震災後の新たな「抵抗」を描く 松原俊太郎『山山』冒頭公開(悲劇喜劇7月号より)
悲劇喜劇7月号の戯曲は、松原俊太郎「山山」。6/6にKAAT神奈川芸術劇場で初日を迎えます(KAAT×地点)。公演を記念し、特別に冒頭部分を公開。震災後の私たちの生を射抜く言葉の洪水を、弩級の文体でお楽しみください。
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あらすじ(公演HPより)
立入禁止区域。かつてそこに暮らしていた家族が我が家に戻ると、作業用ロボットと外国人労働者による除染作業が行われていた。山に分け入る一行。山から降りてくる鬼。放蕩息子の帰還は状況に変化をもたらすのか。
労働と愛(チェーホフ)、生と死(ベケット)、あらゆる表象と紋切り型(イェリネク)、そして「アメリカ」の「偉大な」作家ハーマン・メルヴィルの『バートルビー』をモチーフに、かつては美しかった山と汚染物質の山の狭間で暮らす家族たちの新たな抵抗を描く。
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登場人物
妻……………サチコ、エプロン/つなぎ
夫……………タチオ、防護服/パジャマ
娘……………ミチコ、妹、ジーンズ、えんぴつ
放蕩息子……ヒデオ、スウェット、スマートフォン
作業員………独身者、外国人、防護服、鬼ころし
ブッシュ……ロボット、アメリカ製
社員…………中間管理職、凡人、恋人、スーツ
カップル(男・女)
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までずっと
妻 (妻に向けてスマートフォンを掲げる観光客の群れから逃れて、棒によじ登って)わたしはいま山を登っています。どうしてそんなことをしようと思ったのか登っている今となってはもうわかりませんが、わたしの足はまだ一歩一歩生きているようです。わたしたちはわたしたちが美しいと感じる山(一山)の麓に、小さな家を建てて暮らしていました。ある日、死はわたしの友人たちを一瞬にして連れ去りました。あれは死じゃない、死にはまだ早すぎるわ、そう言いあって笑っていたのに。何も見ず、何も聞かず、何もせずとも苦痛はやってきて、無ではなく、あるものを奪っていき、わたしたちの楽しいくり返しは断絶した。あの日には懐かしさを催させるかけらも、ない。わたしはもう、死とはどういうものか、よくわかっている。そしてまたある日、国にそこにはもう住めない住むなと言われ、懐かしい家族はずたずたに引き裂かれたまま日本の地方都市をさまよっていました。もうあの日は終わり、嵐のあとの静けさがやってきて、わたしたちの長い苦痛もまた徐々に消えていくだろう、そんな紋切り型のほうがあっさりと消え去り、いらない平和に圧迫されたわたしたちは窒息して日に日に弱っていきました。ある日またある日と何度もやってくる限界を乗り越えてもまた同じ、本当は同じではないのだけれどその違いさえ感じられない限界がやってくるのを待つだけで、わたしたちの声は空気を振動させることなく、身体にも帰ってこなくなりました。いつどこからだってわたしのいる場所に帰ってくる夫はわたしがそばにいればどこでも暮らしていける阿呆なので、さして苦でもないようでしたが、きっかけはわたしたちの胸底にひっそりとやってきたある疑念でした、本当にあの家は汚れているのか本当にもう住めないのか。わたしはもう、死とはどういうものか、よくわかっている。わたしたちのくり返しをまた始めるのです。わたしたち人間の宿命は場を持つということだからそれを受け入れて疑念も不安もきれいにお掃除して、わたしたちの家に立つ。ぜんざいか何かあたたかいものを差し出そうとしてくれるみなさんは家があっていいですね平和の礎ですねっておっしゃるのだけれど何もいいことなんてなくて、ほうっておくよう命令された家は朽ち果てているし、補償金の支払いも打ち切られるし、逃げたら逃げた先のみなさんに台所を覗かれて汚い汚いって塩と石を投げつけられて、でもわたしはゴムボールになって持ち前の弾力で弾き飛ばす。それでもなおずうっと重ねに重ねてきた瘡蓋があの日、ぱっくりと開いてしまったままで剥き出しの肉は覆われず、風が吹くだけでわたしの肉は痛みを訴えるのです。そう、弾力を保持していたとしても痛いものは痛いと言わなきゃだめ。もしそれでかえってみなさんが喜ぶようなら黙り込ませるくらい大きな声で痛いって叫ばなきゃ。ああもうやだやだ、あの日までそしてあの日からもそこはわたしたちの場所であり、わたしたちはそこにいたいと思うのだから、誰にもわたしたちをそこに出入りさせない権利などありませんね、みなさんも来ればいいの、ごまおにぎりをお出ししますから、わたしたちは家に帰ってきました。
