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『源氏』の基礎知識から最前線まで、一冊でわかります! 『みんなで読む源氏物語』まえがき by 渡辺祐真(スケザネ)

国文学者や日本語学者、歌人に能楽師、芸人、物理学者、英→日の「戻し訳」や最新の現代語訳を手がけた作家、翻訳家まで、『源氏物語』に通じ愛する面々が多方面から集結した一冊、『みんなで読む源氏物語』(渡辺祐真編、ハヤカワ新書、12/19発売)。編者の渡辺祐真(スケザネ)さんが、本書の内容を一挙紹介する「まえがき」を公開します。

『みんなで読む源氏物語』渡辺祐真編、ハヤカワ新書(早川書房)
『みんなで読む源氏物語』渡辺祐真編、ハヤカワ新書

『みんなで読む源氏物語』まえがき 

  渡辺祐真

『みんなで読む源氏物語』へようこそ!
この本では、様々な書き手たちが、日本文学の古典『源氏物語』の楽しみ方、その作者の紫式部の魅力を自由に語ります。

千年以上もの間、日本のみならず世界中の数多の読者によって読まれ、愛され続けてきた『源氏』。その受容の歴史を簡単に振り返れば、『源氏物語』が書かれたのは平安時代中期。西暦で言えば、1000年ごろ。当時は印刷技術などありませんから、人々の手によって書き写されていきました。しかし、みんなが正確に書写するわけではなく、ミスがあったり、それぞれの好みで書き換えられたりするのは日常茶飯事。その結果、たくさんのバリエーションが生まれてしまいました。

そこで、自分の『源氏』こそが正しいものだと、競争が生まれます。時代は鎌倉時代。新興勢力たる幕府(武家)は金や力はあるものの、文化的な教養がなく、正しい『源氏』を整えることで、その威信を発揮したい。一方の朝廷(貴族)は、幕府が登場したことで金も力も落ち目ですが、文化を担ってきたというプライドがある。両者、全く譲りません。

決着をつけたのは、天才歌人・藤原定家(1162〜1241)。彼は朝廷側の人間で、満足な資金もなかったのですが、一流のセンスで『源氏』の本文を整えました。この本文は、今日でも『源氏』のスタンダードの一つになっています。

その後、『源氏』に精通していることは、文化的な権威になりました。豊臣秀吉や徳川家康は『源氏』に強いこだわりを持っており、特に家康は大事な合戦の前にわざわざ『源氏』の伝授(授業)を受けていたほど。これは単に『源氏』が好きという以上に、『源氏』という最高の文化を受容している徳川についてこい、というメッセージだったはずです。そうした高い階級の人だけではなく、能や歌舞伎、雛人形や絵といった芸術を通して、庶民にも『源氏』は愛されていきます。特に江戸時代は、その傾向が強まりました。

そして、近代(明治時代)になっていよいよ『源氏』は海を飛び越えます。一八六七年のパリで開かれた万国博覧会を機に、日本文化を海外に紹介する機運が高まったのです。1882年には末松謙澄による英訳(抄訳)が生まれ、そしてついに1925〜33年にイギリス人の東洋学者アーサー・ウェイリーによる英訳(ほぼ完全な訳)が刊行されました。

海外への影響、日本文化の見直しといったムーブメントから、日本人の『源氏』熱も燃え上がっていきます。しかし原文で読むことに人々は困難を感じていたので、現代語訳が次々となされたのでした。代表的訳者は与謝野晶子、谷崎潤一郎、窪田空穂などです。

以降、『源氏』は30以上の言語に訳され、漫画やアニメ、ドラマなどにもなり、実に広く愛されています。

ここまでの説明で、『源氏』が長く、広く読み続けられているすごい物語ということはご理解いただけたはずです。とはいえ、とても長大で、古い物語なので、なかなか読めない、読んでもよく分からなかったという人も少なくないと思います。

