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奇才ハーラン・エリスンが編んだ伝説的SFアンソロジー『危険なヴィジョン〔完全版〕』全3巻刊行! 第1巻収録の高橋良平氏の解説を完全公開!

アメリカSF界最大のカリスマ作家ハーラン・エリスンが、既存の欧米SF界に革命を起こすべく企画・編集した全篇書き下ろしのSFアンソロジー『危険なヴィジョン』邦訳版がついに完全刊行開始!

名作「世界の中心で愛を叫んだけもの」の著者として知られる英米SF界の奇才、ハーラン・エリスンが編み、アメリカで1967年に刊行された、33作収録の「思弁小説(スペキュレイティブフィクション)」巨大アンソロジー。邦訳版は1983年に3分冊のうちの1巻目だけが刊行され、長らく企画が止まっていた伝説のアンソロジーを、この度完全版として6月から全3巻3カ月連続刊行します。

評論家の高橋良平氏が、『危険なヴィジョン』が刊行された時の衝撃、そして今完全版を読むことの意義を、綿密なデータとともに示した第1巻の解説を、このたび完全公開させていただきます。

『危険なヴィジョン〔完全版〕1』
ハーラン・エリスン編/伊藤典夫・他訳 解説:高橋良平

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危険なヴィジョン、ふたたび

                       評論家 高橋良平  

 本書の原書の刊行(1967年)から、はや半世紀、本分冊の旧版の翻訳出版からも30年がたちましたが、編者のハーラン・エリスンがSF界における“革命”と宣言した、伝説の書き下ろしアンソロジー『危険なヴィジョン』が、ついに! その全貌をあらわします。
 本分冊旧版の解説で、伊藤典夫さんが、「邦訳は3分冊。アメリカ本国ではダブルデイ社からハードカバーの一巻本として出版され、現在は分厚いペーパーバック版が出まわっているが、本書はハードカバー初版から2年後、おなじく3分冊で出たバークリー・メダリオン・ブック版に準拠している」と由来を説明したものの、第1巻が出たまま途絶状態でしたが、ご安心ください、幻の第2巻、第3巻と毎月連続刊行! されます。
 なにが“革命”だったのか、なにが“伝説”なのかと、怪訝に思われる若いSF読者も少なからずおられるでしょうから、まずは、その“結果”を見てみましょう。
 ご存じのアメリカSF(&ファンタジー)作家協会の会員が選ぶネビュラ賞、世界SF大会(ワールドコン)のファン投票で決まるヒューゴー賞、1968年発表のこの二大SF大賞の結果を見れば、一目瞭然です。少々繁雑にはなりますが、当時のSFシーンが見て取れるように、最終候補までリストアップしてみました。では、受賞発表順に(太字が受賞作)

◆ネビュラ賞
◎長篇部門
『アインシュタイン交点』サミュエル・R・ディレイニー(伊藤典夫訳/本文庫既刊)
『いばらの旅路』ロバート・シルヴァーバーグ(三田村裕訳/ハヤカワ・SF・シリーズ刊)
Chthon(未訳)ピアズ・アンソニイ(バランタイン・ブックス刊)
The Eskimo Invasion (未訳)ヘイデン・ハワード(バランタイン・ブックス刊)
『光の王』ロジャー・ゼラズニイ(深町眞理子訳/本文庫既刊)

◎ノヴェラ(中長篇)部門
「この人を見よ」マイクル・ムアコック(峯岸久訳/本文庫既刊『追憶売ります』収録)
「大巖洞人来たる」アン・マキャフリイ(船戸牧子訳/本文庫既刊『竜の戦士』の一部)
「ホークスビル収容所」ロバート・シルヴァーバーグ(浅倉久志訳/本文庫既刊・同表題アンソロジー収録)
「紫綬褒金の騎手たち、または大いなる強制飼養」フィリップ・ホセ・ファーマー(本書収録)
「人類がみな兄弟なら、そのひとりに妹を嫁がせる?(仮)」シオドア・スタージョン(大森望訳/『危険なヴィジョン3』収録)

◎ノヴェレット(中篇)部門
「骨のダイスを転がそう」フリッツ・ライバー(中村融訳/『危険なヴィジョン2』収録)
「プリティ・マギー・マネーアイズ」ハーラン・エリスン(伊藤典夫訳/本文庫既刊『死の鳥』収録)
「フラットランダー」ラリイ・ニーヴン(小隅黎訳/本文庫既刊『中性子星』収録)
「この死すべき山」ロジャー・ゼラズニイ(峯岸久訳/本文庫既刊『伝道の書に捧げる薔薇』収録)

