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2023年最後の注目作! ブッカー国際賞最終候補作『ハリケーンの季節』(フェルナンダ・メルチョール、宇野和美訳)

『ブラッド・メリディアン』(コーマック・マッカーシー)、『2666』(ロベルト・ボラーニョ)を引き合いに出して評価され、スペイン語圏そして世界の文学界で絶賛された小説『ハリケーンの季節』。

著者のフェルナンダ・メルチョールは、本作の前にはジャーナリストとして、地元の暴力・麻薬に関する犯罪事件を追ったノンフィクション作品を刊行しました。本作の着想も、実際の事件から得たと言います。

そのようにして書かれるメキシコの〈魔女〉殺人事件は、いかなるものか。作品の評価と読みどころ、作家自身と背景となる文化について、訳者の宇野和美氏が語ります。

ハリケーンの季節
フェルナンダ・メルチョール/宇野和美訳
2023年12月20日発売(紙・電子同時発売)

◉訳者あとがき

宇野和美

メキシコのジャーナリストで作家のフェルナンダ・メルチョールが2017年に発表した小説『ハリケーンの季節』(原題Temporada de huracanes ランダムハウス刊)は、近年最も世界的な注目を集めた、スペイン語圏の作品のひとつだ。

メルチョールは2015年にヘイ・フェスティバルとメキシコ文化省とブリティッシュ・カウンシルによる「メキシコ20」──40歳以下の期待のメキシコ人作家20人に選出されはしたものの、当時その認知度はまだメキシコ国内どまりだったと思われる。それが『ハリケーンの季節』によって、メキシコだけでなく、スペイン語圏全体の読者にとって目が離せない存在となった。2018年には、国際ペンクラブのメキシコ支部による文学ジャーナリスト賞を受賞した。

さらに翻訳版により、2019年にドイツで、アンナ・ゼーガース賞と、世界文化の家主催の国際文学賞を受賞し、2020年には、ブッカー国際賞の最終候補及び、全米図書賞翻訳文学部門のロングリストに入り、ニューヨーク・タイムズの年間ベストブックに選出され、世界的な作家となった。今では34カ国語に翻訳されている。

日本でメルチョールの名が聞かれだしたのは、ブッカー国際賞の最終候補になったあたりからだろうか。2020年10月14日には、メルボルンのウィーラーセンター主催で、『夏物語』が英訳された川上未映子とフェルナンダ・メルチョールのオンライン対談が開催され、川上氏はその中で、何度も、日本語版を早く読みたいという趣旨の発言をした。2021年2月24日には、フランス語版で読んだ小野正嗣が、「傷ついた者のため 沈黙にあらがう声、文学に響く」というタイトルで朝日新聞の文芸時評にとりあげ、日本語版への期待が高まった。

物語は、遊んでいた男の子たちが、用水路に浮かんでいる〈魔女〉の惨殺死体を見つけるシーンから始まる。

舞台は、メキシコのベラクルス州の架空の村ラ・マトサ。近所の町ビジャからも10キロ以上離れている、サトウキビ畑と精糖工場のほかは、北部の油田と港を結ぶ道路沿いの食べ物屋や飲み屋や売春宿しかない村だ。

誰が魔女を殺したのか、どのような背景があったのかが、その後だんだんとわかっていくわけだが、本書の独自性は、その語り方にある。章ごとに1人の人物をとりあげ、その人物の視点に読者をひきつけながら、章の初めから終わりまでまったく改行せず、会話も地の文もごちゃまぜになった一段落で語るのだ。会話はコテコテのベラクルス方言で、卑猥な表現や罵倒語もぽんぽんとびだす。乱暴だが、同時に詩的でもある言葉、とメルチョールは言っている。

とりあげられる人物は、魔女、魔女と恋愛関係にあったとされる青年ルイスミの従姉のジェセニア、ルイスミの母親チャベラの夫のムンラ、ルイスミが家に連れ帰った、13歳の少女ノルマ、ルイスミの遊び仲間のブランドの5名。モノローグではないが、その人物の思考や感情、性癖や来歴や行動が一人ずつ描かれ、最初はわからなかったことが、ああ、こういうことだったのかと後からわかったり、ある人物にとっては謎であることを、読者はもう知っていたりという具合に、パズルを埋めるようにして、事件の全容が明らかになっていく。

ベラクルスの方言を用いたのは、これらの人物を、上からではなく彼らの目の高さで描きたかったからだとメルチョールは語っている。彼女は川上未映子との対談で、興味深いエピソードを紹介していた。子どもの頃から彼女は海外文学に親しんできたが、翻訳作品はたいていが、メキシコではなく、旧宗主国であるスペインのスペイン語で書かれている。そこで彼女は、スペイン語には、本で読むスペイン語と、自分の話しているスペイン語があると思っていたそうだ。そこで、この作品を書くにあたって彼女は、規範的なよそ行きのスペイン語ではなく、自分の言葉、ベラクルスの言葉を選んだ。

そのようにして入念に紡ぎだされた登場人物の〈声〉からは、貧困、暴力、マチスモ、性暴力、虐待、迷信、無知、麻薬、酒など、目を覆いたくなるような、この村の実態、過酷な現実が浮かびあがってくる。ベラクルス州はメキシコの中でもアフリカ系の住民の多い土地で、肌の色による根強い差別が背景にある。メルチョールの語りは冷静かつ客観的で、登場人物の行動を評価したり批判したりすることもなければ、同情を誘うこともない。

