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「ほんの」5000万ドルで買ってくれないか?——『ビジネスの兵法』特別公開【1】ブロックバスター対Netflix

 ブラックベリー vs. Apple、Netscape vs. マイクロソフトなど、世界の有名企業におけるビジネス戦争の顛末と、その経営戦略や経営者たちが抱く理念を不朽の名著『孫子』に依拠して分析する意欲作、『ビジネスの兵法——孫子に学ぶ経営の神髄』(デイヴィッド・ブラウン[著]/月沢李歌子[訳])が本日発売しました。
 本記事では、第一章の後半「ブロックバスター対Netflix」を特別公開いたします。創業直後のNetflixは、いかなる方法でレンタルビデオ業界の巨人、ブロックバスターを打倒したのか。知られざる当時の激闘の数々が余すところなく語られます。


算多きは勝ち、算少なきは勝たず。

『孫子』計篇

 1997年のある晴れた夏の朝。ここ何ヶ月かの平日はいつもそうしているように、リード・ヘイスティングスとマーク・ランドルフは、地元カリフォルニア州サンタクルーズ郡の郊外にあるスコッツバレーの駐車場で落ち合った。車の相乗りをし、州道17号を走ってシリコンバレーに向かうためだ。テクノロジー業界には、大きな興奮とチャンスが訪れていた。ふたりの周りでは、誰もがドットコムブームに乗ろうとしている。まさにゴールドラッシュだ。シリコンバレーは、サンタクルーズとサンフランシスコのあいだに広がる平原で、地域の主要なベンチャーキャピタリストが集まるサンドヒルロードがある。新しいテクノロジーを早くから取り入れているそうした人々は、自分たちがメールを開く程度のきわめて原始的なことをしていると感じている。

 ランドルフは、自身が立ち上げた会社が前年にヘイスティングスのソフトウェア開発会社であるピュア・アトリアに買収されて以来、サニーベールにあるピュア・アトリアの本社で働いている。ヘイスティングス自身は、ピュア・アトリアと他の企業との合併という、シリコンバレー史上最大の合併の渦中にいた。ふたりとも、合併後の企業では余剰の人材となるので、何か新しいことをはじめようと朝の通勤の車中で構想を練っていた。まず、決まっていることはひとつ。まだ勢いのあるドットコムブームに乗ることだった。だが、実際、何をはじめるかとなるとなかなか決まらない。ふたりとも可能性に限界のあるアイデアに身も心も捧げる気にはなれなかった。「アマゾン・ドットコムのようなものを作らなければ」とヘイスティングスは言った。

 ランドルフは、毎朝、車のなかで、シャンプーの宅配、それぞれの犬の好みに合わせたドッグフード、サーフボードの注文製作などのウェブサイトを作る提案をした。ヘイスティングスはそのたびに答えた。「うまくいかないだろう」ランドルフもそのたびに新しい案を練った。

 こうして何百もの可能性を探ったのち、ランドルフが有望な案を示した。ビデオを郵送して貸し出すビジネスだ。ヘイスティングスは興味をそそられたものの、少し調査をしてから却下した。VHSテープの往復の送料と手数料が高すぎるためだ。その後、家庭でのビデオ鑑賞用にデジタル・ビデオ・ディスク(DVD)という最先端の形態が日本で開発されたという情報が得られた。DVDはコンパクトディスク(CD)ほどの大きさだが、映画一本を高解像度で収録できる。VHSやレーザーディスクに代わって、家庭用ビデオの標準の形態になると期待されていた。

 もしDVDが一般的になったら、100グラム程度のプラスチックを借りるためにわざわざブロックバスターまで行く必要がなくなるのではないだろうか。理論的には、安く手軽に郵便で送ることができるはずだ。何千もの店舗を借りる必要もなく、配送は郵便制度に任せればすむ。広い倉庫が2、3棟あれば、在庫はすべて保管できるだろう。アマゾンもそうしている。しかも、アマゾンのように、顧客が次に何を求めるかは販売情報を見ればわかる。

