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40歳、人生の危機にぶち当たる。たどり着いたのは、女性だけが住む「部屋」だった――『彼女たちの部屋』(レティシア・コロンバニ)試し読み

フランスで120万部を突破した小説『三つ編み』。その著者レティシア・コロンバニの最新作『彼女たちの部屋』の一部を無料公開中です。
人生の危機に直面した弁護士は、その部屋で初めて居場所を知った――。勇気とやさしさに満ちた感動作。

【書影】彼女たちの部屋_下版

『彼女たちの部屋』レティシア・コロンバニ/齋藤可津子訳/
早川書房/2020年6月18日発売

◎本書への賛辞

「この苦難の時代にこそ読んでほしい、シスターフッドと希望の書」――ブレイディみかこ氏(保育士・ライター・コラムニスト)

◎書評・メディア露出

◎著者インタビューが大反響!
15年間路上で生活していた女性、女性器切除慣習のギニアから来た母娘……パリの「女性会館」にいる様々な女性たち」(週刊文春2020年8月6日号)
苦闘する女性の群像、力強く鮮やかに」(産経新聞2020年8月5日)

éclat(2020年9月号)書評(斎藤美奈子氏・文芸評論家)
週刊新潮(2020年8月13日号)書評(中江有里氏・俳優、作家)
PEN(2020年8月7日)書評(今泉愛子氏・ライター)
小説宝石(2020年8・9月号)書評(三浦天紗子氏・ライター、ブックカウンセラー)
朝日新聞(2020年7月25日)書評(大矢博子氏・書評家)
東京新聞(2020年7月18日)書評(師岡カリーマ氏・文筆家)
クレヨンハウス通信(2020年8月号)Woman's EYE
東京新聞(2020年7月11日)3冊の本棚(酒井順子氏・エッセイスト)
毎日新聞(2020年6月24日)文芸時評(山本昭宏氏・神戸市外大准教授)
BRUTUS(2020年6/15号No.917)書評

受賞
第12回新井見枝香賞、受賞!(『三つ編み』につづいて2度目の受賞)

***


地面が凍りついている。
うつ伏せの額を石につけ、両腕をのばし、十字になってそう思う。
いま、この場所を終ついの棲み処にした。
永遠の誓いを述べる。私は決めた。
この壁にかこまれて一生を送る。
よりよく世界にかかわるために身を引くことにした。
世界から遠く離れたまま中心にいる。

活気ある下町にいるよりも役立っていると感じている。
ときの流れがとまったこの修道院で、
目を閉じ、祈りを唱えている。

祈りを必要とする人のために、
人生に傷つき、蝕むしばまれ、
道端に打ち棄てられた人のため、
凍え、腹をすかせた人のため、
夢も希望も失った人のため、
もはや何も持たない人のために、私は祈る。

石壁のなかで、
庭園や菜園で、
冬は凍てつくチャペルで、
あたえられたこのちいさな部屋で、祈りを捧げる。

この世をとおりすぎて行くあなた、
歌い踊りつづけなさい。
私はここに、沈黙と影のなかにいる。
そして祈る、
あなたが喧騒のなかで万が一、倒れても、
やさしく力づよい手が、
友好の手がさしのべられ、
あなたの手を取り立ちあがらせ
裁くことなく、
人生の大旋風へと送り返し、
あなたが踊りつづけられるように。

19世紀、十字架の娘修道院、無名修道女


1

現代、パリ

すべてが一瞬だった。ソレーヌはアルテュール・サンクレールと法廷を出たところだった。裁判官の判決にもあの辛辣な態度にも納得がいかないと言おうとしていた。その時間はなかった。

サンクレールは強化ガラスの手すりに駆け寄り、足をかけた。

飛び降りたのは、裁判所7階の吹き抜けに面した通路からだった。

永遠につづくかにみえた数秒間、からだは宙にあった。そして25メートル下へ墜落していった。

そのあとどうなったか、ソレーヌは憶えていない。さまざまなイメージが入り乱れ、スローモーションであらわれる。さすがに叫んだはず、そして気を失った。

目覚めたのは白い壁の部屋だった。

医師の宣告は燃え尽き症候群。はじめ、自分のことかクライアントのことか、わからなかった。それから話の糸がつながってきた。

アルテュール・サンクレールとは長いつき合いで、有力な実業家の彼は脱税の罪に問われていた。クライアントの生活は熟知していた。複数回の結婚と離婚、恋人たち、前妻と子供たちのために振り込む養育費、外国から持ち帰るプレゼント。サントゥ゠マクシムにある別荘にも、経営する企業の豪華なオフィスにも、パリ七区にある広壮なアパルトマンにも行ったことがあった。他人にできない相談も秘密も打ち明けられていた。ソレーヌは何か月もまえから周到に訴訟準備をすすめ、夜もバカンスも祝日もつぎ込んできた。彼女は優秀な弁護士、まじめで勤勉、完璧主義者。その敏腕ぶりは勤務する有名法律事務所で誰からも認められ、一目おかれていた。番狂わせの判決はある。それは誰でも知っている。だがソレーヌにとってこの判決は予想外だった。検察側の求刑どおり、懲役と数百万ユーロにおよぶ損害賠償の判決が下された。一生をかける償い。不名誉、世間の風あたり。サンクレールには耐えられなかった。