しかし、本書を手に取ったからには、「みんなで読む」の「みんな」の一員になったつもりで、肩肘を張らずに、楽しんでみてください。

確かに学ばないと分からない平安時代の文化や常識、言葉などもありますし、文学的な知識や社会的な経験を積むことで『源氏』を深く味わうことができるのは事実です。ただ、それと同時に、千年も読まれるだけの面白さがあります。

本書では、『源氏』や紫式部に関する基本的な情報、『源氏』をはじめとした古典に親しむための方法といった心構えに始まり、登場人物たちの魅力、海外での受容のされ方、更には現代的な読み方に至るまで、『源氏』の楽しみ方が満載です。

まずは各章の簡単な内容を紹介します。

『みんなで読む源氏物語』渡辺祐真編、ハヤカワ新書(早川書房)
『みんなで読む源氏物語』全面帯

【PART1 『源氏物語』の門前】

まず最初に『源氏』とその作者・紫式部、そして彼女が生きた平安時代の概観です。事前知識に自信がないという方はここから読まれることをおすすめします。

「第1章 『源氏』ってどんな物語?──あらすじと主要人物を一気に知る」では、要点を絞って『源氏』のあらすじと読みどころを一気に辿ります。複雑な物語ですが、とにかく一番中心となる幹を知ってください。ここで登場する固有名詞や内容を知っておけば、『源氏』の入り口に立つことができるはず。

「第2章 紫式部とその時代」では、平安文学の専門家である川村裕子さんが、紫式部の生涯や彼女が生きた時代について、分かりやすく解説してくれます。紫式部に興味のある人、『源氏』が書かれ、またその舞台となった時代がどのようなものか知りたい人にうってつけです。

【PART2 『源氏物語』に親しむために】

続いて、古典にはなんだか苦手意識があるという人や、『源氏』についてはなんとなく知っているけど、いまいち楽しみきれないという人に向けて、古典や『源氏』に一歩踏み出すための方法をお伝えします。

「第3章 日常づかいの和歌・古典」は対談です。歌人であり、『源氏』作中の和歌を現代短歌に変身させた『愛する源氏物語』などの著書もある俵万智さん。そして能楽師であり、能による生きた知識をもとにして分かりやすく、身体に入ってくるようにして古典を教えてくれる安田登さん。こちらのお二人が、和歌や古典を仰々しいものではなく、日常で使えるような便利で楽しいものとして、仲良くなる方法を語ってくれます。『源氏』に限らず古典全般についての様々な話があるので、『源氏』を詳しく知らない人もどうぞ!

「第4章 『源氏物語』のヒロインを階級で読む」は、古典から現代文学まで幅広く、新鮮な魅力を提示する書評家の三宅香帆さんが語る、人物から迫る『源氏』の魅力。『源氏』のヒロインの身分に着目することで、ハッとさせられるドラマが展開していたことに気が付きます。まるで当時『源氏』を読んでいた女房たちの談義に交ぜてもらうように、『源氏』を楽しんでみてください。

【PART3 時代を超える、言語を超える】

『源氏』は日本のみならず、世界中で読まれています。大きなきっかけとなったのが、先述した、アーサー・ウェイリーによる英訳です。その影響は当時のイギリスで絶大でしたし、その英訳があまりに見事だったために、逆にそれを日本語に訳し戻してみようという不思議な試みもなされたほど(しかも完訳が二回も!)。

「第5章 現代“小説”としての『源氏物語』──ヘテログロシアの海で」では、翻訳家の鴻巣友季子さんが、当時のヨーロッパで『源氏』がどのように受け止められたかに迫ります。更に、ウェイリーとも親しかった作家のヴァージニア・ウルフによる『源氏』書評の翻訳も掲載していますので、実際の感想に耳を傾けてみてください。

