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大森 望×いとうせいこう 『三体』シリーズ完結記念トークイベント採録!

去る2021年6月12日(土)、六本木 蔦屋書店にて、劉慈欣『三体』シリーズが『三体Ⅲ 死神永生』()にて完結したことを記念するオンライン・トークイベントが開催されました。出演者は訳者のひとりである大森望氏と、同シリーズ愛読者であるいとうせいこう氏! フジテレビ系番組「世界SF作家会議」でもタッグを組んだ両氏の軽快なトークを採録します。(本対談は、発売中のSFマガジン10月号にも収録されています)

いとう まずは『三体』三部作完結、おめでとうございます。これだけ分厚いSFともなると、大変でしたね。

大森 英語の本に比べると、中国の本はそこまで分厚くはないんですよ。中国語は漢字だけなので、文字当たりの情報量が日本の1.5~6倍ある。英語の本と比べても中国語の原書の方が薄いので、安い。『三体』が中国でものすごく売れた一因かもしれない(笑)。あと、『三体』は電子版の売れ行きがとてもよかったんです。電子書籍のセールをやったりもしたので、ⅠとⅡを電子で買って、Ⅲは紙でという人もいるようです。

いとう 面白いですね。メディアが移動すると読後感も変わりそうで。

大森 別メディアといえば、オーディブルも出ています。祐仙勇さんという声優さんが朗読していて、じつにいい。今朝も寝る前に聴いてたんですけど、朗読で聴くと名訳のように聴こえるんです(笑)。

いとう 講談でも聴いているような感じですね。むしろ音で聴くと、宇宙のなかの孤独や、長い時間の経過が染みるかもしれませんね。文字だと次の行がメディアとして見えてしまうけど、音は先が断崖絶壁でしょう。

大森 それこそ、講談とか浄瑠璃にしてもらうといいかもしれない。

いとう 知り合いの講談師にメールを出しておきます(笑)。『三体』は紙も電子もオーディオもある今この時代にぴったりはまった感じですね。そしてそのどれもに違ったおもしろさがある。

大森 オーディオに合っているとか、講談にしたい感じがするというのは、ドラマ的な引っ張りや、エンターテインメント性がすごくあるからでしょうね。日本人の情緒に訴えるものがある。実際、第二部の『黒暗森林』は、ある意味、赤穂浪士の大石内蔵助みたいなところもあるし。

いとう 確かに羅輯(ルオ・ジー)のふるまいは昼行灯の大石内蔵助ですね。世界一の美女を連れてこい、っていうくだりとか。

大森 あの「理想の女性」についての部分は読者からの文句が多いんです(笑)。特に、延々と架空の女性とのデートの場面が展開されるところとか、そんな場面いる?みたいな。

いとう バランスが変ですよね。そのバランスが狂っている感じが、漱石の『こころ』を思わせますね。あれも先生の手紙の部分が非常に長くて、完全にバランスがおかしい。著者の思い切りの良さというか、人がどう言おうが関係ないと思って書いている感じ。作家に対する興味もすごく湧きますね。

大森 それに、実はあのシーンはあとあと、最終対決の前の場面で効いてくる。

いとう 伏線になっているんですね。そういう意味では劉さんはたいへんな手練れですね。

大森 そうですね。一巻に出てくる智子(ソフォン)をつくるシーンも、ほとんどギャグみたいなんですよ。戦隊ものの怪人が首領にいわれて地球攻略の秘密兵器をつくるんだけど、いちいち失敗する感じ。

いとう コントですよね。

大森 でもそれがその場限りのネタだと思っていると、なんとそれも第三部にすごいかたちで生かされる。

■『三体』の特殊さ

いとう 『三体』全体を通してそうですが、ひとつひとつのチャプターが、これひとつで一冊書けるだろうというアイデアが詰まっているんじゃないかという濃さなんですよね。

大森 それはむしろ逆で、『三体』には今まで短篇で書いていたネタをすべて投入しているとも言えるのかもしれません。今、早川書房から11月に出る劉慈欣の短篇集の翻訳をやっているんですが、細かく見ると、このネタは『三体』のあそこに使われているなとか、人工冬眠の話はここにつながるんだなとかがわかります。
 短篇でも、『三体』三部作の特徴でもある、ふつう一緒にならないものが一緒になっているというポイントはよく出てきますね。『三体』第一部でも、文化大革命のシーンみたいなヒリヒリするリアルな描写と、VRゲーム内のぶっとんだ話、主人公の汪淼(ワン・ミャオ)が中心になる超自然的サスペンスの話という三つの軸があって、それら三つは全然一緒にならない話だけど、それを一緒にすることに何の躊躇もない。