 ヘイスティングスは乗り気だったが、ランドルフは懐疑的だった。直径13センチほどのディスクが郵送に耐えられるとは思えなかった。ランドルフには、過去20年も直接販売に携わり、多くの商品を郵送した経験があった。サンノゼの中央郵便局の裏側も経験している。「郵便は時速25キロの速さで機械にかけられるし、角が曲がったり、いろいろなことがある」とランドルフは指摘した。届いたDVDは粉々になっているのではないか? 確かめる方法はひとつしかない。

 DVDを手に入れることはできなかった。アメリカではほんのわずかなテスト市場にしかなかったからだ。だが、形状はCDとほぼ同じだとわかっている。数日前に、ヘイスティングスの家から数ブロック離れたパシフィックアベニューにあるロゴス・ブックス・アンド・レコードで、パッツィー・クラインのベストアルバムCDを買ってあった。ジュエルケースからディスクを取り出し、ヘイスティングスの住所を書いた封筒に入れて、32セント切手を貼り、近くのポストに投函した。

 この朝、ヘイスティングスは消印が押された封筒を手にして出勤した。ふたりははやる思いで封を開け、ディスクに傷がないかを調べた。

 ディスクは無傷だった。ぴかぴかだ。

 駐車場に立ったまま、ふたりは顔を見合わせた。あまりにも簡単なことに思えた。だが、発売された映画をすぐに見たがる客が、ビデオが届くのを1日以上待ってくれるだろうか。

 それは人それぞれだろう。ブロックバスターに行くのがどれほど億劫に感じるかによる。

*****

 現代の終わりのない苛酷なビジネス戦争のひとつが、アメリカ人のカウチをめぐる戦いだ。こんにちアップル、Netflix、ディズニーといった巨大企業が動画配信サービスの将来に大きな賭けをし、その過程でエンターテインメント業界全体を再編成している。将来の雲行きが怪しくなると、抜け目のないリーダーは、うまく使える似たようなものを過去から探し出す。

 通常のインターネット接続では30秒足らずの切手大の映像を配信するのも大変だった頃、金曜日の夜になると、多くの人々が世界中に何千とある青と黄色の看板を掲げたブロックバスターの店に車を走らせ、これぞと思う映画を探して長い通路を歩いたものだ。今ではブロックバスターは、オレゴン州ベンドに1軒あるだけだ。かつてレンタルビデオ業界を支配した今はなき企業とは無関係の独立店である。

 ブロックバスターは、全盛期には大型小売店の定石を踏み、地元の小さな競合相手を駆逐した。こうした家族経営のレンタルビデオ店は、フェイスブックやレディット以前の時代に、映画好きの人が集まるコミュニティとなっていた。ウィキペディアやインターネット・ムービー・データベースがまだなかったため、映画通の従業員が映画に関する知識の情報源だったからだ。だがビジネスとしては、ブロックバスターの効率と一貫性には敵わなかった。青と黄色のブロックバスターのシャツを着た従業員は、マーティン・スコセッシについてあまり知らなかったかもしれない。蛍光灯に照らされた、活気のない店では人との交流は生まれなかっただろう。ところが、数々のすぐれたイノベーションが新しいチェーンストアを業界の支配者に仕立てあげた。ブロックバスターの創設者デヴィッド・クックは、コンピューター上の洗練されたデータベースを使って、すべての店舗に人気ビデオの在庫が十分確保できるようにした。また、各店舗が地元の嗜好に合わせた品揃えができるようにするためにもコンピューターを使った。ニッチなジャンルの映画を並べるのをやめ、レンタルビデオの定番であるポルノビデオも置かず、棚一面に最新の話題作のVHSを並べて、誰と訪れても、好みの映画ではなくても、みんなの意見が一致してビデオを借りて帰れる家族向けの環境を作った。

 ブロックバスターの財政面での成功は、おもに人間の性質を巧みに利用したことによる。同社は低価格でビデオを貸し出してライバルから顧客を奪う一方で、映画を見終えるのにさらに1日か2日を要する客に、かなりの延滞料を課した。この巧妙な戦略が成功した。ブロックバスターは急成長し、ついに世界中に店舗網を広げた。2004年のピーク時には、従業員はアメリカの5万8500人を含め、9000店以上で8万4300人になった。ところが、この時点で、すでに凋落の兆しが現れた。ブロックバスターはより破壊的なライバル、輝く金属性の円盤をもつ敵と戦っていた。この円盤は市場の支配を壊すほど鋭利なものだった。