新築のパリ裁判所(パレ・ドゥ・ジュスティス)の巨大な吹き抜けに身を投げるほうがましだった。

こればかりは建築家らも想定していなかった。技術の粋を尽くした洗練された建築、「光とガラスの宮殿(パレ)」という構想のもと、あらゆるテロ攻撃に耐えうる堅固なファサードが採用され、出入口にはセキュリティ・ゲートと検知機器、各所にカメラが設置された。最新鋭のインターフォン、モニタ、電子制御ドア、闖入者の探知ポイントはそこかしこにあった。プロジェクト担当者らは、裁くのも裁かれるのも人間で、後者はときに破れかぶれになっているという事実を忘れていた。いくつもの法廷が入る7階建てビルは、5000平方メートルの中庭を擁している。高さ28メートルの吹き抜け、目が眩みそうな空間。断罪されたばかりの者が妙な考えを起こしてもおかしくない。

刑務所では自殺を未然に防ぐため、厳重に予防線が張られている。だがここは違う。通路の側面には簡単な手すりがあるばかり。サンクレールはこれをまたいで飛び降りるのに、一歩踏み出すだけでよかった。

あの光景がソレーヌの目に焼きついて、どうしても忘れられない。裁判所の大理石のゆかで関節が変な具合に曲がったクライアントの遺体が目に浮かぶ。彼の家族、子供たち、友人たち、彼のもとで働いていた人々のことを思う。最後に話し、そばについていたのは自分だ。罪悪感に襲われる。どこで間違えたのか? 何か言うべきだったのか? 何かすべきだったのか? 最悪の事態が予想できなかったのか? アルテュール・サンクレールがどんな人物かはよく知っていた、が、あの行為は謎のままだ。ソレーヌには意気消沈も絶望も読み取れず、爆発寸前の爆弾にもみえなかった。

ショックが引き金となって彼女自身が爆発した。ソレーヌもまた倒れた。白い壁の病室でカーテンを閉めきったまま何日も起きあがれない。光に耐えられない。ほんの些細な身動きもできそうにない。法律事務所から花が、同僚たちからは励ましのメッセージが届いても、それを読むことすらできない。立ち往生。路上でガス欠した車のように、40歳にしての立ち往生。

燃え尽き・症候群(バーンアウト)。英語だと軽く、かっこよく聞こえる。鬱より響きがいい。はじめ、ソレーヌはありえないと思う。自分のことじゃない、違う、関係ない。雑誌で体験談がもちきりの、あのもろい人たちとは似ても似つかない。むかしからしっかり者で活動的だった。ちょっとやそっとのことではへこたれない、とすくなくとも自分では思っていた。

過労はよくみられる問題なんです、と精神科医は落ち着いた声で言う。その口から出る学術用語をよくのみ込めないまま聞いている。セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン、そして耳をふさぎたくなる言葉、抗不安薬、精神安定剤、抗鬱剤。眠るために夜、起きあがるために朝、服用する薬を処方される。生きるのをあと押ししてくれる錠剤。

すべてが順調だったのに。富裕層の住む郊外で生まれたソレーヌは、子供のころから頭がよく感受性豊かでまじめ、将来を楽しみにされていた。ともに法学者の両親と妹にかこまれて育った。学業では挫折を知らず、22歳で弁護士資格を取得、パリの有名法律事務所に就職した。ここまで何も言うことはない。もちろん仕事は山積み、訴訟のため週末も夜もバカンスもおあずけ、睡眠不足、審問のリハーサル、ミーティングに会議、走り出したらとまらない特急列車のような生活。もちろん、ジェレミーのこともある。誰よりも愛する人。どうしても忘れられない人。子供を欲しがらず、身を固めるのを嫌がった。はっきりそう言われ、それが自分に合っていると思っていた。ソレーヌは母になるのを夢見るタイプではなかった。疲れきった腕でベビーカーを操る、歩道でよく見かける若い母親に、将来の自分をかさねはしなかった。母になるよろこびは、はつらつと主婦業をこなしているらしい妹にまかせていた。ソレーヌには自由が手放せない──すくなくとも自分ではそう言っていた。ジェレミーにも彼女にも、それぞれの生活があった。ふたりは現代的カップル──愛し合っていても依存しない。

破局を、ソレーヌは予期していなかった。墜落の衝撃はすさまじかった。

数週間の療養後、ようやく白い壁の病室を出て庭園を歩けるようになる。ベンチの隣りにすわる精神科医は子供を褒めるように、快方に向かっていることを讃たたえる。薬をつづけるなら、もうすぐ自宅にもどれるだろうと言う。ソレーヌは無感動にそれを聞く。目的も予定もなく一人暮らしの部屋にもどりたくない。