いとう 方法論として意図的にやっているのか、思いついたらかまわずやってしまっているのか。

大森 最初は中国SFのおおらかさゆえなのかなと思ったんです。実際『三体』の中国語版にはカバー袖にあらすじが書いてあるのだけど、ネタバレも全部書いてあるから(笑)。でも“何でもあり“な作風は中国SFの個性ではなく、劉さんの個性だと思います。中国SF全体が『三体』みたいなものでは全然ない。中国SFという土壌があったから劉さんが出てきたのは間違いないし、中国が経済的に発展して科学技術に力を入れていこうという土壌があったからこの作品が書かれたのは確かにそうだと思うんですけど、中国SFの代表として、中国的な特殊性を備えているわけではない。

いとう 中国SFは何年くらいから出てきたものなんですか?

大森 今につながる現代的なSFが書かれるようになったのは文革のあと、1980~90年代ぐらいからだと思います。今の中国SFは、80年代生まれの作家たちが主力になっていますね。

いとう 我々が司会をやった「世界SF作家会議」に出てくれた陳楸帆(チェン・チウファン)のような作家たちですね。

大森 そうですね、陳楸帆さんや「折りたたみ北京」の郝景芳(ハオ・ジンファン)さんあたりのいま30~40歳ぐらいの世代ですね。郝景芳さんは『1984年に生まれて』という本を書いていて、そこにはお父さんの世代の話も出てくるんですが、日本の戦後生まれの人たちとはまったく違う環境で育っている。劉さんもそうなんですよね。根っこにあるのは、文化大革命の混乱を逃れるために、親の生まれ故郷の村にしばらく預けられて、そこでは電気も通っていないのでランプで暮らしていたという経験。僕らの世代の日本の田舎でもちょっと考えられないような環境で幼少期を過ごして、文革の悲劇も目の当たりにしたうえで、現代を生きている。『三体』三部作は06~09年に書かれていますが、本人の中でその昔の記憶と現在の記憶が一緒になっているというところが、違和感も含めていろんなものが同居する作風につながっているのかなと思います。

いとう 中国の読者にとってはそういう文革や田舎の記憶といったリアルを思い起こさせる読みかたができる物語であるというのもあるかもしれないですね。僕は中国の作家でいうと閻連科も素晴らしいなと思っているんです。やっぱり文化大革命というできごとはどうしても避けて通れないので、閻連科も書いたりしているんですが、『三体』はそれを冒頭に置いてこれだけ壮大なSFになるのかと、アイデアにまず腰を抜かしましたね。

大森 最初に中国で『三体』が単行本として出版された時は文革のシーンは真ん中にあったんですよね。世の中の趨勢を見て、文化大革命からはじめるのはやめておこうとなったけれど、英訳版が出るときに変えた。それで評判になったところもあると思いますが、どっちがよかったのかは難しい問題ですね。冒頭の文革のシーンがすごく重いので、これはダメだ、思っていたのと違う、となって読むのをやめちゃう人もいる。

いとう 確かに、SF感はないですからね。

大森 「どうなるんだろう?」と前のめりになる人もいれば、引いてしまう人もいるので、どっちがよかったかはわからないですね。

いとう しかしながら、シーンをシャッフルしても物語が成り立つというのはすごいですね。

■キャラクターについて

いとう 『三体』は、よく頭の中でこれだけの人物を動かせるなと驚きますね。
大森 中国でも日本でもキャラクターのファンが多いですね。日本だと史強(シー・チァン)=大史(ダーシー)の人気が高くて、ブロマンス的なカップリングもあったりする。羅輯とのコンビが一番人気だと思うんですけど。第三部は百合だとかも言われていますね。程心(チェン・シン)と艾AA(あい・えいえい)のカップリングがいいという話が盛り上がっているみたい。中国では、第三部は意外な人がすごく人気なんですよ。一番人気は羅輯で、二番人気は第三部で初めて出てくるトマス・ウェイド。

