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少年たちの夏の記憶と、語られることのなかった秘密。スウェーデンの人気作家の最新長篇『生存者』訳者あとがき

スウェーデンで作家、ジャーナリスト、Podcastの司会として著名なアレックス・シュルマンの最新小説『生存者』が、『幸せなひとりぼっち』などの翻訳で知られる坂本あおいさんの訳で刊行となりました。

物語の舞台は、ある家族が夏を過ごす湖畔のコテージ。三兄弟の少年たちは、両親の機嫌を損ねないように気を付けながら、白樺の森でヴィヒタを集めたり、湖で泳いだりして、黄金の日々を過ごしている。しかし、そんな日々は突然終わりを告げ、やがて20年もの間、足を踏み入れることのなかったコテージに、兄弟が再び戻ってくる──果たして、あの夏の日、なにがあったのか?

わずか264ページの中で描かれる、少年たちの輝かしい夏の記憶と彼らの現在に隠された秘密。時間軸が緻密に交錯していく構成も巧みな一冊。訳者の坂本あおいさんのあとがきです。

 

 訳者あとがき──坂本あおい

 

スウェーデンでは夏になると都会を離れ、自然のなかの簡素な別荘で長い休暇を過ごす家族も多い。夜まで暮れない太陽の下で活動を楽しみ、湖で泳ぎ──。そこでの経験は、多くの子供にとっては、輝く大切な思い出となるのだろう。

『生存者』原書書影

疎遠になっていたニルス、ベンヤミン、ピエールの三兄弟は、母の遺灰を撒くために、そうした夏のコテージを久しぶりに訪れる。ところがそこで繰り広げられるのは、美しいノスタルジーとは無縁の光景だった。暴力、流血、涙、警察の到来。

兄弟はなぜたがいを避け、なぜ長年このコテージに寄りつかなかったのか。それを解く鍵となる子供時代の夏の出来事、機能不全家族のありさまが、2番目の兄弟のベンヤミンの目を通して明らかになっていく。湖畔で長い夏の一日を楽しむ父と母は、あきらかに酒の量が多すぎる。母はときどき優しく、ときどき急に怒りだす。ベンヤミンはつねに両親の機嫌を気にして、平和が失われないよう神経をとがらせている。ネグレクトとも呼べる状態で美しい湖や森に放置された幼い3人の兄弟は、冒険という範疇にはおさまらない危険を経験し、そのダメージは子供の心が抱えるにはあまりに大きすぎた。

こうして、一家の過去がフラッシュバックのように順に映しだされる一方で、それと平行して、散骨に来た成人した三兄弟のその日一日が、二時間ずつ時をもどしながら細切れに紹介される。

日本版装幀


この時間を逆向させる手法は難しい試みだと想像されるが、著者のアレックス・シュルマンは初のフィクションを手がけるにあたり、あえてこうした制限を課して小説の輪郭を形作ることにしたという。過去と現在をオーバーラップさせ、融合させていく構成は、結果からしてみごとに成功したと言えないだろうか。ふたつの軸がついに交わるころには、物語の始まりと結末の区別は曖昧なものとなり、時間は人にとって必ずしも整然と前にのみ進むものでないことを意識させられる。

(C) MARTIN CEDERBLAD

アレックス・シュルマンは、作家であると同時にテレビ、ラジオ、ポッドキャストなどで縦横に活躍するメディア人で、英語圏や日本に紹介されるのは本作が初となるが、著作の数は、共著も含めるとすでに10冊近くにのぼる。

自身の作品としては、2009年の作家デビュー以来、家族に焦点をあてた自伝や伝記的作品を書きつづけており、たとえばGlöm mig(「わたしを忘れて」、2016)では、アルコール依存症だった母との崩壊した関係を赤裸々に記している。『生存者』にも自身の体験が多く反映されていることは本人も認めるとおりで、母への愛憎を消化しきれない痛々しい様子などは、まさにシュルマンそのものの姿なのだろう。また、インタビューでも、父の承認を求めて三兄弟で競って湖を泳ぐエピソードは、実際にあったことではないが100パーセント真実だ、と語っている。

著名な作家である祖父と、やはり文芸家だった祖母のあいだの悲劇を描いたBränn alla mina brev(「わたしの手紙は全部燃やして」、2018)は、シュルマン自身のうちに宿る怒りの理由を家族の過去に求めたのをきっかけに生まれた伝記的物語で、大変に話題を呼び、2022年にはスウェーデンで映像化されて公開された。

むかしから作家になることを夢見ていたシュルマンは、出版社に何度も断られ、そのため自分で自由に発信できるブログを開始し、それが一大サイトに発展して彼のキャリアの基盤となった。努力の人であるのはまちがいなさそうだが、家系に作家の肩書きを持つ人も多く、シュルマンの前に同じ道がひらけるのは必然だったようにも見える。『生存者』のなかでは、ぎくしゃくした家族の緊張から逃れるため、ニルスは距離をおき、ピエールは粗暴さを身に着けた。ベンヤミン/シュルマンにとっては、物語を語ることがそれと同様の役割を果たしているのかもしれない。

2022年には自身の直接の体験から離れた小説Malma station(「マルマ駅」)が発表された。スウェーデンの期待を背負った次世代の作家が、今後もさらなる飛躍をしていくのはまちがいないだろう。

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『生存者』は早川書房より好評発売中です。

 

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