 1997年8月29日、リード・ヘイスティングスとマーク・ランドルフはNetflixを共同設立した。会社に成功をもたらすビジネスモデルはまだできていなかった。翌年の4月にウェブサイトが開設され、顧客はDVDを買ったり、ブロックバスターと同じようにレンタル料金を払ってDVDを1枚ずつ借り出したりできるようになった。ブロックバスターとの大きな違いは、タイトルの多さだった。実店舗のような制限がなかったからだ。DVDの形態はすぐに受け入れられた。それでも、Netflixのサイトには客があまり集まらなかった。そこで、ランドルフは宣伝効果を狙って、クリントン大統領とモニカ・ルインスキーのスキャンダルに関する大陪審証言のDVDをわずか2セントで提供することにした。これにより、Netflixは必要としていたメディアの注目をいくぶんか集め、利用者を増やしはじめた。だが、ビジネスモデルはいまだ練りあげる必要があった。

 1999年のある晩、ランドルフはサンノゼの倉庫で何十万枚ものDVDに囲まれながら、ヘイスティングスに向かって大声で言った。「ここで保管しなくちゃいけないのかな?」「利用者に好きな期間だけ保管してもらうのはどうだろうか」と、ヘイスティングスは答えた。

「1枚返ってきたら、次のを送るようにしたら?」延滞料を取らない──これはまさにセールスポイントになる。さらにふたつのアイデアが浮かんだ。ひとつは、月額定額料金を払えば何度でも借りられるシステムだ。一度に借りられるのが1枚かそれ以上かは段階的な利用料金から選べる。もうひとつは、便利な順番待ちのシステムで、次に見たいビデオを指示しておけば、それが返却され次第送られてくる。

 Netflixは小企業でありながら、ブロックバスターにとって深刻な脅威となりはじめた。確かに、客はDVDが届くまで1日か2日待たなければならないが、品揃えは通常の店よりも多いし、好きなだけ借りていられるので、自分のペースで視聴あるいは再視聴ができる。視聴が終わったら、送られてきたときの封筒に入れて返送すれば、また別のものが送られてくる。すべてが手頃な月額料金だけですむ。延滞料を心配したり、夜更かしをして映画を一挙に見終えたりしなくてもいい。家族揃って車でブロックバスターに行き、どの映画にしようかと1時間以上もめる必要もない。延滞料金といううまみのある収益のかわりに、Netflixは月額料金の徴収による安定した予測可能な収益を得られた。大型小売店のような高額な賃料も払う必要がなかった。必要なのは、戦略的に置かれたいくつかの格安な倉庫だけだった。

 2000年には、映画を視聴した会員の評価をもとに、推奨作品を提示する「レコメンド機能」のサービスを開始した。かつて、家族経営のレンタルビデオ店の従業員がやっていたようなことだ。これは、ブロックバスターの顧客が体験するような、借りる作品を探して長時間通路を歩かなければならないという問題に対処したものだった。だが、この頃Netflixは、ブロックバスターとは無関係の思わぬ困難にぶつかった。ドットコム・バブルの崩壊である。社名に「ドットコム」とついていれば、とてつもなく高額な買収や市場を破壊するほどの新規株式公開が行われた日々が、突然、終わりを告げた。

 ブロックバスターはランドルフとヘイスティングスとの話し合いに応じた。まさに「ダビデとゴリアテ」が対峙する瞬間だ。Netflixの収益は500万ドルにようやく届こうとする一方で、ブロックバスターのその年の収益は60億ドルである。不運なことに、ランドルフとヘイスティングスは、前夜の社員旅行で大騒ぎをして戻ったばかりだった。急遽、決まったミーティングに二日酔い気味で現れ、ランドルフにいたっては絞り染めのシャツに短パン、サンダル履きという出で立ちだった。その時点で、業界の支配的プレイヤーによる買収は奇跡と感じられてもよかったはずだ。ところが、だらしない格好をしたランドルフとヘイスティングスは、Netflixを「ほんの」5000万ドルで買ってほしいと提案した。ブロックバスターのCEOであるジョン・アンティオコは笑いをこらえているようだった。恥をかかされたヘイスティングスとランドルフは話し合いを辞し、自力で危機を乗り越える方針に切り替えた。このときブロックバスターがNetflixを5000万ドルで買っていたら、ビジネス史上、最高のお買い得となっていたことだろう。