いとう まさかの悪役ですね。

大森 完全に悪役なのだけど、彼が執剣者になっていてくれれば地球はこんなことにならなかった、おれたちはウェイドに任せたかった、というところなんでしょうかね。確かに印象に残るキャラクターではあります。

いとう 考え方が揺るがないし、思いつきでなにかをやっているわけではなく信念でやっているから、ただの悪役ではない。

大森 核戦争の時にボタンを押せる人。『黒暗森林』の最後で成立する三体世界と地球の間の緊張緩和(デタント)状態というのは完全に核戦争の比喩になっているので、ウェイドは何か察知したらすぐに核のボタンを押しちゃう人でもあるわけですね。人類ならば押せないはず、というのが劉さんの考えで、それを反映したキャラが人類全体の空気を読んで行動する程心。それに対抗する人が一番人気になるというのも、中国の国民性なのかもしれない。

いとう すごく面白いし、各国のベストスリーを見てみたいですね。アメリカ人は誰が好きなのか、とかね。

大森 もう一つ、中国と日本の反応の違いでおもしろいのがあって、日本で『黒暗森林』が刊行された直後くらいに、中国の人たちがネット上で「『黒暗森林』はハッピーエンドだと浮かれているけど安心するなよ日本人、第三部では絶望の淵に叩き込まれるぞ」というようなことを言っていたんですね(笑)。でも、『死神永生』が出て、意外と日本ではそういう反応はなかったんですよね。第三部で絶望の淵にたたき落とされたような人は、地球文明の発展にものすごく感情移入していて、なおかつそれといまの中国とを重ねて見ているので、それが滅びるということに恐怖を感じて『死神永生』は鬱エンドだというイメージを持っている。でも日本人は、地球が滅びたあとも人類は存在しているんだからハッピーエンドじゃないか、と思っているんですね。

いとう ワビサビ的に終わっているというか、虚無で終わっているというか。

大森 希望を持った終わりだと考えている。中国のメディアからいろいろ質問をされたなかに、「日本人は『死神永生』のラストで、滅亡のショックを受けると思いますかと聞かれたんですが、「いえいえ、日本人は『伝説巨神イデオン』や一部ガンダムシリーズの”皆殺しの富野“節とか、旧劇場版エヴァンゲリオンの結末でさんざんひどいラストを経験しているから、全然ひどいとは思わないだろうと答えたんです。受け止め方が一番違うところかなと思います。

いとう そうですね。もともとの文化的な素養とか、あるいは現代の世界政治のなかで自分たちの国がどのような状態にあるかということも反映しているのかもしれない。

大森 日本人も、もし自国がジャパンアズナンバーワンのときだったらショックだったかもしれないけど。

いとう おれさえ生き残れば何とかなるか! という感じになっているのかもしれない。でも、第三部で起こる絶望的なことはあまりにもすさまじい状態だと思いますが。

大森 日本人読者は滅びにショックを受けるよりも、カッコいい! の方が先に来ちゃうんですよね。地球がどんどんやられているのだけど、大谷にホームランを打たれた相手チームのような気持ち、拍手するしかないという気持ちになっている気がします。そこが反応の違いで面白いですね。

■劉慈欣との対話

いとう この前の番組(「世界SF作家会議 番外編」)でも、大森さんは劉さんとお話ししましたよね。

大森 一時間くらいですが、リモートでいろいろ話を聞けました。第三部は恋愛要素が強いじゃないですか。好きな人に星をプレゼントした男、雲天明(ユン・ティエンミン)はたいへんな人生を歩むことになっちゃったけど、彼の選択はすべて片思いの愛情がなせるわざ。

