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いま最も注目すべきジャンル、それは中国SFだ!――『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』解説、特別公開

 いま最注目の中国SFの粋をあつめた『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』が刊行されます。編集は『紙の動物園』のケン・リュウ。リュウが選びぬいた7人の中国作家の13短篇が収録されている充実のアンソロジーとなっています。この話題作の発売を記念して、日本への中国SF紹介の第一人者である立原透耶氏の解説を特別公開いたします。

『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』
ケン・リュウ編/中原尚哉・ほか訳/新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
【収録作品】
序文 中国の夢/ケン・リュウ
鼠年/陳楸帆
麗江の魚/陳楸帆
沙嘴の花/陳楸帆
百鬼夜行街/夏笳
童童の夏/夏笳
龍馬夜行/夏笳
沈黙都市/馬伯庸
見えない惑星/郝景芳
折りたたみ北京/郝景芳
コールガール/糖匪
蛍火の墓/程婧波
円/劉慈欣
神様の介護係/劉慈欣
エッセイ/劉慈欣、陳楸帆、夏笳

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解説

立原透耶

 待ちに待った中国SFアンソロジーの翻訳である。本書(Invisible Planets: Contemporary Chinese Science Fiction in Translation, 2016 [看不见的星球])は、『紙の動物園』などで著名な作家であるケン・リュウ(中国名は劉宇昆〈リウ・ユークン〉。1976~)が編纂・英訳し、米出版社トー・ブックスから2016年に刊行された。リュウが厳選した現代中国SF界を代表する七名の作家の13篇を収録している。ケン・リュウは中国で生まれ、子供の時にアメリカに移住し、英語で小説を書いて次々と大ヒットを飛ばし、世界中で様々な賞(ネビュラ賞、ヒューゴー賞、ローカス賞……おっと日本の星雲賞も!)を総なめにする一方、中国語で書かれたSFを英語に翻訳し中国SFを世界に紹介するという翻訳家としての大変貴重な一面も備えている。

『ケン・リュウ短篇傑作集1 紙の動物園』
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 もともとは陳楸帆〈チェン・チウファン〉がケン・リュウのホームページに発表されていた英語の短篇小説を読んで感動し、中国で彼の作品を紹介すべく奮闘したのが中国SFとケン・リュウの出会いだったという。2009年、雑誌〈科幻世界〉9月号にて「愛のアルゴリズム」、「1ビットのエラー」が訳載され、中国国内でリュウはたちまち注目を浴びる。さらに、まるでそれに返礼するかのごとく、ケン・リュウは2011年から続々と中国SFを英語に翻訳し紹介するようになる。この功績により、中国SFは瞬く間に世界中へ広がっていった。ケン・リュウが初期に翻訳した陳楸帆の「麗江の魚」はすぐれた英訳SF作品に贈られるSF&ファンタジイ英訳作品賞を2012年に受賞している。ケン・リュウは精力的に創作・翻訳の両面で活躍し、特に翻訳においては、彼なくしては「中国SFの世界化」はなかったのではないか、と思わせる多大な影響力を誇っている。彼の翻訳の特徴としては、「英語圏の読者に理解しやすいように翻訳されている」という点が挙げられる。中国語・英語それぞれの言語能力・文学的才能が、遺憾なく発揮されているのだ。
 ケン・リュウによって翻訳された中国SFは、その英訳をベースにして日本語、フランス語、イタリア語、スペイン語……と各言語で翻訳出版されている。リュウは本書にその抜粋が「円」として収録されている劉慈欣〈リウ・ツーシン〉『三体』を英訳し、それがアジア人初、翻訳書としても初のヒューゴー賞長篇部門を受賞、また同じく彼が英訳した本書収録の郝景芳〈ハオ・ジンファン〉「折りたたみ北京」もヒューゴー賞ノヴェレット部門を受賞するという快挙を成し遂げた。ケン・リュウは今や中国圏のSFファンの間では、テッド・チャンと並ぶ世界的な中国系作家の代表であるだけでなく、ケン・リュウ以前・以後で中国SFの翻訳事情が全く異なる、あたかも神のような翻訳家であるといえよう。果たしてケン・リュウ以外の誰がこんにちのような中国SFの国際化を成し遂げることができたであろうか。
『三体』のヒューゴー賞受賞により、中国ではSFが国家戦略の一つとして取り上げられるようになり、「折りたたみ北京」の受賞で一気にそれが加速。例えば2017年には成都市が「SF都市宣言」を行い、SF関連の施設を充実させる計画などを立てているようである。
 蛇足だが、2017年春にケン・リュウは横浜で開催されたSFコンベンション「はるこん」にゲスト・オブ・オナーとして訪日した。その際、筆者が中国SFの日本での普及に苦戦していると伝えると、「僕もそうだった。最初はどれだけ持ち込んでも誰も中国SFに興味を持ってくれなかった。わかるよ、最初は本当に大変なんだ。でも、諦めずに努力し続けてやっと中国SFが世界に認知されるようになった」と彼に中国語で励まされたのはいい思い出である。とはいえケン・リュウだからこそなし得た偉業だと思うのだが……。
 以下、掲載順に作家を紹介したい。なお各作品の扉裏にもケン・リュウによる紹介があるため、なるべくそちらとは重ならない情報をお伝えしたい。

