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「じつは、カレーというものは、ヨーロッパ人がインドの食文化に押しつけた概念だったのだ」――笠井亮平『インドの食卓: そこに「カレー」はない』はじめに

インドに「カレー」はないって本当?
実はインドには、多くの日本人が思い浮かべるような「カレー」はない――? 気鋭の南アジア研究者が、14億人の人口を支えるインドの食のリアルを読み解く『インドの食卓 そこに「カレー」はない』(笠井亮平、ハヤカワ新書)。12/19発売の本書より、「はじめに」を全文公開します。

『インドの食卓 そこに「カレー」はない』笠井亮平、ハヤカワ新書(早川書房)

はじめに インドに「カレー」はない?

インド料理といえば、何といってもカレーである。日本で国民食となったカレーのルーツは、もちろんインド。インド人は毎日三食カレーを食べている――。ところが、インド人は必ずしもカレーばかり食べているのではないのだ。それどころか、そもそもインドに「カレー」なる料理はないとすら言える。

そんなはずはない、と思うかもしれない。近所のインド料理屋のメニューには豊富なカレーが並んでいるし、ランチには「カレーセット」があるではないか。インドにカレーがないのなら、「本場インドカレー」を看板にする名店は一体何なのか、と。スーパーでレトルトカレーの棚に目をやれば、「カシミールカレー」や「インドチキンカレー」、「ベジタブルカレー」といったインドカレーの商品は一大勢力をなしている。

「インドを旅行したとき、レストランのメニューには『curry』と書かれたメニューがいくつもあったし、実際に食べた」という方も多くいるだろう。実際、筆者もインド各地で「curry」を食べてきた。当のインド人も、「インドのカレーは……」という言い方をすることもある。

しかし、多くの日本人が思い浮かべるような意味での「カレー」に相当するものはない。あえてインドの「カレー」を説明すれば、それは「さまざまなスパイスで調理した料理全般」ということになるだろうか。ソース状になったものを「グレーヴィー(gravy)」と呼ぶことはあるが、「カレー」全般を指し示すものではない。豆が入った「ダール」、南インドでポピュラーな野菜が入ったスープ状の料理「サンバル」、ヨーグルトやペースト状のナッツ等を用いてクリーミーに仕立てた「コルマ」など、それぞれの料理に名前が付いている。和食には出汁(だし)が欠かせないが、だからといって出汁が入っている料理全般を「ダシ」と呼ぶことはないように、多種多様なスパイス料理を一括りに「カレー」と総称することはないのである。

「curry」は、タミル語で野菜や肉を炒めた料理を意味する「kari」、あるいはマラヤラム語およびカンナダ語でほぼ同じ意味の「karil」という言葉が語源と言われている(この三言語はそれぞれ、今日の南インド、タミル・ナードゥ州、ケーララ州、カルナータカ州で話されている)。これが英領インド時代、イギリス人によってスパイスを用いた煮込み料理や汁物料理全般を表す「curry」になったという説が有力だ。

ちなみに、「カレーリーフ」という葉があるが、これはスパイスの一種であって、それだけでカレーが作られるわけではない(カレーリーフについては、インドでは言語ごとに独自の呼称がある)。

インド料理に「curry」がないことは、いくつか例を挙げて示すことができる。インド料理について書かれたものはレシピ本を含めると膨大な数に上るが、2010年にロンドンで刊行された『インディア:ザ・クックブック』という本はそのボリュームと内容の充実度から話題を呼んだ一冊だった(背表紙には「1.5kg」という本の重量がわざわざ示してあるほどである)。収録レシピはなんと1000以上。「インド料理大全」と呼ぶにふさわしい本だ。そこでは、「チキンカレー」や「フィッシュカレー」といったメニューの紹介はあるもののそれらはごく一部で、それぞれ「curry」を用いない料理名がずらりと並んでいる。

テレビではこんなシーンもあった。NHK BS1で放送されていた世界各地のストリートフードを紹介する番組でロンドンが取り上げられたときのことだ。キッチンカーでインド料理を出すインド系と思しき料理人は、「カレーを作っているんですか?」という質問に対し、「インドにカレーなんていうものはないんだよ」と答えていた。