 ハーバード・ビジネス・スクールの教授であるクレイトン・クリステンセンが、いまや古典となった著書『イノベーションのジレンマ 増補改訂版』(玉田俊平太監修、伊豆原弓訳、翔泳社、2001年)で説明したように、破壊的革新は、ひとつあるいはそれ以上の主要な領域の現状を超えて、現存するカテゴリーを再編成する。こうした革新は往々にして、既存のプレイヤーによって、いくつかの点で同等のレベルではないという理由から最初は却下されてしまう。デジタルカメラの可能性を、画像の品質を理由に退けたカメラとフィルムの製造業者を考えてみるといい。スタートアップ企業とは異なり、確立された既存の企業が新技術を追い求めれば、既存の事業の売り上げを減らしてしまう可能性に直面する。このジレンマで身動きが取れなくなり、既存の企業はイノベーションがどんどん大きな脅威になっていくのを見ているしかなくなる。ブロックバスターにとって脅威となったイノベーションは、DVDの郵送、延滞料を取らないこと、顧客が次に見るビデオをインターネットで選べるというアイデアだった。いずれ、新しいビジネスモデルや技術が成功すれば、既存の企業はそれまでと同じやり方を続けることができなくなる。だが、そのときはもう遅すぎて適応できないことも多い。

 さて、ブロックバスターは、まだ採算の合うビジネスモデルに全力でしがみつき、これまで通りに事業を続けて最善の結果を期待することもできたし、これまで築いてきたものをすべて危険に晒して新しい戦場に挑むこともできた。独自のDVD郵送サービスをはじめてNetflixに対抗しようとすれば、不利な状況に追い込まれるだろう。世界中の小売店のために何十万平方メートルもの敷地を高い賃料で借り、実店舗で働く訓練を受けた何万人もの従業員を抱えている。実店舗を離れ、延滞料金で儲けることもやめて、新しい顧客基盤に移行するためにマーケティングに費用を投じたとしても、Netflixによって減少した最終利益がさらに減るだけだろう。Netflixが先んじている新しい領域で支配権を握る前に、ブロックバスターは、ビジネスモデルの隙間をうまく埋めて、最終的には数店あるいはすべての小売店を閉めることができるのだろうか。

 孫子は、ブロックバスターが直面しているこの問題を紀元前6世紀に理解していた。Netflixは自分の戦場でブロックバスターを攻めた。「敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当た」ると孫子は述べている〔作戦篇〕。荷車1台分の食料を自分の陣地から運んでくるのは莫大なコストがかかる。同様に、より良いものを提供して既存の顧客基盤を奪うほうが、まったく新しい商品やサービスを人々に売り込むよりずっと容易だ。

 これはまさにNetflixがしていたこと、すなわち敵の領域を漁ることだ。ブロックバスターは20年近くかけて、ビデオを借りるという行為をアメリカ人の習慣にした。ランドルフとヘイスティングスは、ほぼすべての面でより良い体験ができるモデルに乗り替えるように人々を説得していただけだ。この方法で、Netflixは何のリスクも負わずに市場をますます拡大していった。

 一方、ブロックバスターはより大きな課題に直面した。自分たちの顧客を新しいモデルへ移行させるのは、ある意味、自分の領域を略奪し、既存のビジネスを行き詰まらせるのと同じだった。孫子はこうした行為に警鐘を鳴らしたが、革新を求める大企業はみな直面することだ。リーダーは大きな変化に順応するために、幾度となく既存のビジネスの売り上げを減らさなければならない必要に直面するが、幾度となくそれを躊躇する。ブロックバスターの幹部が戦略の失敗に気づいたとき、Netflixを5000万ドルで買収するチャンスははるかに遠のいていた。2002年、ランドルフとヘイスティングスは60万人の会員を獲得し、Netflixを上場させた。同社の株はすぐにS&P500のうちの優良株のひとつになった。

