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これであなたも「交渉の達人」に!『パイを賢く分ける』序文を特別公開

イェール大学経営大学院のMBA課程で15年にわたり伝授され、オンライン教育サイト「コーセラ」で35万人が学んだ人気講座が待望の書籍化!
バリー・ネイルバフ『パイを賢く分ける――イェール大学式交渉術』(千葉敏生訳、早川書房)が9月20日に発売になりました。
ゲーム理論の専門家が考案した、タフなビジネス交渉はもちろん、プライベートの買い物、経費の割り勘、家賃交渉など、あらゆる場面で役に立つシンプルかつ実践的な方法とは?
本書の「はじめに」を特別公開します。

『パイを賢く分ける』バリー・ネイルバフ、千葉敏生訳、早川書房
『パイを賢く分ける』バリー・ネイルバフ、千葉敏生訳、早川書房

はじめに

交渉はストレスが溜まる。私自身にとってもそうだ。お金(ときには人生が変わるくらいの)、機会、時間、人間関係、評判など、多くのものがかかっている。そのため、交渉は、相手をだまそうとする人々や、どこかで見聞きしたタフな交渉者をまねようとする人々の最悪の一面を露呈させることもある。

そこで、一定の原則にのっとった交渉の手法があったらいいとは思わないだろうか? 相手を公平に扱い、自分自身も相手から公平に扱われるような交渉の手法があったら、いっそうよくないだろうか? その両方を実現するのが本書だ。本書では、私がこの15年間、イェール大学経営大学院のMBA課程の学生や企業幹部たち、そしてオンライン教育サイト「コーセラ」で学ぶ35 万人以上の受講生たちに教えてきた革新的な交渉術をお届けしていく。私がコカ・コーラに自社を売却する際に利用したのがその手法だ。それはゲーム理論の考え方に基づくシンプルかつ実践的な手法なのだが、優れた革新的アイデアではお決まりのように、昔ながらの手法でもある。その基本的な発想は、なんと2000年前の『バビロニア・タルムード』までさかのぼるのだから驚きだ(『タルムード』との関連については、第9章で)。

まずは、交渉の真の争点を正確に見極めることから始めよう。それは私が「パイ」と呼んでいるものだ。パイとは、交渉の当事者どうしが手を組むことによって生み出される付加的●●● な価値のこと。パイを理解できるようになれば、きっと交渉における公平性や力関係に対する見方が一変するだろう。

交渉において、「パイを分け合う」というのはよくある考え方だが、ほとんどの人は、分け合うパイ自体を見誤っている。合意によって生み出される利得ではなくて、総額や総量のほうに着目してしまう。だから、的外れな数字や問題について言い争い、自分では合理的だと思っていても、実際には利己的な立場を貫いてしまうことになるのだ。交渉で難しいのは、パイを正確に計算する、という部分だ。パイを正しく理解できれば、合意形成は格段に容易になる。

一言でまとめれば、交渉とは、価値を生み出して獲得するプロセスなのだ。価値を生み出すという点でいうと、ロジャー・フィッシャーとウィリアム・ユーリーは、共著『ハーバード流交渉術』(三笠書房)で、立場ポジションではなく利害インタレストに着目することで交渉を成功に導く方法を世に知らしめた。しかし、未解決のまま残ったのは、合併により生じた相乗シナジー効果であれ、ウーバーの相乗りで浮いたお金であれ、生み出された利得を当事者どうしでどう分配するか、という厄介な問題だ。そうして生まれる対立にこそ、多くの人が交渉を嫌う原因がある。

こうした対立を和らげるため、公平性に訴える交渉者もいる。「こちらは公平なオファーを出したのですから、引き受けるのが筋ですよ」。しかし、一方にとって公平に見えるオファーが、もう一方にとっても同じくらい公平に見えるとはかぎらない。相手のほうがその取引に強くこだわっているなら、相手に半分未満の分け前しか差し出さずに、なおその取引を公平と呼ぶこともできるのだ。または、両者の開始点からして異なるのに、すべてを半分ずつに分けるのが公平だ、と主張する人もいる。しかし、こうした分配のしかたは、交渉における公平性の本質を取り違えている、と私は思う。

また、力関係に基づく議論に訴える交渉者もいる。自分のほうが大企業だから、貢献度が大きいから、気楽に交渉を拒絶できるから、選択肢が多いから、などの理由で、多めの取り分を受け取る〝資格〟があると主張するのだ。こうした力の行使は、うまくいくことが多い。その結果、たいていは販売数、収益、利益、投資額の規模や、なんらかの力の測定基準に応じて、分け前を比例分配する結果になる。しかし、こうした分配のしかたは欠陥があるし、交渉における力の本質を取り違えている、と私は思う。

そこで、本書で紹介するのが、交渉者たちの持つ真の力を明らかにし、お互いの貢献を公平に認め合う、新しい交渉の手法だ。革新的なのは、「パイは均等に分け合うべきである」という結論の部分だ。しかし、それは両者が最終的に同じ額や量ずつを受け取る、という意味ではない。均等に分け合うべきなのは、総額や総量ではなくて、合意によって生み出された付加的な価値、つまり「交渉のパイ」のほうだけだ。この均等な分配方法は、力に対する見方を根本的に変えるものなので、当然ながら反発もあるだろう。特に、既得権益を得てきた人々から。しかし、そうした抵抗は乗り越えられる。その方法については本篇で。