「第6章 謎と喜びに満ちた〈世界文学〉──英語を経由して『源氏物語』を読む効能」は、翻訳や創作の観点から『源氏』を語る鼎談です。ウェイリー『源氏』を、再び日本語に訳す「戻し訳」をされた毬矢まりえさんと森山恵さん。そして、同じく自作の中でウェイリー訳の一節を訳した小説家の円城塔さん。一語一語の選択というミクロな読解から、作品全体の構築というマクロな視点まで、縦横に語ります。単に読み、解釈するだけではない、能動的な『源氏』との関わり方を見つけてください。

【PART4 こんな視点でも読み解ける!】

最後は、現代の視点から『源氏』を読みます。古典は、書かれた時代にどのように読まれたかを知るのも大事ですが、今を生きる私たちだからこそ新たに発見できる魅力を発見するのもまた、素敵な読書です。

「第7章 イギリス文学から考える『源氏物語』──ケア、ピクチャレスク、無意識、コモン・ガール」。ケアという観点から、現代の漫画や小説を鮮やかに読み解く英文学者の小川公代さんは、イギリス文学を補助線に、『源氏』に秘められた現代的な価値を炙り出していきます。社会的な弱者の声なき叫び、出産や育児、無意識、そしてケアなど、千年も前にこんなことが書かれていたのか! と驚愕するはずです。

「第8章 データサイエンスが解き明かす『源氏物語』のことばと表現──本居宣長からChatGPTまで」は、最も最先端な読みと言えるでしょう。AIやテキストマイニングといった、コンピューター技術を駆使して古典を研究されている言語学者の近藤泰弘さんと、文筆家の山本貴光さんによる対談です。コンピューターによる古典研究の方法や、それによって見えてきた『源氏』の新たな魅力までを丁寧に語ってくれます。コンピューターを使った古典研究の入門としても、意義深いお話です。専門的な話も多いですが、サイエンスにも文学にも詳しい山本さんが見事なアシストをしてくれているので、大船に乗ったつもりで、安心して読んでください。

更に、各PARTの間には、これまたバラエティ豊かな書き手による、四つのコラムを設けました。

「コラム① 挫折せずに読み通すには」では、二回も挫折し、三回目にしてやっと『源氏』を読破したという芸人のラランド・ニシダさんが、実体験をもとに、読み通す極意を正直に綴ってくれています。これから『源氏』を読み通そうと腕まくりしている方にはヒントが満載だし、日本古典に苦手意識を持つ者が仲直りするまでの刺激的なエッセイとしても楽しんでもらえるはずです。

「コラム② 夕顔物語」の筆者である作家・宮田愛萌さんは、『万葉集』を愛読する生粋の日本古典好き。そんな宮田さんの文章からは『源氏』が格式高い古典であることなんて全く感じず、ただ魅力的な物語として楽しんでいる様子が伝わってきます。それでいながら多層的な読解に、物語を批評する醍醐味も感じられるでしょう。

「コラム③ 源氏物語変奏曲」を執筆したのは、理論物理学者で、気品のあるエッセイでも知られる全卓樹さん。『源氏』にインスパイアされた流麗な物語(随筆)でありながら、ヨーロッパ文学との共鳴を辿る見事な試論に仕上がっています。時代も国も言語も超えて、人と作品とが出会い、そこから更なる作品が生まれる。太古から続く、言葉のバトンの最先端がここにあります。

「コラム④ 人はなぜ物語を必要とするのか」は、2020年に『源氏』の現代語訳を成し遂げた、作家の角田光代さんによる文章です。『源氏』を中心に、私たちが物語というものを読む意義はどこにあるのかを、丹念に、そして明快に語っていただきました。本書では、読者のあなたも含めた、色々な視点で『源氏』を読み解きますが、その意義も考えさせられるような文章です。

最後には、『源氏』や紫式部にゆかりある名所案内「源氏「聖地」めぐり」を掲載しました。『源氏』でどのように描かれているか、どのような謂れのある地なのかといったガイド、そしてイラストレーター・錫杖撫莉華さんによるかわいい京都マップ付きです!
長い歴史を通じ生と死によって彩られた京都やその周辺の地には、様々な魅力や歴史が眠っています。ぜひ本書を片手に、実際に足を運んでみてください!