◎短篇部門
「然り、そしてゴモラ……」サミュエル・R・ディレイニー(小野田和子訳/『危険なヴィジョン3』収録)
「やっぱりきみは最高だ」ケイト・ウィルヘルム(安野玲訳/河出書房新社刊『20世紀SF3 1960年代 砂の檻』収録)
「電話相談」フリッツ・ライバー(大野万紀訳/サンリオSF文庫刊『ベストSF1』収録)
「ドクター」シオドア・L・トーマス(山田和子訳/NW]SF社刊『ザ・ベスト・フロム・オービット 上』収録)
「ドリフトグラス」サミュエル・R・ディレイニー(小野田和子訳/国書刊行会刊・同表題作品集収録)
“Earthwoman”(未訳)レジナルド・ブレットナー(〈F&SF〉誌67年8月号)

◆ヒューゴー賞
◎長篇部門
The Butterfly Kid (未訳)チェスター・アンダースン(ピラミッド・ブックス刊)
Chthon(未訳)ピアズ・アンソニイ(同前)
『アインシュタイン交点』サミュエル・R・ディレイニー(同前)
『光の王』ロジャー・ゼラズニイ(同前)
『いばらの旅路』ロバート・シルヴァーバーグ(同前)

◎ノヴェラ部門
“Damnation Alley”ロジャー・ゼラズニイ(中篇版「地獄のハイウェイ」浅倉久志訳/SFマガジン1969年4~5月号に二分載)
「ホークスビル収容所」ロバート・シルヴァーバーグ(同前)
「紫綬褒金の騎手たち、または大いなる強制飼養」フィリップ・ホセ・ファーマー(同前)
「スター・ピット」サミュエル・R・ディレイニー(浅倉久志訳/国書刊行会刊『ドリフトグラス』収録)
「大巖洞人来たる」アン・マキャフリイ(同前)

◎ノヴェレット部門
「父祖の信仰」フィリップ・K・ディック(浅倉久志訳/『危険なヴィジョン2』収録)
「骨のダイスを転がそう」フリッツ・ライバー(同前)
「プリティ・マギー・マネーアイズ」ハーラン・エリスン(同前)
“Wizardʼs World”(未訳)アンドレ・ノートン(〈イフ〉誌67年6月号)

◎短篇部門
「然り、そしてゴモラ……」サミュエル・R・ディレイニー(同前)
「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」ハーラン・エリスン(伊藤典夫訳/本文庫既刊『死の鳥』収録)
「ジグソー・マン」ラリイ・ニーヴン(小隅黎訳/『危険なヴィジョン2』収録)

◎SF商業誌部門
〈アナログ〉ジョン・W・キャンベル・ジュニア編集(コンデ・ナスト社)
〈F&SF〉エドワード・L・ファーマン編集(マーキュリー・プレス)
〈ギャラクシイ〉フレデリック・ポール編集(ギャラクシイ・パブリッシング)
〈イフ〉フレデリック・ポール編集(ギャラクシイ・パブリッシング)
〈ニュー・ワールズ〉マイクル・ムアコック編集(コンパクト・ブックス/ストーンハート・パブリケーション)

◎ドラマティック・プレゼンテーション(映画・TV)部門
「バルカン星人の秘密」シオドア・スタージョン(宇宙大作戦)
「イオン嵐の恐怖」ジェローム・ビクスビイ(宇宙大作戦)
「危険な過去への旅」ハーラン・エリスン(宇宙大作戦)
「宇宙の巨大怪獣」ノーマン・スピンラッド(宇宙大作戦)
「新種クアドトリティケール」デイヴィッド・ジェロルド(宇宙大作戦)

◎運営委員会特別賞
ハーラン・エリスン(『危険なヴィジョン』編集を称えて)
ジーン・ロッデンベリー(《宇宙大作戦》番組制作を称えて)

