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学校も病院も行くことを禁じられた少女の壮絶な半生の回想『エデュケーション』/大原ケイ書評

ビル・ゲイツ、ミシェル&バラク・オバマらが絶賛して全米で130週以上ベストセラーリストにランクイン、400万部超を売り上げたノンフィクション、タラ・ウェストーバー/村井理子訳『エデュケーション――大学は私の人生を変えた』(原題:Educated: A Memoir)とはどんな本なのか? アメリカの出版事情に精通する大原ケイさんが紹介します。

エデュケーション_帯付 (2)


よくアメリカは「自由の国」と言われるが、そもそもなんの自由かといえば、「宗教の自由」を求めてやってきた人々が作った国だ。宗教難民とも言える「ピルグリム」と呼ばれる人たちはWASP、つまり白人でアングロサクソンで、プロテスタント(カソリックに「プロテスト」していたからこの名がある)の人たちだ。

だが同時期に、この新世界ではどんな宗教もオッケーなのでカソリック以外の宗教の人もアメリカ行こうぜ、とこの土地を目指したので、イギリスのクェーカー教徒から、スイス地方からのアーミッシュまでバラエティーがあるというわけだ。今も(少なくとも表向きは)宗教の自由は約束されていて、アメリカで生まれたサイエントロジーや福音派など、本当にそれもキリスト教? と言いたくなるようななかなか怪しい新興宗教もある。

その中のひとつ、アメリカで生まれて独自の発展をしてきたのがモルモン教だ。日本にいると、ボランティアで英語を教えにくるコンサバな若者たち、ぐらいの印象しかないが、彼らは正式名をChurch of Jesus Christ of Latter-day Saintsといい、ユタ州のソルトレイクシティーに総本山がある。ユタ州民の6割以上がモルモン教徒、だがユタ州以外に普段は西部に散らばって住んでいて、中には厳格な規律を守り続けていたり、違法となっている一夫多妻制度を実践したりしている信者もいる。

ここで紹介する本『エデュケーション──大学は私の人生を変えた』の語り手、タラ・ウェストーバーはそんな厳格なモルモン教の一家に、七人兄弟の末っ子として生まれた。5人の兄に、姉が1人。父親がある日とつぜん乳製品はダメだと言い出して、朝に食べるコーンフレークにミルクさえかけれられない。朝の仕事を済ませると、近所の祖父母の家に忍び込んでミルクをかけたコーンフレークをがっつくのが日課だった。だが、厳しい冬を暖かい土地で過ごす祖母が、家を出る気があるのなら一緒に連れて行くという。だけど、タラは行けない。私は家の周りを取り巻く美しい山を愛している、家族を捨てて出て行くなんてできないと自分に言い聞かせるが、本心は怖いのだ。

しかも父親はモルモン教徒であり、サバイバリストでもあった。サバイバリストは、アメリカ政府をある意味、敵とみなし、連邦の制度には乗っからない、つまり子どもを学校に行かせない、病気や怪我をしても病院に行かない、ドルも使わずコミュニティーで自給自足に近い生活をしている。サバイバリストは食料や燃料を自宅に溜め込み、銃で護衛し「審判の日」が来て他のアメリカ人が滅ぶ時も自分たちは生き残れると思っている。

エデュケーション_B2ポスター

父親はジャンクヤードからスクラップを集めて、それを売って生計を立てている。兄たちが重機を操って手伝うが、ヘルメットも被らず、素足同然で作業するので、ときどき大怪我をする。そんな時の頼みの綱は産婆として働く母親のホメオパシーだ。周りの山で野草を集め、いわゆる自家製の「サプリ」を駆使してなんでも治す。モルモン教では男女の役割がきっちり決められていて、少しでも肌を露出する格好をすると父も兄も烈火のごとく怒り出すが、その一方でタラはティーンエイジャーになる頃から兄たちと同じように重機を扱い、きつい野良仕事をこなす。

出生証明を持っていない。自分の誕生日の日付もはっきりしない。学校といえば、教会の日曜学校ぐらいで、それも「あの子は字が読めない」「不潔で臭い」といじめられて早々に辞めてしまう。自宅での教育といえば、父親が聖書を勝手に解釈した説法まがいのスピーチを聞くだけ。ここまで読むと、あまりの壮絶さに、同情はしても共感は感じられないかもしれない。

でも、思い出してみてほしい。誰だって、大きくなってから自分の家では当たり前だと思っていたことが、そうではないことを知って愕然とする瞬間があるだろう。ちょっとした食習慣とか、いつも親が言っていたこととか。

「自分ち」の常識とはまったく違う世界が外にはあるのだと。そこから生まれるのが「もっと知りたい」という知識欲だろう。タラの兄たちの中には、その知識欲を抑えられず、こっそり百科事典を読んだり、音楽を聴いたりする者もいた。中でも仲の良かったタイラーは、クラシック音楽(とはいっても教会の賛美歌コーラスばかりだが)を好み、タラに聞かせてくれた。

