北の地で行われるヨガ教室から始まる、精神世界を巡る旅――『シルクロード』訳者あとがき
早川書房では、3月17日にキャスリーン・デイヴィス『シルクロード』(久保美代子訳)を刊行いたしました。ヨガのポーズをとりながら、過去をめぐる旅に出る8人の登場人物。彼らは一体誰で、どこから来てどこへ向かうのか? 謎が謎のまま残される本作の魅力が綴られた、訳者の久保美代子さんによるあとがきです。本書のイラストレーター、田渕正敏さんのイラストとともに『シルクロード』の世界を覗いてみてください。
キャスリーン・デイヴィス/久保美代子 訳『シルクロード』
装画:田渕正敏 装幀:仁木順平
訳者あとがき
本書はキャスリーン・デイヴィス著The Silk Roadの全訳である。
デイヴィスは米国の作家で、これが8作目にあたる。アメリカ人女性が著したフィクションに与えられるジャネット・ハイディンガー・カフカ賞を受賞した、唯一無二のユニークな作品を生みだす優れた作家だ。
本作品が米国で刊行されたのは2019年3月で、まだコロナの大流行など影も形もなかったころだが、まるで未来を予測するかのように、世界で猛威を振るった疫病、ペストをひとつのテーマとして、ペストが蔓延した中世と、再び同じような感染症が広がっている現代に近い架空の世界が入り混じるようにして描かれている。登場人物たちは、病気を避けて、永久凍土が広がる北の地にある移民用施設を目指す。
物語の出だしは、その施設で行われているヨガ教室からはじまる。インストラクターは”水のように光を放ちながらつねに変化する何か、新生児の目のようにどこまでも深く蒼い何かで覆われている”謎の女性、ジー・ムーンだ。
ヨガのレッスンを受けているのは、施設に避難している大勢の人びとで、そのなかに天文学者(アストロノマー)、記録保管人(アーキビスト)、植物学者(ボタニスト)、守護者(キーパー)、位相幾何学者(トポロジスト)、地理学者(ジオグラファー)、氷屋(アイスマン)、そしてコックと呼ばれている八人がいた。レッスンを締めくくる屍のポーズ(シャバーサナ)のあと、ひとりだけ起き上がらない者がいて……
この小説は、最後に謎が解明されるミステリというより、カードの意味を読みとくタロット占いに似ている。デイヴィスは象徴やイメージをページの上に描きだした。これを読んだ読者の解釈はさまざまで、同じどころか、似てさえもいないだろう。けれども、予想外と規格外が組み合わさった作品だからこそ、心を打たれ、哲学的な意識が呼びさまされる――スター・トリビューン(ミネアポリス)紙
この書評にあるように、本書では謎は謎のまま放置される。最後に犯人が正体を現したりする場面はない。別の作品についてのインタビュー(bookslut.com)に、その理由が垣間見えるデイヴィスのコメントがあったので、ここで紹介しておく。
最初は古典的な殺人ミステリを書いてみようかと思ったのですが、ミステリにつきものの探偵がみんなをすわらせて、真相はこうで、犯人はこの人だ、という場面が退屈で好きではないことを思い出しました。わたしは、この退屈な部分を作品に入れたくないのです。
本書のなかでも、著者のこの思いを映しだしているような一節がある。
パーティというのはしばしば、説明のようなものを提供する場になる。ただ正直なところ、人生のなかで説明ほどつまらないものはない。
8人の登場人物はそれぞれ、北方のその地にたどり着くまでのいきさつを物語っていく。だが、みな記憶があいまいで、あやふやで、途切れ途切れだ。それぞれの物語の隙間を埋めるように、子どものころの思い出も語られる。
けれども、フェアマウント・アヴェニューの大きな家で、乳母(ナニー)に世話されながら、父母と一緒にみんなで暮らしていたという大筋は覚えていても、そのほかの記憶はばらばらで一致しない。ヨガのインストラクターを務めていたジー・ムーンについても、いつから一緒にいたのかはっきりしない。
別の書評では”迷ったときは、ただ読み進めるべし”とあった。登場人物たちが迷いながら道を進んでいるように、読者のみなさんもおそらく、道に迷って右往左往するだろう。本書はリーダーフレンドリーな作品ではない。読み手を煙に巻いて、置き去りにしようとしている気さえする。読者はなすすべもなく、頭の中にクエスチョンマークを溜めこみながら、読み進めるしかない。登場人物たちがしていたように、目印を求めて、一歩一歩前進あるのみだ。そうすると、ふいに日常を切り取ったような会話が出てきたり、次のような独特な表現に巡りあえたりする。
女の子が首を曲げると、幼い弓なりの首筋に褐色の薄い産毛とカフェオレ色の母斑がいきなり現れる。それを心置きなくうっとりと眺めるのだ。
そうやって読み進んでいるうちに、徐々に浮かび上がってくるもうひとつのテーマがある。それは家族愛だ。といっても、ストレートに愛情が表現されている部分はあまりない。だが影が濃くなると光がかえって際立つように、妬みや孤独、寂しさを表すエピソードや会話によって愛情が浮き彫りにされていく。それらのエピソードはリアルで、ノスタルジーに満ちていて共感できる部分が多くある。
たとえば、「サーディンズ」というかくれんぼに似た遊びを思い出す場面では、遊んでいる途中でふと孤独を感じる瞬間が描かれている。
この遊びをしているとき、自分だけ取り残されたと思う瞬間がある。走る足音、ドアが開閉する音、くぐもった笑い声、身体と身体をぶつけあう音、嬉しい驚きの声。はじめは聞こえていたそれらの音が、ぴたりとやむ。やがて沈黙が口を開くと、巨大なその黒い穴に、いまにも落ちそうになる。
本書では随所にいろいろな文献や詩が引用されている。謝辞にもあるルクレーティウスの著作、アンデルセン童話などの断片が、コラージュのように組み合わさって、独特の世界を生みだしている。このコラージュの下地のような存在が『チベットの死者の書』である。
『チベット死者の書』とも呼ばれるこの仏典は、チベット仏教の経典のひとつで、人が死んだあと、輪廻を繰り返さずに解脱(げだつ)できるように死者の耳元で唱える枕経(まくらきょう)なのだそうだ。死んだあと、通常の人は母の胎内に戻ってまた別のものに生まれ変わり、輪廻を繰り返す。だから、胎内への入口を閉ざすことでその繰り返しを止めるのだという。本書でも登場人物たちは、時代も場所も飛び越えて、ぐるぐると何度も旅路を巡っているように思える。
宇宙船に乗って、ものすごく長いあいだ同じ方向に進んでいるとする。そのうち壁に衝突するかもしれない。果てしなく進みつづけられるかもしれない。もしかすると、出発した場所に戻ってきているのに、それがわからないのかもしれない。
キャスリーン・デイヴィスの夫、作家のエリック・ゼンシーは、米国で本書が刊行された数カ月後に、10年患っていた癌で他界している。そんな夫を家族で支えながら本書は執筆されたのではないだろうか。そう考えると、家族愛というテーマと、それにずっとつきまとう死の影が、すとんと腑に落ち、せつなさで胸がいっぱいになった。
このように書くと、湿っぽい話のように思われるかもしれないが、けっしてそうではない。美しい詩的な表現と、ユーモアとアイロニーが絶妙のバランスで共存する稀有な作品で、ひとたびページを開けば、独特の世界に引き込まれ、いままでにない読書体験を味わうことができるはずだ。その体験を気に入っていただければと、心から願っている。
本書を訳す機会をくださり、編集し校正してくださったみなさまに深く感謝いたします。ありがとうございました。(2021年2月)
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