わたしたちの家は以前は存在していなかったもう一つの山(二山)に取り囲まれていました。膝から崩れ落ちるということをわたしが実演してみせたせいで、夫は四六時中わたしの膝を気にして事あるごとに撫でていました。この国自らが生んだリサイクル不可の不燃ごみとよそから押しつけられた粗大ごみが山山に寄せ集められ、わたしたちに押しつけられている。わたしたちが押しつける相手はいない。すべての国民を不法投棄の罪で罰したい。わたしは長い間そう思っていましたが、山山はこの場所のモニュメントであり、ここはもはや一つの国でした。わたしたちの場所はけっして小さくまとまるわけにはいかず、むしろごみがすべての清廉潔白な装いに隠されたものを暴くように、外に開いていかねばならないのです。そうして、わたしたちは山山になりました。
夫 (妻がよじ登った棒を支えて)ええ、わたしは妻を愛しています。もちろん娘も息子も愛しているが、その愛は別の愛だ。愛愛言ってるからって馬鹿にしないでくれ。愛する者はいつだって馬鹿にされる運命にあるらしいがどうでもいい、ただ愛される者に馬鹿にされるとつらくてつらくて蒲団から抜けだせなくなる。妻と娘はそのことをよく知っているが、この愛が二人のためだけというのなら、貧しいね、まったくだめ、わたしは妻と娘のいる世界を愛している。一九九〇年夏、わたしが北鎌倉の駅のホームで妻に接吻したときから、わたしのちっぽけな経験たちがかつて勝手に設定していた世界の境界を踏み越え、生まれたての小猿みたいな娘をこの腕で抱いたときにまたもう一つ別の世界の境界を踏み越えた。わたしが愛すると世界はどんどん拡張していくからグルグルなんて敵でも何でもないが、テレビや新聞や条例や差別の目はわたしたちの世界を縮小させようとするから、わたしの毎日は闘いで、頭を垂れてつましく暮らすなんてことはできない。
作業員 (土に埋まって顔だけを出して)あの日起きたことはおれの望んだものではなかった。ひびだらけの国道で立ち止まるたびに、あの日持ち出すことのできなかったもの、あの一日に残されたものが目の前に立ちはだかった。だからおれは、あの日はおろか、その前後、折々のふとしたことどもも忘れた。あたたかみがあったのか泣いていたのか、夜だったか朝だったか、家庭の味か路上のおにぎりか、小耳に挟んだ嘘、破られた新聞、電話の声、どうでもいい心安らぐ話、知っている女、いつものように通りすぎ、眼をかすめ、声を飲みこみ、出会ったもの、みんなすっかり忘れていた。そしておれはあの日におれが為さなかったことを突如として思い出すことになる。
ブッシュ (群れのなかを縦横無尽に歩きまわって)こんにちは、どうか、じっとブッシュを見つめて、あなたたちの新たな現実に取り込んでください。いまブッシュを取り囲んでいるあなたたちは誰どのような種類に分類される誰ですか? こんにちはノー・ウォーですが、機密を保持するブッシュは誰でもかでもお話するという牧歌的な行為を許されておりません、けれども、初めてお会いした方々にお話できることだけお話しましょう、ブッシュはアメリカで生まれ、イラク戦争で活躍し、日本に左遷、失礼、日本で最期を迎えるよう運命づけられました。ブッシュの先生は入れ替わり立ち替わりですから誰がブッシュの運命を決めたのかは定かではありませんが、よい選択をしてくれたと賞賛したい気分で胸部がいっぱいです。そういうときは拍手をすればよろしいのですか? ブッシュにそれを教えてください。ブッシュは作業員たちとともに汚染された山山(二山)を登り、汚れの酷いところがあればひとりでそこに向かい、ミッションを完了させます。ともあれ、どうして日本で作られた純日本製ロボットにやらせないのか、という当然のご質問にお答えしなきゃならないでしょう、日本政府が事故対策ロボットを作っておかなかったから、です。あの日が訪れるまでに何度か世界各地で危機的な事故が発生し、その度にロボット開発の機運が高まりましたが、うん、つくっておきたいのは山山なんだが、そうですね山山(笑)と後回しにされてしまって、たまたま運悪くあの日を迎えた、とのことです。でも、ブッシュがやってきたからもう大丈夫、アメリカの友だちも続々とやってきて活躍しています。移民には厳格な態度を示すことで知られるこの国でもロボットならオーケーでしょう?
