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最高純度の「科学」フィクションであり、人類団結のメッセージ――『プロジェクト・ヘイル・メアリー』書評 特別公開

大好評をいただいているアンディ・ウィアープロジェクト・ヘイル・メアリー。ライアン・ゴズリングを主演とした映画化プロジェクトも進んでいるこの傑作の、SFマガジン2022年4月号に掲載された柞刈湯葉氏による書評を特別掲載いたします。ぜひ本書評でこの作品の魅力の一端を味わってみてください。(編集部)

技術的現実性を徹底的に積み上げる圧巻の宇宙SF

作家 柞刈湯葉

 火星単身サバイバル『火星の人』、月面都市サスペンス『アルテミス』。アンディ・ウィアーのテーマは宇宙SFとしてごく王道的、というか古典的でさえある。にもかかわらずこの二作が画期的なのは、その圧倒的な技術的現実性であった。

 SFはリアリティの度合いで何段階かに分類される。超光速航行や時間遡行など物理法則レベルの嘘を繰り出すものもあれば、核融合や軌道エレベーターなど理論上は可能な技術に留めるものもある。ところがウィアーはそれすらしない。ほぼ現代技術の話だけで、火星探査や月面都市の物語を構築してみせた。このため読者は遠い宇宙の物語にも「これは私たちのよく知る、この世界の話だ」という確かな手触りを得ることができた。

 そんなウィアーの第三長篇『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、地球外生命と恒星間航行がテーマだという。そんなバカな。ウィアーは作風を変えたのだろうか?

 もちろん現代技術で恒星間航行ができるはずがない。そこには何らかのフィクションが必要になる。だが現実性にこだわるウィアーが導入するフィクションは驚くほど極小だった。「アストロファージ」と呼ばれる単細胞の地球外生命体。物理法則を逸脱せず、熱を吸って赤外線を吐いて増殖するだけの、善意も悪意もない顕微鏡サイズの微生物。

 これが宇宙空間を飛来し、太陽に感染したところから物語は始まる。太陽の熱が徐々に奪われ、このままでは地球は凍りついてしまう。その解決手段を探すために、主人公は十二光年離れた恒星へと向かう。アストロファージを動力とした宇宙船に乗って。危機の原因が脱却の手段を兼ねることで、作中に持ち込む嘘を最小限に留める、一粒で二度美味しいギミックなのである。

 さらに作中では謎が解明する過程がすべて科学の手順に基づいている。アストロファージの生態やその応用技術、最終的な解決策に至るまで、真実を知る誰かによる説明ではなく、仮説と検証の反復によって積み上げられていく。SFを文字通り科学のフィクションと解釈するならば、これほど純度の高いSFはかつて見たことがない。

 旅先でも次々とトラブルが襲いくるが、ここでも「未知の恒星系だから何でもアリ」といったことは一切ない。アストロファージの物理的な単純さゆえに、事件も解決策も科学的に納得感のあるものが連鎖的に発生し、最後まで息もつかせぬ展開を組み上げたのは圧巻の一言である。

 第三作にして地球外生命・恒星間航行といった飛躍をしながらも、「SFに嘘があるのは仕方ない」といったお決まりの文句にどこまでも抗い続ける。宇宙はこんなにも「本当」だけで描いていけるのだ。

 そんなウィアー世界だが、誰が見てもわかる嘘が存在する。政治的トラブルが一切発生しないことだ。作中で起きるのは事故と自然災害のみ。太陽光減衰という危機を目の当たりにして世界各国は一瞬で団結し、すべてのリソースを問題解決に注ぎ込むようになる。

 現実世界と見比べると、こうした描像がリアリティに欠けると感じる人もいるだろう。だが私はこれを著者からのメッセージだと考えている。「人類が一致団結すればこんなにも凄いことができる。なぜ我々はそれをやらないのだ?」と。

プロジェクト・ヘイル・メアリー
アンディ・ウィアー/小野田和子訳
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