『ピボット思考』は音楽業界を、そして世界経済をどのように救うのか? Spotifyの元チーフエコノミストが語る「プロローグ」を特別公開!
12/6に発売した『ピボット思考 ビジネスモデルを破壊し、創出する』(ウィル・ペイジ【著】、小坂恵理【訳】)では、Spotifyの元チーフエコノミストによって、音楽業界の凋落と再生の歴史、そしてあらゆるビジネスに応用できる思考法「ピボット思考」の本質が語られます。
全世界的なインターネットとファイル共有ソフトの普及、それによる違法ダウンロードの隆盛によって、一時は破滅の危機に迫られた音楽業界は、どのようにして復活を果たしたのか?
今回の記事では、本書「プロローグ」から、その秘密の一端をご紹介します。
私は2012年、ロンドンオリンピックが開催された夏にスポティファイに入社して、初日には、世界のレコード音楽業界が発行する年報への寄稿を頼まれた。そのとき原稿と格闘しながら発見した内容は、本にすれば間違いなく面白いと確信した。当時、この業界を取り巻く状況は壊れたレコードのように惨憺たるものだった(レコードといったのは、ダジャレではない)。CDの売り上げは落ち込み、海賊版は横行し、ダウンロードはそのギャップを埋めることができなかった。そして、グローバルレコードレーベルの収支報告書のなかで、ストリーミングなど「丸め誤差」も同然の取るに足らない存在だった。
私がアイデアに行き詰まっていると、友人のひとりが同僚のクリス・タイナンを紹介してくれた。当時の彼はデータサイエンティストとして、スポティファイ初のデータ・ダッシュボードの構築にひとり黙々と取り組んでいた。このダッシュボードをスポティファイのスタッフが使えば、リスナーが音楽を聴く傾向が可視化される。タイナンはエンジンルームから「データを引き出してくる」とき、かならず私たちを教え諭した。相手の顔をじっと見て、「これをきみに渡したら何をするつもりなの」と尋ねたものだ。それは、物事を複雑に考えて行き詰まる前に、まずは常識を働かせることの大切さを教えたかったからだ。本書では私が学んだ教訓を、300ページほどの本にまとめて読者の皆さんに伝える。
最初に私たちは、その場しのぎのごく単純な方法を考えた。「引き出してきたデータ」を参考にして、我が社のストリーミングプラットフォームにおけるアルバム年間チャート・ランキングを作成することにしたのだ。音楽業界はチャートへのこだわりが半端ではない。人気のある楽曲が一目でわかるし、ランキングに登場すれば人気がさらに高くなる。だからチャートは、絶大な効果を発揮するはずだ。
ところが私たちのチャートで1位にランクされたのは、ゴティエのアルバム『Making Mirrors』だった。ゴティエはベルギーで生まれてからオーストラリアに移住したシンガーソングライターで、このアルバムからシングルカットされた「Somebody That I Used to Know」の大ヒットのおかげで一躍有名になった。この曲のうつろな音は、アップルのノート型パソコンのマックで耳に心地よく響く効果を狙っている。一方ラナ・デル・レイのアルバム『Born to Die』は、かなり下の8位にランクされた。
私たちはこの結果を見せられて、今後はデータへの取り組みを見直すべきだと悟った。スタッフはみんなアルバムを聴きながら成長した世代で、アルバムの一部を「本物」(body of work)として評価する一方、一部を「一発屋」として無視してきた。一枚のアルバムは「キラー」ソングと穴埋め用の「フィラー」ソングで構成されることも知っていた。そしてこのとき、アルバムの売り上げは購入された枚数を数えるが、ストリーミングでは楽曲の消費量を測定する点に注目した。消費量を参考にすれば、もっと正確なリストができあがるはずだ。
ここで統計に詳しい同僚が、シンプルなトリックを閃いた。すなわち、中央値の概念を利用して、データセットの中点に注目するのだ。そのためアルバムのチャートは、中央値に基づいてランク付けされることになった。たとえばどのアルバムも一一の楽曲から構成されるとしたら、六番目に人気の高い楽曲がランク付けの対象にされる。これならば、アルバムが売れた枚数ではなく、消費された量が明らかになる。飛びぬけたヒット曲の影響で情報が歪曲される恐れはないし、「本物」と評価されるアルバムの実際の消費量を明らかにすることも可能だ。こうして私たちは、アルバムが正真正銘の本物か、それとも一発屋の寄せ集めなのか理解する方法を手に入れたのである。