メルチョールによれば、メキシコでは十代の妊娠があとをたたないが、メキシコシティ以外では堕胎は許されていない。作中で、魔女の母親は、子どもを欲しくなかったと言い放ち、ルイスミの母親チャベラも子どもはもうたくさんだと言い(15歳でルイスミを産んだ彼女はまだ30代で、まだ十分生殖能力がある)、売春宿で働かせている若い子やチャベラ自身が誤って妊娠してしまうと魔女に頼んで堕胎する。だが、体を売ることでしか生きていけない女たちがいる。ノルマの母親は、男をつなぎとめるためだけに、育てることのできない子どもを次々と産む。13歳のノルマは幼い頃から弟や妹の世話を押しつけられ、家事をし、若い義父からは、彼女自身が望んだからだと思いこまされて性暴力を受け、あげくに妊娠し、すべてを自分のせいと思い自殺しようとする。なんともいたたまれないことばかりだ。マチスモにより抑圧された人びとが、さらなる抑圧に加担する。

救いのない状況のなかで、酒や麻薬、幻覚剤に手を出す男たちもいれば、ブランドの母親のように極端な信心に走る者もいる。

メキシコの大衆紙には、スペイン語でnota rojaと呼ばれる、殺人など暴力的事件を扱った記事のコーナーがある。そういう記事で事件が、痴情のもつれや怨恨など、型にはまった原因に結びつけられがちなのを見てメルチョールは、それだけではないだろうと常々思っていたと言う。ある時、ある村で魔女が殺されたという記事を読んで、その真相に興味を持ったが、実際の事件を取材するのは危険が伴う。そこでフィクションで深く追求してみようと思ったのが、本作の出発点になったそうだ。

なんだか暗い気分になってしまったかもしれないが、ベラクルスには陽気な顔もある。「ラ・バンバ」という曲はご存じだろうか、ベラクルスの音楽ソン・ハローチョは底抜けに明るい。作中には、みながハメを外してもりあがる、ベラクルスのにぎやかなカーニバルも登場する。明るいだけに、影もまた濃くなるのかもしれないが。

フェルナンダ・メルチョールは、1982年、メキシコのベラクルス州で生まれた。ベラクルス大学でジャーナリズムを学び、プエブラ自治大学で美学の修士課程を修めたが、その後も30歳までは、彼女の多くの作品の舞台となっているベラクルスで過ごした。

作家デビューを果たしたのは2013年。アルマディア社から、ベラクルスの4人の若者を描いた小説Falsa liebre(『偽のノウサギ』)を刊行した。また、やはりアルマディア社から同じく2013年に、ベラクルスの暴力や麻薬など、犯罪事件を追ったノンフィクションAquí no es Miami(『ここはマイアミではない』)も発表した。

2017年の『ハリケーンの季節』刊行以後は、出版社をランダムハウスにかえ、2018年には『ここはマイアミではない』がランダムハウス社から再刊され、その英語版は、本年2023年の全米図書賞翻訳文学部門ロングリストに選出された。

この間、興味深いエピソードがある。2018年にマリオ・バルガス゠リョサがエル・パイス紙のコラムで「フェミニズムは文学の敵」と書いたのに対して、メルチョールは、「文学もフェミニズムもバルガス゠リョサを必要としていない」と、すぐさま反撃した。

2021年に発表した小説Páradais(『パラダイス』)は、刊行されるやいなや、多くの書評でとりあげられた。タイトルの「パラダイス」は、ベラクルスにある架空の高級住宅地の名だ。そこで雑役係として働く極貧の母子家庭の16歳の少年が、そこの住人である金持ちの息子によって、凄惨な殺人事件に巻き込まれていく物語で、住宅地の名が何とも皮肉だ。

『パラダイス』の刊行後、メルチョールはDAAD(ドイツ学術交流会)の奨学金を得て1年間をドイツで過ごし、そこでデビュー作の『偽のノウサギ』を加筆し、2022年にランダムハウス社から新版として刊行した。また、2023年春には、アルゼンチンのラテンアメリカ美術館のレジデントプログラムでブエノスアイレスに滞在し、読者と交流し、新作小説の仕上げに取り組んだ。

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◉著者紹介

フェルナンダ・メルチョール Fernanda Melchor

Photograph by Billy & Hells

1982年、メキシコのベラクルス州生まれ。小説家、ジャーナリスト。現代メキシコの最重要作家のひとりと評される。2013年、長篇小説Falsa liebre(『偽のノウサギ』未邦訳)でデビュー。同年、ベラクルスの犯罪事件を追ったノンフィクションAquí no es Miami(『ここはマイアミではない』未邦訳)を刊行。2017年、第2長篇小説の本作『ハリケーンの季節』を発表。ベラクルスの架空の村で起きた殺人事件を土地の言葉で語り、国内のみならずスペイン語圏の読者から注目を集めた。2019年、本作のドイツ語版がアンナ・ゼーガース賞と国際文学賞を受賞。翌2020年に英訳されると、英米の文学界に強烈な衝撃をあたえ、同年のブッカー国際賞最終候補、全米図書賞翻訳文学部門の候補に選ばれるほか、数々の紙誌で絶賛された。34言語で翻訳が決まり、近年もっとも世界的な注目を集めるスペイン語圏の作品となった。

◉訳者略歴

宇野和美(うの・かずみ)
東京外国語大学卒業、スペイン語圏文学翻訳家。訳書に『吹きさらう風』セルバ・アルマダ、『花びらとその他の不穏な物語』『赤い魚の夫婦』グアダルーペ・ネッテル、『きらめく共和国』アンドレス・バルバ、『小鳥たち マトゥーテ短篇選』アナ・マリア・マトゥーテ他多数

ハリケーンの季節』(フェルナンダ・メルチョール、宇野和美訳)は、早川書房より2023年12月20日発売です。

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