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言語は文化による構造物か、それとも自然の遺産か? ガイ・ドイッチャー『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』プロローグ試し読み

言語の違いが認知にもたらす驚くべき影響を解き明かすポピュラーサイエンス、ガイ・ドイッチャー『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)が発売しました。本書のプロローグより、一部を抜粋公開します。

言語は文化による構造物なのか。それとも、自然の遺産なのか。言語を鏡として私たちの心のまえに掲げることができたとしたら、そこに映るのは人間本来の性質だろうか。それとも、私たちが生きる社会の文化的慣習だろうか。

これを疑問とすること自体がある意味で奇妙に思えるかもしれない。言語は、文化的慣習ということを隠すことなく存在する文化的慣習だからである。言語は地球上の各地で大いに様相を異にするし、幼児がある特定の言語を身につけるのは、たまたまある特定の文化のなかで育つことになったという偶然の産物であって、これは周知の事実である。ボストン生まれの幼児がボストン流の英語を身につけるのは、たまたまボストン流英語の環境に生まれたからで、ボストン人の遺伝子を持っていたからではない。北京生まれの新生児がやがて標準的中国語を話すようになるのは、標準的中国語の環境で成長するからで、遺伝的要因が存在したからではない。幼いうちにこの二人を入れ替えたら、北京生まれの子はやがて完璧なボストン流英語を話し、ボストン生まれの子は完璧な標準的中国語を話すようになるだろう。これが事実である生きた証拠は、容易に見つけられる。

さらに、言語相互の違いとしてまず目につくのは、ある概念にどんな名前が(あるいは)ラベルがついているかということである。そしてこれまた周知のとおり、これらのラベルは社会的慣習であるという以外になんらの存在根拠を持たない。鳥のカッコウのように、ラベルがその指し示す対象の性質を反映しようとする場合(いわゆる擬音語)をべつにすると、ラベルの大多数は恣意的に決まっている。バラはどんな名前で呼ばれようと、「甘い、douce, γλυκó, édes, zoet, sladká, sød, hoş’makea, magus, dolce, ngot(各国語で〝甘い〟)」香りを漂わせる。言語におけるラベルはこのように個々の文化の領域内にとどまり、自然的要素はほとんど持ち合わせない。

しかし、言語という鏡の奥に目をこらし、ラベルという表面的存在の向こうにひそむ概念に注目したら、なにが見えてくるだろうか。「バラ」や「甘い」、「鳥」や「ネコ」といったラベルの背後にある概念も、ラベルと同様に恣意的といえるだろうか。言語が外界を概念に切り分けるやり方も、文化的慣習にすぎないのだろうか。それとも、「ネコ」と「イヌ」、「バラ」と「鳥」を分別する境界線は自然が引いてくれているのだろうか。話が少々抽象的になったので、具体的な思考実験をしてみよう。

どこかの古い図書館の、誰からも忘れられたような一隅をぶらついていたあなたは、一八世紀の古ぼけた手稿に偶然目をとめる。そこに置かれて以来、一度も開かれた様子がない。表題は『離れ小島ジフトにおける冒険の記録』。著者が発見したと主張する謎めいた離れ小島について、詳細に記述したものらしい。はやる気持ちを抑えてパラパラとめくり、「ジフト語について(承前)──その驚くべき特徴が詳述される」という章を読み始める。

夕食のとき、勇を鼓してあれこれを指さし、彼らの言葉でなんというか尋ねてみたところ、この親切な人たちは喜んで答えてくれた。しかし、私には学ぶ気が十分あったものの、その困難たるやほとんど打ち勝ちがたく思えたのだった。なにしろ、ものの区別の仕方ひとつとっても、私たちにとって自然きわまりないやり方が、彼らの思考と精神の枠から閉め出されてしまう。たとえば彼らの言語には、私たちにとっての「バード(鳥)」の概念を表す単語も、「ローズ(バラ)」を表す単語も存在しない。そのかわり、白いバラと胸の赤い鳥以外のすべての鳥をまとめて「ボーズ」と呼び、胸の赤い鳥と白バラ以外のすべてのバラをまとめて「ラード」と呼ぶ。