こうしてみると、ゴティエのアルバムはナンバーワンから陥落したどころか、崖から転げ落ちるようにトップテンの圏外に去った。逆にラナ・デル・レイのアルバムは八位からナンバーワンへと急上昇する。ストリーミングの消費量に注目したおかげで、ゴティエは「一発屋」であることが判明した。「Somebody That I Used to Know」は誰もが知っているヒット曲だが、ゴティエの楽曲でつぎに人気があるのは何かと問われ、正確に答えられる人を私は知らない。でもラナ・デル・レイの場合は、「Video Games」や「Born to Die」といったヒット曲があるだけではない。ファンはアルバムを本物と見なしているので、「Blue Jeans」や「Off to the Races」など、他にもたくさんの楽曲にも同じだけ注目する。
つぎに私は統計から経済に興味を移し、データをビジネスにどのような形で応用すればよいか考えた。もしもフェスのプロモーターがメインステージにゴティエとラナ・デル・レイのどちらも出演させることを手配済みで、ふたりの番付に関して私にアドバイスを求めてきたら、私はつぎのように勧める。ゴティエは四分四秒あれば十分だが(これはヒット曲ひとつの所要時間)、ラナ・デル・レイにはたっぷり一時間を割り当て、アンコールのためにさらに一時間を追加する選択肢もあり得る。ファンはみんな、どの楽曲も大好きだからだ。
ショービジネスのビジネスの側面が変化して、アルバムの売れ行きやダウンロード数ではなく、ストリーミング消費量の収益化に力点が置かれるようになると、アーチストも新しいルールへのピボットを迫られた。そもそも楽曲は30秒以上ストリーミングされなければ収益化されないが、いったんこのハードルをクリアすれば、あとはどれだけ長くても収益に変化がない。そのため、ヒット曲の長さは短くなり、聞かせどころが最初に導入される傾向が目立つようになった。往年のヒット曲、たとえばU2の「Where the Streets Have No Name」などは、聞かせどころが始まるまで二分ちかくかかるが、新しい世界でそんなことは時間の無駄で、リスナーからそっぽを向かれてしまう。
ソングライターが生き残るための新しいルールは難しくない。リスナーを退屈させないため、前置きなしで聞かせどころを最初に持ってくればよい。こうして歌が短くなると、リスナーの注目が持続する時間も短縮された。ファンにとって、かつてアルバムはクライマックスだったが、いまや幕引きでしかない。以前はアルバムがリリースされると、バンドがつぎの名曲を「スタジオで」準備している様子をファンは思い浮かべ、期待に胸を膨らませたものだ。でもいまでは肩をすくめ、どうせバンドはこのあと休暇に入るから、他のものに注目しようと考える。音楽業界は周囲の予想を裏切り、ふたつの大きな成果を上げた。短い楽曲をどんどん提供したおかげで収益は上がったが、その反面、音楽のありがたみが薄れてしまった。かつて2002年、デビッド・ボウイはつぎのように語った。「音楽は流れる水のような存在になった」。いつでも存在するから、注目する必要がなくなったのである。
このジレンマには関心経済が関わっている。関心経済は、私たちが進路の最初の「分岐点」で迷ったときの道しるべであり、本書でもあとから詳しく取り上げる。ここではとりあえず、何が売れるかではなく、消費の形態を理解することが肝心だという点を抑えておいてほしい。これは当時もあちこちで必要とされたが、今日ではその傾向が強くなり、どこでも必要とされるようになった。たとえば、休日に増えた体重を落とすため一月にジムに入会した人の人数がわかったところで、実際に何人がジムを利用したのか、どのように利用したのか知ることはできない。あるいは、第4四半期に車が何台売れたのかわかったところで、現在は車がどのように、何の目的で利用されているのか知ることはできない。さらに、住宅市場が過熱しているのか落ち込んでいるのかわかったところで、販売された住宅にどんな人が暮らしてどんな生活をしているのか知ることはできない。そして、販売店やキオスクに配布された新聞の部数がわかったところで、実際に売れた部数はまずわからないし、ましてや実際にどれだけ読まれたのか知ることもできない。というのも、新聞の販売部数は販売された部数ではなく、流通倉庫に返却される部数で計算されるからだ。
既存の市場において私たちは多くを知っていると思うかもしれないが、実際にはほとんど何も知らない。ピーター・ドラッカーはそれを以下のように巧みに表現している。「企業が売っているつもりのものを、顧客が購入していることは滅多にない」。だからこそ本書は必要とされる。本書は、自分では知っているつもりの事柄を新たな視点から見直すために役に立つ。そして状況を明確に把握すれば、この難しい時代にディスラプションに直面しても、いつどのように前進すべきか、あるいは方向転換すべきか、はっきりと理解できるようになる。
いまあなたが本書の紙の本を手に持っているとしたら、それは書籍業界に何世紀も貢献してきた「製品」である。ただし、出版社は本の売り方について精通しているが、本がどのように消費されているのかほとんど知らない。書籍業界は本のマーケティングの方法について造詣が深く、プレビューや引用を通じて品質の高さを伝えるが、購入された本がどのように読まれるのか実際のところわからない。もちろん、キンドルやそのライバルを通じて販売する電子書籍は例外だ。