 まさに、『危険なヴィジョン』が、そしてSF界のトリックスターのハーラン・エリスンが、両賞を席巻したといって、いいでしょう。
 それでは別の角度から、この『危険なヴィジョン』の登場までのアメリカのSFシーンを、その約20年前、第二次世界大戦後から振り返って、見てみましょう。
 ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下という人類史上初の核兵器使用による惨禍ののち、大日本帝国は無条件降伏、アジア太平洋戦争は終結しますが、終戦はまた、米ソ二大国の対立、資本主義経済/民主主義の西側と、一党独裁による統制計画経済/社会(共産)主義の東側との対立が顕現し、新たな戦争、東西冷戦のはじまりでもありました。第三次世界大戦の勃発かと危惧された朝鮮戦争は休戦協定にもちこめましたが、アメリカにつづきソ連(49年)、イギリス(52年)、フランス(60年)、それに中国(64年)までもが原爆実験をし、ことに米ソが原水爆実験を繰り返すなか、世界全面核戦争が起こらないともかぎらない、核/放射能の脅威が、西側世界に重くのしかかることにもなりました。
 それでも、戦争直後の解放感から、世界の覇権を握ったパックス・アメリカーナの米国では、宇宙開発や空飛ぶ円盤ブームで、SFに注目が集まります。ハインラインやブラッドベリの作品が大部数の一流誌に掲載され、戦前のSF雑誌掲載作の傑作選で、SFガイド的役割の分厚いアンソロジーが出版され、大判のパルプ誌とは異なる知的なダイジェスト・サイズで、洗練された〈F&SF〉や〈ギャラクシイ〉をはじめ、SF誌が続々と誕生し、ジュヴナイルSFも充実、1950年代にはSFブームが到来します。
 しかし、1957年10月、ソ連が人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功すると、“スプートニク・ショック”でアメリカが威信を失うと同時に、SFからも興味が薄れる空気となりました。それに輪をかけたショックが、SF界を襲います。最大手の雑誌取次会社が倒産・業務停止となり、定期購読ではなく店頭売りばかりに頼っていたSF誌は、休刊を余儀なくさせられました。およそ12誌が休刊に追いこまれ、無事に60年代を迎えられたのは、〈アスタウンディング〉から誌名変更した〈アナログ〉、老舗の〈アメージング〉と姉妹誌〈ファンタスティック〉、〈ギャラクシイ〉と姉妹誌化された〈イフ〉、それに〈F&SF〉の4社6誌のみという惨状を呈したのでした。
 おまけに、大御所たち──アイザック・アシモフはノンフィクションに専心して創作はお留守、アーサー・C・クラークもしかりで、ヴァン・ヴォクト、ジャック・ウィリアムスン、それより若いロバート・シェクリイらも昔日の面影はなく、アルフレッド・ベスターはSF創作を離れてしまっています。ビッグ・ネームのひとり、ロバート・A・ハインラインだけが、物議をかもしたヒューゴー賞受賞の『異星の客』(61年・井上一夫訳/創元SF文庫)、ジュヴナイルの『天翔る少女』(63年・中村能三訳/同上)、ヒロイック・ファンタジイに挑んだ『栄光の道』(同年・矢野徹訳/本文庫既刊)、『自由未来』(64年・浅倉久志訳/同上)、4度目のヒューゴー賞受賞作『月は無慈悲な夜の女王』(66年・矢野徹訳/同上)と気を吐き、相変わらずの人気作家ですが、ちょっとお説教臭く感じるSFファンから、昔とは違った目で見られるようになってもいました。
 いわば沈滞期といっていいのかもしれませんが、それでも胎動はあります。
 1960年、〈ジ・オリジナル・サイエンス・フィクション・ストーリーズ〉1月号でR・A・ラファティがひっそりと、〈アメージング〉60年2月号でベン・ボーヴァがデビューします。
 62年の〈ファンタスティック〉は豊作で、8月号でゼラズニイ(同月号の〈アメージング〉と2誌同時デビューですが)とラリイ・アイゼンバーグ、9月号でアーシュラ・K・ル・グィン、10月号でトーマス・M・ディッシュがデビューし、また同年、ドナルド・A・ウォルハイムの編集するエース・ブックスから、弱冠20歳のサミュエル・R・ディレイニーがデビュー長篇『アプターの宝石』(下浦康邦訳/サンリオSF文庫)を上梓しました。
 63年、〈アメージング〉1月号でソニア・ドーマン、同誌2月号でテッド・ホワイト、〈ファンタスティック〉4月号でピアズ・アンソニイ、〈アナログ〉5月号でノーマン・スピンラッド、〈イフ〉七月号でアレクセイ・パンシン、〈ニュー・ワールズ〉10月号でヒラリイ・ベイリーがデビューし、そして、旧人ではありますが、フランク・ハーバートが、やがて大作『デューン/砂の惑星』(酒井昭伸訳/本文庫既刊)へと進展すると読者は知る由もない、とりあえずの長篇を〈アナログ〉12月号から連載スタートさせています。