三杯目の酒をほして舌の回りがよくなったあるじは、子どものころに教わった寓話を暗唱しはじめた。ボーズとラードを悲劇が襲う話だった。「一羽の胸の赤いラードと、一羽の蜂蜜色のボーズが高い梢の枝にとまって、おしゃべりをはじめた。やがて、どちらのほうが歌がうまいかで論争になったが、決着がつかず、ラードが、足下の庭園に咲く花のなかでもとくに美しい花に決めてもらおうと提案した。二羽は早速、かぐわしいボーズと蕾をつけた赤いラードのもとに舞い降りて、ご意見をお聞かせねがいたいと頼みこんだ。蜂蜜色のボーズが細くなめらかな声を張り上げ、胸の赤いラードが喉をふるわせる。ところが残念、かぐわしいボーズと赤いラードには、蜂蜜色のボーズの流れるような歌声と、胸の赤いラードの細かくふるえるさえずりの区別がつかなかった。二羽の歌い手は大いに気を悪くした。怒りに燃えたラードが赤いラードに襲いかかって、花弁をひっこ抜く一方、誇りを傷つけられたボーズも同じく手荒にボーズを痛めつける。そのうち、二本の審判役はともに花弁や蕾をすっかりはぎとられてしまった。ボーズはもはやかぐわしくなく、ラードももはや赤くはなかったとさ」

私が混乱しているのを見てとったあるじは人差し指を振りながら、教訓をそらんじた。「だから覚えておきなさい。ラードとボーズの区別をつけそこなうことなかれ!」。私は、けっしてそんなことにならないよう努力する、と心から約束したのだった。

この貴重な記録の正体はなんだったとお思いだろうか。昔の探検家の、未発見の日記か。はたまた『ガリバー旅行記』の失われた続篇か。後者、つまりフィクションを選んだとしたらそれは、常識的に見てジフト流の概念の切り分け方がおよそありそうになく、胸の赤い鳥と白くないバラをひとまとめにして「ラード」と呼び、その他の鳥と白いバラを「ボーズ」という単一概念とするやり方が明らかに不自然だからだろう。ジフト流のラードとボーズの区別が不自然に感じられるとしたら、英語における鳥とバラの区別の仕方はどこか自然であるに違いない。つまり、常識的に考えて、言語は好き勝手にラベルを付与してもかまわないが、ラベルの奥にある概念まで好き勝手に扱うことはできない。対象物を恣意的に選んでひとまとめにすることは許されない。類は友を呼ぶ、というではないか。どんな言語であれ外界を切り分けるときは、現実において──少なくとも、私たちの知覚する現実において──似通ったものをひとまとめにする必要がある。タイプを異にする鳥をひとつの概念として集め、名前をつけるのは自然だが、鳥の恣意的セットとバラの恣意的セットをひとまとめにして、ひとつのラベルを付与するのは不自然ということになる。

子どもが言語を獲得する様子を一瞥するだけでも、「鳥」「ネコ」「イヌ」といった概念がどこか自然であることは確認できる。子どもは思いつくかぎりの(そして、大人には思いつけない多くの)質問を繰り出してくる。しかし、子どもが「ねえママ、あれはイヌ? ネコ?」と聞いているのを見た覚えはあるだろうか。脳みそを絞り、記憶を必死にひっくり返しても、子どもが「これが鳥なのかバラなのか、どうしてわかるの?」と聞いているのを見た覚えはまずないだろう。子どもが育つ社会の特定言語で、これらの概念にどんなラベルが付与されているかを教えてやる必要はあるが、概念そのものをどう区別するかを教える必要はない。よちよち歩きの幼児でさえ、絵本で何度かネコを見ていれば、つぎに本物のネコに会ったとき、たとえそのネコが絵本のネコと違って虎猫ではなく、毛足が長く、尻尾が短く、片方の目と片方の後足が欠けていたとしても、イヌや鳥やバラではなくネコと認識するだろう。子どもがこの種の概念を本能的に把握することから見ても、人間の脳には本来的に、似通った対象物をグループ分けする強力なパターン認識アルゴリズムが備わっていることがわかる。となると、「ネコ」や「鳥」などの概念も、外界を類別するという生来の能力になんらかの形で対応しているはずである。