これを出版社は見逃してはならない。電子書籍は、従来の本には不可能なことを教えてくれる。従来の本の出版社は、読者が一言一句を丹念に読んだのか、それともどこかで中断したのかわからない。かりにわかったとしても、読書を楽しんでくれたとは断言できない。
この教訓は、ある出版社のベテラン社員の発言から得られた。彼によれば、自分のビジネスの成功は経験則に支えられており、販売される本の八〇パーセントは購入後に読まれないという。つまり、出荷される本の一〇冊に八冊は、ガラスのテーブルや埃をかぶった本棚に置きっぱなしにされるか、贈答品になることを計算に入れて、毎年予算を組むのだという。そこで、そんなに無駄の多いビジネスがどうして正当化されるのかと尋ねると、こんな答えが返ってきた。「ほら、レコードのコレクションを見れば、人柄がわかると言われるだろう。それと同じで本のコレクションを見れば、どんな人間になりたいのかわかるんだよ」。たしかに賢明なアドバイスである。
音楽ビジネスは他のメディア業界に比べ、人間の実態について多くを教えてくれる。なぜなら音楽は不況の影響を真っ先に受けて真っ先に回復したからだが、人間の実態を真っ先に発見できる場所でもあるからだ。そのため本書を通じ、音楽は変化の事例として取り上げられる。言うなれば音楽は、デジタル世界で炭鉱のカナリヤの役目を果たしている。
このプロローグではゴティエとラナ・デル・レイのチャートを例に挙げて、統計に仕掛けたトリックがもたらす効果を紹介した。このようなトリックを仕掛けられない業界のリストは際限ないが、それでも時代は変化しつつある。たとえばフィットネスアプリは、どんなクラブに所属しているかではなく、実際の運動能力について教えてくれる。スマートカーは販売経路を教えてくれないが、実際に走行した場所についての情報を提供してくれる。アレクサやグーグルホームなどのデバイスからは、誰がどんな価格でデバイスを購入したかではなく、自宅でどんな暮らしをしているのか明らかになる。従来の新聞はいまやインターネットを積極的に取り入れ、新しいプラットフォームにおいては、記事を読むために費やされた時間に基づいて収益が決定される。さらに電子書籍やオーディオブックの登場によって、出版社(あるいは小売業者)は本が何部売れたかではなく、どれだけの量がどれだけのペースで読まれたのか、ようやく理解できるようになった。
でもいずれも、音楽との遅れを取り戻しているだけにすぎない。音楽はデジタル・ディスラプションの影響で「真っ先に苦しみ、真っ先に回復し」、社会の他の分野よりも20年先行している。ストリーミングのおかげで、いまや音楽業界は収益もリーチ(到達度)も再び好調になった。何しろスマートフォンは、過去のウォークマンやCDプレイヤーよりも流通量が多い。さらにストリーミングならば、コンテンツがどのように消費されているのか確認することも可能だ。楽曲がどれだけの頻度で聞かれたか、ストリーミングのソースは何か、何がセーブまたはスキップされたか、そしてこれが最も重要だが、何がシェアされたのかを把握できる。いまや音楽ビジネスは回復の道を歩んでいるが、その理由は以前にも増して明らかだ。今日の音楽ビジネスは、何もかも把握しているのだ。芸術がどのような形で売られるかではなく、どのような形で消費されているかについて、何もかも把握しており、パラダイムシフトが加速している。
音楽が重要なのは一番乗りを果たしたからで、だからこそ、私たち全員が音楽から多くを学べる。あなたが遅れを取り戻すため、本書は確実に役立つはずだ。
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◆書籍概要
『ピボット思考 ビジネスモデルを破壊し、創出する』
著者: ウィル・ペイジ
訳者: 小坂恵理
出版社:早川書房
本体価格:2,700円
発売日:2022年12月6日
◆著者紹介
ウィル・ペイジ Will Page
イギリス出身。Spotifyの元チーフエコノミスト。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)客員研究員、王立技芸協会フェロー。音楽産業を研究対象とする経済学「ロッコノミクス」の第一人者として知られる。2002年エディンバラ大学経済学部修士課程修了後、音楽著作権管理団体PRS for Music等に勤務を経て、2012年Spotify入社。2019年の退社まで業績の伸長に大きく貢献した。
◆訳者紹介
小坂恵理
翻訳家。慶應義塾大学文学部英米文学科卒。訳書にトッド・ローズ『ハーバードの個性学入門』(ハヤカワ文庫刊)、ウィリアム・グラスリー『極限大地』、ティモシー・パチラット『暴力のエスノグラフィー』など。