食文化に詳しいイギリスの歴史家、リジー・コリンガム氏は、本書でも度々引用・参照する『インドカレー伝』で、次のように記している。

「じつは、カレーというものは、ヨーロッパ人がインドの食文化に押しつけた概念だったのだ。インド人はそれぞれの料理を固有の名称で呼んでいた……(中略)ところが、イギリス人はこれらをひっくるめてカレーという名前で一括りにしてしまったのである」

ただ、「curry」という言葉は便利だった。イギリス人が本国、さらにはその他の国で「curry」なるインド料理を広めていった。その過程で、さまざまなスパイスを調合した「カレー粉」――これもまたインドには元々なかった――も発明された。イギリス版ピラフ「ケジャリー」や鶏肉料理「コロネーションチキン」といったイギリスでポピュラーな料理には、いずれもカレー粉が味付けに用いられている。そして「カレーライス」もイギリス発祥だ。これが明治時代に日本にイギリス海軍を通じて伝えられた。もしインドからカレー的な料理が先に伝わり普及していたら、日本のカレーはずいぶん変わったものになっていたかもしれない。

こうして「カレー」が世界に広まっていくなかで、インドでも英語でコミュニケーションをとる人びとのあいだでこの語が用いられるようになった。やはり便利だったのである。インドのレストランの英語メニューで「curry」があるのは、こうした経緯による。

より丁寧に言えばインドに元々「カレー」はなかったが、近代史、すなわち植民地時代の中で「カレー」というカテゴリーが「発明」され、多くの料理が便宜的に「カレー」と称されている、ということになる。つまり、インドにカレーはないとも言えるし、あるとも言える。何やら禅問答のような話だが、「インド料理=カレー」ではないのだ。

インドという存在は、なぜかステレオタイプで捉えられがちな国だ。食品のパッケージに描かれるターバンを巻いた男性とサリーをまとった女性。インド人は理数系に秀でていて、誰もが2桁のかけ算を瞬時にこなすことができる(これには、「さすがゼロの概念を生み出したインドだけのことはある」「テック企業のCEOにインド系が多いのも納得」というトピックもセットになることが多い)。インドはとにかく暑い。インド人は時間を守らない。話しはじめたら止まらない――。いずれもそのような特徴や側面がまったくないわけではないが、かといってそれが誰でもどこでも当てはまるということはない。むしろ、ごく一部を表しているに過ぎないという場合も少なくない。

そしてインド料理もまた、単純化されたイメージで語られることが多いテーマだ。冒頭で触れたカレーをめぐるある種の「誤解」は、その最たるものと言える。だが、インド料理はカレーの一語で言い表せないほど、バラエティに富んだ食のワンダーランドなのだ。

まず、地域によってその様相は大きく異なる。多くの人がイメージするインド料理は北インドのものだが、これが南インドとなると見た目も味わいもずいぶん違う。先入観がまったくない状態で北インドと南インドの料理を前にしたら、同じ国のものとは思えないかもしれない。ベンガル地方に代表される東インドの料理も魚介を使ったものが多く、南北インドにはない特徴がある。そして北東部は民族的にもインドの他の地域とは異なり、食文化も一線を画している。

味わいも画一的ではない。「インド料理は辛い」と言われることも多いが、それは唐辛子的な辛さというよりはさまざまなスパイスによるものだし、家庭料理はかなりマイルドだ。また、「カレー」以外にも、魅力的な料理がいくつもある。日本でも近年ファンが増えている炊き込みご飯、「ビリヤニ」はその代表格だろう(そのビリヤニもまた、地域によってさまざまな特徴がある)。