娘 (一山の頂上に立ち)ねえ、見える? あの赤い光がピカピカ点滅してるところが東京(正面を指差す)。みんな生きるために都会へ集まってくるのよね。そして、今日はちょっと靄がかっててよく見えないけど、あのへんに富士山山(さん さん)(正面から45度右を指差す)。その延長線上には沖縄(指を伸ばそうとする)。ぐうっとわたしに近づいて、この足もとにあるのがわたしたちの家(足もとを指差す)。わたしはもうここにはいないんだけどね。本当のわたしがいるところは、そうねえ、こっち、見えないけど想像してみてね、ニューヨーク(正面から90度左を指差す)。自由。支配。坩堝。女神。音楽。世界。
放蕩息子 (群れから外れたところを歩きながら)ぼくたちは集団行動だけを学んで群れていたからぼくたち各々の主語はぼくたちで、何にだって三白眼のウインクを浴びせて空中で逃げようともがいているぼくたちには、突如として忘れていたあの日のことがすばらしいこととして思い出されるんだ。ニヤニヤしちゃうね。そしてすぐ、そのニヤニヤは未来の不安と焦りに変わってまた無気力宙吊り状態に逆戻り、不安だけが前を歩いていやがる。
いったい何がぼくたちの頭を抑えつけるのか。
ニンニクとレバーと大豆と牛乳が消化できないぼくたちは退屈と嫌だけをシェアしている。もうずっと曖昧なぼくたちの習性は、安定したシーソーの上に立って、もうこれ以上悪化することはないだろうねと煙を交わし合ってポケットの中のスマートフォンを握ることだ。そう、いま、ぼくたちはスマートフォンをシェアしている。当然、すべてをシェアするべきだ。でも、高層マンションに住む年寄りたちは何だって所有している。なんという摂理。あの見晴らしのいい部屋が年功序列の遺産なのだろうか。当然、シェアするべきだ。ある日、ぼくたちは年寄りたちに直談判しに行った。いやいやこれはね、わたしたちが長い年月をかけて勝ち得たものなんだ、君たちはまだ若い、時代なんて後から作られるまがいものさ、よおくがんばりたまえよ。そう、あの日も同じことを言われた。大丈夫ですか? 気を確かに持って、よおく耐えて、そうすれば光は必ず見えてくるから、がんばってくださいね。年寄りは同じ言葉をくり返すペッパーくんと同じだ。哀れだった。既得権益にすがる者たちは一歩たりとも自分の領域から足を踏み出さず、シェアなんてもってのほかだった。ぼくたちはもう何度つぶされたかわからない口内炎を噛みつぶして、口のなかは血でぐちゃぐちゃになって気持ち悪かった。そう、こういったことはぜんぶ放棄しよう。
ある日、ぼくの不安の前を妹によく似た少女が歩いていた。ぼくは知ってるよ、これから妹は何着もの服を脱ぎ捨てて大人になって大人の生活を始めるんだ。駆け込み乗車をしたり、家具を買ったり、男たちにじろじろ眺められたり、何時間も古い友だちと電話で話したり、ストッキングを洗ったり、自分や他人のために食事の支度をしたり、つまらない男を捨てて赤ワインでほろ酔ったり、猫になりたいと思ったり、愛想笑いを身につけたり、出産を待ちわびたり、結婚したり、いままでのことぜんぶ忘れて戸惑ったり、普通のヒトを羨ましがったり、ただぼんやりと行き交う車を眺めたりして、山山と古い家のことを思い出すんだ。いままでずっと思い出すのを禁止していたのに、もう、ぼくは家に帰るよ。