 陳楸帆(スタンリー・チェン。1981~)は日本でも〈SFマガジン〉で「鼠年」(〈SFマガジン〉2014年5月号掲載)と「麗江の魚」(〈SFマガジン〉2017年6月号掲載)の二作が翻訳されており、うち「鼠年」は2014年度のSFマガジン読者賞海外部門を受賞している。中国のウィリアム・ギブスンと呼ばれ、若手SF作家の代表の一人である彼は、長篇『荒潮』も英訳版の刊行が控えている。実際にIT関係の会社で働き、現在はかなりの重要なポストにつきながら、小説を書くだけではなく、評論やエッセイなども手がけ、積極的に国内外でのSFの発信に努めている。中国SFの団体においても中心人物として、様々な活動に従事しながら、2016年のSFセミナーでは海外ゲストとして来日。その際に飲んだ日本酒をえらく気に入ったとのこと。その後も、IT関連の仕事ですでに何回も訪日しているのだという。
 夏笳〈シア・ジア〉(1984~)も陳楸帆と同世代のいわゆる「80后」(80年代生まれ)の、中国SFを代表する一人である。大学では物理学、大学院ではメディア論を専攻し、その後文学を研究、SF研究で博士号をとり、現在は中国の大学で教鞭を執っている。彼女は中国では「美女SF作家」と呼ばれアイドル的な人気を誇り、原作・脚本・出演・監督を務めて映画を撮ったことがある。既訳短篇は「カルメン」(〈SFマガジン〉2007年6月号掲載)。一見、ハードSFに見えない作風が持ち味だが、本人はつねに「ちゃんとハードSF要素が含まれている」と主張しており、事実、柔らかな表現と読みやすさで見落としがちな科学的アイデアはもっと注目されても良い点である。なお中国人で初めてイギリスの雑誌〈ネイチャー〉に小説が掲載されたことでも知られている。本名の王瑶〈ワン・ヤオ〉では学術的なSF研究を行なっており、学生たちにSFをテーマとした授業も行なっている。
 馬伯傭〈マー・ボーヨン〉(1980~)は非常に器用な作家で、あらゆるジャンルの作品を高水準で発表、どの分野でも高い評価を受けている。本書に掲載された「沈黙都市」は中国本土で発表されたものを英語版のために手直ししたということで、かなり微妙な問題まで深く掘り下げて描かれているものを読むことができる。先日たまたま彼のジュブナイル冒険架空歴史小説『龍と地下鉄』[龍与地下鉄]という作品(代表作の一つ)を読む機会があったのだが、あまりに面白く、あまりにワクワクして、続きが気になってページを繰るのももどかしい思いをした。その作風の幅広さ、古典への豊かな知識など、日本でもかなり人気の出そうな作家といえよう。
 郝景芳(1984~)は先述のとおり、本書に掲載されている「折りたたみ北京」(ケン・リュウ訳)によって2016年にヒューゴー賞を受賞した。彼女は物理学を専攻し、その後、経済学を専門に研究した。そのせいか、彼女の作品はしっかりしたハードSF的知識に裏付けされた設定と、複雑な社会・人々を描くのに長けている。2016年に発表された『1984年に生まれて』[生於一九八四]は、彼女自身の誕生した年であると同時にジョージ・オーウェル『一九八四年』へのオマージュにもなっている。