 64年は、〈ニュー・ワールズ〉7月号でラングドン・ジョーンズ、〈サイエンス・ファンタジー〉9月号でキース・ロバーツ、12月号でチャールズ・プラットと、英国雑誌でのデビューが目立ち、〈イフ〉12月号ではラリイ・ニーヴンがデビュー。
 65年に、〈F&SF〉6月号でグレッグ・ベンフォード、〈ニュー・ワールズ〉9月号でデイヴィッド・I・マッスン、〈サイエンス・ファンタジー〉11月号でブライアン・ステイブルフォードが、それぞれデビューします。
 66年になると、〈サイエンス・ファンタジー〉から誌名変更した〈インパルス〉5月号でクリストファー・プリースト、〈イフ〉では5月号でジーン・ウルフ、9月号でガードナー・ドゾワ、〈ニュー・ワールズ〉11月号でジョン・スラデックと、将来を嘱望される新人のデビューが続きました。
 新人発掘で活性化した〈アメージング〉と〈ファンタスティック〉の編集長は才媛シール・ゴールドスミスでした。〈ギャラクシイ〉と〈イフ〉の編集長は古強者(ふるつわもの)のフレデリック・ポールで、ポールはまた、埋もれていたコードウェイナー・スミスを再発見し、人類補完機構という特異な未来史を〈ギャラクシイ〉に次々に書かせてもいました。
 そうした更新されてゆくSFシーンで、狼煙(のろし)があがったのは対岸の英国でした。
〈ニュー・ワールズ〉62年5月号のゲスト・エディトリアル(編集前記)を執筆したのは、J・G・バラード。このマニフェスト「内宇宙への道はどれか?」は、大きな反響を巻き起こします。その後、ジョン・カーネルが編集長退陣1号前の64年3月号(通巻140号)は、緑地に黒文字のタイポグラフィ装丁の学術誌みたいな表紙で(1月号から表紙画を依頼できないほど、経営は行き詰まっていました)、カーネルは“1964-a dull year”と題した見開き2頁のエディトリアルを書いていますが、巻頭掲載作品は、J・G・バラードの「終着の浜辺」でした。そして、142号から編集長を引き継いだマイクル・ムアコックはそのとき25歳、盟友となるバラード、共感したブライアン・W・オールディスが結集し、ペーパーバック・サイズのリトル・マガジンとなった〈ニュー・ワールズ〉が、新しいSF、“ニュー・ウェーヴ”運動の牙城となってゆくのです。
 旧版の解説で伊藤典夫さんは、「ニュー・ウェーブ運動とは、50年代以降テクノロジーの高度な発達により、あらゆる方向に急速に広がっていった世界の中で、ジャンルの制約にしばられ、変化に対応しきれなかったSFが、高まる内圧をてこにその一角を突き崩した一種の自壊作用と(いまになれば)見ることができる。過去の巨匠たちの影響をうけながらも、新しい時代にどっぷりとつかった若い作家たちが、いざ自分なりのSFを書こうとしたとき、それにふさわしいテーマや、形式、文体がジャンル内部におさまりきるものではなかった。──そういいかえれば、わかりが早いだろうか」と書いています。
 それは、SFが時代感覚と齟齬(そご)をきたしていた、あるいは、ゲットー化しているジャンルに安住していたと、いえるのかもしれません。また、ピューリタン的体質のアメリカでは、ジャンル雑誌メディアのSF誌には、タブーが多かったともいえるでしょう。
 現状に危機感をいだいたひとりに、SF作家・評論家のデーモン・ナイトがいました。 編集者も経験しているナイトは、SF作家の親睦と切磋琢磨を願い、1956年に、ジェイムズ・ブリッシュ、ジュディス・メリルと共にミルフォードSF作家会議を立ち上げ、妻で作家のケイト・ウィルヘルムと一緒に、その後20年も運営することになります。さらに、その会議での討議に刺激され、65年に作家ギルドとなるアメリカSF作家協会を設立、初代会長に就きます。同時に、協会はプロが選ぶ年次SF賞のネビュラ賞を主催し、同年からスタートさせます。それだけではありません。雑誌よりも制約の少ない単行本でSFの枠を拡げる書き下ろしアンソロジーを企画し、66年、大手のクノップ社からハードカバーのOrbit を刊行、当初は年1冊の予定で巻を重ねてゆくつもりでした。
 そうした新しい動向に、ハーラン・エリスンが無関心でいられるはずが、ありませんでした。SF誌が次々に潰れていた59年、SFファンあがりのウィリアム・L・ハムリングが〈イマジネーション〉(58年休刊)を出していたシカゴの出版社、グリーンリーフ社が発行するメンズマガジン〈ローグ〉(55年12月創刊号)のアソシエイト・エディター(編集主幹)を依頼され、SF作家のフランク・M・ロビンスンと共にその職に就きます。