いとう 超ロマンティックなんですよね。

大森 恋愛はあくまでも道具で、雲天明がおとぎ話に託した謎解きを書きたかったんですか、それとも恋愛を書きたかったんですかと聞いたんです。そしたら、恋愛は二千年も前から文学で描かれてきた重要な主題だから、それを書くのは当然だと言ったあとに、劉さんいわく、もともと程心は男だったと。男性のキャラクターでプロットを書いていたら、出版社から、『黒暗森林』でも男が主人公だったので、かぶってしまうから女性にしてくれといわれて女性にしたというんですよ。私のキャラクターはすべてエンターテインメント的な役割のためにつくりだしたにすぎない、と言うんです。

いとう だから男でも女でも構わないと。

大森 全然そうは読めないですよね。

いとう 程心が女性であることで、艾AAとの関係が面白くなるし、現代的にもみえるし、LGBTQの問題からも読めるし、すごく面白くなったと思います。

大森 程心は人類の母としての役割を背負っているから、男だとそもそもこの話は成立しないだろうと思うんですよね。

いとう 女性だからこそこの物語が光るというか、第三部でこういう哲学でくるのかという驚きがあった。それは編集者のアイデアもさすがですね。

大森 劉さんはどこまでが韜晦なのかがよくわからない。智子についても、なんで忍者の格好をして茶室でお茶を淹れているのかと聞いたんです。あれは粒子の名前を考えたら、それがたまたま日本では女性の名前だったからそうしただけだというんです。ウケを狙ってやっているのかと聞くと、いやいや、僕は人を笑わせようと思って書くことはないと。僕はユーモアのセンスはないというんだけど、どこまで信じていいかわからないのが面白いですね。

いとう 劉さん自体が何次元あるかわからないような人ですね。

大森 「世界SF作家会議」でのコメントを聞いても、計算してウケようと思って言っているのか、本気なのかが全然わからない。本人はつねに真剣に言っていますというのだけど。大天然なのか、その裏ですべて緻密に計算しているのか。計算していないと無理だということがいっぱいあるじゃないですか、伏線の回収とかもものすごく綿密に考えられているなと思うんだけど、計算では絶対に作れない要素もいっぱいあるから。

いとう 読めないという意味では、今後もなにをやってくれるかわからない人ですね。今後も一緒に年を取っていけるのがうれしいです。

■読者からの質問

──お二人が思う『三体』の名場面はどこでしょうか。推しキャラクターもいれば教えてください。

いとう 僕は、羅輯のキャラクターが変化していくところが面白かったですね。普通の人だったはずなのに、考えに考えたすえに仙人のようになっていくというのはなかなか書けるものじゃないと思います。

大森 どうしても翻訳していて一番大変なシーンが印象に残るので、『黒暗森林』だと、水滴の場面です。オーディブルで聞いて、これはいい場面だなと思うのは、『黒暗森林』で、羅輯と大史が二人で夜の闇の中でタバコに火をつけて、その火だけが見えている状態で羅輯がついにたどりついた宇宙の真理について大史に語る場面。朗読で聞くといい場面だなあという感じがしますね。

いとう 僕は、場面でいうと、アリが石碑を登っていくところ。バランス的にも長いでしょう。ああいうアンバランスさに作家性が出ると思います。

──智子に関して、ヴィジュアルイメージで想像されていた方はいらっしゃいますか。

いとう 誰だろうなあ、アクションもできる系だと思うんだよなあ。ちょっと間違えた日本であってほしいから、日本人じゃないほうが楽しめるかな。

大森 中国のメディアからも、大史は誰のイメージでしたかというアンケートがあって。そのときは、役所広司、『孤狼の血』のヤクザな刑事の感じじゃないかといいました。

いとう いいですね。そういう系統ですよね。

──『三体』を読み切ったあと、次に読むべき小説のおすすめがあれば教えてください。

大森 一番よく言われているのは、ジェイムズ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』三部作。ほかにもアルフレッド・ベスターとかコードウェイナー・スミスとか、宇宙ものの突拍子もないアイデアを書いているSFを読むといいかもしれない。現代SFでいうと、中国系アメリカ人のSF作家であるテッド・チャンの『息吹』。これは現代SFの模範解答のような作品集です。いとう 僕はフィリップ・K・ディックの『ヴァリス』みたいな本を読むといいのではないかと思いました。精神世界みたいな方向の。『三体』を受けて立てる本というのは、きわめてまれだと思いますね。

(2021年6月12日/オンライン・イベント)