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今こそマーティン・エイミスの文学を読むとき──東京大学教授・武田将明氏による『関心領域』巻末解説

A24製作、ジョナサン・グレイザー監督の最新作で、第76回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞、そして本年のアカデミー賞で〈国際長編映画賞〉〈音響賞〉を受賞した映画「関心領域」。「今世紀最も重要な映画」と評されたこの映画がついに日本でも5月24日(金)から公開となります。

早川書房ではマーティン・エイミス(北田絵里子訳)の原作小説を同月22日に刊行します。まったく異なる手法で、映画と同じ主題に迫る傑作長篇です。著者のエイミスは英国を代表する作家であり、惜しくも昨年この世を去りました。久しぶりの邦訳となりますが、そもそもエイミスはどのような作家であり、どのような作風を持っていたのか。『関心領域』巻末に収録されている、東京大学教授の武田将明さんの解説より一部を抜粋してお届けします(※解説内の太字は編集部)。

解 説

     
武田将明(東京大学教授) 

マーティン・エイミス(1949~2023)は現代イギリス文学を代表する作家で、同世代にはジュリアン・バーンズ(1946~)、サルマン・ラシュディ(1947~)、イアン・マキューアン(1948~)、グレアム・スウィフト(1949~)などがいる。しかし、この4人と比較するとエイミスは日本語の読者にとって馴染みが薄いかもしれない。というのも、エイミスの著作(単行本)の日本語訳は、2000年の『ナボコフ夫人を訪ねて──現代英米文化の旅』(大熊榮、西垣学訳、河出書房新社)を最後に20年以上刊行されていないからだ。しかもこれは評論やエッセイを集めた本であり、長篇小説の翻訳となると1993年の『時の矢──あるいは罪の性質』(大熊栄訳、角川書店)と『サクセス』(大熊栄訳、白水社)まで遡ることになる。


マーティン・エイミス
©Isabel Fonseca


そこで本書『関心領域』を紹介する前に、まずはエイミスがどういう作家なのかを述べておきたい。彼を語るとき必ず言及されるのが、父親で同じく作家のキングズリー・エイミスである。地方大学を舞台にイギリス文化を辛辣に諷刺した最初の小説『ラッキー・ジム』(1954)で人気作家となり、ジョン・オズボーンやアラン・シリトーらと共に「怒れる若者たち」と呼ばれた父キングズリーの存在は、マーティンに多大な影響を与えた(以下、単に「エイミス」とある場合は息子の方を指す)。

父と同様にオックスフォード大学を卒業したあと、著名な文芸誌『タイムズ文芸付録』の編集に関わるなど編集者・評論家として活動していたエイミスは、1973年に最初の小説『二十歳への時間割』(これは日本語訳の題で、原題は 𝘛𝘩𝘦 𝘙𝘢𝘤𝘩𝘦𝘭 𝘗𝘢𝘱𝘦𝘳𝘴[レイチェルの記録])を刊行した。エイミス本人を想起させる才気に溢れ、自意識過剰な若者を主人公に、恋愛や大学受験への不安を綴った本書はサマセット・モーム賞を受賞した。奇しくも父キングズリーも『ラッキー・ジム』で同賞に選ばれている。父子の類似点は経歴だけでなく、同時代のイギリス社会を諷刺する喜劇的な作家コミック・ライターである点も一致する。しかし息子は単に父を模倣していたわけではない。父と彼が代表する1950年代の精神風土に対して、彼は明確な差異を感じていた。父が大学時代から親交を結んでいた高名な詩人フィリップ・ラーキンについて、エイミスは次のように述べている。

ラーキンという人物とぼくらとは、歴史的に見ると自我に生じた変化によって分かれている。彼の世代では自分自身というものがはっきりとあった。おかげで自己は揺るぎなく、堅固だった。ぼくの父もそうだ。ぼくは違う。ぼくらは誰ひとりそうじゃない。ぼくらには影響を与える力が多すぎるのだ。

(『ニューヨーカー』1993年7月12日号)

「ぼくらには影響を与える力が多すぎる」というのは、核戦争による人類絶滅の可能性からポピュラーカルチャーの台頭まで、様々な事象によって伝統や権威が失墜し、自我も流動的になったことを指している。つまり父と同様に世の中を諷刺しつつも、エイミスの場合は批判の根拠となる自己自身への信頼が失われていることになる。実際、上述の『二十歳への時間割』においてすでに、彼は自身と重なる主人公のナルシシズムを露骨に示すことで、一種の自己批評を行なっている。エイミスの諷刺は常に自己に返ってくる。だからエイミスの描く人物や世界の滑稽さに笑い呆れる読者も油断してはならない。嘲笑している対象は自分自身かもしれないのだから。