たしかにアパルトマンは瀟洒な界隈のエレガントな2LDKだが、冷たくがらんとしているようにみえる。クローゼットにはジェレミーが忘れていったカシミアセーターがあって、ひそかに着ている。戸棚にあるポテトチップスの袋は、彼の大好物だった人工的な味のアメリカ製で、なぜかいまでもスーパーで買っている。ポテトチップスなどソレーヌは食べない。一緒に映画やテレビ番組を見るとき、カサカサいう音がいちいち気に障ったものだ。いま、あの音を聞けるならなんだってさしだすだろう。ソファの隣りでジェレミーが立てるポテトチップスの音。

法律事務所にはもどらない。わがままではない。裁判所に入ることを考えただけで吐き気がする。しばらくはあの界隈にも近寄らないだろう。辞職する、正式な用語では休職あつかいにしてもらう──復帰の可能性をにおわせる穏当な用語。復帰など、しかし論外だ。

ソレーヌは療養所を出るのが怖い、と精神科医に話す。仕事も時間割も会議も、やるべきことが何もない生活がどんなものか見当もつかない。何かにつなぎとめられていないと漂流してしまいそう。これにたいして医師が言う。ほかの人のために何かしてみませんか、ボランティアとか?……。ソレーヌは意表を突かれる。彼女はいま、存在意義を喪失しているのだ、と医師はつづける。自分の殻を破って、ほかの人に目を向け、朝起きあがる理由を見つけなければ。何かのため、誰かのために役立っていると実感すべきです。

薬とボランティア活動、そんなアドヴァイスしかできないの? 医学部で11年間も何をしてきたの? ソレーヌは困惑する。ボランティア活動が悪いわけではないが、自分がマザー・テレサのような魂の持ち主でないのはわかっている。病みあがりの自分に誰を助けられるというのか?

だが精神科医はこだわっているようだ。試してみてください、と退院の書類にサインしながら、なおも勧められる。

帰宅したソレーヌは何日もソファで寝てすごし、雑誌をぱらぱらめくっては、すぐに買ったことを後悔する。家族や友人の電話や訪問にも気が晴れない。何にも興味がわかず、会話をする気も起こらない。うんざりしている。アパルトマンのなかでうろうろし、寝室とリビングを行ったり来たりする。ときどき近くの食料品店まで行き、薬局に寄って錠剤を補充してからアパルトマンにもどって寝る。

ある退屈な──とはいえ、いまではつねに退屈な──昼下がり、コンピュータのまえにすわる。最新のMacBookは40歳の誕生日、燃え尽き症候群の直前に同僚たちからプレゼントされ、あまりつかっていない。ボランティア……。どうせすることもないし。検索してたどり着いたパリ市役所のサイトには、さまざまな団体の公募がリストアップされている。ドメイン名に驚く──jemengage.fr(奉仕活動する)。「ワンクリックで奉仕活動!」とホームページは謳っている。質問がある──どこで支援したいですか? いつ? どのように? ソレーヌには皆目わからない。メニューをひらくとミッション別の見出しが並ぶ──文字の読めない人のための読み書き教室、アルツハイマー患者の家庭訪問、救援食糧の自転車配送、路上生活者のための夜まわり、過剰債務家庭支援アドヴァイザー、恵まれない環境の子供たちへの学習支援、市民討論会の世話役、迷い動物の救護、外国人移住者の支援、長期失業者の後援、無料給食の配布、老人ホームでの講演者、病院でのイベント司会者、刑務所訪問、古着バンクの管理人、障害のある高校生のチューター、SOS友情ダイヤルの電話対応、応急手当講座インストラクター……。守護天使というミッションまである。ソレーヌの頬がゆるむ──自分の守護天使はどこへ行ってしまったのか。高く飛びあがりすぎて迷子になってしまったのだろう。おびただしい数の公募に圧倒され、検索をやめる。どの目的も貴く、擁護されるだけの価値がある。ひとつ選ぶと考えただけで思考がとまってしまう。

時間、それが各団体のもとめるもの。一秒も無駄にできない社会で、あたえるのがいちばん難しいものかもしれない。他人のために時間を割く、それが真の奉仕活動。時間ならソレーヌにはある、が、エネルギーが枯渇している。一歩踏み出す用意がない。手間はかかるしエネルギーもいる。お金を寄付したほうがいい──面倒がない。

投げ出すなんて卑怯だと心のどこかで感じている。MacBookは閉じてソファにもどって眠ろう。1時間か、1か月か、1年か。薬でぼうっとなって、もう何も考えない。

その瞬間、目に入る。下のほうにちいさな募集記事。気づいていなかった言葉。


「代書人求む」

公募を読むソレーヌに不思議な震えがはしる。代書人(エクリヴァン・ピュブリック)。言葉とともに、どっと思い出がよみがえる。

弁護士は本当にやりたい職業ではなかった。ソレーヌは想像力あふれる子供だった。ティーンエイジャーのころはフランス語の能力が抜群だった。教師たちは口をそろえて才能があると言った。飽きもせず詩や短い物語をつくってはノートに書きつけていた。ひそかに作家(エクリヴァン)を夢見ていた。ヴァージニアよろしく「自分ひとりの部屋」で、コレットのように猫を膝にのせ、日々机に向かう自分を思い描いていた。

