「数学力」と「計算力」の違いを知っていますか? 芝村裕吏『関数電卓がすごい』より「はじめに」全文公開
「数学」を避けるあまり、「計算」まで避けて、損したり苦しんだりしていませんか? このふたつはまったく別の能力です。ぜひ、この本で「計算」能力を身につけてください――必要なのは、スマホを横にすることだけです。「数学嫌い」で「文系」のあなたに贈る、画期的思考法変革書『関数電卓がすごい』(芝村裕吏、ハヤカワ新書)から、「はじめに」を公開します。
はじめに
本書が編まれた理由
まとめは上にありますから、少しの回り道、経験をお話しすることをお許しください。
この本は筆者の個人的な体験と思いから編まれることになったものです。
私はゲームデザイナーとして、また作家として相応の成功を収めてきたと思っています。一流よりも少し下のプロ野球選手の年俸と同じくらいは稼いでいますから、日本では、まあまあ成功しているほうだと思います。お金で評価するなとお叱りを受けるかもしれないのですが、この本は関数電卓の本でして、数字を語らないことには始まらない、というわけです。
関数電卓は素晴らしいツールですが、些細な欠点として数字しか使えない弱点があります。ですから、このツールを使う第一歩として、数字を意識していただければと思います。
お金は時間とともに、最も身近な数字のひとつです。
ゲームデザイナー、作家である私が、なぜ関数電卓の本を書くことになったのか。理由は簡単で、私は普段からこの種の話をSNS などでしているためです。それが編集者の目にとまって本を書きませんか、という話になったわけです。
啓蒙、というほどでもないのですが、私が人生においてまあまあの成功を収めたのはファンのおかげでして、せめてもの恩返し、あるいはファンにこそ成功してほしいという欲から、私はSNS などを通じてよくこの手の話をしています。
長い間仕事をしていますと、親子孫の三代で私のゲームを遊んでおられる方や、娘がハマっているゲームの生みの親は、お父さんが高校生のときもゲームを作ってたぞ、とかそういう話が出てきます。ファンの方が私に知り合いみたいな親近感を持つように、私も同じように、ファンに親近感を持っているわけですね。
ぜひ、私のファンは成功してほしい。人生をうまくやってほしい。親近感ゆえに、そう思っています。
同時に、私のファンがビジネスで成功するなり人生で成功なりすれば、私自身がもっと儲かる。そういう実体験もあります。
私のファンの成功は、私の成功でもある、というわけです。私のファンだった子供たちが、長じて腕利きの編集者やプロデューサーになり、仕事依頼をしてくれて今の私があるわけですから、これに続く成功者がもっと出てほしいと思っています。
もっとも、SNSでの発信は悪いわけではないのですが、どうしても細切れになって込み入った説明をするのに向きません。そこで本、というわけです。この形態なら、しっかりとためになるお話をすることができる、と考え
ました。
ファンのため、ファンのためというけれど、それ以外の人はどうなのか。そう思われる方もいらっしゃるでしょう。
世の中は面白いもので、ファン以外の方がSNSで私の発言を見て、ためになったと感じてお礼代わりに私の作品を買ってくれて、そこからファンになったというケースも結構あります。むしろSNS経由で私のファンになった人の多くはこのケースです。たまに作家としてこれはどうなのと思うときもあるのですが、現実にそういうファンがいる以上、これもまたゲームデザイナーの仕事のひとつだと思っています。
関数電卓とは文字通りに関数を扱うことができる電卓です。普通の電卓では面倒くさい計算を簡単にやってくれるために大変便利な道具で、日本以外ではかなり普及しています。
私の場合ですと、関数電卓がないと仕事になりません。ゲームデザイン業も作家業も、個人事業主としても、関数電卓がないとたちまちのうちに窮地に陥ってしまうでしょう。
もちろん、道具だけあればいいという話でもありません。今の私のまあまあの成功は、学生時代に培った数学的な考えあっての話だったりします。ですので、この本ではその二つをセットにしてお話しします。
体験談その1
昔、アメリカに渡ってすぐの私は、英語学校に通っていました。高等教育を受けるにあたって必要な分の英語力を身につけろ、という留学先の方針によるものです。そして英語を学ぶ間は他に何をしているかというと、私の場合は暇なので数学の学校に通っていました。単科大学ですね。言葉はわからなくても数字はわかる、というわけです。