生涯に発表した15の長篇のうち、諷刺作家としてのエイミスの本領が遺憾なく発揮されたのが、『マネー 遺書』(1984)、『ロンドン・フィールズ』(1989)、『インフォメーション』(1995)の「ロンドン三部作」であることは、多くの評者が指摘している(残念ながらいずれも日本語訳が刊行されていない)。このうち『マネー』について紹介すると、ジョン・セルフというイギリスのテレビディレクターが、アメリカの映画プロデューサー、フィールディング・グッドニーから映画を監督するよう依頼を受ける。セルフの映画は俳優たち(エイミスが『スペース・サタン』〔1980〕という映画の脚本に関わった際に出会った、カーク・ダグラスほか実在の俳優をモデルにしている)の我儘わがままなどに翻弄されて頓挫とんざするだけでなく、初めからすべてがグッドニーに仕組まれた嘘だったことが判明する。そんなセルフの味方として作家の「マーティン・エイミス」やマーティーナ・トウェイン(Martina Twain、すなわち女性化した第二のマーティン)という女性が登場するが、彼の自我の崩壊は止まらない。このように書くとセルフの悲劇のようだが、彼自身もテレビとポルノに毒された低俗な人間で、自我セルフを持たぬ消費文化の奴隷にすぎない。消費文化が発達し、拝金主義の横行した1980年代(イギリスではマーガレット・サッチャー首相が新自由主義を強力に推進した時代で、日本も80年代後半にはバブル景気に浮かれていた)を巧みに批評した作品である。

このようにエイミスは後期資本主義を背景とするポストモダン文学の旗手として、イギリスの文壇で鮮烈な存在感を放っていた。雅俗を織り交ぜた華麗な文体や、『マネー』でも明らかなメタフィクション的な実験性で知られる一方、『時の矢』(1991)ではアウシュヴィッツ収容所でのユダヤ人の殺戮を主題にするなど、20世紀の政治問題に強い関心を抱いていた。ホロコーストの問題はエイミスにとって重要であり続けた。2作目の長篇『デッド・ベイビーズ』(1975)の主人公を「アンディー・アドルノ」と名づけるなど、彼は思想家のテオドール・アドルノに影響を受けているが、このアドルノがマックス・ホルクハイマーと共に著した『啓蒙の弁証法』(1947)は、理性によって迷信を克服し、文明を発達させてきたはずの西洋世界において、なぜ反ユダヤ主義のような野蛮な現象が発生したのかを考察している。そこでは西洋的な理性の限界が徹底して解き明かされており、確固とした自我(すなわち「理性的」な判断を下せる自己)を信じていなかったエイミスに、こうした思想が重要な示唆を与えたのは想像に難くない。つまり彼の作品における享楽的かつ滑稽な描写の裏には、18世紀以来の「啓蒙」あるいは近代化というプロジェクトが破綻した混沌の時代における人間のあり方を探究するという、倫理的な動機もあったことがうかがえる。

「ロンドン三部作」以降のエイミスについては、低迷とは言わないまでも迷走といった表現を使用できるかもしれない。2000年に刊行した回想録『体験』こそ父との葛藤や自身の離婚について率直に語って好評だったが、2003年に発表した『黄色い犬』から2012年の『ライオネル・アスボ イングランドの状況』までの長篇小説に対し、各紙誌の評価は必ずしも高くなかった。作品そのものから離れたところでは、「ロンドン三部作」の3作目である『インフォメーション』の刊行をめぐり、非常に高額(50万ポンド──2024年現在の日本円で9600万円以上──と言われる)の前払い金を受け取ったことで顰蹙ひんしゅくを買った。さらには、それまでエイミスを支えてきた文学エージェントのパット・キャヴァナーと縁を切ったことで、キャヴァナーの夫であるジュリアン・バーンズとの友情も失った。見方を変えれば、作家や人間としての成熟を拒否し、物議を醸す存在であり続けたともいえるが、21世紀に入ってから代表作に恵まれなかったことは、日本での紹介が停滞した一因かもしれない。

しかし、今回およそ30年ぶりに訳されたエイミスの長篇である『関心領域』は、2014に刊行されるや『ロンドン・フィールズ』以降の四半世紀に彼が発表した作品で最高の出来栄えと評価され、ベテラン作家の健在ぶりを強く印象づけた。この次に刊行された最後の長篇『内輪の話』(2020)がノンフィクションも含む自伝小説であることを考えると、フィクション作家としてのエイミスが最後にその実力を存分に発揮した白鳥の歌ともいえる。

本作には3人の語り手が登場するが、そのうちの2人すなわちアンゲルス(ゴーロ)・トムゼンとパウル・ドルは共にナチス・ドイツの軍人である。トムゼンは、ヒトラーの最側近として暗躍した実在の人物マルティン・ボルマンの甥という設定で、富豪の両親が事故死したこともあり、マルティン叔父の庇護を受けている。「銀のさじ」ならぬ「銀の男根をくわえて生まれてきた」とドルから密かに揶揄されるように、金と家柄、さらには容姿に恵まれたトムゼンは、ナチスの情報将校としての任務よりも女性たちを誘惑することに熱心で、叔父の妻ゲルダにも気に入られている。

ドルはアウシュヴィッツ強制収容所の所長(作中では「司令官」と呼ばれる)という設定で、常に自分が正しく、無理解な家族や無能な同僚に囲まれながらもナチス・ドイツの高邁な理想の実現のため粉骨砕身していると信じているが、実際は精神的な脆さゆえに過度の飲酒や薬物に依存しており、トムゼンからは「大酒飲みのおやじ」と陰で馬鹿にされている。本書を読み進めていくと――

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続きは本書でお楽しみください。

装幀=早川書房デザイン室

◆書誌情報

・書名:『関心領域』
・著者:マーティン・エイミス
・訳者:北田絵里子
・監修:田野大輔(甲南大学教授)
・解説:武田将明(東京大学教授)
・ 2024年5月22日発売(紙、電子版同時発売)
・判型:並製単行本

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