こう見てくると、言語は文化と自然のいずれを反映するのか、という問いに簡潔な答えを得たように思える。ここまでの吟味を通じてすっきりした構図を描きあげ、言語をふたつの分明な領域に切り分けた。ラベルの領域と概念の領地である。ラベルが文化的慣習を反映するのに対して、概念は自然を反映する。どの概念にどんなラベルを付与するかは各文化の自由に任せられるが、ラベルの奥にある概念は自然主導で形成される。この二分割には長所が多々ある。単純明快かつエレガントで、知と情の双方を満足させるだけでなく、はるかアリストテレスまでさかのぼれるのだから来歴も申し分ない。アリストテレスは紀元前四世紀に、発語の音声こそ人種によって異なるかもしれないが、概念それ自体──アリストテレスの表現では「魂への刻印」──は人類全体に共通する、と書いている。

この構図に反論はあるだろうか。ひとつだけある。現実というものにあまり似ていないのだ。構図をすっきりと二分する境界線には地図学者もうっとりするかもしれないが、残念ながら現実の勢力関係を正確に表現しているとはいいがたい。現実には、文化はラベルを管理下におくだけでなく、絶えず境界線を越えて襲撃を繰り返し、自然にとっての生得権ともいうべきものを脅かしてやまないからである。「ネコ」と「イヌ」といった概念の場合は自然の手で明確な境界線が引かれており、文化の襲撃にも概して動じないが、こうした概念以外の分野では文化的慣習がいわば内政干渉し、ときに常識を覆すことも起こりかねない。概念の領地にどこまで深く文化が侵入しうるか、その状態を受け入れるのがいかに困難でありうるかは、あとに続く章で明らかにしていきたい。ここでは手始めに、文化が境界線を越えて築いた拠点のいくつかを、軽く偵察するにとどめておこう。

まずは抽象概念について考えてみよう。ネコや鳥やバラなどの単純な具象的対象の世界を離れ、「勝利」「公正さ」「シャーデンフロイデ(他人の不幸を喜ぶ気持ち)」といった抽象概念に目を移すと、なにが起こるだろう。この種の概念もまた、自然主導で切り分けられているのだろうか。昔、フランス人とドイツ人には精神がない、といって喜んでいる知り合いがいた。フランス語にもドイツ語にも英語の「マインド(心、精神)」にあたる単語がないことをいっているのだが、ある意味でこれは正しい。たしかにどちらの言語にも、英語のマインドという概念が意味するところとぴったり重なるような単一の概念、単一のラベルは存在しない。英仏辞書を引いて「マインド」に相当するフランス語を探そうとすると、文脈によって訳語が変わるという丁寧な説明があって、つぎのような用例が示される。

esprit(peace of mind[心の平穏]= tranquillité d’esprit)

tête(it’s all in the mind[心のなかにだけある、思い込みだ]= c’est tout dans la tête)

avis(to my mind[私の気持ちとしては]= à mon avis)

raison(his mind is going[彼は正気を失いつつある]= il n’a plus toute sa raison)

intelligence(with the mind of a two-year-old[二歳児の知恵しかない]= avec l’intelligence d’un enfant de deux ans)

逆に英語には、バートランド・ラッセルが意気揚々と指摘したとおり、フランス語の「エスプリ」とぴったり重なる単一の概念が存在しない。ここでも仏英辞書はエスプリの訳としてさまざまな英語単語が使われるとして、つぎのような用例を並べることになる。

wit(avoir de l’esprit[機知に富む]= to have wit)

mood(je n’ai pas l’esprit à rire[笑う気分ではない]= I’m in no mood for laughing)

mind(avoir l’esprit vif[頭の回転がはやい]= to have a quick mind)

spirit(esprit d’équipe[チーム精神]= team spirit)