ティーンエイジャーになる頃からタラも生活を助けるためにベビーシッターの仕事をするようになった。彼女は学校に行っていないので、いつでもきてくれる、賃金が安くてもイヤと言わない、とバイト先の家族が増え、その家族の紹介で習い事をするようになる。ダンスは好きだったが、リサイタルで着たお揃いの衣装が「性的すぎる」と父親に禁じられてしまう。次にコーラスグループで歌わせたら、タラがきれいなソプラノでソロを歌い、これは賛美歌で神を讃えるということで父親が自分を褒めてくれたのが一番嬉しかった思い出だと語る。

だが、少しずつ外界を知る楽しさとともに兄ショーンの凄まじい虐待が始まる。傍目には兄弟喧嘩としか映らず、タラもわざと声高に笑い、ふざけているように見せることで自衛した。学校に行きたい、家族から離れたいと願うタラを受け入れてくれるのは、モルモン教大学のブリガム・ヤングだけだった。なんとか奨学金を得られるようになったが、西洋史を習えば「ホロコーストって何?」といってクラスメートを驚かせ、美術を習えば、教科書の「絵」だけを見て本文を読まず、テストの答えが一つも書けない。勉強のやり方も知らなかったのだ。

それでも「セルフ・リライアンス(頼れるのは自分だけ)」という強靭な精神力で学び続け、勉強のやり方という基本から覚えていく。学業を続けるプロセスの中で、今まで知らずにいたことや、あまり深く考えなかった家族のこともわかってくるのだ。あまりに厳しい父親の歪んだ性格は、双極性障害によるものではないのか? 兄に暴力を振るわれていたのは姉も同じだった。なのに母親はすべてを知りながら、夫の味方をしていた。

「学問を続ける自分の人生」をとるか「家族」をとるか。『エデュケーション──私の人生は大学に救われた』を読むことは、タラの選択を最後まで見届けることだ。

タラが大学で必死で知識を身につけただけではない。自分を愛せるようになることが、彼女のエデュケーションだったのだ。自分の家族だけの狭い環境から飛び出し、近しい人たちを時には裏切り、それでも学ぶことだけが、自分を救ってくれる。

今回の大統領選挙の結果からもわかるだろうが、アメリカの有権者は、まるで宗教のようにトランプ大統領が振りかざす白人至上主義や陰謀論をひたすら信じ、銃を溜め込み、コロナウィルスの脅威さえデマだと思う層と、都市部で自分とは違う人たちの文化に触れ、気候の変動を憂い、教育や科学の大切さを訴える層の真っ二つに割れてしまった。彼らがタラのように外の世界から学ぶことができるのかに、未来がかかっている。

一方で、タラの場合は極端だが、「ガラパゴス」という言葉に象徴されるように、日本人の多くが同じような環境に置かれていると感じることがある。狭い日本社会の中で、痴漢がいること、セクハラされること、同じ仕事をしても同じ給料はもらえないこと、ワンオペの子育てがあたりまえのように要求されている空気。一方で、いわゆる「毒親」に苦しめられ、自分の人生を見失っている人もいるだろう。

そして他の国の実態も知らずに「日本スゲー」と言い続けるカルトにも似た保守的な教育。その呪縛から逃れる道は、そうではない世界があることを知ることだろう。タラのストーリーに勇気づけられたら、今からでも遅くはない、外の世界のことを学んで、知って、必要があればそこから抜け出すのだ。大丈夫、タラがそうしたように、まずは自分を愛して、信じてあげよう。

(大原ケイ/文芸エージェント)

著者略歴/タラ・ウェストーバー
1986年、米国アイダホ州生まれ。両親が病院、公立学校、連邦政府を頼らないサバイバリストだったため、自宅で助産師の手を借りて生まれた。9歳まで出生届が提出されていなかった。学校にも行かず、医療機関も受診せずに育った。10代半ばに、大学に進学した兄の影響を受け、大学に通うことを決意。独学で大学資格試験に合格する。2004年、ブリガム・ヤング大学に入学。2008年に同大卒業(文学士)。その後ゲイツ・ケンブリッジ奨学金を授与され、ケンブリッジ大学トリニティカレッジにて哲学で修士号を取得。ハーバード大学に客員研究員として在籍ののち、ケンブリッジに戻り、2014年、歴史学で博士号を取得。2020年よりハーバード大学公共政策大学院 上級研究員。 2018年に発表した本書は主要メディア、ビル・ゲイツ、オバマ夫妻に絶賛され、全米400万部超の記録的ベストセラーとなった。ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー・ランキングには130週以上ランクインしている。著者は2019年、TIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出された。



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