SFM特集:コロナ禍のいま⑩ 津原泰水「SARS-CoV-2の物語」
新型コロナウイルスが感染を拡大している情勢を鑑み、史上初めて、刊行を延期したSFマガジン6月号。同号に掲載予定だった、SF作家によるエッセイ特集「コロナ禍のいま」をnoteにて先行公開いたします。最終日の本日は、藤井太洋さん、津原泰水さんのエッセイを公開します。
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菊頭蝙蝠(キクガシラコウモリ)の細胞を住処にしていた或る構造体が人体という新天地を見出した、というのが僕が数週間に亘って信じていた新型コロナウイルスことSARS-CoV-2物語の序章だが、情報検索のキイワードをすこし変えてみると重要な役柄に穿山甲(センザンコウ)がキャスティングされる。全身鱗の鎧に被われた、細長い顔が愛らしい、よく犰狳(アルマジロ)と間違えられるあれだ。そのコロナウイルス群の宿しやすさは研究者には周知だったという。鱗は薬として『本草綱目』に記され、肉を好んで食す人々もある。
自ら移動する手段を持たないウイルスにとってみれば、なんらかの力によって運ばれていった先に登場した鍵穴(レセプター)の主が、蝙蝠か、穿山甲か、人間か、ましてやその出自も信仰も教養も知ったことではない。手持ちの鍵(スパイク)が合えば内部に這入り込む。この現象には家主の意思は勿論、ウイルスの意思も神の意思も介在しない。物が落ちるように、夕空に金星が輝くように、ただ「這入り込む」のだ。
長きに亘る苦難と混乱を乗り越えて個体数を激増させ、穿山甲の楽園にまで棲息域を拡大した人類は、SARS-CoV-2誕生に際しては晴れがましくも、その授受の儀式に加わる栄誉に恵まれた。本当は穿山甲ではなく白鼻心(ハクビシン)かも赤毛猿(アカゲザル)かもしれないが、ともかく以上をしてSARS-CoV-2物語の梗概として、他は瑣末と見做すことは不可能ではない。
二〇二〇年四月現在SARS-CoV-2は、A(H1N1)pdm09通称新型インフルエンザの十倍程度の致死性があるとされる。しかし彼らが人類の死者数を増やすわけではないことは念のため強調しておく。死因の統計グラフを僅かに変えるだけだ。彼らが引き起こすCOVID-19が死ななくても済む人を殺すことはありえない。死ななくても済む人は存在しないからだ。COVID-19で死なない人は別の近因によって死ぬ。癌か心疾患か脳血管疾患か老衰による多臓器不全か不慮の事故でかはたまた自殺でか、ともかく百パーセント、たかだか百年以内に死ぬ。我々はそれを覚悟している。
にも拘わらずこの度のパンデミックが世界大戦ばりに人類を動揺させている要因として、誰もが悪夢で体験したことのある閉塞の恐怖を効率良く煽ることに成功した、SARS-CoV-2の稀有なる演出力が挙げられる。いま我々は致死性のある悪夢に呑み込まれ、幼児期から夢想してきた、その中での自分の役を演じきろうとしている。
遺伝が時間軸を支配する一律化のメカニズムであるのと同様、ウイルスも空間を貫いて生物に等時的な変異や死を与えていく、生命の根源的メカニズムなのだと考えると、我々がこのユーモアを欠いた隣人と手を切るのは不可能に思える。知恵を絞って適度に距離を保っていくほかない。知恵の一つは、我々が認識と社会の混濁に抗うべく貯め込んできた、理知の符牒だ。パンデミック下の我々は、悪魔、死神、吸血鬼、ゾンビ、火星人襲来……人手によって描かれてきた恐怖のかなりの部分が、疫病のメタファに他ならなかったことを痛感している。そこには必ず不安と絶望と死と、そして希望が描かれている。遺伝やウイルスとの付合いの長さには当然及ぶべくもないが、しかし間違いなく有史以前から人類に内在するこのメカニズム——物語——は、遺伝的にもウイルス的にも伝播して、我々を非接触のまま固く結び付けてくれる。
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津原泰水(つはら・やすみ)
1964年広島県生まれ。青山学院大学卒。1989年に少女小説家“津原やすみ"としてデビュー。1997年、“津原泰水"名義の長篇ホラー『妖都』を発表。以降、〈幽明志怪〉シリーズや『ペニス』『少年トレチア』などの幻想小説で人気を博す。2006年の自伝的小説『ブラバン』がベストセラーとなり、2009年発表の『バレエ・メカニック』(ハヤカワ文庫JA)は本格SFとして各種ランキングを席巻した。2011年の短篇集『11』が第2回Twitter文学賞を受賞、収録作の「五色の舟」はSFマガジン「2014オールタイム・ベストSF」国内短篇部門第1位、また同作は近藤ようこにより漫画化され、第18回文化庁メディア芸術祭・マンガ部門大賞を受賞した。