連の章が、多くのものを垣間見させてくれる。父の暴力、家事を押しつけられる少女たち、貧しさから学校に通わせてもらえない少年、性被害、男女差別、理不尽な因習。もしも構成上の制約がなかったら、著者は過去に取材した弱い立場の子供全員を代弁する思いで、さらに多くの子の身の上を書きつづったかもしれない。子供には子供の人生があり、夢があり、思いがある。それをしっかり描ききりたいという著者の使命感のようなものを、このパートから感じはしないだろうか。

 ところで、この作品にはとても多くのインドの言葉(おもにヒンディー語)が登場する。著者は現地の雰囲気、子供の躍動感などを、そのリズミカルな言葉にのせて読者に伝えたかったようだ。語られる主役はインドの庶民だと強調したかったのもあるだろう。イギリスで出版されたオリジナル版では、著者は大胆にもいっさいの説明を省いて無数のヒンディー語を文にちりばめた。おかげで単語の意味がよくわからなかったという声もあがり、そのせいかアメリカ版などでは巻末に用語集がつけられているようだ。
 この日本語版も、できることなら著者の意を汲んでヒンディー語のみをそのままカタカナにして文に組み入れたかったのだが、結局は理解のしやすさを優先し、訳注やルビを用いてそのつど意味を補足するようにし、また、いくつかの言葉は日本語に置き換えざるを得なかった。読者のみなさんには、インドの言葉の意味を推測しながら読む楽しみを奪ってしまったこと、また、ひらがなにヒンディー語の読みをつけるなど、目に美しくない箇所が多出することについて、この場を借りてお詫びしたいと思う。

 看過してはならない重いテーマを扱ってはいるが、アーナパーラは犯罪に焦点をあてた小説にすることは望んでおらず、あくまで子供の姿や、子供の目から見た世界を描きたかったと語っている。音とにおいと活気があふれ、ひょっとしたらジンと幽霊がひそんでいるかもしれないブート・バザール。みなさんには魔法の呪文で九歳だったころのサイズにもどり、ジャイの案内でそんな彼の縄張りを存分に探検して、ジャイが無邪気さという宝を失わずにすむように、そっと横から見守っていただければと思う。

※ディーパ・アーナパーラ/坂本あおい訳『ブート・バザールの少年探偵』訳者あとがきより一部編集のうえ再録

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