 以前から寄稿していて旧知の同誌でしたし、故郷クリーヴランドでの学生時代の3年間、ファンジン制作経験のあるエリスンは水をえた魚のように、企画編集・執筆に八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍。ヒット連載企画は、猛毒舌芸人のレニー・ブルースとアルフレッド・ベスターのコラムでした。62年にシカゴで開かれた世界SF大会チャイコンⅢでは、〈ローグ〉の大会用特別号を無料配布することまでやり、まさにやりたい放題。その間、61年には、同社で意欲的なペーパーバック叢書“リージェンシー・ブックス”を企画します。
 63年までに42点発行したその叢書に、エリスンがいつまで関係したかは不明ですが、初期の配本に、ロバート・ブロックのFirebug、ロバート・シェクリイのスパイ小説The Man in the Water、アルジス・バドリス(出版社の同僚でした)のSome Will Not Die、ファーマーのFire and the Nightなどがあり、ちゃっかり自作の短篇集Gentleman Junkieとノンフィクション集Memos from Purgatoryを紛れこませています。以上挙げた6点のカバー装丁はディロンズ、レオ&ダイアン・ディロン夫妻。そう、本書の献辞で最初に捧げられている夫妻です。本書では省かれていますが、ダブルデイ版原書のカバー・ジャケットの画・装丁、各作品のタイトル・カットはディロンズが手がけたものでした。
 そのGentleman Junkieが、〈エスクァイア〉の書評欄に、ペーパーバックとしては初めて採りあげられました。しかも、絶賛評を書いたのは、あの閨秀作家ドロシー・パーカーです。この書評をハリウッド入りのチケットに、エリスンは大陸を西へと向かいます。
 なお、フランク・M・ロビンスンは、65年まで同じ職にとどまり、69年から73年まで同じシカゴにある〈プレイボーイ〉の編集者を務め、もちろん、業界一の原稿料でSF作家を遇しました。その後、トーマス・N・スコーティアと共作したテクノスリラーの1冊が《タワーリング・インフェルノ》(75年)として映画化され、著名になります。
 一方、ハリウッドで脚本家として功なり名を遂げ(もちろん、喧嘩沙汰は絶えない)、前記のミルフォード会議に出席していたエリスンは、〈ギャラクシイ〉65年12月号に掲載された「「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった」(伊藤典夫訳/前記『死の鳥』収録)でヒューゴー&ネビュラの両賞を受賞、続いて〈ナイト〉66年9月号掲載の「竜討つものにまぼろしを」(同訳/同書収録)も両賞にひっかかるという転機をとらえ、ついに、リージェンシー・ブックス時代から暖めていた、無謀ともいえる挑戦的なアンソロジー企画を実現するときがきた、と思い定めていました。
 時代のSFシーンは、“ニュー・ウェーヴ”一辺倒ではありませんでした。映画《007/危機一発(ロシアより愛をこめて)》(62年)の世界的ヒットおよびイアン・フレミングの原作ベストセラーの“007ブーム”の追随と反動が、アメリカの出版界に起こります。アメリカ産スーパーヒーロー探しのほうでは、63年、バランタイン・ブックスがE・R・バロウズの“ターザン”シリーズを出せば、エース・ブックスは“金星”シリーズを出し、ペーパーバック版のバロウズ作品が巷に氾濫。64年、ピラミッド・ブックスはE・E・スミスの戦前の“レンズマン”シリーズをペーパーバック化します。なんとなく、しばらくのちの日本で起きた反時代的“大ロマンの復活”ブームに似ています。さらに65年、バランタインがJ・R・R・トールキンの『指輪物語』3部作(瀬田貞二+田中明子訳/評論社ほか)を出すと、大学のキャンパスを中心に大ベストセラーになります。
 ともあれ、そうしたSFが二極化する時代に、また、ヴェトナム戦争の泥沼化と公民権運動、反体制運動などでアメリカが揺れ、アメリカン・ドリームが瓦壊する時代に、エリスンが序で委細を語っている曲折をへて、この『危険なヴィジョン』が刊行されました。 つい、エリスンに影響されて、長いながい解説になってしまったことはご海容いただくとして、エリスンの各作品序文もますます愉しくなる第2巻、第3巻にご期待ください。

                          2019年5月記

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