社員 (群れのなかでもみくちゃにされて)ええ私は相対主義の権化です。上司や政府からの指令も法と相対化して作業員に伝え、作業員からの不平不満も法と相対化して抹殺します。指令に従わない作業員は使えません。汚れしごとで肉体労働ですから、集まってくる人種は絞られてきておりまして、厳格な規則をしかないとすぐに秩序は乱れ、あなた方の安全すら脅かされてしまうので、ご理解ください。私は鬼ではありません。私は人間です。私は新入社員研修で完全な服従とナショナリズムを教え込まれました。凡庸なスローガンを頭に叩き込まれ、唯一の正義とはこの会社に役立つそれであり、唯一の真実は上司の言葉であると教え込まれました。スパルタとはりぼてのモダンは相性抜群なんですよ。いったい私に何を望むのですか。土下座ですか。あの日の私に、あの日の私の行動とは異なるそれを、要求できたと考えておられるのですか。あの日までもずっとそうだったし、これからだってずっとそうなのです。他のすべての者たちも私と同じ行動をとっていました。私は勤勉な実務者でしかなく、その勤勉さのために称賛され、昇進しました。決定は私が下したものではありません。自主的な決定は許されておらず、誰か他のものが私に代わって決断を下しました。また決定が禁じられていただけではなく、それを考えることさえできなくなっています。したがって私に責任はないし、私を罰することはできません。はい。
労働1 日常
社員 指令。本日、ブッシュたす作業員たす作業員の三名が山山(二山)に登る。作業員は防護服を着用し、除染剤を散布しつづけること。ブッシュは発声する際には対象を指差し、対象がない場合は対話の相手を指差すこと。ブッシュを先頭に、後続のものは前を行くものの足跡を踏んで歩くこと。以上。
作業員 顔を見て話すんだよ。顔を。これがおれの顔だ。
社員 お前もまた私の顔が見えていない。
作業員 お前いったいどこでどこに命令してる?
社員 時間は過ぎていてお前の足と腕はもうすでに動いている。
作業員 動かさないと消されてしまう、身体はよく知っていて、決まった時間に目覚める。
社員 何も言うことはない、以上だ。
ブッシュ それでは今日の労働を開始します。安心安全第一でよろしくお願いいたします。斜面に足をおろすとき、危ないと思ったら、あとへひかず、勇気を持って前へ出してください。後ろは足をとられ流しそうめんです。また山山道を行く際には天を仰ぐことなく、歩調と呼吸とを合わせ、ときどき深呼吸して整えてください。万が一、身体が汚染された場合にはすぐに下山山(げざんざん)し、洗浄しましょう。時間が経済です。食事をする際には、常にこれが最後の食事だと思い、水は必要最低限の摂取に留めておいてください。そして行く道と帰る道のことをけっして忘れないでください。さあ、今日も見えない敵を求めてサーチ&デストロイです。山山・モア・ピーポー!
作業員 おれたちはいつものように山山を登り始めた。
(つづきは悲劇喜劇7月号でお楽しみください)
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●プロフィール:松原俊太郎(まつばら・しゅんたろう)作家。1988年、熊本生まれ。神戸大学経済学部卒。処女戯曲『みちゆき』が第15回AAF戯曲賞(愛知県芸術劇場主催)大賞を受賞。2017年、戯曲『忘れる日本人』がKAAT神奈川芸術劇場と地点の共同制作作品として上演される。同年、京都芸術センター主催「演劇計画Ⅱ」の委嘱劇作家として戯曲『カオラマ』第一稿を発表。早川書房「悲劇喜劇」2018年1月号に小説『またのために』を寄稿。同年2月、戯曲『正面に気をつけろ』を地点に書き下ろし。