両親に展望を明かしたとき、反応はまるでかんばしくなかった。ふたりとも法学教授で、レールからはずれた特殊な道、よくわからない芸術系の職業には不審の目を向けていた。社会に認められる堅実な職業を選ばなければ。それが重要なことだった。

堅実な職業。幸せになれるかどうかの問題ではない。

本では食べていけない。ヘミングウェイならともかく、だけど……、父は言いかけてやめた。ソレーヌは宙吊りになったものの意味を察した。不確かすぎると言いたかったのだ。才能があるかどうか。才能があっても、それで十分とはかぎらない。自分の力ではどうにもならない、危惧するしかないあまりに多くのことに左右される。あきらめなさい、と言いたかったのだ。夢みたいなことを考えるのはやめなさい。

それより法律をやりなさい、と父はつづけた。書くのはいつだって趣味でできる。だからソレーヌは夢を、膝の猫やヴァージニアの小説と一緒にぐっとのみ込んだ。けなげな兵士として隊列にもどった。両親は娘が弁護士になることを望んでいた。その希望をかなえよう。自分の計画はやめて両親のそれを実現しよう。法律をやればすべてに道がひらける、と母も口をそろえた。嘘だった。法律はどこへも導いてくれない。袋小路だ。たどり着いたのは白い壁の病室、そこでソレーヌは法律に捧げた長い年月を忘れようとしている。見舞いに来た両親は、どうして娘がこんなことになったのか、まったくわからないと言う。有名な法律事務所に就職して、立派なアパルトマンもあって、なんの不足もないのに……。それが何? とソレーヌは苦々しく思う。自分の人生はまるでモデルルーム。見ばえはしても本質が欠けている。空っぽだ。マリリン・モンローの印象的な言葉を思い出す──「キャリアは結構だけど、それが夜、足をあっためてくれるわけじゃない」。ソレーヌの足は凍りついている。心も。

子供時代の夢を忘れるのはたやすい、考えなければいい。ヴェールで覆うのだ、長く家を空けるとき家具にカバーをかけるように。就職当初、ソレーヌは仕事のかたわら暇をみては書きつづけた。だが文章を書くのは間遠になる。過密スケジュールに押され、言葉たちは行き場を失う。弁護士業は手の抜けない職業、ソレーヌも手を抜けない人間だ。有給休暇、バカンス、週末、夜は仕事にすこしずつ食いつぶされていく。どうしても満腹しない世話の焼けるモンスターに、友人との外出や余暇をむさぼり食われていく。恋愛も。恋人は何人かいたけれど、いつもしまいには音をあげて逃げ出していく。夜は仕事漬け、ディナーは法律事務所の急用でお流れ、バカンスは直前にキャンセル、そんなことがかさなっては恋愛の出る幕はない。それでもソレーヌは強行軍をつづける。悲しみにくれている暇はない、泣きごとを言っている暇はない。

ジェレミーと出会うまでは。

彼は教養があって機知に富む魅力的な弁護士で、パリ弁護士会の会長選挙で知り合った。同業者と思うとソレーヌは安心できた。ジェレミーとは価値観が同じで理解してもらえる、と思っていた。だが、女友達には警告されていた──「カップルに弁護士がふたりいたら、ひとりはよけい」。そのとおりだった。ジェレミーは、彼女ほど優秀ではないが、もっと時間のある女性のもとへ去っていった。ソレーヌが訴訟準備のせいで一緒に行けなかった夕食会で出会った女性だった。

「代書人」。強烈な言葉。時限爆弾だ。公募の見出しをまえにソレーヌはしばらくのあいだ身じろぎもしない。リンクをひらくと「連帯の羽根(ペン)協会」という団体のサイトがあらわれる。ホームページには代書人の役割が詳しく書かれている──依頼に応じて文書作成のサポートをする書き言葉によるコミュニケーションのプロ。文書の性質は私信から事務的書状まで多岐にわたる。もとめられる能力──柔軟性。構文法、綴つづり、文法をマスターしていること。自在に文章を執筆できること。行政手続きに関する知識。インターネットと文書作成ソフトを使いこなせること。法律と経済の学習経験があれば尚良い。

能力ならソレーヌにはある。公募の要件はすべて満たしている。大学時代、教員たちからは流れるような文体や豊富な語彙を褒められたものだ。法律事務所では同僚が意見陳述の草稿を書く際に相談に来ることもめずらしくなかった。書くの巧いね、とよく言われた。

自分の言葉を必要とする人のために役立てる、というアイディアには惹かれる。自分にはできる。そう、できる。

最後に、人の話に耳を傾ける能力、とある。クライアントと接するなかで、ソレーヌは身を引いて相手に意中を吐露させる術を身につけた。よい弁護士とは心理カウンセラーであり、信頼できる相談相手である。たくさんの告白、口が裂けても言えなかった秘密に耳を傾け、涙を拭いてやった。素質はある。なんでも腹を割って話せる人がいるものだが、彼女もそのひとりだ。