そこの入学試験では関数電卓が必須でした。それまでCASIOのポケコン(ポケットコンピューター。今は絶滅して存在しない製品カテゴリーです)を愛用していたので、関数電卓は若干後戻りしたような気になったものです。
さらには、指定された関数電卓が使いにくくて、ものすごくつらかった覚えがあります。それが関数電卓との出会いだった気もします。
入学後、そこにはすごい数学者の卵たちがゴロゴロしていたのですが、みんな電卓(関数電卓)を使っていました。
私が暗算するとみんな電卓を叩いて数字が合っていることに驚愕し、大いに褒められたのでいい気になっていましたが、のちにそれは、チェスを打つ犬を褒めるのとあんまり変わらないことに気付いて腹立たしい気がしました。向こうでは、(電卓を使わない)計算能力は曲芸、隠し芸の扱いだったのです。
その後、勉強を除くと、税金と保険の計算に関数電卓を使っていました。個人的な話ですが、返還型の奨学金(というか「学生ローン」)の計算、要するに返済計画作成に関数電卓は大活躍し、プログラミングのアルバイトでも関数電卓を使いました。当時はプログラミングにおいても関数電卓の出番があったのです。
この経験で得たこと。それは数学力と計算力は全然違うということでした。日本ではごっちゃになっていますが、アメリカでは明確に分けられており、もっと言うと、「計算力は電卓を使えばいいじゃん。暗算? 日本人は電卓も使えないくらい貧しいの?」という感じだったのです。
体験談その2
日本に帰ってきた私は日本では異様に電卓を使わないことにびっくりしました。そういや我が国はそうだったと思い出したわけですが、最初はとても違和感がありました。
なぜ違和感があったのかというと、わざわざ損をしたり、面倒くさいことをやっているように見えたのです。
ゲーム業界に入り、転職し、作家業もはじめ……そうやって日本でキャリアを重ねるうち、以下のような質問を何度も受けました。
「数学ってなんの役に立つんですか(立たないでしょ?)」
「いつもボタン沢山の電卓を使ってますよね、何をそんなに計算することがあるんですか?」
これは落とし穴でいっぱいの家に住んで、無意識に落とし穴を回避して1m 先のこたつに入るために一度家から出て戻ってくるような人たちが、落とし穴に板を渡している人をバカにしているようなものです。
それはそれで文化だし歴史だとは思うのですが、人によってバカに見えるのは致し方ないと思います。また、それ以外のやり方を知っていてもいいんじゃないかと思います。
この本は、「数学ってなんの役に立つんですか(立たないでしょ?)」
「いつもボタン沢山の電卓を使ってますよね、何をそんなに計算することがあるんですか?」という質問に対する回答です。
必然、この本は数学とも関数電卓とも縁遠い人向けに書かれた初心者本になると思います。
筆者の狙いはおいて、今回の主役である関数電卓の話をしましょう。
世界的なお話をすると、関数電卓の需要は年々増えています。大学教育の場からは関数電卓を放逐してもいいんじゃないかという話もありはするのですが、教育、保険、エンジニア、土木工事の現場などを中心に需要は旺盛にあり、膨大な数が生産出荷されています。あまりに需要があるのでお手持ちのスマホの標準機能にもなっています。
といっても、これは日本以外の話。日本は珠算(そろ
ばん)やそこから来る暗算が強かったこともあり、電卓は諸外国ほど普及していません。
しかしその割に、現代の人は昔ほど珠算をやっていません。結果として今の日本は計算力の劣る現代人が計算力の高い昔の人目線で「電卓なんているんですか?」などと語っているわけです。
学校のカリキュラムでも関数電卓の普遍的な使用からはほど遠い状況です。数学の比重が軽い文系の人ほど計算機に頼ってもよさそうなものですが、そうなっていません。結果どうなっているかというと、それとは知らず人生の苦行を強いられています。
この本を読むことで、それらの苦行が和らぎ、人生によい影響をもたらすことを願っています。
▶この続きはぜひ本書でご確認ください。
本書の目次
著者略歴
芝村裕吏 (しばむら・ゆうり)
ゲームデザイナー、作家。熊本県出身。米国の大学で数学を学ぶ。陸上自衛隊を経て、アルファ・システム入社。『高機動幻想 ガンパレード・マーチ』が高い評価を得る。のちベックを経てフリーに。『マージナル・オペレーション』で本格的に作家活動を開始。その他の代表作に『刀剣乱舞』などがある。ネット上でも不定期に『電網適応アイドレス』などのゲームを開催し、プレイヤーから多くのクリエイターを輩出している。
記事で紹介した書籍の概要
『関数電卓がすごい』
著者:芝村裕吏
出版社:早川書房(ハヤカワ新書)
発売日:2024年6月19日
本体価格:1,000円(税抜)