 ブロックバスターのCEOであるジョン・アンティオコと経営陣が好機を逃したことを責めるのは簡単だが、彼らは当時の親会社であるバイアコムのせいで身動きが取れなかったのも事実だ。バイアコムはオンラインによるレンタル事業の実験に断固として反対した。にもかかわらず、2004年にブロックバスターを別会社として独立させ、経営の行き詰まったブロックバスターが独自のDVD定額サービスをはじめるのを許した。だが、すでに手遅れだった。Netflixは、いまや200万の会員を有し、確立されたブランドとサービスを備えた資金力のある企業になっていた。巻き返しは無理だっただろう。それでも、ブロックバスターは5000万ドルをはるかに超える巨額を投じて、独自のビジネスを一からはじめようとした。だが、Netflixのやり方を模倣するにしても、Netflixが何年もかけて育てた技術系の人材、とくにDVDを発送したり、顧客の好みを予測したりするための「バックエンド」のソフトウェアの専門家がいなかった。守りに入ったブロックバスターは、次々と失策をおかした。Netflixを意識した「延滞料なし」キャンペーンもそのひとつだ。だが、その結果、40州で虚偽宣伝として訴訟を起こされた(延滞料免除とうたいながら、裏では8日たっても返却しない客にはそのDVDの正規の価格を請求した)。

 失敗を重ねたものの、ブロックバスターにはこの戦いに勝てる大きな見込みがあった。現に、ヘイスティングスは、もし公平な条件であったなら、店舗と、より多くの作品を選べる郵送と両方で制限なしにビデオを借りられるブロックバスターのトータルアクセスというプランはNetflixを叩きのめしていたかもしれない、と認めている。だが、それは公平な条件であったならばの話だ。当時、ブロックバスターは10億ドルの負債を抱えていた。「もしブロックバスターに負債がなかったら、Netflixはやられていたかもしれない」と、2009年にヘイスティングスはある記者に語った。さらに悪いことに、ブロックバスターは適切な時期に独自のビジョンを描くことができなかった。幹部の許しがたい過ちだ。

 2007年、ジョン・アンティオコは報酬をめぐってブロックバスターの取締役会と対立し、社を去った。代わって舵を取ったのは、セブン‐イレブンで5年にわたって社長兼CEOを見事に務めたジム・キーズだった。ブロックバスター内部では、トータルアクセスは正しい方向への一歩だと見られていたが、キーズはこれを白紙に戻すことにした。その代わりに、ストリーミングビデオのスタートアップ企業であるムービーリンクを買収した。ちょうど、アップルがダウンロードした映画を自宅のテレビで視聴するためのアップルTVを発表したときだ。ウォルマートも独自のビデオ・ストリーミング・サービスを提供するために買収先を探していた。ストリーミングには未来がある。キーズは初期のうちにその分野に参入したかった。当時、Netflixはまだ、キオスク端末〔コンビニなどにあるタッチパネル式の情報端末〕を使った競合相手であるレッドボックスと同様に、郵送によるDVDのレンタルに徹していた。「競争相手として、レッドボックスもNetflixもレーダー画面には映っていない」とキーズは述べた。「ライバルはウォルマートとアップルだ」。ところが、2008年に金融市場が暴落し、ブロックバスターは膨大な借金のせいで、キーズのまちがいなく先見の明のあるビジョンを進めることができなかった。

 生き残りには敵のひとつをかわすだけでは不十分だ。結局、ブロックバスターがみずから演じたい役割を決められずにいるうちに、レンタルビデオ店は過去のものになった。自分たちが衰退しているという否定し難い事実を受け入れるのにあまりに時間がかかったために、戦略を変更する努力は性急で、後手後手の対応になっていた。最期を迎えるまでには時間がかかり、ニューヨーク証券取引所から上場廃止されたのは2010年に入ってからだったが、避けられないことだった。