自分の殻を破らなければ、何かのため、誰かのために役立っていると実感すべきです、と精神科医は言っていた。よく考えずソレーヌは「問い合わせ」ボタンをクリックする。メッセージを書いて送信する。どのみち、ソファにのびて衰弱していくよりはまし。それに「連帯の羽根協会」はすてきな名前、試すだけなら失うものはない。

翌朝、協会の責任者から電話がくる。レオナールという男性。電話の声ははきはきして朗らかだ。その日のうちに十二区にある事務所に面接に来ませんかと言う。とっさのことに、ソレーヌは承諾し住所を書きとめる。

見苦しくない服装をしなければ。ここしばらく、ずるずるとスウェットパンツですごし、近くの食料品店へ行くときはレギンスにジェレミーの古びたセーターといういでたちだった。外に出るのが億おっくう劫だ。やっぱり行くのはやめようか。中心地から離れた地区まで地下鉄に乗るのが気が重い。質問にきちんと答えられるか、会話がもつのか心もとない。

だが電話の声は感じがよかった。だからソレーヌは錠剤を飲み、指定された住所へ行く。ぱっとしない場所だ。袋小路の奥の老朽化したビル。入口のドアがなかなかあけられない──インターフォンは故障中、とビルから出てきた住人が教えてくれる。エレベータも。ソレーヌは階段をのぼり、6階の「連帯の羽根協会」本部にたどり着く。40代の男性に両手を広げて歓迎される。会えたのが嬉しそうで、「協会の事務局」と誇らしげに言って招じ入れられたのは、ありえないほど散らかったせせこましい事務所。ソレーヌは整然とした自分のアパルトマンを思い、どうしてこんなごった返した場所で仕事ができるのだろうと首をかしげる。レオナールが椅子に積まれた手紙の山をどかし、すわる場所をつくってくれる。コーヒーを勧められ、ソレーヌはなぜか受け入れる──ふだんコーヒーは飲まない、紅茶にする。液体は苦く冷めている。礼儀上、無理に飲み込みながら、次は断ろう、とひそかに思う。

レオナールはメガネをかけて履歴書に目をとおし、驚いた表情を浮かべる。正直なところ面接に来るのは暇をもてあました退職者で、有名法律事務所の弁護士さんではないもので、と言われる。ここに来ることになったいきさつについて、ソレーヌはよけいなことを言わない。鬱のことも燃え尽き症候群のことも、人生を一変させられたアルテュール・サンクレールの死のことも話さない。転職を考えていると言う。本心を打ち明けるなど問題外、会ったばかりのこの人に、どんなかたちであれプライヴェートな話をするなど論外だ。そのために来たのではない。レオナールが履歴書を読み終えるまで、後ろの壁に貼られた子供の絵を観察する。そのうちのひとつには「je teme(たいすき)」とぎこちない字で書かれている。粘土の手づくり恐竜がデスクの真んなかに鎮座し、文鎮がわりになっている。これはデルタドロメウス、とレオナールが教えてくれる。ティラノサウルスに似てるけど、前脚がずっと細いんです。よく混同される。ソレーヌはうなずく。つまり実生活とはこういうもの──小難しい恐竜の名前に詳しくなって、綴りの間違った愛情の言葉をため込むこと。

レオナールは履歴書を返してよこしながら学歴とキャリアを讃える。完璧なプロフィール! 協会にとって願ってもない人材! いつから始められます? ソレーヌは一瞬たじろぐ。こんな簡潔な採用面接は初めてだ。法律事務所の求人に応募したとき、採用試験はいくつも段階を踏んだのを思い出す。長く消耗するプロセス。もちろん、そこまでの厳しさは予想していなかったが、せめて経験くらいは訊かれると思っていた。ボランティア要員が足りないんです、とレオナールが白状する。最近うちの退職者が二人亡くなってしまって。ぞっとしない話だと気づいて笑い出す。協会のメンバーになったからといってすぐ死ぬわけじゃないですよ。生きのびる人もいる、ときにはね。ソレーヌはつられて微笑む。レオナールは行きすぎのところがあるが、嫌な感じはしない。エネルギーがつたわってくる。ふつう採用者には二日間の研修をしてもらうが、ことソレーヌに関してはよけいだろう、とも言われる。必要以上の学歴があるし、難なく仕事をこなせるだろう。事務的な書状を書いたり、書類に必要事項を記入したり、依頼者に助言し、付き添い、導くことができるだろう。

レオナールはデスクにうずたかく積まれた紙をのぞき込んで紙片を抜き取る──乱雑にみえても、どの書類がどこにあるかは正確にわかっている、と言う。お願いしたいのは女性向け施設でのミッション。いろいろな理由で困窮する女性たちが住んでいるから、毎週一時間の出張サービスで文書作成の手助けをしてほしい。