以上が本書の全体像です。

編者である私自身、みなさんの文章を通して『源氏』の魅力に改めて気付かされました。特に大きいのは、『源氏』が、どこまでも普遍的な心を描いていること。
時に率直に、身体を通して、時に花や虫に託して、心が描かれます。その繊細で奥深い心の描写を読んでいると、無性に涙がこぼれるときがあるのです。
千年も昔のフィクションでありながら、丹念に、色々な知識と経験を持って向き合うことで、人間の尊さと醜さとかけがえなさとずるさと愛おしさと平凡さと優しさと惨めさと欲深さと鋭敏さとどうしようもなさとが、胸に溢れます。

誰かに嫉妬した人、誰かを愛したことがある人、自分の生まれを嘆いたことがある人、自分が才能や容姿に恵まれているが故に苦悩したことがある人、大切な人を喪ったことがある人、そういう人なら必ず『源氏』は響きます。

ぜひ本書で『源氏』の魅力に出会ってください。
補足しておくと、本当にどこから読んでもらっても構いません。
とにかく気になった章から読んでください。
そしてそれと同時に、現代語訳でいいので、『源氏』自体に触れてください。
全部じゃなくて構いません。少しだけでもいいので。
そうすれば、あなたも「みんな」の仲間入り! 『みんなで読む源氏物語』はそのとき本当に完成します。

さあ、『源氏物語』を一緒に楽しみましょう!

参考文献
・三田村雅子『記憶の中の源氏物語』新潮社、2008年


この続きは、ぜひ本書でご確認ください! 電子書籍も同時発売です。

本書目次

まえがき
PART1 『源氏物語』の門前
第1章 『源氏』ってどんな物語?――あらすじと主要人物を一気に知る 渡辺祐真(書評家)
第2章  紫式部とその時代 川村裕子(国文学者)

○コラム① 挫折せずに読み通すには ニシダ(芸人)

PART2 『源氏物語』に親しむために
第3章 日常づかいの和歌・古典 対談:俵万智(歌人)×安田登(能楽師)
第4章 『源氏物語』のヒロインを階級で読む 三宅香帆(書評家)

〇コラム② 夕顔物語 宮田愛萌(作家)

PART3 時代を超える、言語を超える
第5章 現代”小説”としての『源氏物語』――ヘテログロシアの海で 鴻巣友季子(翻訳家)
第6章 謎と喜びに満ちた〈世界文学〉――英語を経由して『源氏物語』を読む効能 鼎談:円城塔(作家)×毬矢まりえ(俳人・評論家)×森山恵(詩人)

〇コラム③ 源氏物語変奏曲 全卓樹(物理学者)

PART4 こんな視点でも読み解ける!
第7章 イギリス文学から考える『源氏物語』――ケア、ピクチャレスク、無意識、コモン・ガール 小川公代(英文学者)
第8章 データサイエンスが解き明かす『源氏物語』のことばと表現――本居宣長からChatGPTまで 対談:近藤泰弘(日本語学者)×山本貴光(文筆家・ゲーム作家)

〇コラム④ 人はなぜ物語を必要とするのか 角田光代(作家)

あとがき ~『源氏』をもっと楽しむためのブックガイド~
付録 源氏「聖地」めぐり
『源氏物語』や紫式部にゆかりのある「聖地」を、その謂れと共に徹底案内。これを手に『源氏物語』の世界に旅立とう! 名所を記したイラストマップ付き。(イラスト:錫杖撫莉華)

書誌概要

『みんなで読む源氏物語』
編者:渡辺祐真
出版社:早川書房(ハヤカワ新書)
発売日:2023年12月19日
本体価格:1,020円(税抜)