 DVDの郵送レンタルがブロックバスターを揺るがせたあと、Netflixはイノベーターのジレンマに陥った。ジム・キーズが予見していたように、オンラインビデオは、顧客が映画を即座に見られるため、Netflixの事業を破壊する恐れがあった。この脅威を無視することもできただろう。1日か2日の遅れはあるものの、画質、帯域幅制限、DVDになった映画のすべてがラインナップされていること、より良い選択肢としての新しいブルーレイディスクなどはDVD郵送レンタルの強みだ。だが、ヘイスティングスとランドルフは経験ある技術者として、ストリーミングの拡大を押しとどめているこうした要因のそれぞれが、静かに、徐々に均衡に達し、「突然」自分たちのビジネスモデルをひっくり返すときが間近に迫っていることがわかっていた。まさに時間の問題だった。「映画をインターネットで見る時代が来る。それはいつか大きなビジネスチャンスになる」と、ヘイスティングスは2005年、ユーチューブが設立された年にビジネス雑誌「インク」で述べている。「年間収益の1から2パーセントをダウンロード事業に投資しはじめた。わくわくするね。基本的に郵送よりずっとコストを抑えることができる。ビデオ・オン・デマンドにも備えておきたい。社名はDVD郵送レンタルではなく、Netflixなのだから」

 Netflixは、デジタルの面では脅威にはならないとキーズに無視されてからまもなく、独自のストリーミング事業をはじめ、イノベーションのキャズムを飛び越え、新たな戦場で支配的な地位を獲得した。その一方で、従来のDVD定額サービスも提供し続けている。技術の破壊的革新に果敢に応じながら、イノベーターのジレンマは克服が難しいだけで、不可能ではないことを証明した。だが、そのためには、ビジョンを持つリーダーと、より動きの速い新興企業にチャンスを奪われる前の早い段階から必要なリスクを負う姿勢が必要である。

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 ヘイスティングスとランドルフは21世紀への変わり目に青と黄色の巨人を倒し、すでに次の戦いをしている。彼らはそれぞれ、戦いの混乱のなかから高額な車、薄い紙の人形、映画のラインナップの制限と延滞料金といった、明らかな弱みを取り除いた。より良いものを提供して、この弱みを打破するというビジョンを抱いていた。また、その秘めた可能性が明らかであろうとなかろうとも、現状を脅かす新しいアイデアが必ず直面する大きな抵抗を乗り越えた。

 戦場に入るときは、大胆なビジョンを描き、それをあきらめてはいけない。偉大なリーダーは、他の者より大きな夢を抱き、声高にそして繰り返しあきらめるよう言われても、絶え間なく外部の状況を整え、その夢を見続ける。地図上の一画を手に入れても、それで満足はせず、領土を広げようと一層努力する。「好機をつかむことによって、好機は倍増する」のだ。

 もちろん、戦場に入ることは戦いのはじまりにすぎない。新しいアイデアでライバルを揺さぶったとしても、勝利が保証されるわけではない。勝利を決定づけるには、その新しい領土を掌握し、そこを足場にしなければならない。次章では、ビジネス戦争における次の段階、新しい事業を長く存続させることについて考える。これはどんなリーダーにとっても困難な局面である。起業家を成功させた特性が、成功した企業のCEOとしての名声を傷つけることも多い。株主と何百万もの顧客を抱えた企業は、ひとりの本能的直感だけで急に戦略を変更することはできない。より慎重な動きが必要になる。リーダーは、合意を形成し、同盟関係を築き、多くの人々をひとつのもっとも重要な目標に向かわせなければならない。最初の事業から別の事業への移行には、重大な変革が求められる。すべての起業家が成功するわけではない。

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本書詳細

◆書籍概要

『ビジネスの兵法——孫子に学ぶ経営の神髄』
著者:デイヴィッド・ブラウン
訳者:月沢李歌子
出版社:早川書房
本体価格:2,500円
発売日:2023年2月21日

◆著者紹介

デイヴィッド・ブラウン (David Brown)
 ビジネスジャーナリスト。人気ポッドキャスト「Business Wars」と「Business Wars Daily」の主催者。また、ピーボディ賞を受賞したラジオ番組「Marketplace」のキャスターも務めていた。テキサス大学オースティン校でジャーナリズムの博士号を、ワシントン・アンド・リー大学法学部で法務博士の学位を取得。

◆訳者紹介

月沢李歌子 (つきさわ・りかこ)
 翻訳家。津田塾大学学芸学部英文学科卒業。訳書にピリウーチ『迷いを断つためのストア哲学』(早川書房)、ヘクト『自殺の思想史』、ウィリアムズ『14歳から考えたいアメリカの奴隷制度』など。


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