本書を読めば、理論に基づく実践的な交渉の手法が手に入る。実践的な手法というのは、現場で有効性が確かめられている、という意味だ。私が元教え子のセス・ゴールドマンと共同で創設した紅茶飲料メーカー〈オネストティー〉をコカ・コーラが買収した際、その一世一代の交渉をとらえ直すのに役立ったのが、これから紹介する手法だった。その2008年のコカ・コーラとの交渉は、パイの理論が初めて教室から実世界へと飛び出した瞬間だった。それまで、この理論は、イェール大学の私の交渉講座で芽を出しつつあるアイデアにすぎなかった。本書で紹介するパイの手法は、自分たちの生み出した価値は自分たちだけで独占したい、というコカ・コーラの合理的な反論を乗り切るため、必要に迫られて発展していったものだ。その甲斐もあり、早い段階で、私たちは最終的なパイを折半することで合意した。おかげで、両者にそのパイを最大化するインセンティブが生まれた。そうして、私たちは実際にパイを最大化する行動を取った。

パイのフレームワークは、大金がかかる企業間の交渉のためだけのものではない。家主との賃貸契約を解除したり、ドメイン名の不正使用者からドメイン名を買い戻したりする際にも、交渉の指針になるし、利益が一律でない場合に、パートナーどうしで費用をより公平に分担する方法もわかる。ニューヨーク市のやり手の不動産弁護士たちは、パイの考え方を用いて、節税額の不都合な分配方法を見直し、クライアントに数千ドルの利益をもたらしている。その方法もわかるだろう。

パイのフレームワークを実践すれば、ビジネスや私生活における交渉との向き合い方が変わり、交渉をより明瞭かつ論理的にとらえられるようになるだろう。個々の状況に関係なく成り立つ一般的な原則に基づいて合意を形成できるし、相手の手法の矛盾を突き、説得力のある主張ができるようにもなるはずだ。

パイの等分がうまく機能するのは、相手と協力して生み出せる価値を最大化するチャンスがあるケースだ。また、このあとすぐにわかるとおり、公平性やパイの考え方に無関心な相手と対峙たいじするときにも使える。パイの手法は、明確な原理に基づいており、公平な結果を導くので、駆け引きいらずの交渉につながる可能性を秘めている。公平な分配が実現するおかげで、お互いがパイの最大化にひたすら全身全霊を捧げられるのだ。パイのフレームワークは、価値の創出と価値の獲得とのあいだにある緊張関係を和らげるのに、大きく役立つだろう。

また、すぐに気づくとおり、本書には一般的な交渉術書と比べて数値がたくさん登場する。その目的は、さまざまな用途においてパイの論理を理解しやすくすることだ。具体的な数値を使うことで、例を詳しく理解できるようになるし、結論をうのみにせず、反論できるだけの情報も得られる。読者の方々に、MBA課程のディスカッションに参加するような興奮を、少しでも味わってもらえたらうれしい。と同時に、数値はなるべく単純にするよう努力した。エクセルは不要だ。 

交渉術の本なのに、ちょっと論理的で分析的すぎるのでは、と思う人もいるかもしれない。感情や共感の役割はどこへ? もちろん、感情は重要だ。そして、共感はそれ以上に。実際、共感を持つことは、完全に理にかなっている。ただ、交渉において論理はきわめて重要だし、その割に理解ははるかに遅れている。論理的な主張をすること、よりどころとなる原理があることは、感情を抑えるのに役立つ。真に公平な解決策を導き出し、原理原則にのっとった意見を述べるためには、パイの論理が必要不可欠なのだ。

心配は無用。本書は冷徹なバルカン人〔ドラマ『スタートレック』シリーズに登場する異星人〕向けの交渉術書などではない。前半では論理にスポットライトを当てるが、後半では共感に着目する。これから紹介するツールや事例は、自己中心ではなく他者中心の視点を養うよう設計されている。共感は、同情や慈悲とは違い、相手の目的をより深く理解し、パイを広げるのに役立つ。論理は、公平な分け前を得るのに役立つ。つまり、論理と共感のふたつを組み合わせれば、ミスター・スポックとカーク船長のいいとこ取りができるのだ。

さあいよいよ、これまでの交渉術書が足を踏み入れたことのない未開の地へと、勇猛果敢に踏み出そう。

この続きは本書でお読みください!

■本書概要
『パイを賢く分ける――イェール大学式交渉術』
著者:バリー・ネイルバフ
訳者: 千葉敏生
本体価格: 2,600円(税込2,860円)
発売日: 2023年9月20日(早川書房)

著者紹介: バリー・ネイルバフ (Barry Nalebuff)
イェール大学経営大学院ミルトン・スタインバック記念教授。ゲーム理論の専門家として知られ、『戦略的思考とは何か』『ライフサイクル投資術』(ともに共著)など著書多数。グローバル企業への豊富なコンサルティング経験を持つほか、全米バスケットボール協会(NBA)に選手会との交渉における助言を行なうなど、幅広い分野でビジネス交渉のエキスパートとして活躍している。

訳者略歴:千葉 敏生(Toshio Chiba)
翻訳家。1979年神奈川県生まれ。早稲田大学理工学部数理科学科卒。訳書にバーネット&エヴァンス『スタンフォード式 人生デザイン講座』、ブラウン『デザイン思考が世界を変える〔アップデート版〕』、ガネット『クリエイティブ・スイッチ』、ベンソン『会議を上手に終わらせるには』(以上早川書房刊)ほか多数。