庭の本質を最新技術で読み解く。『日本庭園をめぐる』まえがき試し読み
早川書房があらたに立ち上げた新書レーベル「ハヤカワ新書」。創刊第二弾として7月に発売されたばかりの新刊『日本庭園をめぐる デジタル・アーカイヴの可能性』(原瑠璃彦)から、日々刻々と変化する日本庭園をアーカイヴ化する意義を説く、「まえがき」を特別に試し読み公開します。
まえがき
「庭」、あるいは「日本庭園」という言葉を聞いたとき、人はどのようなものを思い浮かべるだろうか。松や桜の古木が生え、杜若や百日紅の花が咲き、水が滝から池に流れ込み、ところどころに石が立てられている。たとえば、京都を旅行したことのある人は、そういった庭を歩いた記憶があるかもしれない。
今日、日本庭園は無数にある。おそらく、ある程度、日本で時間を過ごしたことのある人で、日本庭園に全く触れたことがないという人はあまりいないだろう。そして、日本庭園をことさらに嫌っている人も、めったにいないだろう。多くの人は、普段それほど意識していなくとも、何となく日本庭園を好んでいるようである。
人と庭を訪れたとき、しばしば私はその庭の「解説」を求められる。そういうとき、もちろん必要に応じて、その庭の成立やコンセプト、見どころについての話はするが、正直いつもそのことに躊躇いのようなものを感じている。もちろん、それらは庭の体験の有用な手がかりにはなるだろうが、庭についてそう簡単に「解説」することなどできないし、庭の本質はそんなところにはないと私は考えている。というのも、一つの庭を知ること、把握することはあまりに困難であり、原理的に言って不可能だからである。
日本庭園は、石や水、植物といったさまざまな要素によって構成されている。それらは、その土地の特異性を踏まえて構成されている。そして、その骨格である石組も、加工されていない自然石であり、植物なども一つ一つの個体である。庭がつくられる場、それを構成する要素に二つとして同じものはない。
さらに、庭は時間とともに動き、変化し続ける。木々や草花は風に揺れ、水は流れ続ける。一日のなかでも、天候によって見え方は変わり、また季節による趣きの移ろいは、日本庭園の重要なポイントである。そして、そうした四季のひとめぐりが蓄積されてゆくことで、木々が成長したり枯れたりと、大きな変化が生じることもある。そこに鳥や虫が訪れ飛び交い、鳴き声を添える。庭園という「舞台」においては、常に一回きりの、再現し得ない「上演」が繰り広げられているのである。
その上、園内を回遊する池泉回遊式庭園などであれば、庭を体験する位置は無限にあり、どこにいるかによっても体験は全く異なる。
このように、庭を見ること、体験すること、知ることは、きわめて困難である。考えてみればそれは当たり前のことではある。要するに、庭での体験とは、地球環境の体験の縮図である。それはまた、人にとって、鏡のような存在にもなりうる。人が時とともに年老いてゆくように、庭もまた時とともに変化してゆく。それゆえ、時に庭は、人の人生と重ね合わされる。
本書は、日本庭園という複雑で豊かな場を総体的に捉える視座、言い換えるならば、日本庭園を絶えず変化する動態として捉えるパースペクティヴを提示しようとするものである。
日本庭園の研究については先人たちによる膨大な蓄積がある。しかし、そこでは、日本庭園のなかの不動の部分、動かない部分──たとえば時代を超えて継承される石組などの庭園のフォルム、あるいは様式──ばかりが追究され、こうした日本の庭の動的な部分、そこで刻一刻と進行している「上演」を捉える視点があまりにも抜けていたように思われる。
本書では、日本庭園という動態を総体的に捉えるにあたって、日本庭園を、揺らぎを持った「舞台」で絶えず「上演」が行われているものと見立てる視座をとっている。その「上演」は常に一回きりで、二つとして同じ現象は生じないがゆえに、それらを捉えることはきわめて困難であり、結局は限界に当たる。しかし、そのように挑むことは、日本庭園の本質がいかなるものか、という根源的な問いに通じていると思われる。
このことを踏まえつつ、私は、庭園アーカイヴ・プロジェクトという、現代のテクノロジーを用いることで、日本庭園についての新しいアーカイヴを開発する研究プロジェクトを進めている。そこでは、3Dスキャン、撮影や録音、DNA調査など、さまざまな手法で日本庭園のデータを取得し、それらを総合した新しいアーカイヴの研究開発を行っている。
日本庭園とは、常に変化し続けるものであるため、そのアーカイヴの構築はきわめて困難である。いかにテクノロジーが進化したとは言え、庭のアーカイヴはどうしても不十分なものになる。庭とアーカイヴは全く相矛盾する二項であるように思われる。
しかし、その不可能性、矛盾を前提とした上であえてアーカイヴに挑むことで、日本庭園の性質がより露わになるのではないか。テクノロジーは、翻弄されることなくうまく活用すれば、人の経験をより豊かにしてくれる。そうした考えのもと進めているのが、庭園アーカイヴ・プロジェクトである。
以下、本書の大方の流れについて記す。
第1章では、日本庭園という、絶えず「上演」が繰り返される「舞台」の成り立ちを紐解くにあたって、その構成要素である石や水、植物を順に取り上げ、それらの歴史や背後にある思想を論じるとともに、こうして構成される日本庭園の享受のあり方について触れる。
第2章では、変化しつづける動態としての日本庭園を捉える試みとして、庭園アーカイヴ・プロジェクトの活動を取り上げる。その制作プロセスとコンセプトを辿りながら、テクノロジーと対話することで露わになる日本庭園の本質について論じる。
第1章と第2章は、それぞれ人文学的手法と実践的手法、あるいは文系的アプローチと理系的アプローチ、歴史編と現代編などと位置付けることも可能であろう。
第3章は、言わば、未来編である。日本庭園の歴史が綿々と続いている一方で、それを描いた絵や縮小したミニチュアなど、二次的な複製メディア、アーカイヴの歴史も綿々とあった。ここでは、こうした日本庭園と、そのメディア、アーカイヴの二つの系譜をさかのぼった上で、現在進行中の庭園アーカイヴ・プロジェクトの取り組みを紹介するとともに、日本庭園の体験の未来についての展望を述べる。
日本庭園への問いとは、決して終りのないものである。体験し尽くすことのできない、知り尽くすことのできない庭を、本書はこれからめぐってゆく。
この続きは本書でご確認ください。『日本庭園をめぐる デジタル・アーカイヴの可能性』は現在発売中です。
記事で紹介した本の概要
『日本庭園をめぐる デジタル・アーカイヴの可能性』
著者:原 瑠璃彦
出版社:早川書房(ハヤカワ新書)
発売日:2023年7月19日(水)
著者プロフィール
■著者:原 瑠璃彦(はら・るりひこ)
1988年生。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。静岡大学人文社会科学部・地域創造学環専任講師。一般社団法人 hO 理事。専門は日本の庭園、能・狂言。単著に『洲浜論』(作品社)、共著に『翁の本』シリーズ(凸版印刷株式会社)など。坂本龍一、野村萬斎、高谷史郎による能楽コラボレーション「LIFE-WELL」、演能企画「翁プロジェクト」でドラマトゥルクを担当。