つまり、「マインド」や「エスプリ」のような概念は、「鳥」や「バラ」の概念と同様の意味で自然ではありえない。自然でないからこそ、言語によって概念領域に違いが生じるのだ。はやくも一七世紀にジョン・ロックは、抽象の領域ではそれぞれの言語が独自のやり方によって、独自の概念──ロックの用語では「特定の観念」──を切り分けることが許される、と考えていた。そして一六九〇年の著作『人間知性論』のなかで、「ある言語には、べつの言語が呼応するものを持たない数多くの単語」が存在するという事実を指摘して、この考えの正しさを証明した。ロックによれば「この事実から明らかなように、ある国の人々が独自の習慣と生き方を通じて、いくつかの複雑な観念を形成する機会を得、それらに名前を付与したのに対して、べつの国の人々は特定の観念を形成するに至らなかったある。

自然がはじめて文化に一歩譲ったわけだが、これはさほどの痛みを伴わなかった。自然と文化のすっきりした境界線に多少の手直しが必要になったとしても、文化的慣習が抽象概念の形成に決定的に関与するという考え方は、私たちが元来持っている直感とさして矛盾しないからである。ジフト島を訪れた一八世紀の旅人が、「ボーズ」と「ラード」の使い分けを記録するのではなく、ジフト語には英語でいう「フェア」に相当する単語が存在せず、「正しい」と「親切」にあたる概念を文脈によって使い分けていると報告していたとしたら、そんなやり方は常識に反するという叫びがあがることもなかっただろう。

しかし、抽象の領域だけでなく、日常会話に登場するごく基本的な概念にまで文化が介入するとなると、事は穏やかでなくなる。「私」「あなた」「私たち」といった人称代名詞を例にとろう。これらがきわめて基本的、あるいは自然であることに異論はなかろう(もちろん、多少なりとも外国語の知識があれば、これらの概念のラベルが自然主導で決まるなどとは思いもしないだろうが、概念そのものを持たない言語があるとは考えにくい)。例の旅行記を読み進めると、ジフト語には英語の「ウィー(私たち)」に相当する単語がない、という記述に出くわしたとしよう。そのかわりにジフト語では、三つの単語を使い分けるという。「私とあなたのふたりだけ」を意味する「キタ」、「私とあなたとほかの誰か」を意味する「タヨ」、「私と、あなた以外のほかの誰か」を意味する「カミ」の三つである。著者によれば、これら三つの完全に分明な概念すべてを英語では、「ウィー」というちっぽけな単語ひとつで間に合わせると聞いて、ジフト人たちはたいそう面白がったという。そんなものはでっち上げだ、ジョークにしても冴えない、と笑い捨てるのはご自由だが、フィリピンに住むタガログ語の話し手はそんなふうには思わないだろう。タガログ語はまさにこの三つの概念を使い分けるからである。

しかし、これはほんの序の口で、常識にかかるストレスはまだまだ強くなる。せめて単純な物質的対象物ぐらいは自然の専権事項だと期待する向きがあっても当然だし、イヌ、ネコ、鳥のたぐいに話をかぎれば、この期待はまず裏切られない。この種の生き物は見るからに、形状を異にするからである。しかし、自然が切り分けにわずかの迷いでも見せようものなら、文化がすかさず介入してくる。人体の部位を例にとってみよう。人間が生きるうえで重要な意味を持つ「単純な物質的対象物」はいろいろあるが、手、つま先、指、首はなかでもきわめて単純、かつ物質的な部位といえるだろう。にもかかわらず、自然はこれら分明なはずの部位について、あまり熱心に線引きをしなかったようである。たとえば腕と手は、人体におけるアジア大陸とヨーロッパ大陸のようなものだ──これらはふたつなのか、じつはひとつなのか。結論からいうと、答えはどんな文化のなかで育ったかによって変わってくる。腕と手を単一の概念としてひとつのラベルで両者を表す言語は、私(筆者)の母語であるヘブライ語を含めて数多い。ヘブライ語の話し手が英語で、子どものころ手に注射されたといったとしても、それは医者がサディストだったからではない。日常的に腕と手を区別しない言語で考えていたため、英語の話し手がなぜか執拗に「アーム(腕)」と呼びたがる部位について特別な名前を使うのを忘れただけのことなのだ。一方、私の娘はヘブライ語の「ヤド」が「ハンド(手)」をも意味することを覚えてからかなりのちまで、私が腕の意味で「ヤド」というたびに激しく抗議するのが常だった。娘と私がヘブライ語で会話しているときでさえ、それは変わらなかった。腕を指さして、いかにも不服そうな口調で「ジ・ロ・ヤド(それはヤドじゃないわ)、ジ・アーム(腕よ)!」というのだ。「ハンド」と「アーム」が、ある言語ではべつのもので、もうひとつの言語では同じものだ、ということを理解するのは容易なことではなかったのである。

