居場所を探す旅へ――孤独な少年を描く感動作『荒野にて』訳者あとがき(北田絵里子)
3月6日に発売されたウィリー・ヴローティンの小説『荒野にて』。4月12日(金)に公開される同名映画の原作小説である本書は、孤独な少年の彷徨をつづった切なくも胸を打つ作品です。翻訳者の北田絵里子さんによる訳者あとがきを掲載いたします。
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「この世界では耐えがたいことがたびたび起こる。だがぼくにはいつも、ベッドから引っ張り起こしてくれる聖人たちがいた。チャーリー・トンプソンもそのひとり――不屈の聖人だ。(当時の)ぼくは、あきらめない人間にそばにいてもらう必要があった。それがチャーリーなんだ」
『荒野にて』の作者、ウィリー・ヴローティンがあるインタビューで語った言葉だ。友人を亡くして絶望していた時期を、この作品を書くことで乗りきったという。主人公のチャーリーとともに荒野を旅する読者にとっても、彼は胸の奥にとどまって出番を待っていてくれる聖人となることだろう。
語り手のチャーリー・トンプソンは、父親のレイとオレゴンのポートランドへ移ってきたばかりの15歳の少年。母親はチャーリーが赤ん坊のころに家を出ていって以来、音沙汰がない。レイとチャーリーは仲のいい父子だが、堪え性のないレイは、気分しだいで仕事を辞めては息子を連れての引越を繰り返してきた。レイはそのときどきの恋人のところに外泊しがちで何日も帰ってこず、チャーリーは食料品代にも不自由してやむなく万引きをすることもあった。引越前はハイスクールのアメリカンフットボールチームで活躍していたチャーリーは、新学期からまた当地のチームに入れるようトレーニングに励み、ランニングの途中でポートランド・メドウズという寂れた競馬場を見つける。そこで老年の調教師デルと出会い、その手伝いをして日銭を稼ぎはじめる。
原題のLean On Pete(リーン・オン・ピート)は、デルが所有する馬のなかでチャーリーが特別な親しみを抱く、おとなしい五歳馬の名前だ。チャーリーはこの〝ピート〟を相手に、人知れず悩みを打ち明けたりするようになる。だが、家庭でのショッキングな事件を発端に、チャーリーは悲しみのどん底に突き落とされ、さらに競馬場でも、レース成績の振るわなくなったピートが処分場へ送られることが決まる。チャーリーは矢も盾もたまらず、ピートを無断でトレーラーに載せて競馬場から連れ出す。このとき頭に浮かんだのは、父のレイとの不和のせいで音信不通になっているものの、かつてただひとり自分を気にかけてくれた伯母のマージーだった。伯母の居所のわずかな手がかりだけを頼りに、チャーリーはピートとともに、はるか東のワイオミングをめざす――
チャーリーは、友達のいる町でフットボールを続けるという慎ましい望みすらかなえられない境遇にあっても、ねじくれない心を持ちつづけている礼儀正しい少年だ。父から渡されるわずかな金でどうやって空腹を満たそうか、ひとりきりで持て余す時間をどうやって埋めようかと毎日考えている。父の愛情さえも、気まぐれに与えられるだけのもので満足する癖がついてしまっているかに見える。
チャーリーが競馬場で知り合う面々は、気分屋で口の悪いデルをはじめとして、みなうらぶれた感じはあるけれど、根は気のいい人たちだ。けれどもチャーリーは、大人の助けが必要な場面でも彼らを頼ろうとせず、人間でないピートを心の支えにする。競走馬をペットのようにかわいがるのはよせ、と周りからは諭されるが、チャーリーにとってのピートはかわいがる対象というより、自分と同様、しなくてはならないことをして懸命に生きている対等な友達で、負い目や引け目を感じる知人には話せないことを話せる相手だった。
ポートランドを出る時点ですでに痛々しいダメージを受けているチャーリーを待ちかまえるのは、予想にたがわず、さらなる困難と不運の連続である。道中で出会うのもまた、ままならぬ人生を送っている人たちばかりで、彼らはときにチャーリーをひどく滅入らせ、ときに脅威ともなる。そんななかにちらほらと登場する、偽りない善意からチャーリーを助けてくれる人たちの存在が救いだ。
チャーリーのこの旅は、落ち着ける居場所を探す旅にほかならない。どんな家に入っても写真か絵が壁に飾ってあるかたしかめてしまうのは、それがチャーリーの憧れる居心地のいい家の象徴だからだろう。大人たちが有無を言わせず彼を送りこもうとする施設にその安らぎはない。体力の限界まで走ることでつらい記憶をも振り払ってきたチャーリーは、ぎりぎりの状況に陥っても足を止めずに、めざす場所へ進んでいく。レース場でゴールへ向かってひた走るリーン・オン・ピートの姿が、そこに重なりはしないだろうか。