ソレーヌは一瞬こわばる。女性向け施設、と思うと引いてしまう。区役所のような官公庁に派遣されると思っていた。施設といえば貧困、先行きの不安──対峙する用意ができていない。県庁などなら言うことないのだけど……。レオナールは首を横にふる、その手の仕事は何もない。また紙の山に頭を突っ込んで別の派遣先の用紙を二枚引き抜く。パリから遠い郊外にある刑務所……と、末期患者のためのホスピス。ソレーヌは愕然とする。刑務所なら弁護士としてかよっていた、ノー・サンキュー、もう十分尽くした。ホスピスのほうは……。おそらく鬱を脱け出そうとしている者にぴったりの選択ではない。ふいに逃げ出したくなる。こんなところでいったい何をしているのか、わからなくなる。何を血迷ってこんな場末のいかがわしい事務所に来てしまったのか? 何を期待していたのか?

レオナールが固唾をのんで待っている。目に希望があふれ、ほろりとさせられるくらいだ。判決を待つ被告人のように待っている。嫌だ、と言い出せない。ここまで来て、6階まで階段をのぼり、人生でいちばん不味いコーヒーを飲み下した。先月はベッドから起きあがることもできなかった。努力しなければ、まえに進まなければ。

わかりました、と思わず口にする。施設にします。

レオナールの顔がぱっと輝く、分厚いメガネの奥で電気がついたみたいだ。はしゃいだ様子は、思いがけないプレゼントをもらった子供のよう。施設の館長に連絡しておきます! 館長がソレーヌを迎えてくれるでしょう。申し訳ないが初回に付き添えない──彼自身、恵まれない地区の出張サービスを三つかけもちしていてからだがあかない。だけど、きっと大丈夫! 何かあったら電話をくれればいい……。協会のパンフレットの裏に携帯電話の番号を書きつける──名刺がない、注文しなくちゃいけないんだけど。そう言って立ちあがると、ソレーヌをドアまで送り、幸運を祈って踊り場へ突き放す。

ソレーヌは文句を言う暇もない。無理強いされたような嫌な気分で帰宅する。言いなりになるにもほどがある。代書人(エクリヴァン・ピュブリック)、言葉はすてき。現実はそうでもなさそうだ。言葉に引っかかってしまった。警戒していなかった。

精神科医から処方された錠剤をたくさん飲んでベッドに入る。

たぶん、まだこれからでもやめると言える、そう考えてから意識が薄らぐ。

(中略)

4

現代、パリ

電話一本ですべてなかったことにできる。ソレーヌはレオナールに電話で断ろうとする。考えなおした、やはり法律事務所のフルタイムの仕事に復帰する、と言おう。嘘ならつける──何年もこなした本職だ。だがためらう。それは居心地のよいところにとどまって、易きに流れることではないか? アパルトマンを眺める。ちりひとつないこの無機的な金の鳥かごで自分は生気を失っている。もしかして決められた道から無理にでも遠くへ連れ出してもらう必要があるのではないか? ずっと他人が決めた道を歩いてきた。いい加減、もう道をはずれていいのではないか?

困窮女性のための施設。そんな場所に入ったことはない。どんな人がいるかわかったものではない。非行少女、ホームレス、つまはじき者、家庭内暴力の被害者、セックスワーカー……。対峙するつよさがあるのか心もとない。貧困とは無縁の守られた環境で育った。法律事務所のクライアントは金融界の大物たちだった。なるほど悪党だが、高級仕立てリのスーツに身をつつむ。不幸を、本物の不幸を知らずにきた。それは新聞やテレビのドキュメンタリー番組で見るもの。遠く、安全地帯からバリアを隔てて観察するもの。メディアでよく取り沙汰される「先行きの不安」という言葉はもちろん知っていても現実に触れたことはない。唯一身近な貧困といえば、パン屋の店先で小銭かパンをもとめて手をのばす、あの若い女性ホームレスだけ。雨の日も雪の日も風の日も、コップをまえにすわっている。ソレーヌは毎朝見かける。足をとめたことはない。軽蔑でも無関心でもなく、習慣のようなもの。貧困は風景の一部なのだ。許容され、不変の要素として都市の景観をなしている。小銭をあげようがあげまいが、ホームレスは翌日もそこにいるのだから、どうなるというのだ? 個人的責任は集団になると薄められる。科学的に証明された事実──誰かが襲われたとき、その場にいる人が多ければ多いほど、行動に出る人はすくなくなる。貧困も同じ。ソレーヌがエゴイストなのではなく、多忙なその他おおぜい同様にわき目もふらず首都を闊歩する。ことわざにもある、各人は自分のために、神は万人のために──神がいればの話だが。

薬のかいもなく夜は眠れない。施設の館長から、あした面接に来てほしいと言われた。辞退するための言い訳をありったけ考えたあと、ソレーヌは決心する。行こう。行くだけ行ってみる。それであまりに陰鬱で気が滅入るところなら、レオナールに電話で断ればいい。いずれにしても療養中の身なのだ。ボランティアは一種のセラピーであって、罰ではないはず。