手と指を同じ名前で呼ぶ言語がある一方、ハワイ語のように英語では三つの部位として扱われる「アーム」「ハンド」「フィンガー(指)」を同じ名前で呼ぶ言語もある。私は二〇年も英語を話して暮らしてきたが、その私でさえ「ネック(首)」が話題になると混乱することがある。誰かが自分の「ネック」について話しだす。私は当然、彼が文字どおり首について話しているのだと思って耳を傾ける。ちなみに私の母語では、からだのこの部位を「ツァヴァル」という。ところが、しばらく聞いていると、彼が首を話題にしているのではないことがわかってくる。いや、「ネック」を話題にしてはいるのだが、「ツァヴァル」の話ではないことがわかる。彼のいう「ネック」は「オレフ(首のうしろ、うなじ)」のことだったのだ。きわめて不注意なことに、英語ではこの部位を首の前側と一緒にして、ひとつの概念としている。ヘブライ語ではツァヴァルといえば首の前側のことで、首のうしろはツァヴァルとまったく関係のない「オレフ」という名前で呼ばれる。首の前とうしろは、英語の「バック(背中)」と「ベリー(腹)」、「ハンド」と「アーム」が別物であるのと同様に、明確に区別されるのである。

文化への譲歩もここまでくると多少不安になる。「マインド」や「エスプリ」といった抽象概念が文化に依存してもどうということはないが、「ウィー」などの代名詞や「ハンド」「ネック」などのからだの部位までが、ある社会における特定の文化的慣習に依存するとなると、安閑としているのも限界に近づく気がする。しかし、文化による概念領域への侵入が多少痛みを伴いはじめたとはいえ、本書の前半で考察する分野への介入がもたらす痛みに比べれば、針でつついた程度にすぎない。問題の分野で文化が概念の地に侵入するという見方は常識に楯突き、常識を覆しかねないものだったので、過去数十年来、自然の擁護者たちが大義を守るべく総動員され、血ならぬインクの最後の一滴まで戦いに捧げられてきた。その結果、問題の分野は自然擁護派と文化擁護派の一五〇年戦争の、中心的戦場になり、いまも対立が解消する気配はない。この戦場とは、色名である

なぜよりによって色が、これほどの対立のもとになるのだろうか。色という知覚の一分野が人間の感覚に深く根ざし、一見本能的でさえあるため、そこに介入するにあたって文化が自然を装い、その変装が言語のどの分野よりうまくいってしまったことに原因があるのかもしれない。黄色と赤の違い、緑と青の違いに抽象的、理論的、哲学的、あるいはその他大勢の「……的」をかすかにでも想起させる要素は存在しない。しかも、色は知覚の基底に根付いているのだから、色の概念は自然の専権事項になって当然とも思える。にもかかわらず、自然は色のスペクトル上に境界線を引くという作業をおろそかにしてきた。色は連続体として存在する。緑はある一点を境に、突然青に変わるわけではなく、暗い青緑、ターコイズ、アクアマリンなど、無数の中間色を経て徐々に青に変化する。しかし、色を話題にするとき私たちは、この微妙に変化する連続体に境界線を引き、「イエロー」「グリーン」「ブルー」などに切り分けている。この切り分けは自然主導で行われるのだろうか。「イエロー」や「グリーン」の概念は、目と脳の生物学的形状によって決定される、ヒトという種にとっての普遍的定数なのだろうか。それとも恣意的な文化的慣習なのだろうか。境界線をべつのやり方で引くことはありえただろうか。そもそも、これほど難解な仮説的疑問を呈する必要など、どこにあるのだろうか。