本書のねらいのひとつは、インド料理にまつわる諸々のステレオタイプを一掃し、よりリアルな姿を紹介することにある。筆者は南アジアを専門とする研究者として、インドとパキスタンにそれぞれ2年滞在したことがある。それ以外の時も、日本から年に何度も出張を繰り返し、インド各地の料理を食べてきた。日本でもインドはじめ南アジア各国の料理の動向をウォッチしている。その度に多種多様なインド料理に感嘆してきたが、同時にこの豊穣な食文化が日本ではまだ十分に伝わっていないのではないかという思いも抱いてきた。もちろん、どんなものを食べるかについては、他人がとやかく言うことではないかもしれない。ただ、せっかくの魅力がステレオタイプ、場合によっては「誤解」によって阻まれているとしたらそれは残念なことだと思う。

もうひとつのねらいは、料理を通じてインドの文化や宗教、さらには歴史を解き明かすことだ。食事は人間にとって欠かすことのできない行為だが、そこには国や地域、信仰、民族といったファクターが色濃く表れる。何を食べ(あるいは食べてはいけないか)、どう食べ、誰と食べるか。その食材はなぜインドで食されているのか。いつから食べられるようになったのか。どのような禁忌があるのか――。どの国や地域でもそうだが、インドのように巨大かつ多様な国では、食をめぐる差異もさまざまで、そこにはそれぞれのアイデンティティが埋め込まれていると言える。

なにせ、14億という膨大な人口――2023年には中国を抜いて世界第1位になった――を抱えているのだから。加えて、飲み物、とりわけアルコールも、単に嗜好だけでなく信条や信仰、さらには社会背景までをも映し出す要素と言える。なお、こうした特徴は、単に違いを表すというだけでなく、時にはその断層に沿ってコンフリクトが生じることも忘れてはいけない。

食という視点から外の世界とインドの関わりを論じることも大きなテーマのひとつだ。インド料理という存在の大きさもあってかこれまでほとんど注目されてこなかったが、インドには外来の料理も多数ある。その代表格は、なんといっても中華料理だろう。もちろん、どこの国にも中華料理はある。だがインドの場合、かなり独特の進化を遂げていて、「インド中華料理」というひとつのジャンルを形成するにまで至っている。「ガラパゴス的」とも言る進化を遂げた背景には、インドと中国の複雑な近現代史がある。

また、インドの食には現在進行形で変化が生じている。米欧の料理が人気を博し、ファストフードチェーンは進出攻勢をかけ、インスタントやレトルト食品が普及しつつある。こうしたなか、日本でおなじみの食品やチェーンもインド人の胃袋に照準を合わせている。

本書を読み終えたときには、きっとインド料理に対する見方が一変するだろう。同時に、食を通じてインドへの理解がぐっと深まるはずだ。そして途中でも読後でも、ぜひ実際に料理を味わっていただきたい。日本でも多種多様なインド料理店が急速に増えており、以前では考えられないほど選択肢が豊富になってきている。前口上はこれくらいにして、さっそく「ほんとうのインド料理」の話に入っていくことにしよう。


この続きは、ぜひ本書でご確認ください! 電子書籍も同時発売です。

本書目次

はじめに インドに「カレー」はない?
第1章 「インド料理」ができるまで――4000年の歴史
第2章 インド料理の「誤解」を解こう
第3章 肉かベジか、それが問題だ
第4章 ドリンク、フルーツ、そしてスイーツ
第5章 「インド中華料理」――近現代史のなかで起きたガラパゴス化
第6章 インドから日本へ、日本からインドへ
おわりに
※本文にはカラー写真を多数収録!

著者略歴

笠井亮平 (かさい・りょうへい)
1976年、愛知県生まれ。岐阜女子大学南アジア研究センター特別客員准教授。中央大学総合政策学部卒業後、青山学院大学大学院国際政治経済学研究科で修士号取得。専門は日印関係史、南アジアの国際関係、インド・パキスタンの政治。在インド、中国、パキスタンの日本大使館で外務省専門調査員として勤務した経験を持つ。著書に「インパールの戦い」「第三の大国 インドの思考」など、訳書にクラブツリー「ビリオネア・インド」などがある。

書誌概要

『インドの食卓 そこに「カレー」はない』
著者:笠井亮平
出版社:早川書房(ハヤカワ新書)
発売日:2023年12月19日
本体価格:1,040円(税抜)