いつもの癖で約束の時間よりだいぶ早く着く。法律事務所時代に身についた習慣。時間厳守は礼儀の極み。格言にはいつも律儀にしたがってきた。聞き分けのよい優等生なのがうんざりする。すっぽかしてしまいたい。施設に顔を出さず、言い訳もせず、人生いちどくらい下品で無作法な態度をとってみたい。そして、しゃあしゃあとしていたい。

もちろん、そんなことはしない。近くのカフェに入り、紅茶を注文する──朝は食べていない。何も喉をとおらなかった。周りを眺めるうち、そこが2015年11月13日のテロの惨劇で有名になった飲食店のひとつ「ラ・ベレキップ」だと気づく(パリ近郊のサッカー競技場付近とパリ市内のコンサートホール「バタクラン」および周辺で起きた爆弾と銃撃によるテロ事件、死者数合計131名。イスラム国グループが犯行声明)。ここで多くの人がテロリストに虐殺された。死者二十名。自分と同じようにすわってお茶かお酒を飲んでいる最中だった。そう考えてソレーヌはぞっとする。店主、客、常連のことを考える。どうしたら毎朝起きあがれるのか? どうやって生きつづけられるのか? テラス席の客の顔、表情を見つめる。不思議と親近感をおぼえてくる。彼らももろく不安定なのだろうか? 再び生活を楽しみ、屈託なくのんきな気分になることもあるのだろうか? それとも、そんな感情は永遠になくしてしまったのだろうか? ソレーヌは将来のことを考える。この先どうなるのだろう? そもそも自分に未来があるのだろうか? 漠然として見当もつかない。ボランティア活動を何回かして、そのあとは? そう考えると眩暈がする。しばらくは貯金で生活できる。せめてもの救い。

行かなくては。ソレーヌはカウンターに代金をおき、道路をわたって巨大な建物のまえに出る。予想をはるかに超える大きさ──袋小路の奥のうらぶれたビルを想像していた。六階建てが交差点に面してそびえている。堂々たるアーチ型の門の上部には装飾がほどこされている。ファサードに銅の銘板がふたつ。ソレーヌは近寄ってみる。創建が二十世紀初頭。歴史的重要建造物に登録され、名称は「女性会館(パレ・ドゥ・ラ・ファム)」。変わったネーミング。イメージされるのはなにか豪奢な、女王が住むような宮殿(パレ)。困窮女性の施設ではない。

ソレーヌは正面階段をのぼる。居住者専用ドアがある。もうひとつドアがあって呼び鈴には「来賓用」とある。ソレーヌはボタンを押し、会館に足を踏み入れる。

合成樹脂の大きなカウンターの受付で、若い女性が忙しく立ち働いている。ソレーヌはすわって待つよう椅子を勧められる。かたわらの肘掛け椅子では買い物袋にかこまれて女性が居眠りしている。周囲の物音をよそに熟睡している。まるで千年の旅から帰還したばかりのよう。近づいたら起こしてしまうかもしれない。立っていよう。そのほうがいい。

館長があらわれて我に返る。年配の女性を想像していたが、自分と同じ40代の女性、ショートカットできっぱりとした握手。先に立ってロビーになっている広々としたホールに案内される。明るくて、観葉植物や籐椅子、グランドピアノがおかれている。ガラス張りの天井から光が降り注ぐ。温かくて親しみのわく空間。ここは会館の中枢神経、と館長が言う。居住者があつまっておしゃべりをする。ここで催される活動もある。出張サービスはここでしたらいい、事務室よりアクセスしやすい。館長はほかの公共スペースの案内を申し出る──プライヴェートなスペース、居住者の個室は見られない、と言う。体育室へ向かうところで足どめをくう。蛍光色のスウェットに色褪せたジーンズの若い女性が憤然として館長を呼びとめる。もう我慢も限界、あのタタたち、また夜なかまで騒いでた! フロアーを替えてほしい、もう耐えられない! 居住者はやつれ、ふてくされた顔をしている。館長は、いまは取り込み中だけどタタには言っておく、と約束する。部屋を替える件についてはもう話したから規則はわかっているでしょ、シンシア。女性はおさまらない様子で毒づきながら去っていく。館長はソレーヌに脱線をわびる。施設の暮らしになじめない居住者もいる、と説明する。それぞれの個性と折り合いをつけさせ、諍いがあればまるくおさめなければ。文化の違いや雑居生活で緊張が生じる。会館に住む女性はみな特殊な事情をかかえている。多くはもとの環境や家族と断絶している。再起して社会とのつながりを取りもどせるよう手助けしなければ。ともに生きる、というと聞こえはいいけれど、現場ではそう簡単にいかない。