じつをいうと、色の概念を巡る対立は抽象的な哲学的思考に端を発したわけではなく、あくまでも現実に即した観察の結果、生じたものだった。一九世紀半ばに起きた一連の発見から、驚くべき新事実が導かれた。いま私たちは、人類と色の関係が明快そのものと考えているが、昔からずっとそうだったわけではなく、今日の私たちがわかりきっていると思うことも、古代人にとっては難題の連続だった、というのである。そこで、「色感」の源をつきとめる探検がはじまった。ヴィクトリア朝の手に汗握る冒険譚であり、観念史上のエピソードとしても、その大胆さにおいて一九世紀のいかなる探検家にもひけをとらなかった。色感探検隊は地の果てまで足を運び、当時の──進化、遺伝、人種を巡る──激しい論争に巻き込まれた。探検を推し進めたのは、およそヒーローらしからぬ混成部隊だった。いまでは学問的業績などほとんど忘れ去られた著名な政治家。いくつかの言語学的発見をしたばかりに、異端の極地ともいえる進化論的思考にたどりついた正統派ユダヤ教徒。ドイツの地方大学出身で、ひとつの世代全体を誤った方向に走らせてしまった眼科医。「人類学のガリレオ」とあだ名され、心ならずも探検を正しい道に引き戻したケンブリッジ大学の有能な研究者。

現代人を古代人と分かつのは眼なのか、舌なのかをつきとめようとする一九世紀の戦いは、二〇世紀に入ると、言語の諸概念を巡る総力戦に変貌した。そこでは対立する世界観──普遍主義と相対主義、生得主義と経験主義──が刃を交える。主義の世界大戦のなかで、スペクトルはトーテム的重要性を持つに至る。自然と文化それぞれの擁護者が、色をかちえることこそ言語全般を支配する決定的要因になる、と考えはじめたからである。言語理論を巡る戦いにおいて、自然派と文化派双方が色を切り札扱いし、勝利の旗は両者のあいだを行きつ戻りつする。それにつれて定説も一方の極から反対の極へと揺れるが、ここ何十年かはふたたび自然派が優勢のようである。

言語の諸概念について自然派と文化派の主張が対立するなかで、色は勝負の判定を下す格好の審査員になってきた。こういいかえてもいいだろう。すなわち、人間が自分を表現するさまざまなやり方において、共通部分がどれほど深く根ざし、差異の部分がどれほど表面的か──あるいは、その逆!──という大問題について、一見細長い色のスペクトルは絶好のリトマス試験紙になりうる。

「人はなぜ言語を持つのか、言語をもって人は何をするのか。
たいへんわくわくする、知的好奇心を掻き立てられる一冊」
――今井むつみ(慶應義塾大学教授、本書解説より)

「葡萄酒色の海に三色の虹がかかっていたら。
それは夢か幻か、文化の形かSFなのか」
――円城塔(作家)


コトバとココロをめぐる、言語学の冒険!

ホメロスの叙事詩『イリアス』や『オデュッセイア』では、海と牛がともに「葡萄酒色」と表現され、「青」は一切出てこない――古代ギリシャ人は世界がモノクロに見えていた? 前後左右にあたる語を持たず東西南北で位置を伝えるグーグ・イミディル語話者の「絶対方位感覚」とは? ドイツ人にとって、男性名詞「リンゴ」は男らしい? 言語が認知に与える驚くべき影響を解き明かすポピュラーサイエンス。


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