イタリア人作家が日本を舞台に東日本大震災後の喪失と希望を描く『天国への電話』(ラウラ・今井・メッシーナ/粒良麻央訳)、6月8日刊行のお知らせ!
早川書房では、6月8日に『天国への電話』を刊行します。イタリア人作家、ラウラ・今井・メッシーナ氏が東京と岩手を舞台に、東日本大震災後を生きる人びとの喪失と希望を描いた物語です。主人公は日本人、日本が舞台でありながら、人口が日本の約半分のイタリアで、8万部超のヒットを記録。映画化も決定し、世界約30カ国での発売も決定しています。そんな話題作の待望の邦訳を担当した、粒良麻央さんによる「訳者あとがき」を公開します。
訳者あとがき
『天国への電話』(イタリア語原題:Quel che affidiamo al vento)は、二〇二〇年に刊行されるや、たちまちベストセラーとなり、作者ラウラ・今井・メッシーナを一躍有名にした小説です。
二〇一八年頃までに書き上げられた本作のプロトタイプには、当初、Telefono al ventoという題がつけられていました。この小説のまさに中心にあり、多くの登場人物を束ねる存在といえる、実在の「風の電話」そのものを用いた題名です。
二〇一九年、イタリアの出版社ピエンメが本作の版権を得、それから原書の刊行に大きく先駆けて、三か国が翻訳出版権を取得します。さらに同年秋、世界最大の書籍見本市であるフランクフルト・ブックフェアにて次なる大ヒットの最有力候補と目されたことにより、国際的にいっそう大きな注目を集めました。
二〇二〇年一月、本書はQuel che affidiamo al vento(直訳:「わたしたちが風に託すもの」)と名を変え、満を持してイタリア本国で発売されました。すると見る間に大反響を呼び、発売からほんの数か月のうちに、イタリアで最も多く読まれ、愛される一冊として国内で幅ひろく認知されることとなったのです。イタリアでは早くから映画化が決定し、二〇二一年には人気イタリア人漫画家による挿画を加えた新版が発行されるなど、作品と作者の人気は今も高まる一方です。翻訳出版がなされた国の数も一気に増え、二〇二二年現在、すでに三十か国以上を数えるとのことです。
この物語がイタリアで爆発的な人気を博し、これほどまでに数多くの国境を越えて、日本に親しみをもつ一部の読者のみならず広範な支持を集めた、その理由は果たして何なのでしょうか。これまでも世界中の愛読者から様々な感想が寄せられていますが、〈喪失と回復〉〈心に受けた傷の治癒〉といった主題の普遍性こそが、読者の関心と共感を呼んだ最大の要素ではないかと訳者は思っています。
物語の舞台は岩手県大槌町。大槌湾を望む鯨山のふもとに、ベルガーディアと名付けられた広大な庭園があります。庭の中心に設置された白い電話ボックスの中には、一台の黒電話。電話線のつながっていないその電話は、声を風にのせ、空の上へ届けます。ベルガーディアでは、大切な誰かを亡くした数多くの人々が、この電話の受話器を取り、天国にいる人たちとつながるのです。
ある年の九月、大槌町は、猛烈な勢力で襲いかかる台風の真っ只中にありました。そこへひとりの女性が遠方から駆けつけ、命がけでベルガーディアの庭園を守ろうと、激しい暴風雨のなか孤軍奮闘します。彼女の名はゆい。二〇一一年三月一一日、あの日を境に、人生が一変した人でした。ゆいのふるさとを押し流した大津波は、母と幼い娘をも呑み込み、彼女から生きる喜びを奪い去ったのでした。
東北での避難所生活を経て、今のゆいは、東京に暮らしながらラジオ局に勤めています。ある日、ゆいはひょんなことから「風の電話」の存在を知り、導かれるようにして大槌町へと赴きます。そして辿り着いたベルガーディアで、ゆいは毅たけしという男性に出会います。ゆいと同じく東京から来ている毅には、まだ幼い娘がいるのですが……。
ゆいはこの後、風の電話への訪問をきっかけに多くの人に出会うことになります。毅とその家族、ガーデンの管理人である鈴木さん、地元の漁師の息子シオ、まだ高校生の啓太。登場人物の年齢や背景は様々に異なりますが、それぞれが、今は亡き大切な人への想いやわだかまりを胸に、風の電話と、そこで起こる出会いを通じてみずからと向き合ってゆくのです。
台風のなかの風の電話というドラマチックなシーンで始まる物語の扉をあけると、各章のあいだに断章風のページが置かれていることに気がつきます。直前の章から少しだけ切り取ったような日常の細部。ゆいの心覚えと周囲の観察、生活のメモ、いくつもの思い出。それは物語を読み進めるための短い休息時間のようでもあり、重い主題を広げるテクストの生地に細やかにほどこされた針仕事のようでもあり、本書の特徴をなしています。