ジムは昼間のこの時間、がらんとしている。広々として塗装されたばかり、ダンス練習室のように鏡がある。一角には最新のアスレチック器具が設置されている。ソレーヌがこの手の場所に入るのは久しぶりだ。かつては健康維持に励み、近所のクラブメッドジムの会員にすらなったが、ジムにあてていた時間は法律事務所にのみ込まれ、すぐやめてしまった。次に図書室に案内される。大きな部屋に書棚が並んでいる。居住者に読書してもらうのは容易ではない、と館長は吐露する。すこしは読む人がほんのひと握り、あとはまったく本を読まない。言語の壁のせいもある。フランス語がよく理解できない人もいるのだ。そういう人は週2回授業が受けられる。

ふたりはピアノが2台おかれた音楽室、集会室、古い喫茶室をとおり、目をみはる規模のレセプションホールに着く。このホールは長く食堂として使用されていた、近隣の住人がよく食事に来ていたものだ、と館長が説明する。いまはクリスマスの食事会など大きな行事のときのみ使用されている。そのほかの時期は催事場としてレンタルされる。バーゲン会場として利用するブランドもある。ファッション・ウィーク(年2回シーズンに先立っておこなわれる新作発表週間)のショーもおこなわれる。ソレーヌは驚きを口にする。満足におしゃれもできない女性たちの住む場所に有名ブランドを迎えるなんて、ちょっと場違いなのでは? 館長は微笑む。そのリアクションはごもっとも。でも売れ残りを安く譲ってくれる店もある。それに居住者たちはファッションショーを見られてよろこんでいる。施設を開放するいい機会です。真の共生は異なる文化や伝統をわざわざ混ぜるまでもなく、ここでは自然におこなわれる。外の空気を会館に入れてやればいいんです。

施設の運営は複雑です、と館長はつづける。ひとつ屋根の下にいくつもの機能が同居している。まず居住施設にはバス・トイレつきの個室が350室──ミニキッチンつきの部屋もあるが、そうでなければ共同キッチンがつかえる。居住者は単身女性、失業手当か生活保護を受け、低く抑えられた家賃を払っている。それにくわえて臨時収容センターが緊急のケースに対応する。受け入れは無条件、対象は「住民票状況の複雑」な者。つまりビザのない者。ほとんどが子供をかかえた女性だ。約40室が移民収容センターにあてられている。入居者はそのときどきの政治状況によって変動する──現在はアフリカのサハラ以南地帯、エリトリアとスーダンから来た人々を受け入れている。最後に、約20世帯分のちいさな宿泊所がカップルや家族向けに最近新設された。

合計400人以上がここに住む。それにくわえて57名の職員、ソーシャルワーカーや児童教育指導員、設備管理者、事務員、経理係、技術者が働いている。ソレーヌは圧倒される。ここはバベルの塔。ありとあらゆる宗教、言語、伝統が入り混じる。共同生活は容易ではない、と館長はつづける。女性が400人いれば静寂とはいかない。おしゃべりし、手を叩き、歌い、叫ぶ。ときには諍いもある。罵り合い、仲なおりする。近隣住民が苦情を言いに来ることもめずらしくない。隣りのビルの所有者はときどき受付に陳情書を持ってくる。館長は緊張をやわらげるよう、できるだけの努力をしている。慣れる近隣住民もいる。よそへ引っ越す者もいる。

ここは楽園ではない、館長はソレーヌをエントランスホールまで見送りながら話をまとめる。けれど女性たちは雨露をしのげる。会館にいれば安全だ。平均3年で施設を出るが、なかには長く住む者もいる──いちばん長い居住者は25年まえに入居した。出ていく決心がつかないと言う。このなかでは守られていると感じている。

ソレーヌはすこし安心して会館をあとにする。想像していたより感じがいい。明るくて活気がある。週に1時間のボランティアは結局それほど大変なことではないかもしれない。手紙を何通か書けばそれでいい。精神科医には「やりました」と言える。考えていたほど厄介でもなさそうだ。

家を出たときより軽い足どりで帰宅する。その晩は薬なしで眠りに就く。

実は何が待ち受けているのか、ソレーヌはまったく知らない。

(つづきは本篇で)

■著者紹介
レティシア・コロンバニ Laetitia Colombani
フランス・ボルドー生まれ。小説家、映画監督、脚本家、女優。監督作品に、オドレイ・トトゥ主演『愛してる、愛してない…』(日本公開2003年)などがある。2017年に発表した初の小説『三つ編み』(早川書房刊)は、困難・差別に立ち向かう3カ国の女性たちの連帯を記し、日本をはじめ世界中の読者から共感を集めた。2019年、第2作目である本書では、パリに実在する保護施設とその創設者を題材に、時代を超えた女性たちのつながりを描き、フランスで15万部を突破するベストセラーとなった。

■訳者略歴
齋藤可津子 Katsuko Saito
翻訳家。一橋大学大学院言語社会研究科博士課程中退。
訳書『三つ編み』レティシア・コロンバニ,
『マドモアゼルSの恋文』ジャン゠イヴ・ベルトー編,
『アラブの春は終わらない』タハール・ベン゠ジェルーン,
『蜜の証拠』サルワ・アル・ネイミ

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『彼女たちの部屋』(レティシア・コロンバニ/齋藤可津子 訳)は早川書房より好評発売中です。

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