純文学とSFの境目にあるような、とてつもなく素晴らしい名作である。こういった作風について、彼女は、2017年12月、中央大学文学部主催のシンポジウムにおいて「ジャンルにとらわれるつもりはない。今後も偏って書くつもりはなく、純文学もSFも書きたい」と発言している。なお「折りたたみ北京」は韓国系アメリカ人の監督が映画化を予定しているそうである。また「折りたたみ北京」は長篇における一章分にあたり、最終的には一冊の本としてまとめる予定とのこと。
 糖匪〈タン・フェイ〉は作家、エッセイスト、評論家、写真家、ダンサーで、編集もやっているというマルチな才能の持ち主。過去に日本SF大会に参加したことがあり、日本通である。作品は幻想味の強い、独特な感性を持ったものが多い。彼女はアイデアが浮かぶと一気呵成に短時間で書き上げるタイプだとか。既訳短篇に「世間」(〈聴く中国語〉2017年9月号)がある。本書に掲載された「コールガール」はイギリス、オーストラリアなど各地で紹介され、英語圏で高い評価を受けている。ワールドコンにも積極的に参加するだけでなく、堪能な英語を生かしていつも世界中を飛び回っている。
 程婧波〈チョン・ジンボー〉(1983~)は幻想的で美しい世界観を持つ作品が多く、ファンタジイや児童文学、SFや青春小説などを執筆している。特徴的なのはその華麗で緻密な文章表現。中国語原文のあまりの美しさには思わず息が漏れる。既訳短篇は「白色恋歌」「青梅」(ともに〈聴く中国語〉2017年11月号、12月号)がある。日本文化に造詣が深く、日本を舞台にした、切なく鋭い、刹那の青春を切り取った幻想小説『食夢獏・少年・盛夏』という長篇がある。
 劉慈欣(1968~)は2015年ケン・リュウ訳『三体』(第一部)で、翻訳ものとして初のヒューゴー賞を受賞した。ヒューゴー賞受賞以前から『三体』は中国で絶大な人気を誇り、SFの枠を超えて多くの読者に支持されていた。その上でのヒューゴー賞受賞により、『三体』はたちまち社会現象となった。中国でSFというと、日本人はどうしても社会問題と直結しがちだが、劉慈欣が描く世界は広大かつ普遍的である。宇宙規模でいとも簡単に人類を破滅させるかと思えば、身近な水資源の問題にテーマを絞ったSFを書いたりもする。確かに中国社会の抱える問題も描かれてはいるが、彼の見ている先はもっと遠く、そしてずっと身近でもある。ハードSFの旗手として名高いが、歴史や文学など幅広い分野でも深い知識を誇り、作品自体の文学性も非常に高い。この点が、SFファン以外の熱烈な愛読者を生み出した要因の一つと言えるかもしれない。なおオバマ前大統領が、現役時に愛読書の一冊として『三体』を挙げたのは有名で、2017年にはついに訪中したオバマ前大統領と劉慈欣が対面するという一幕もあった。既訳短篇に「さまよえる地球」(〈SFマガジン〉2008年9月号)、『三体』部分訳(〈ラジオ レベルアップ中国語〉2014年1月号)などがある。

 ベテランから中堅、新人まで大量に質の良いSF作家たちを輩出し続けている中国SF、今後も要注目だ。