作家でありミュージシャンでもあるウィリー・ヴローティンは、1967年、アメリカのネヴァダ州リノ生まれ。12歳からギターをはじめ、やがて作曲もするようになった。27歳でRichmond Fontaineというオルタナティブ・カントリー・バンドを結成、リードボーカルとギターを担当する。ヴローティンの書く、ストーリー性と深みのある楽曲は、本国のみならず英国やヨーロッパでも高い評価を受けた。このバンドはスタジオアルバム11枚を発表したのち、2016年に解散。ヴローティンは現在も、女性シンガーをリードボーカルに迎えたレトロ・カントリー・バンド、The Delinesのメンバーとして音楽活動を続けている。
ヴローティンが十代のころ音楽のほかにも心酔していたのが、本書巻頭の題辞に『エデンの東』の一節を引用しているジョン・スタインベックだ。そして、自分にも小説が書けるかもしれないと思わせてくれたのが、19歳のときに読んだレイモンド・カーヴァーだった――「カーヴァーの作品はしっくりきた。気後れを感じなかった。文章はとことん簡潔だった。登場人物はみな冴えない失敗をしていた。生きてきてずっとそんなやつらばかり見てきたけれど、彼らのことを自分が書いていいのかどうかわからなかった。カーヴァーのおかげで意識が変わった。〝書いてみればいいじゃないか、そんな話なら山ほど知ってるんだから〟という心境になれたんだ」。後年、本格的に執筆する意欲を誘い起こしてくれたのも、カーヴァーの短篇小説「足もとに流れる深い川」からタイトルをとった、オーストラリアのロックバンドPaul Kelly and the Messengersのアルバム So Much Water So Close To Home (1989)だったという。ヴローティンは現在までに以下の長篇小説5作を発表しており、本書が邦訳初紹介となる。
The Motel Life (2006)
Northline (2008)
Lean On Pete (2010) 本書
The Free (2014)
Don't Skip Out On Me (2018)
The Motel Lifeでは、モーテルでその日暮らしをしている若い兄弟が車で人をひき殺してしまったことから(過失は被害者にあったが、警察に信用されないと考えて)、Northlineでは、アルコール依存症のウェイトレスが恋人の暴力に耐えかねて、それぞれ他州へ逃げ出す。Don't Skip Out On Meの主人公は、十代半ばで牧場主の老夫婦の庇護を受け、初めて愛情を知った青年だが、自分は愛されるに値しないと感じ、ボクサーとして名をあげることをめざして牧場を去ってしまう。破れかぶれの逃避行か、決意のすえの旅立ちかのちがいはあれ、いずれも自分に自信が持てず、孤独や不安を抱えこんだ人々が描かれている。
残酷さも痛みもまっすぐに伝える飾らない文体と、アメリカ生活の現実が染み出してくるかのような人物造形によって、ヴローティンはすでに英米の文学界でしっかりと立ち位置を確保しているようだ。『ゴールドフィンチ』のドナ・タートや『パディ・クラーク ハハハ』のロディ・ドイルといった著名作家がヴローティンのファンだと公言しているほか、SF/ファンタジー界の大御所アーシュラ・K・ル・グィンも、陳腐な悪を描く安易な道をとらず、ふつうの善良な人々を描く勇気を持った書き手である、と絶賛している。
2011年のオレゴン文学賞でケン・キージー賞とリーダーズ・チョイス賞を獲得している『荒野にて』は、ヴローティンにとってThe Motel Life(映画邦題は《ランナウェイ・ブルース》)に続く2作目の映画化作品となった。
2015年の監督作《さざなみ》で世界的に注目を集めた英国出身のアンドリュー・ヘイが監督・脚本を手がけ、日本でも《荒野にて》として2019年4月の公開が決まっている。同作は第74回ヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、主演のチャーリー・プラマーが新人俳優賞にあたるマルチェロ・マストロヤンニ賞に輝いた。訳者もひと足先に本篇を観る機会に恵まれたが、台詞のない場面のほうがむしろ多くを語っているように思える、プラマーの繊細な表情から目が離せなかった。脇を固める俳優たちも、デル役にスティーヴ・ブシェミ、ボニー役(原作のハリーの役どころも統合されている)にクロエ・セヴィニー、レイ役にトラヴィス・フィメル、シルヴァー役にスティーヴ・ザーンといった巧者揃いだ。少年と馬を遠目にとらえた荒野の情景が、はっとするほど美しい映像になっていたのも印象深い。ぜひ原作と併せて、あるがままのアメリカの肖像にふれてもらえればと思う。
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『荒野にて』ウィリー・ヴローティン、北田絵里子訳、早川書房より発売中
映画「荒野にて」ホームページ https://gaga.ne.jp/kouya/