それから、最大の魅力ともいえるのが、語りの言葉そのものの美しさです。作者の文章のもつ詩情は、風の電話を抱く庭園の情景と見事に調和しています。もしかするとそういう点にも、本書の人気の秘密が見出せるかもしれません。
ところで、この作品を読み返すたび、ここに描かれる日本には一種独特の趣があると感じます。実在する場所、よく見知った場所が登場し、日本に暮らす者からすれば「生活感あふれる」事物の数々が、ありのまま物語に織り込まれているにもかかわらず、ここに描かれる世界はなぜか不思議とこの日本であってそうでないような、まるでこの世のどこにもない場所とか、時空の狭間にある世界のように映るのです。それは主題のもつ普遍性、国境を越えた作者の感性から来るのでしょうか。
初めに記したとおり、本書はすでに三十か国以上で翻訳されています。海外の読者の反応をみると、面白いことに、彼らはまるで水の中の水のように違和感なく、この物語を受け入れ、文化的な異質性を感じていないようなのです。日本の物語であるのに。
昨今では、海外出身の作家が日本を舞台に小説を書いたり、日本語で詩を編んだりすことが稀ではなくなっています。では、ラウラのこの作品の場合は? 日本人の家族をもち、日本語も堪能な書き手が母国語のイタリア語で書いた作品。舞台は現代日本と震災後の東北。主な登場人物はすべて日本人です。それでいて、この小説にはやはり独特のエキゾチシズムが漂っている。もちろん、一見してわかるような、安直な異国趣味などでは全くありません。作者のまなざしは真摯で知的好奇心に満ちたものであり、観察対象を内側から見つめる視線であることは明白です。
私見ですが、こうした不思議な感覚は、登場人物たちが巡らせる思考や、彼らによって語られる記憶の内に、西洋文化を背景にもつ人ならではの教養や思考や体験が、ひそやかな通奏低音として流れているからではないか──そんな気がしています。登場人物のシオに託された〈キリスト教〉も、おそらく重要な手がかりのひとつでしょう。
訳者は中学・高校時代をミッションスクールで過ごし、十代の頃にはキリスト教の教えに触れる機会が数多くありました。といっても訳者の場合、考えれば考えるほど聖書の言葉に矛盾を感じる、どうしても納得がいかないことがしばしばあったため、どちらかというと反発を感じていたものです。けれども、そのためにいっそう、それ以降も神とは何か考え続け、高校の最終学年に上がる頃、当時の自分なりの考えがまとまりました。「神とは、目には見えなくても常にわたしたちの周囲にあり、自らの内にわたしたちを抱え込みながら、留まることなくつねに流れ続ける、そんな大気のような何かなのではないか」細かい表現は忘れましたが、そんなことを書いた日があったなと、本書のなかの聖書と風の描写を読んでふと思い出しました。
さて、日本の読者の方々にはこの作品がどう見えるでしょうか。もし日本の読者に特別な立場があるとしたら、あるいは日本の読者から新しい視点がもたらされるなら、果たしてどんなものになるか。新たな展開に期待して待ちたいと思います。
二〇二〇年のイタリア読書界を席巻し、著者にとっての出世作となったこの素敵な作品を翻訳する機会をいただけたことは、訳者にとって大きな喜びであり、名誉です。
この作品が、ここ日本でも多くの方々に届くことを願っています。
二〇二二年五月
ラウラ・今井・メッシーナ(Laura Imai Messina)
イタリア、ローマ生まれ。23歳で東京に移住。国際基督教大学で文学修士号を取得し、東京外国語大学で文学の博士課程を修了した。2014年、Tokyo Orizzontale(東京オリゾンターレ)を発表し、作家デビュー。その他の作品に、Non oso dire la gioia(喜びとは呼べない)、Tōkyō tutto l'anno, Le vite nascoste dei colori(東京の丸一年、大都会の感情旅行記)などがある。NHKラジオのテキスト「まいにちイタリア語」にも、「長靴の中をのぞいてみたら」というエッセイを今年から寄稿している。現在、都内の複数の大学で教鞭を執る。2020年にイタリアで刊行された本作『風の電話』は、イタリアで8万部超のベストセラーになり、30か国での刊行が決定している。